第十五章 獣の理《ことわり》(終)

「お願い!やめて『デケッツェン』!」


 必死の叫びにも『デケッツェン』は応えない。ただ淡々と『パイフー』に牙を突き立てた。


 四足形態のまま『パイフー』に食らいつく。エスティがどんなに命令しても懇願しても抗重力伸展運動エロンゲーションしない。


 二足形態を取れない!


「ダン!確率共振を止めて!」


 『オルトロス』からの共振が止まれば『デケッツェン』からの攻撃も『パイフー』には通じないはずだ。

 だが、ダンはそれを拒んだ。


「エスティ。これでいいんだ」

「ダン!」


 『デケッツェン』もダンも、エスティの叫びには耳を貸さない。やがて装甲が剥ぎ取られると『パイフー』の基底核部が露わになる。その中には生身のレイリアがいるはずだ。


 『デケッツェン』は『パイフー』引き倒すと覆い被さった。


「なにを……するの?」


 エスティは吐き気を催し手で口を抑えた。


(血の匂い……!?)


 自分の右手から血の匂いがする。

 慌てて手を離した。


「だめ……だめだよ……そんなことしたら……」


 『デケッツェン』の意志がエスティに逆流した。


「そんなことしたら!レイリアが死んじゃう!」


 鉤爪が『パイフー』を貫いた。

 轟音とともに拳が手首までめり込む。


「ぐぅ!」


 レイリアの低いうめき声が漏れる。


 今度はめり込んだ拳を力任せに引き抜いた。メリメリと音をたてて基底核部バーゼルブロックを引きり出す。


「いやああああああああああ!」


 心臓をえぐられたように『パイフー』の胸に大穴が空く。


 同時に『パイフー』の確率変動現象が止まった。


――ぐらり


 倒れた『パイフー』にエスティが手を伸ばす。

 もちろん届くわけがない。

 それでも懸命に手を延ばした。


「レイリ……」


 口から出る前に言葉が消え失せた。


 そして……。


 上げた鎌首をゆっくりと落とすと『パイフー』は沈黙した。


 中庭にツクツクボウシの鳴き声がする。その他には誰も口を開かなかった。


 戦闘は終わった。


 『ディケッツェン』の右腕から真赤な血がしたたっている。


 誰も動かない。

 誰も動けない。


 そんな中、エスティだけが弾かれるように『ディケッツェン』から飛び出した。


「レイリア!」


 エスティが『パイフー』に駆け寄る。

 えぐられた大穴を覗き込み、コックピットへと入ろうとした。


 そこで、エスティは立ち尽くした。


 鮮血と鉄屑のコックピットに、レイリアの姿は無い。 


 ただ、そこには……。


「いや……」


 そこには……千切れた右腕が残っていた。

 レイリアの白い右腕が……。


「いや!いや!レイリア!レイリア!」


 右腕を掻き抱くとエスティは頭を振って叫ぶ。

 エスティの白い頬にレイリアの血がべっとりとつく。


 エスティはレイリアの右腕を抱き締めると奥歯を噛み締めて『オルトロス』を見上げた。


「やめてって言ったじゃない……やめてって言ったよね……?」


 ダンに鋭い視線を投げかける。


 ダンは無表情のまま、エスティの視線を受け止めた。

   

「これしか無かった。みんなの命を助ける方法はこれしか。」

「言い訳なんて聞きたくない!」


 ダンは戸惑っていた。


 何故エスティが怒っているのか分からない。

 ただ、自分がまた間違えたことだけは分かった。


「エスティ……僕は……」

「『デケッツェン』の!私の手で……レイリアを……どうしてくれるのよ!」


 エスティは叫んだ。


 自分の怒りを、哀しみを、無軌道に無責任に全てをぶちまけ、ダンに当たり散らす。


「もう嫌よ!こんなの酷すぎる!なんで私ばっかり!おかしいじゃない!」


 自分が混乱しているのが分かる。

 怒りに任せてダンに八つ当たりしている。


「あんたのせいよ!」


 違う……。

 殺したのは自分だ。

 ダンは守ってくれたんだ。


「なんで止めてくれなかったの!」


 だめだ……。

 これ以上はだめだ!


「この……この……」


 これ以上……ダンを傷つけないで!


「この人殺し!」



  ◇  ◆  ◇


 

 累々と横たわるドレスビーストの残骸に蝉の音がのしかかる。

 先程までの戦闘が嘘のように時間の流れがゆるやかだった。


 アネガサキ・ミネルヴァはコックピットのシートにもたれかかると、汗ばんだ額をぬぐい、深く息を吐いた。


「大丈夫か?ミネルヴァ」


 ギラードが話しかけてきた。


「すまぬ。ヘイムダルを逃がした」

「相手は『スレイプニル』だ。よく『ユニコーン』を守ってくれた。」


 ギラードは口惜しさに口をゆがめながらもミネルヴァをねぎらった。


 異形のドレス『スレイプニル』に乗ったヘイムダルとの戦いは一時間以上続いた。


 互いの集中力が限界に達した時、戦況が一変した。

 基地への進入に成功した敵の伏兵が撃破されたのだ。


 そうなれば純粋な総力戦となる。


 正面切ってのぶつかり合いでセンチュリア軍に勝つことなど不可能だ。

 伏兵が倒されたと見るや否や、ホーライ自警団とヘイムダルは退いた。


「伏兵は『パイフー』だったらしい」


 600番台シックスナンバーズ『パイフー』。

 ホーライ自警団のリーダー、パイフーリーのドレスである。


「よく倒せたものだな」

「第一特騎の出発が遅れたのが功を奏した」


 なるほど、第一特騎の出発が遅れたせいで引き返すのも早かったということだ。


「ホーライ自治区は、これで終わるな」


 ミネルヴァは眼前に広がる荒野に目を細めた。


 荒野の英雄パイフーリーを失った自警団は、アルテア連合の後ろ盾を無くすだろう。戦線はカルディナ橋まで押し進められることになる。


 カルディナ橋を越えれば、今度はいよいよダァトシティ。


 そこはアルテア同盟の本拠地である。


「戦争が終わる日も近いな」


 ギラードが似合わぬ笑顔で呟いた。

 ミネルヴァは渋い顔で返す。


「これで真の平和が訪れる……か。随分と血塗ちぬられた道だな」


 多くの荒野の民を犠牲にして世界は統一されている。それは少数派マイノリティを力でねじ伏せるということである。


 それでも、とギラードは思った。


 それでも、多くの人々が救われるのなら。世界が平和になるのなら。


「こんな血塗ちまみれの平和でも、俺たちには必要なんだ」


 ギラードは自嘲気味に笑った。


 人々が平和を享受する為ならば、自らの手が血に染まっても構わない。

 軍人らしいギラードの覚悟であった。


 そんなギラードをミネルヴァは冷ややかな目で見据えた。


「その血は、一体誰の血だ?」


 吐き捨てるミネルヴァにギラードは言葉を失った。


 その血は荒野の民の血だ。


 我々が荒野ワイルドの民の生き血をすすることでしか生きられないのだとしたら、獣は一体どちらだというのか。


 自分だって同類だ。


 ギラードを責める資格などないこともミネルヴァは自覚していた。


 もっとも美しいドレス『ユニコーン』。


 白銀に輝くこのドレスビーストは、少数派マイノリティ達の返り血で染まりきっていた。


 パイフーリーはそんな彼等の英雄だったのだ。


「パイフーリーは死んだのか?」


 ミネルヴァがポツリとらす。


「それがな……ミネルヴァ……」


 デリカシーの無いギラードが言いよどんでいる。

 ミネルヴァはいぶかりながらも「なんだ?」と先を促した。


「パイフーリーの正体は、リー・レイリアだったそうだ」


 ミネルヴァの顔から血の気が失せた。


 リー・レイリアは第四特騎のリーダーであり、エスティとも仲良くしていた。


「レイリアが、死んだのか?」


 なんとか言葉をつむぐミネルヴァを取り残し、ギラードが続ける。


「鉤爪でコックピットをえぐられたそうだ。酷いものだ。中には右腕一本しか残っていなかったらしい」


「それじゃあ……」


「騒動のどさくさに第四特騎の数名が失踪している。おそらくは潜入していて……」


「そうじゃない!」


 矢継ぎ早にまくしたてるギラードをミネルヴァは制した。

 そして、唾を一度飲み込むと震える声でただした。


「……倒したのは『オルトロス』か?」


 ミネルヴァの疑問は明確である。


 殺したのは誰か?


 ミネルヴァの言葉にしば逡巡しゅんじゅんし、ギラードは答えた。


「いや……『ディケッツェン』だ」


 ギラードの返答を聞くと、ミネルヴァは暗闇に突き落とされたように脱力した。


 凄惨な戦いに生徒たちを巻き込んでしまった。


 リー・レイリアが死んだ。


 殺したのはエスティだった。



  ◇  ◆  ◇



 白き虎。


 荒野の英雄パイフーリー。


 世界の矛盾に抗い。

 強者に歯向かい。

 弱者を守る。


 社会の底辺にあってなお誇り高き、

 餓えと貧困の子。


 この荒野に生きる人々の希望の灯火。

 天に輝く白き炎の使者。


 パイフーリー。


 どうか願いが叶うなら。

 貧しき民をお救いください。



 ◇  ◆  ◇



 湿った風が乾いた荒野に吹きすさぶ。

 それは夏の終わりを継げる嵐の予感であった。


 泣き叫ぶような風のに少年の鼓膜は不安げに揺れた。


 喪に服した大人達が泣いている。

 少年はそんな大人達に眉をひそめた。


 パイフーリーが死んだ。


 その噂は徐々に広まり数日後にはホーライ地区全体に知れ渡った。


 自警団は解体され、ある者はアルテア同盟と合流し、ある者は野に下りひっそりと生きることになった。


 ホーライ自治区はセンチュリア神聖共和国に併合されることになる。


 英雄を失った荒野の人々は一様に天を仰ぎ涙した。

 逆賊パイフーリーの葬儀をセンチュリア軍は取り締まったが、それでも連日どこかで式典が執り行われていた。


 ホーライ地区全体が泣いているようだった。


 少年は葬儀に配られる饅頭を三つ貰うと二つをポケットに、もう一つは自分の口に入れた。


 貴重な食料に笑顔になると小さな塀に腰掛け、饅頭にかぶりつく。

 そこに通りかかった長身の少女と目があった。


 皆が絶望に打ちひしがれる中、この少年だけが笑顔である。少女が怪訝な顔になる。


 饅頭を頬張る少年に長身の少女は話しかけてけた。


「ねぇ。君?」


 すらりとした背の高い少女だ。

 少年は少し照れくさそうに挨拶した。


「君は悲しくないの?パイフーリーが死んで」


 長年の友人を失ったように少女の顔には陰があった。その哀し気な瞳を、少年はお日様のような笑顔で受け止めた。


「姉ちゃん知らないの?パイフーリーが死ぬわけないよ!」


 少女は慌てた。


 あんまりにも大きな声で言うものだから周りの大人たちがこちらを見てくる。


 しかし少年は動じることなく胸を張った。


 構うものか。


 大人達は分かっていないんだ。

 パイフーリーが死ぬわけないんだ。


 少年はいっそう大きな声を張り上げる。


「パイフーリーが死ぬもんか!あの人は菩薩様の化身なんだ!菩薩様が死んだなんて聞いたことあるかい……!?」

「ちょっと、静かにしてよ!」


 長身の少女は慌てて少年の口を塞いだ。

 少年は手足をじたばたとバタつかせ抵抗する。


 もがく少年にターバンの女が近づいてきた。この女は少女の連れなのだろう。


「ヒナ、離してやんな」


 長身の少女はしぶしぶ少年を解放した。

 自由になると少年は女に詰め寄った。


「なんだい?姉ちゃんもそう思うのかい?パイフーリーは死んだって!?」


 掴みかかった女には右腕が無かった。

 少年はびっくりして女を見る。


「さあな?そう言う奴もいるけど俺は……知らねぇな」


 隻腕の女は口の端を吊り上げて笑った。

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儚き永遠のビーストランド 千石一郎 @sengoku-ace

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