第八章 サバイバーズギルト(終)

 垂れ込める暗雲からぽつりぽつりと雨がこぼれ始めた。紫陽花たちは雨に打ちえられながらも、その丸い花弁が項垂うなだれぬよう何とか顔を上げ、持ちこたえている。


 梅雨の終わりの雨は次第に強くなる。


 湿気にやられた赤い髪の毛はくるくるとカールし、まとまりが悪い。

 

 エスティは陰鬱いんうつな気持ちにその身まで重く感じながら、四足形態のドレスビーストを前に進めた。


 雨と紫陽花の中、その橋は突如、現れた。

 アルテア戦争の始まりの地、カルディナ橋である。


 もう廃線となった鉄道のなごりから、橋の上には線路が残る。

 20年前、この線路を通り、アルテア国に入ろうとした青年将校達が爆殺された。

 そして、そこから始まる戦争でさらに多くの戦死者と戦争難民を作り出した。


 そんな血生臭い歴史を覆い隠すように、紫陽花あじさいの花が咲き乱れている。


 エスティ達はドレスを四足形態にして、紫陽花を踏み分けながら進んでいた。


「本当に、敵が来るんですか?」


 枯れた紫陽花が老婆のようにしわがれ、そのこうべを垂れていた。


 エスティは肩をぶるっと震わせ、呟く。


 テロリスト達も自分の逃走経路のどこが危険かくらいは調べてあるはずだ。

 急に出撃を決定した自分たちよりは周到であるに違いない。


「来なくては困る。ここを逃したらラゥリンは助けられないぞ」


 ミネルヴァが叱責しっせきする。


 ここで敵機とまみえることになる。

 エスティ達に緊張感が張り詰めた。


「前方に人がいます!」


 目の良いカチュアが報告する。

 

 カルディナ橋の入口、行く手をはばむように人影が立っていた。

 ミネルヴァが目を凝らす。


 はじめは女性かと思った。

 しかし、あの骨格は男性だ。


 そうだ、あれはスカートではなく「ハカマ」という民族衣装だ。


「民間人は速やかにこの場を立ち去ってください。ここは戦場になります」


 パティが教えられたようにアナウンスする。

 さすがは声楽科。

 綺麗な澄んだ声が紫陽花の群れを通り抜けていった。


 しかし、男は動かない。

 このアナウンスが聞こえないはずがないのに。


「繰り返します。民間人は……」

「待て、パティ」


 アナウンスを繰り返すパティをミネルヴァが制した。


「アレは民間人ではない」


 ミネルヴァが『ユニコーン』を二足形態に変形させる。

 雨粒を弾き、美しい白銀のドレスビーストがすくと立ち上がった。


 『ユニコーン』を目の前にしても、その男は少しも動じる様子はない。

 男はわずかに顔を上げると、こちらに向かって声を響かせた。


「そのドレスビースト!600番台シックスナンバーズ『ユニコーン』とお見受けする!」


 男は力強く通る声を張ってくる。

 それに対し、ミネルヴァも返答する。


「いかにも!私はセンチュリア軍、第四特別騎兵隊アネガサキ・ミネルヴァ騎中尉である!義によって先を急ぐ!道をあけられよ!」


 ミネルヴァの言葉に男は静かに呟いた。


「義……正義か……そのようなもの信じているのか?」


 ミネルヴァは眉をひそめる。

 この男、何が言いたい?


「知れたこと。騎士は義をもってじょうとす。義のない騎士など人殺しと変わらん」


 ミネルヴァの返答に男はニヤリと笑った。


「では、私は人殺しだな」


 すると、男の背後に紅色と紫色の二体のドレスビーストが現れた。

 重い起動音と共に確率変動現象が始まる。


 強力な確率変動だ。

 あれがくだん600番台シックスナンバーズに違いない。


「総員戦闘態勢!確率変動!」


 ミネルヴァの号令に全機、確率を変動させる。


「シリウス!あれはなんだ!」


 紫のドレスビーストに男が乗り込む。

 遠隔操作をしない。

 生身で戦うつもりだ。


600番台シックスナンバーズ『ヤツフサ』と『ドゥン』だ!『ヤツフサ』は『ユニコーン』同様、二足形態での近接戦闘でくる!気をつけろ、あいつの搭乗者は……」


 シリウスが即座に答える。


「『ヤツフサ』って……まさか?」

「搭乗者はあの……!」


 カチュアとカイルが叫ぶ。

 

 この相手は本当にヤバイ。

 シリウスがなおも続ける。


「搭乗者は……元センチュリア親衛隊ハチサカ・コジュウロウ騎大尉だ!」


 カルディナ橋爆破事件の首謀者。

 ハチサカ・コジュウロウ。

 その名を聞き、エスティ達に戦慄が走る。


「その名は捨てた。今はただの『人斬りコジュウロウ』!」


 言葉と同時に、『ヤツフサ』が居合斬りを放つ。


 先頭のミネルヴァは受け止めきれないと判断して受け流した。


 ドレスの刃が合わさり、火花を散らす。

 『ヤツフサ』は間合いを取ると、スキの無い構えで向き合う。


「ほお、私の初太刀をかわすか。流石だなミネルヴァ騎中尉」


 コジュウロウが感嘆する。

 そんなコジュウロウをミネルヴァがただす。


「貴様……何故、ドレスに乗る?」


 ドレスは遠隔操作が基本だ。

 わざわざ危険を犯して直接乗る理由がない。


「体性感覚です。直接乗るとドレスを介さない体性感覚が得られます。フィードバックが早くなり反応速度が上がります。」


「違うな」


 カイルの模範解答にコジュウロウが答えた。モニターにコジュウロウの顔が映る。

 覚悟を決めた男の凄みを感じ、エスティは生唾を飲み込んだ。


「武士道とは死ぬことと見つけたり。戦場とは本来、命のやり取りをする場所である。常に死を覚悟してこそかけがえの無い生を全うできる。」


 それがコジュウロウの武士道であった。


 しかし、その覚悟に対し辛辣に答えるものがいた。


「それも違う」


 ダンだった。


「死を覚悟するのは意識の問題だ。危険に身を置くのとは違う。」


 ダンの言葉にコジュウロウの声が低くなる。


「何が言いたい?」


 鋭い眼光に皆が臆したが、ダンだけは汗一つ欠かず、その目を受け止めた。


「あなたは死に場所を探しているだけだ。生きる意味を失って自暴自棄になっているだけだ。」


 その言葉にコジュウロウの眼光はさらに鋭さを増した。

 まるで日本刀の切っ先のようだ。


「知ったふうな口を聞く。ならば、私を殺してみせろ!」


 『ヤツフサ』が再び居合の構えをとる。

 ミネルヴァは生徒たちの前にかばうように立つと振動刀を上段に構えた。


「ミネルヴァ殿。そなたなら、私にくれるのか?桜のような美しい散りざまを……」


 コジュウロウはそう言うと僅かに口元を上げた。

 その瞳の奥に狂気の光が差した。


「この、死にたがりが……」


 ミネルヴァは吐き捨てるように応える。


 『ヤツフサ』と『ユニコーン』。

 二体のドレスビーストが対峙した。


 梅雨の終わり、雨が厳しくなっている。


 桜の季節は、とうに過ぎていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る