第十章 浜辺の時は、最良の時②

 静かな教室にカリカリと鉛筆が走る音だけが流れていく。

 『特機クラス』の生徒たちが、学年末テストを受けていた。


 エスティは脂汗をかきながらなんとか問題を解いていく。

 正直、全然分からなかった。


 カルディナ橋の戦いから三日間、エスティは眠り続けた。

 目を覚ました時にはテストまでの時間はわずかしかなかった。

 それでも諦めずに勉強してみたものの、努力型のエスティには厳しい日程となった。


 結局、「なるようになれ」と腹をくくり、昨日の夜は爆睡したのであった。


「ようし!やめ!」


 チャイムが鳴ると、ギラード教官が終了の号令をかける。

 テストの終わった解放感に、クラスメイトたちがわっと騒ぎ出した。


「終わった……」


 エスティはなんとか埋めた回答用紙を提出した。全く自信がない。

 肩を落とすエスティに、「元気出して」とパティが肩を叩いた。

 パティに促されのろのろと教室を出るエスティだったが、その姿はまるでゾンビのようである。


「エスティ」


 呆然自失で教室を出るエスティを誰かが呼び止めた。振り返るとミネルヴァとシリウスだった。


「なんですか」

「ハチサカ・コジュウロウが目を覚ましたぞ」


 エスティの目に光が戻る。


「本当ですか!」

「ああ、今朝会ってきた。あの男は不死身だな」


 エスティは腰が抜け、へなへなとその場にへたり込む。


「よかったぁ~」


 泣き笑いのエスティに、パティの顔にも笑顔が浮かぶ。本当に心配していたのだ。


 ほっとしたエスティは次の瞬間、くるりと表情を変えると満面の笑みで、ミネルヴァに尊敬の眼差しを向けた。


「でも、凄いですね、ミネルヴァ先生!あの『人斬りコジュウロウ』を倒すだなんて」


 突然の台詞にミネルヴァは言葉を詰まらせた。


「エスティ?」


 エスティが何を言っているのか分からない。ミネルヴァは困惑した。

 隣のパティも驚いている。


「だって、私たちは六機がかりでようやく『ドゥン』を倒したんですから。600番台シックスナンバーズをそれも、ハチサカ・コジュウロウを一人でやっつけるなんて信じられません!」


 謙遜からなのか。しかし、そんな様子は全くない。

 尊敬のまなざしを向けるエスティは、本当にミネルヴァがコジュウロウを倒したと思っている。


「お前、何を言っている?『ドゥン』もコジュウロウも……」


 ――お前が一人で倒したんじゃないか。


 そう言おうとしたミネルヴァを制し、シリウスが口を挟んだ。


「そんなことないぞエスティ。相手は600番台シックスナンバーズだ。六対一でも大金星だ」


 シリウスは似合わない笑顔でエスティの頭をガシガシと撫でた。


「えへへへ……」


 面映おもはゆい顔を見せるエスティをパティが心配そうに見つめている。

 シリウスが「何も言うな」と視線を送ると、パティは神妙に頷いた。


「エスティさん!パティさん!ちょっとよろしいかしら!」


 遠くでマリアが呼んでいる。


「あ、はーい!先生、私行くね」


 返事をするとせわしなくかけていく。

 パティは深々と一礼すると、遅れて駆けて行った。


「どういうことだ?」


 エスティの後姿を見ながらミネルヴァは呟いた。


「おそらく、ストレスから脳が記憶を作り変えたのだろう」

作話さくわというやつか?」


 ミネルヴァの言葉にシリウスは頷いた。


 人間の記憶というものは意外といい加減なものだ。過去の記憶を自分の頭の中で書き換えてしまうことはよくあることだ。


 そのような自覚の無い嘘を「作話さくわ」という。


 本当は自分一人で二機の600番台シックスナンバーズを倒したのだ。

 それが一機はミネルヴァが、もう一機はみんなで倒したと信じている。


 おそらく「人を殺したのかもしれない」というストレスから、エスティの大脳皮質が全く別のストーリーを作り出してしまったのだろう。


「脳の防御機能か……しかし、あの子は戦争に向いていないな」


 マリアやカチュアと楽しそうに談笑するエスティはどこにでもいる普通の女子高生だ。


 あんな少女が、人を殺すことを恐れないわけがない。


「いや、それが普通の人間か」


 その普通の女子高生が戦争をしている。

 つくづくおかしな時代だと、ミネルヴァは嘆息した。



 ◇  ◆  ◇



「エスティさん、早くなさい」


 マリアとカチュアに急かされて、エスティとパティは校門までたどり着く。


「あれ?今日は女子だけなの?」


 事情も知らず呼び出されたエスティの疑問に、マリアが自慢げに答える。


「当然です。明日からは夏休み。そして、来週は林間学校ですわよ!」

「ということで、みんなで水着を買いに行くんです」


 お出かけ気分に少しうきうきしながら、パティが続けた。

 確かに、水着を買いに行くのに男子がいては恥ずかしい。


「まったく、学校指定の水着があるでしょ」


 カチュアが眼鏡を直しながら、いつもの不機嫌な顔をする。


「カチュアさん。そんなの着てくる女生徒なんて一人もいませんわよ」


 カチュアとマリアの口論をよそに、エスティの目がきらきらと輝き出す。


「私、海はじめて!」


 感極まり両手を広げてエスティは叫んだ。


 女の子四人でかしましく、街に繰り出すのであった。



  ◇  ◆  ◇



 夏休みが始まると、エスティ達『第四特騎』は一週間の林間学校に入る。これは夏合宿を兼ねた特騎クラスの恒例行事だった。


 マルクト高校、第四特騎。

 聖ティフェレト女学院、第七特騎。

 ネツァーク東高校、十二特騎。

 ケテル高校、第一特騎。


 四校合同の大合宿である。


 第四特騎二十六名を乗せたバスは合宿先まで山道を走っていた。


 ネツァークシティの東の海岸は大戦での被害も少なく、海岸までの道路も整備がされていた。しかしそれでも山道に入ると悪路のためバスは跳ねる。そのたびに、はしゃぐ生徒たちは楽しそうな悲鳴をあげた。


 山道を抜け峠に差し掛かると、急に視界が開け、目の前にきらめく海があらわれた。


「大きい!なにこれ?これが海なの?」


 初めて海を見るエスティは座席の上に膝を立て、はしゃいだ。車窓を開けると蝉の音とともに潮風が入り込んできた。


「凄い!本当に潮の香りがする!」


 エスティは窓から身を乗り出すと、パティも遠慮がちに顔を突き出す。蝉の音に紛れ波の音がする。二人は顔を見合わせると笑った。


「エスティさん。暑いですわよ。ねぇ?……ダン……様?」


 笑顔のマリアが振り向くとダンも少しだけ腰を浮かせて海に魅入っていた。ダンもまた初めて海を見るのだ。


 このところ戦い詰めだったからか、クラス全員が浮かれいていた。


「もうすぐ合宿所よ。今日は終日自由時間だし、私、泳ぐ!」


 エスティは意味もなく雄々しく宣言する。


「それからどうします?」

「まずスイカ割り、あと砂に埋まるやつ、ビーチボールと浮き輪のイルカのアレ、バーベキューに海の家にも行きたい!」

「エスティ!そんなに無計画でどうするの」


 無計画にやりたいことを並べるエスティをカチュアが叱責した。


「合宿所に着くのは午前十時予定よ。それから水着に着替えて十一時。一時間泳いでバーベキューで昼食。スイカ割りはそれからよ!」


 デザートとスイカ割りを兼ねるとは……。

 無駄のない采配にエスティは感服するしかなかった。


 しかし第四特騎随一の秀才『先読みのカチュア』は、さらにその先を見据えていた。

 カチュアはきらりときらめく眼鏡を直すと隊長のカイルに進言する。


「時間短縮のため、今からビーチボールをふくらませておくことを提案します!」


 カチュアの言葉に我が意を得たりとカイルが笑う。


「よし分かった!総員!ビーチボールをふくらませよ」


 いや、かさばるじゃん。

 と、誰も突っ込むこともなく規則正しい二十六名の呼気が車内に充満する。


「カイル騎曹長殿!恥ずかしながら、私!エステリア二等騎士、すでに水着を着用しております!」


 エスティは拳を胸に当てる最敬礼で宣言する。


「ふふふ……でかしたぞ!エスティ!僕も服の下はすでに水着だ!」


 瞬間、ダンを除く第四特騎全員が水着になった。


「なんなんだ……みんな……」


 ダンがやれやれとため息をつく。

 しかし、彼もまた、ズボンの下にはすでに海パンを履いているのであった。

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