第十四話 また明日ね(終)

 第七特騎の先頭で陣頭指揮をるミネルヴァは、生徒たちのはやる気持ちを必死で抑え、進軍を押しとどめていた。

 第七特騎だけではない。第二陣のセンチュリア本隊ですら、上官の命令を待たずに今すぐ駆けだしそうである。


 彼らの視線の先には異形いぎょうのドレスビーストが四足形態で立っている。


 八本足の600番台シックスナンバーズ『スレイプニル』。

 その搭乗者はヘイムダル・メイヤース。


 世界の災厄。

 悪のカリスマ。

 テロ請負人。


 彼を形容する言葉は数多あまたある。


 センチュリア政府が最も欲しがる賞金首だ。


 学生も現役軍人も、目の前のヘイムダルを討ち取りたくて仕方がないのだ。

 皆、彼こそが悪の根源だと信じている。


 自分に向けられた敵意を、涼やかな笑顔で受け流すとヘイムダルは薄く唇を開いた。


「さあ、センチュリア軍の諸君、


 この世界はセンチュリアの統一国家である。


 したがって戦争などない。

 これは紛争だ。内戦だ。事変だ。


 しかし、そんな言葉遊びを嘲笑あざわらうかのように、ヘイムダルははっきりと口にした。


――戦争をしよう


 その言葉はセンチュリア軍の逆鱗に触れた。


 我先にと『ヘングスト』が進軍を始める。


「待て!貴様ら、まだだ!」


 ギラードが叫ぶが、動き出した大軍は簡単に止まるものではない。

 第二陣の布陣を待たず、全軍前進を始めた。

 センチュリア本隊に押され、ミネルヴァを先頭に第七特騎『シュトゥールテ』部隊が進撃を開始する。


「ギラード!もう止まらん!このまま走るぞ!」


 四足形態のままの『ユニコーン』が駆け出すと第七特騎の『シュトゥールテ』部隊が続く。


 敵『ティーゲル』部隊の銃撃が始まる。


「シューターとスナイパーは銃撃開始!アタッカーは我とともに走れ!」


 ミネルヴァが叫び、『ユニコーン』が大地を蹴る。


 確率共振される前に『スレイプニル』と肉迫しなくては!


 突貫するミネルヴァに一騎の『シュトゥールテ』が追走した。全速力の『ユニコーン』についてくるとは、ただ者では無い。


「レイリア!無理をするな!」

「いえ!お供させて下さい!盾くらいにはなります!」


 そういいながらリー・レイリアは『ユニコーン』の前を走り出した。

 その如才じょさいない手綱たづなさばきに、ミネルヴァは舌を巻いた。


 次の瞬間、『スレイプニル』からの銃撃でレイリアの『シュトゥールテ』が被弾した。


「レイリア!」


 叫ぶミネルヴァを無視して、レイリアはなおも先頭を走る。


「馬鹿!本当に盾になるやつがあるか!」


 続けて被弾するレイリアの後ろでミネルヴァも覚悟を決めた。


「お姉さま!」

「ヒナ……先に行ってるよ」


 ヒナに応えながら、レイリアの『シュトゥールテ』が火を吹いた。

 燃え落ちる『シュトゥールテ』の影から、『ユニコーン』が飛び出した。


「ヘイムダル!」


 なおも距離を詰める。


 剣術ならばコジュウロウにも負けなかったミネルヴァだ。

 四足形態から二足形態へと変じながら、引き抜いた振動刀を振り下ろした。


「ほお……『ユニコーン』か……」


 『スレイプニル』も二足形態に変じると引き抜いた二本の振動剣で受け止めた。


「二刀流か!」


 ミネルヴァが鍔迫り合い持ち込もうとした、その時……。


「何……!?」


 突然、左右から斬撃が迫ってきた。とっさに『スレイプニル』を突き放し距離を取る。


 弾む息を整えながら『スレイプニル』と相対する。


 八本脚の『スレイプニル』は二足形態で立ち上がると六本腕の姿でこちらに刃を向けた。


「六刀流だ。ミネルヴァ女史」


 笑うヘイムダルはこの戦いを心底楽しんでいるように見えた。

 ミネルヴァは固唾を飲むと呼吸を整え、目の前の男に集中した。


 この男は……強い!



  ◇  ◆  ◇



 レイリアは『シュトゥールテ』が撃墜されるとコックピットルームを出た。

 外では整備科の学生はじめ、多くのスタッフがバタバタと走り回っている。


 見れば数人のパイロットがコックピットルームを出てきていた。

 彼らは皆、撃墜された兵士たちである。

 みんな悔しそうに慰め合っている。


 第七特騎の生徒たちが声をかけてくるのを、レイリアは「よくやったな」とねぎらって回った。


 これが人の死なない戦争である。


 遠隔操作のドレスビーストは撃墜されても死ぬことは無い。それは確かに喜ばしいことである。そのかわり、彼らはなんの躊躇ちゅうちょも無く引き金を引くのだ。画面の向こうに生きる人々の生死なんて考えたこともない。


 レイリアは試合で負けたバスケット選手のように悔しがる彼らを見ると、世界の歪みを見るようで胸が気持ち悪くなった。


 なるほど、ホーライ自警団との戦いは激戦のようである。センチュリア本隊と特騎クラスの学生がこれだけの損害を出すのは珍しい。

 無理もない。相手はあの『スレイプニル』である。


 戦いは拮抗していた。しかし、それも第三陣の到着までである。


 第一陣と第二陣で五十六機。

 この数ならば『スレイプニル』擁する四十機の『ティーゲル』部隊でも十分に守り切れる。

 勝てないまでも……。


 しかし、第三陣二十六機が加わればもはや勝負にならない。


 そこで『スレイプニル』の登場である。

 その実力もさることながら、搭乗者はヘイムダル・メイヤースである。


 彼はチェスで言えばキングであった。

 王手チェックメイトを我慢できる指手さしては少ない。


 第三陣を待たずに交戦に入れば善戦はできる。

 そして……。


(第三陣がつくまでに、俺がコックピットルームを潰す)


 レイリアは作戦の混乱の中ドレスのドッグを出ると、あの中庭へと向かった。


(来い!『パイフー』……俺はここだ!)


 心の中で自分のドレス『パイフー』に呼びかける。

 中庭で『パイフー』に直接乗り、このコックピットルームを潰す。


 それはセンチュリアを、第七特騎の学生たちを裏切ることであった。

 殺すことになるかもしれない。


 そして、直接ドレスに乗って戦う以上、逃げ場の無い自分もまた、生きては帰れまい。


(これが戦争なんだ……)


 胸に残る僅かな逡巡を振り払いレイリアは前を見た。

 

 そうだ……これが戦争なんだ。

 人の死なない戦争なんてないんだ。



  ◇  ◆  ◇



 自室待機を命じられたエスティは、宿舎のベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。


 午後の太陽がわずかに和らぎ、ツクツクボウシの鳴く声が聞こえてくる。

 夏休みの終盤に鳴くこのセミが、エスティは嫌いだった。その鳴き声に子どもの頃感じた寂しさと不安を思い出す。


 『ディケッツェン』が動かない。


 こんなことは初めてだった。


「みんな……戦闘に入ったかな……」


 ぽつりと呟く。


 このまま『ディケッツェン』が言うことを聞いてくれなかったらどうしよう。

 きっと、シリウス先生が何とかしてくれる。

 でも、なんともならなかったら?

 『ディケッツェン』とはお別れになっちゃうのかな?

 そしたら新しいドレスを支給してくれるのかな?

 それとも、除籍になっちゃうのかな?


 渦巻く不安に為す術も無く、エスティは膝をきつく抱きしめた。


――その時だった。 


 ズーーン!


 激しい地響きとともに何かが落ちる重低音が基地中を揺らした。

 突然の出来事にエスティはベッドから転げ落ちる。


――何事なにごとか?


 素早く立ち上がり、宿舎から飛び出すと、エスティの背中が凍りついた。


 中庭に巨大な鋼鉄の虎が唸り声をあげている。

 白い『ティーゲル』タイプのドレスビースト。


 あいつがパイフーリーだ!


 こちらに強襲を仕掛けてきた。

 このままコックピットルームを襲われたら前線基地は陥落する。


 いや、それよりもみんな死んじゃう!


 しかし、自分に何ができるというのか?『ディケッツェン』は動かない。それよりも早くここから逃げたほうがいい。下腹の冷え込む恐怖と焦燥にエスティはすくみ上がった。


 怯懦きょうだにうたれたエスティの目に、更に信じられない光景が飛び込んで来た。


 光輝く白い虎のドレス。

 その鼻先に、レイリアがいた。


 両手を広げたレイリアは生身のまま白い虎のドレスに立ちはだかっている。


「レイリア!」


 このままではレイリアが危ない!エスティは中庭へと駆け出した。


「レイリア!逃げて!」


 叫ぶエスティの声もレイリアには聞こえない。


 焦るほどに足が思うように動かない。夏の湿気しけった重い空気が苦しかった。

 それでもエスティは懸命に駆けた。


 食堂を抜け重いガラス戸を引く。中庭にたどり着くとレイリアの背中に叫んだ。


「レイリア!」


 スラリとしたレイリアの背中が小さく震えた。


「エスティ……か?」


 ゆっくりと振り返るレイリアのかたわら、白い虎のドレスビーストはまるで飼い猫のように大人しい。


「あ、あれ……?レイリア?」


 それ以上言葉が続かない。なんで、そのドレスはレイリアになついているの?だって、そのドレスはパイフーリーのドレスなのに……。


「中庭の約束……こんなふうに叶っちまうとはな……」


 哀しげな笑みを浮かべたレイリアは伝法な口調で独りごちた。


「レイリア……そのドレスは?」


 エスティが泣きそうな声で問う。


600番台シックスナンバーズ『パイフー』……俺のドレスだ。」


「『パイフー』……?」


「そうだ……『白虎パイフー』だ」


 そう言ったレイリアは自分の知る『白薔薇のレイリア』とは違う何かに見えた。

 エスティは一つの確信を持った。持ってしまった!


「なに……それ?あなたが……白虎のリーパイフーリーってこと?」


 生唾を飲み込んで意を決してただした。


 レイリアは寂しげな笑みを浮かべ、こちらに目を送ると子どもをさとすように応えた。


「そう言うやつもいるけどな。俺は知らねぇんだ」


 パイフーリーの正体はリー・レイリアだった。残酷な事実にエスティの顔が青くなる。


「コックピットルームを潰すの?」

「戦争なんだ」

「だって、ヒナたちもいるのよ?」

「戦争なんだ」

「死んじゃうかもしれないんだよ!」


 エスティの叫びにレイリアは瞳を閉ざし静かに首を振る。


「……それが戦争なんだよ。エスティ」


 冷めきった瞳には、しかし、確かな決意がこもっていた

 エスティは言いかけた言葉を失い、視線は虚空をさまよう。


 ツクツクボウシの鳴き声が、夏の終わりを告げていた。

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