第九章 赤い泪

第九章 赤い泪①

 この世界は信じるに足らない。


 そう結論付けたのは八歳の時だった。


 娼館に拾われた私は、多くの姉妹たちとともに育った。


 私たちは商品として扱われ、自分が人間であること、なんて考えたことも無かった。


 苛烈かれつな労働が私たちの日常だった。


 世界が私たちにくれたものなど何一つない。

 

 だから、私は世界に期待するのをやめた。


 十二歳になった時、ヘイム様に出会った。


 「君は選ばれた子だ」


 へイム様はそう言うと、優しい目で「ギーメル」と呼んでくれた。


 大人に優しくされたのは初めてだった。


 私は驚き、恐れ、やがてその優しさに溺れた。生まれて初めて胸の奥に温かなものを感じた。

 この人の為なら、何度でも死ねると思った。


 でも本当は知っていた。


 ヘイム様が見ていたのは、私の髪と瞳だけ。


 あの女。


 ヤナガセ・ソレアと同じ赤い色の……。


 誰も私なんか見ていない。

 誰も私なんか必要としていない。


 だから、私は世界を信じるのをやめた。



◇  ◆  ◇



 『ヤツフサ』が『ユニコーン』と対峙している。

 あのコジュウロウが攻めあぐねていた。

 アネガサキ・ミネルヴァの実力は本物ということか。


「みんな助けに来てくれたんだ」


 後ろで、ラゥリンの顔がほころんだ。そんなラゥリンにギーメルは渋い顔をする。酷い現実を知りながら、彼はまだセンチュリアに帰りたいのだ。


「やれやれ、ギーメル、すまないが私は先に行くよ」


「ヘイム様。ご無事で」


「君もだ。絶対に死ぬなよ」


 ヘイムダルが優しく頭をなでる。


――このぬくもりが、私だけものになるなら。


 ギーメルの心にそんな願望が沸き起こる。

 ヘイムダルは決して誰のモノにもならない。

 そんなことは分かっていた。


 この優しい瞳も、自分に向けられたものではない。


 それでも、このぬくもりが欲しかった。

 いとおしかった。


 しばしのぬくもりを残し、ヘイムダルは『ドゥン』から降りた。


 そして、雨のカルディナ橋をゆっくりと渡っていく。

 傘をくるくると回して、まるで散歩のようだ。


 その傘が、一度くらいは振り向かないか、と見つめるが、ヘイムダルにはその気はないようだった。

 遠ざかる傘にギーメルの胸がちくりと痛んだ。


「まったく……らしくないな」


 ギーメルはふんと鼻を鳴らして笑うと、自分の中に潜む乙女心を自嘲した。

 さあ、あとは敵を蹴散らして、機工クラスの学生をダァトシティまで運ぶだけだ。


敵ドレスビーストが突貫してくる。


コジュウロウはアネガサキ・ミネルヴァに手一杯だった。

残りの六機は彼女の獲物だった。


「ラゥリン。お前にはすまないことをする」


 ギーメルが呟いた。


「全機、潰す!」


 ギーメルの赤い瞳がきらめく。

 少女は、戦士の目になった。



◇  ◆  ◇



 カイルを中心に六人の生徒達が『ドゥン』に向かって突貫した。

 通り過ぎる六機のドレスを視界の端で確認しながら、ミネルヴァはコジュウロウと斬り合っていた。


 激しい剣激をさばきながらの反撃。

 コジュウロウの斬撃は鋭い。

 一瞬でも気を抜けば斬られる。

 だが、その剣先には迷いが見えた。


「強いな」


 コジュウロウが呟く。


「世辞はいらん。貴様こそ、まだ手加減をしているな?それとも本当に死にたいのか?」


「まさか、そなた程の騎士に手加減など、非礼というものだ。」


「世辞はいらんと言っている!」


 ミネルヴァの剣撃をコジュウロウはバックステップでかわす。

 距離を置いたコジュウロウは刀を鞘に戻そうとする。


「やらせん!」


 ミネルヴァはさらに追いすがり刃を交わす。

 コジュウロウは刀を鞘に戻せず、再び斬り合いとなる。


 ドレス同士の近接戦闘は確率共振の探り合いだ。

 コジュウロウの居合いは一瞬で確率を共振させてくる。


 この居合い、この世に斬れぬものは無い。


 距離を取られて居合いの体勢を取られたら勝負は決するということだ。


 ミネルヴァは距離を詰めて斬り合う他なかった。しかし、コジュウロウ相手では距離を詰めても互角がいいところだ。


 お互いに互角ならば、援護をもらった方が勝つ。


 カイル達六人で敵のドレス『ドゥン』を討ち果たせば、勝てる。

 だが、相手は600番台シックスナンバーズだ。

 第五世代の『ヘングスト』や『シュトゥールテ』では分が悪い。


 それでも、そこにかけるしかなかった。


 二人は互いに消耗しながらも、その戦いは激しさを増すばかりだ。


 コジュウロウもミネルヴァの強さに驚いていた。


(初手に居合いを見せたのが間違いだったな。それにしても……)


 『ヤツフサ』に乗った自分とここまで戦える者がいたことが驚きだった。何より、ミネルヴァの剣には熱い情念がこもっている。


「何故だ」

「なに?」


 唐突な問いにミネルヴァは反射的に応えた。

 コジュウロウはもう一度ゆっくりと質す。


「何故、そこまで戦える?」


 コジュウロウの意図が分からずミネルヴァは怪訝けげんな顔をする。


「生徒を助けるためだ。教師にとってこれ以上の義があるか?」


 生徒を守る。

 それが教師にとって、一番やらなくてはいけないこと、最優先事項だ。

 やるべきこと、それが『義』である。


「義……正義か?」


「そうだ。騎士としての正義。教師としての義務。そして私自身の存在意義でもある」


 正『義』。

 『義』務。

 存在意『義』。


 その全てが、やらなくてはならない『義』である。そしてそれこそが自分を自分足らしめる。


 ミネルヴァは文字通り全身全霊を懸けてコジュウロウと対峙していた。


「そして、義を観て為さざるは勇無きなり。それこそが我が『大勇』である。」


 おのれの『義』を知りながら、それをしない、できない。それは『勇気』が無いからだ。


 その心に曇り無き『義』があるなら、どんな敵にもひるみはしない。それが真の勇者である。


 ミネルヴァは距離を置くと、振動刀を再び上段に構える。


 (この距離は……)


 この距離は居合の間合いである。

 ミネルヴァは「居合いで来るなら来い」と誘っている。


 コジュウロウは暫し逡巡しゅんじゅんした。


 ミネルヴァは何かを狙っている。

 しかし、自分の居合いが負けるとは思えなかった。


「さあ来い!ハチサカコジュウロウ!それとも、その胸の最後の『勇』も潰えたか!」


 ミネルヴァの真っ直ぐさにコジュウロウは笑った。

 

「まったく。そなたを見ていると、自分がひどく矮小わいしょうに見えてくるな」


 そう言うと、コジュウロウは居合いの構えを取った。

 構えたコジュウロウからは死線をくぐり抜けた猛者もさの凄みが有った。


 一方、ミネルヴァの『ユニコーン』は振動刀を真っ直ぐに天へと掲げる上段の構えのままだ。

 しかし、その刀の切っ先まで神経が研ぎ澄まされているのがコジュウロウにも分かった。


 次の一撃が勝負を決する。

 両者の間にぴんと緊張が張り詰めた。

 

「参る!」

「応!」


 コジュウロウは抜刀する。

 電光石火の居合い斬りがミネルヴァを襲う。

 同時にミネルヴァも振動刀を振り降ろす。

 彼女の全てを懸けた一刀だ。


 両者の刀が互いにぶつかり煌き、火花散った。

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