第九章 赤い泪(終)

 真っ白な病室。

 コジュウロウが目を覚ますと、花瓶に入った紫陽花が色を失いしおれて揺らめいていた。


 周りではセンチュリア軍の医療スタッフであろう数人の男女が忙しく駆け回っていた。

 その中で一人、長身の女と目が合った。少し釣り上がった大きな瞳に見覚えがあった。


「そうか……お主がアネガサキ・ミネルヴァか」


 そう言うと、激しい痛みが全身を襲った。気が付くと全身が包帯とチューブやセンサーに巻き取られていた。


「全く、よく生きていたものだ。お前は不死身だな」


 ミネルヴァは呆れ顔でそう言った。

 不死身。

 その言葉はコジュウロウにとって屈辱であった。


「また、死に損なったな」


 そんなコジュウロウにミネルヴァはため息をついた。この男の死にたがりは筋金入りだった。


「『ドゥン』に乗っていた、あの少女は一体なんだ?」


 ミネルヴァはギーメルのことを聞いている。コジュウロウはしばらく考えたが、一言こう答えた。


獣の殻ドレスビーストよろわれて、人であることを見失った哀れな少女だ。」


 その声は掠れ弱々しい。ギーメルのような少女がいることに、大人としての責任を感じているのかもしれない。


「それは我々とて同じこと、ドレスに乗る限り、我々は獣のように地を這いずり戦い続けることになる」


 それが兵士の宿命さだめだった。


 いや、戦争という「力の理屈」で物事を解決しようとしている我々大人そのものがビーストなのかもしれない。人間ならばそれを回避する叡智えいちがあるはずだ。


「ならば、私は安息を得たのだろうか」


 歴史の荒波に飲み込まれ、人生を蹂躙された男が、こんな姿になってようやく戦いから解放されるということか。

 一人の男の人生など、国家の趨勢すうせいにくらぶれば些事さじに過ぎないのだろう。だが、当人にしてみれば、その些事さじごとき人生こそが全てなのだ。


「お前の戦いはこれからであろう。センチュリアはお前を戦争裁判にかけるぞ。そこで身の潔白を証明してみせろ」


 勇ましいミネルヴァにコジュウロウはおとがいを振った。


 それは絶望的な戦いだった。

 どんなに明白な証拠でカルディナ橋爆破事件を紐解ひもといても、コジュウロウの冤罪は決して晴れないだろう。センチュリアは、どんな不当な裁判も平然と露骨に粛々と進めるだろう。


「それに私は、正義を語るには人を殺しすぎた。」


 コジュウロウはカルディナ橋爆破事件からずっと逃げて生きてきた。

 追手の追撃も全て、返り討ちにした。

 その追手の中にはかつての友もいた。


「そして、また生き恥をさらしている」


 生にしがみつき、友すらも殺した男に、今更生きる意味などあるまい。


「私は散りたいのだ。桜のように」


 そう、あの時は桜が舞っていた。

 その桜のように、皆が命を散らした。

 仲間たちは、敵達は、皆が勇敢だった。

 美しかった。


 コジュウロウは不名誉な生よりも、名誉ある死を求めていた。

 ここで果てるなら、悪くはなかった。


「貴殿の気持ち、相分かった」


 ミネルヴァは腰に掛けた軍刀抜刀すると、すっと高く掲げた。それはまるで介錯に臨む処刑人のようだった。

 コジュウロウは死を与えてくれるはずのその刀を見上げる。


「頼めるのか?」


 それは望外の喜びだった。

 切腹できないのが残念なくらいだ。


「馬鹿を言うな。私が裁判にかけられる」


 ミネルヴァは軍刀を凪ぐと、紫陽花を一本切り、コジュウロウに手向けた。


 そして、厳しい目でコジュウロウを見据える。


「騎士は義をもって上とす!義のない騎士など、ただの人殺しと変わらん。まして!自分の義すら分からぬ者が死に急いで、何が潔いものか!」


 厳しい視線に耐えかねて、コジュウロウは視線を床に落とした。


「義すら持たぬ者は、殺す価値もないと?」


 項垂れたコジュウロウの背中は、行き場の分からぬ悲しみが滲んでいた。


 戦いに死ぬことだけが、最後の誇りだったのに、それも叶わなくなった男の悲しみだった。


「この紫陽花を見よ……」


 コジュウロウは言われるがままに紫陽花の花を見た。


 紫陽花は桜のように散りはしない。


 その紫陽花も、花弁を萎ませて醜く変色しながらも、それでも生にしがみつくように懸命に顔を上げていた。


「義のために死ぬのが勇気なら、義のために生きるのもまた勇気。お前も桜のように死ねぬのなら……せめて紫陽花のように生きてみせよ」


 それは死ぬより辛いことかもしれない。それでも、そこに義があるのなら、やらねばなるまい。


 何故なら、「騎士は義をもって上とす」であり、「義を観てなさざるは勇無きなり」だからだ。


「なんとも、厳しいなお主は」


 コジュウロウは愉快そうに笑うとミネルヴァもつられて笑顔になる。


「私は教師だからな」


 そう言って二人で笑った。

 しばらく笑うとコジュウロウは唐突に質した。


「では、ミネルヴァ教諭。あの赤毛の少女は一体何者だ?」


 今度はエスティのことだった。

 勇ましかったミネルヴァも、その言葉には顔を曇らせた。


「分からぬ。分からぬが……あの子もまた、我々、大人のつけを払っているのだろう」


 世界のひずみは必ず弱者にしわ寄せが来るものだ。誰かのつけを誰かが払っているうちに、一番弱い者のところに行き着くのだ。


 その最後の人に人類の罪を一手に背負わせて、ゴルゴダの丘にでも上げるつもりなのだろうか。

 そうして我々は誰かを犠牲にした仮初かりそめの平和を、そうとも知らず享受きょうじゅしていく。それでいいのだろうか。


――こんな世界いらないんだ。


 ギーメルの叫びは、十字架の重みに耐えきれず、世界を呪った慟哭だった。

 その叫びがミネルヴァの胸をさいなんだ。

 

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