第十章 浜辺の時は、最良の時(終)

 宿に帰った第四特騎の面々は、それぞれに入浴を済ませると食事に着こうとしていた。


 エスティは石鹸を泡立て手を洗っている。やけに念入りに手を洗うエスティに、パティが不思議そうに声をかけた。


「お風呂上りなんですから、そんなに洗わなくても大丈夫ですよ?」

「うん。でもちょっと気になって……とれないな……」


 海の匂いが気になるのだろうか。

 でもエスティの潔癖症なところなんて見たことがない。パティは小首をかしげた。

 いつものエスティなら落ちたものでも三秒……いや、五秒以内であれば食べてしまう。


「ねぇ、君」


 手洗いに苦戦するエスティに二人組の男たちが声をかけてきた。昼間、海の家で声をかけてきた二人である。


「なに?またあんたたち?」


 うんざりした声で答える。

 後ろではクラスメイト達が何事かとこちらを見ていた。


「用があるのは君じゃないんだ。おっぱいちゃん」


 下品な言葉に胸元を隠した。

 ほんと、最低だ。


「さっきの彼氏はいないの?」


 さっきの彼氏?


 一瞬、誰のことか分からずあたりを見渡す。

 しばらくの沈黙の後、ニールがいやいや手を挙げた。


「ひょっとして、オレの事か?」


 もっと最低だ。

 こいつら、ニールのことを彼氏だと思っている。


「彼氏じゃない!」


 エスティは一応、訂正をする。


「誰でもいい。お、お前……俺たちと勝負しろ」


 なるほど、先程、潰された面子を取り戻そうというわけだ。その為にニールの鼻を明かしてやりたいと。


 本当にくだらない。


「明日の訓練、俺たちの十二特騎とお前達の第四特騎、模擬戦で勝負だ」


 男たちの気迫にカチュアが嘆息した。


「なにそれ?なんの意味があるの?だいたい学校の許可がおりるの?」


 辛辣なカチュアの冷たい迫力に押され、たじろいだ二人は後ろを振り向き助けを乞う。

 後ろに控えるのは筋肉質の大柄の男。

 まるで肉だるまのような体躯である。


「意味ならある!」


 太い獅子の咆哮のような声だった。びりびりと張る声に、エスティの顔が引き攣る。

 カイルが隣にそっと立つと「あいつ、『獅子心ビクトル』だ」と耳打ちをしてきた。


 サクラバ・ビクトル一等騎曹。

 荒くれ者の十二特騎を束ねる隊長である。

 撃破数も三十を越えるスーパーエースだ。


「俺の獲物はお前だ!カワカミ・カイル!貴様を倒して、最強の名を手に入れる!そんな女はどうでもいい!」


 ちなみにカイルは撃破数五十というウルトラエースである。


「相変わらず血の気が多いなビクトル。君のそんなところは嫌いじゃあないよ。でもね……」


 にこやかに話しかけるカイルだったが、その目だけは笑っていない。


「そんな女……っていうのは、女性に対して失礼なんじゃあないかな?」


 カイル得意の「目だけ笑っていない笑顔」にビクトルはわずかにおののくも、その目をそらさない。


「なんだ?この女、貴様の女だったのか?」

「さあ?どうかな」


 からかおうとしたビクトルに、カイルは余裕を見せつけた。

 当てが外れたビクトルは悔しさを噛み締める。


 しかし、その言葉に過剰に反応する者がいた。


「ちょっと……エスティ」


 カチュアの目つきが険しくなる。エスティは慌てて手を振り、否定した。


「知らない!知らないって!」


 カイルもきちんと否定して欲しい。

 駆け引きの道具に使わないで欲しかった。

 

「ちょっと!さっきから聞いていれば、ニールさんもカイルさんも、エスティさんの彼氏なんかじゃありません!」


 珍しくパティが大きな声を出した。

 声楽科のパティの声はすごぶる大きい。

 嬉しい援護に「パティ~」と声を上げる。


「エスティさんにはダンくんという立派な彼氏がいるんです!」


 その言葉にエスティの顔は耳まで真っ赤になる。


「ちょっと!エスティさん、どういうことですの!」


 当然、マリアには看過できない事態である。

 カイル、ニールとビクトルが睨み合う。

 さらに、エスティはマリアとカチュアに睨みつけられるというカオスに泣きそうだった。


 ダンはといえば、夕食のさわらの西京焼きに感動し、どうにか作れないか考えているようだった。


 こら!ダン!


「三人の男を手玉に取るとは、なんという魔性の女。エスティと言ったか?恥を知れ!」


 ビクトルが声を荒げて詰め寄ってきた。


「ちょっと……」

「下がって……」


 反論しようとしたエスティを遮り、ダンがビクトルと向き合った。

 さっきまでみりんの配分で悩んでいたくせに。


「なんだ?お前が相手をするのか?」

「成り行き上しかたがないな。面倒くさいけどね」


 大きな体躯で威圧するビクトルにダンは涼しい顔を向ける。

 その顔は本当に面倒くさそうだ。


「君には少し、お仕置きがいるかな」

「舐められたまんまじゃあ気持ち悪りぃからな」


 カイルとニールも隣に並ぶ。

 リュウセイも何も言わずにその隣に立つ。


 四人はエスティを守るように立つと、ビクトル達、十二特騎と相対した。


「面白い、では明日の模擬戦は俺たちとお前達で勝負だ」

「しょうがねぇな」

「のってあげるよ。君たちの戦争ゴッコに……」


 エスティ達を取り残して、男達の会話が進んでいた。男達がヒートアップしていく中、蚊帳の外に置かれたエスティの頭は急速に冷えていく。


 なんだ……?

 こいつらはいったい何の話をしているんだ?


「ちょっと待った!」


 ダンが決闘を承諾しようとしたその時だった。

 エスティの一喝で、その場に沈黙が降りた。


「なんなの?あんた達、一体何の話をしてるの?男だけで話をつけて、私の意見とかないわけ?」


 騎士ナイトプリンセスのために決闘をしようとしたその時、あろうことかそのプリンセスから異論が出たのである。男子生徒は全員固ってしまう。


 ちょっとどいて、とダンとカイルを押しのけてエスティが前に出る。

 大柄のビクトルを見上げるとエスティはまくしたてた。


「だいたい、そこの二人がナンパしてフラれただけの話でしょ?ちょっと強引なナンパだったから怖かったし迷惑したのよ。それだけ!だからとっとと帰りなさいよ。それなのに男だけで決闘して?青春して?はぁ?って感じよ!」


 早口でまくし立てるエスティにビクトルは大声で威嚇した。


「これは最早、男と男の意地の張り合いなのだ。女の出る幕ではない!」


 ビクトルは大声で威嚇するがエスティは怯まない。

 そんなエスティの隣にマリアが立つ。


「女の出る幕ではない?女の取り合いなのに女の意見は聞かないのですか?それは公平では有りませんわねぇ……」


 冷たい笑みを浮かべるマリアに十二特騎の面々が凍り付く。

 そんなマリアの隣にパティも並んで立つ。


「えっと……男の人に意地があるなら、女の子にだってあります。エスティさんの話なのに!エスティさんの出る幕じゃないなんて……おかしいと思います!」


 パティの大声がその場の全員の耳をつんざいた。

 この大きな声を普段から出せばよいのに。


「カチュア!あんたもなんか言ってやんなさいよ!」


 エスティが振り返って叫ぶ。静観していたカチュアはやれやれと立ち上がり、ニールとリュウセイをこじ開けて、前に出た。


 一呼吸置くと不機嫌そうに言い放つ。


「……死ね」


 冷たい一言で十二特騎のメンバーはすでに満身創痍だった。

 全員、ちょっと泣きそうだ。


 エスティ、マリア、パティ、カチュア。

 四人で大男を見上げ、睨みつける。


「その、つまりなんだ。俺はどうすればいい?」

「馬鹿じゃないの!喧嘩を売る相手が違うって言ってんのよ!」


 それはほとんど喧嘩を売っているのだが、勇ましいエスティにビクトルはニヤリと笑った。


「気に入ったぞ!エスティと言ったな?この勝負、勝ったら俺と付き合え!」


 突然の申し出に、一瞬、たじろぐエスティだったが、もはや後には引けなかった。


 女の意地だ。


「上等よ!付き合ってあげるわ!あんたの戦争ごっこにね!」


 タンカを切ったエスティに観衆から歓声があがった。


「おい。エスティ、本気なのか?」


 ダンがエスティの肩を掴かむ。

 こんな大男に喧嘩を売る女の子がいるものか。


「ダンは黙ってて……これは……」


 エスティ達四人は互いに目を配ると同時に宣言した。


「「女の戦いなんだから!!」」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る