第十章 浜辺の時は、最良の時

第十章 浜辺の時は、最良の時①

 初めて見る雪はまるで綿あめみたいで、

 食べてみたらふわっと消えてしまうほど儚かった。


 私は、もう一人の女の子と歩いていた。

 幼かった私たちは手をつなぎ、寄り添ってぬくもりを分け合った。


 鈍色にびいろの空とてつく寒さが不安を駆りたて、

 私はいつのまにか泣いていた。


 隣の女の子はつないだ手に力を込めると、

 「大丈夫」と何度も繰り返した。


 私と同じ赤い瞳と赤い髪。

 まるで私がもう一人いるみたい。


 泣き虫の私と、元気な私。


 どうせなら、元気な私になりたかった。 


 突然、元気な私が足を止めた。


 前を見ると大勢の大人が道を塞いでいる。


 「エスティ!逃げて!」


 元気な私はそう叫ぶと大人たちに向かっていった。

 泣き虫の私は逃げ出した。


 でもすぐ捕まって、

 元気な私も捕まった。


 元気な私は「エスティ逃げて!」と繰り返し、

 泣き虫の私は「殺さないで」と何度も叫んだ。


 ——パン!


 乾いた銃声が鳴った。


 それから、私は一人になった。



  ◇  ◆  ◇



 怖い夢を見た。


 目を覚ましたエスティは仰向けのまま、宿舎の天井を見ていた。

 先程までの悪夢から、全身にびっしょりと汗が浮き、まだ胸がドキドキしていた。


 ほどなくして、目覚まし時計のベルが鳴る。

 今日は学期末テストだった。


 エスティはのろのろと起き上がると洗面台で顔を洗う。


 顔を上げると鏡の中の自分と目があった。

 真赤な瞳と真赤な髪。

 夢の少女と同じ、赤目の赤毛。


 あの少女は一体、なんだったのだろう。


 「あなたは一体誰?」


 エスティは鏡に問う。


 鑑の中の少女は不安げな眼差しをこちらに送るだけだった。



  ◇  ◆  ◇



 薄暗い格納庫の中で、ダンは『ディケッツェン』を見上げていた。


 『ディケッツェン』は先日の戦闘後、綺麗に整備され新品同様に赤い光沢を放っている。コジュウロウの足をもいだその爪も、血曇り一つついていない。


 すぐ後ろでは、シリウスとラゥリン、それにミネルヴァが戦闘データを取っている。数日前の『ドゥン』と『ヤツフサ』との戦闘の記録である。


「何かわかったのか?シリウス」


 ミネルヴァがただすと、シリウスはボールペンでこめかみを掻いた。


「エスティの大脳皮質、特に前頭前野の出力が低下している。それにともない大脳辺縁系だいのうへんえんけい扁桃体へんとうたいが活発になり、それが基底核ループに強い影響を与えている」


 シリウスは普段通りやる気のない声で、難しい言葉を話す。


「つまり、怒りと恐怖で暴走した、ということですか?」


 シリウスの言葉を、ラゥリンは解説する。

シリウスは「ま、そういうことになるな」と笑った。

 しかし、ミネルヴァは納得できなかった。


「シリウス、何を隠している?」

 

 ミネルヴァの視線は厳しい。シリウスは肩をすくめた。


600番台シックスナンバーズ相手にあれだけの戦いを見せたのだぞ?それをなどと、そんな理屈が本当に通ると思っているのか?」


「校長はそれで納得したぞ」


 シリウスはこともなげに言い放った。その口ぶりにミネルヴァの顔が怒りに紅潮した。シリウスの胸倉をつかむと顔を引き寄せた。


「『ディケッツェン』……あのドレスは一体なんだ!?」


 ミネルヴァはせきを切ったようにまくしたてた。


 『ディケッツェン』には謎が多すぎる。

 何故、600番台シックスナンバーズとも戦える?

 何故、あれだけの確率共振ができる?

 何故、エスティにしか動かせない?

 何故、あれほどまでに脳波共鳴率が高い?


 あれではまるで……。


「あれではまるで、エスティの双子の姉妹だ!」


 格納庫にミネルヴァの声が響き渡る。

 ダンはその声に眉をひそめ、ラゥリンはシリウスの答えを待った。


「そんなこと、俺には分からんよ」


 投げやりなシリウスにミネルヴァは尚も食い下がろうとした。

 しかし、ラゥリンがそれを制し、割り込んだ。


「では先生、600番台シックスナンバーズとは一体何なんですか?」


「そんなこと、ヤナガセ・ソレアしか知らないことだ」


 シリウスの言葉が徐々に荒れてきた。

 これ以上喋るな、という空気が格納庫全体に漂う。

 しかし、ラゥリンは折れなかった。


「僕は見たんです。『ヘングスト』の基底核部バーゼルブロックの中を」


 シリウスの目が驚きに広がる。

 その反応だけで十分だった。

 シリウスはあの中身を知っている。


「ラゥリン……お前」


 シリウスが辛うじて言葉を紡ぐ。


「僕は見ました。あの中には……」


 ——生体部品として、生きた馬が一頭、埋め込まれていた。


 そう言おうとしたラゥリンの口を、シリウスは塞いだ。

 ミネルヴァはいぶかしげな目を向けてくる。

 シリウスは苛立ちを隠すのをやめ、不機嫌に顔をゆがめる。


「いいか。ラゥリン。それ以上言うな」


 低い声だ。


 シリウスは本気で怒っている。

 しかし、ラゥリンは引かない。


「これは第五世代の『ヘングスト』の話です。第六世代の『600番台シックスナンバーズ』とは一体なんなんですか?」


 言い終わる前に、ラゥリンの頬が燃え上がるように熱くなった。

 シリウスがラゥリンを殴りつけたのだ。

 ラゥリンは冷たいコンクリートに転がるとうずく頬を押さえてシリウスを見上げた。

 眉をひそめ睨みつけたラゥリンだったが、鬼の形相のシリウスにすぐに視線を落とす。


「それ以上、何も言うな。でないと……」


 そこまで言ってシリウスは言葉を濁した。


「でないと……何なのだ?」


 ミネルヴァが先を促す。


「でないと、センチュリアに殺されるぞ」


 低く、抑えた声だった。それは先程までの怒りではなく、怯懦きょうだの声である。

 そんなシリウスをラゥリンは不満げに盗み見た。


「この話は終わりだ。ダン、お前も誰にもいうなよ!」

 

 ラゥリンの視線を逃れるように、シリウスはダンに呼びかけた。

 ダンは振り向くと生気の無い目を向ける。


「もう一つだけ……。エスティはドレスに飲まれて暴走した。でも、その暴走を止めたのも、この『ディケッツェン』だったように見えた」


 そうだ。


 あの時、エスティは誰かと話していた。

 「邪魔するな」と叫んでいた。

 あれは、一体誰と話していたのだろう。


 四人の間に沈黙が降りる。


 シリウスはもう何も言わず、ただ床を睨みつけていた。


 物言わぬシリウスにダンは肩を落とすと深く嘆息した。


「分かった……もう何も言わないよ。センチュリアより恐ろしいモノなんて、この世に無いからね」


 その言葉を最後に、四人は散り散りに作業へと戻っていった。

 ダンは薄暗い格納庫に一人取り残された。


 そして再び『ディケッツェン』を見上げる。


「あれは、君だったのか?ベス……」


 見上げるダンの目は、失った恋人によせるようにもの悲しく、温かかった。

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