第九章 赤い泪④

「お前も……いらない……」


 ギーメルの指がトリガーにかかる。


 エスティはトリガーを握るとがちゃがちゃと何度も動かした。

 しかし、無情にも『ディケッツェン』が動く気配は無い。


「お願い、動いて『ディケッツェン』!ラゥリン君が死んじゃう!」


 『ディケッツェン』は応えない。

 ぐったりと地面に伏したままピクリとも動かない。


 ギーメルの『ドゥン』がカノン砲を構えると、ラゥリンをその照準に捉えた。


「やめて!ラゥリン君を殺さないで!」


 しかし、ギーメルはこちらを一瞥もしようとしない。


 カノン砲の銃口はラゥリンがすっぽり入るほどの大きさだ。

 もし撃たれたら、人間なんて肉片も残らない。


「いらない、いらない、みんないらない……」


 ギーメルはぶつぶつと呟きながら、トリガーに手をかけた。


 焦点が合っていない目からは涙が流れ、なにかに取りかれたように震える指がトリガーを握っている。


「ギーメルさん!お願いだから!」


 エスティが叫ぶ。


「いらない!いらない!私もおまえも!みんなみんなみんなみんなみんな!」


 ギーメルはエスティの声をき消すように泣き叫んだ。


 ギーメルの姿は常軌じょうきいつしている。

 本当にラゥリンを殺すつもりだ。


――やばい、やばい、やばい!

  このままだと人が死ぬ!

  ラゥリンが死ぬ!


 エスティの脳裏に思い出がフラッシュバックする。


 みんなでアオバを助けたこと。

 模擬戦で戦ったこと。

 黒騎士と対峙したこと。

 特騎クラスに編入したこと。

 マルクト高校に入学したこと。

 田舎の施設でみんなと暮らしたこと。

 ロキと出会ったこと。


 そして……そして……。


 赤い瞳の女の人が死んだこと。

 自分をかばって死んだこと。


 ――お願い、殺さないで。


 小さかったエスティは必死で叫んだ。

 力の限り何度も何度も何度も。


 エスティは叫び続けた。

 パンと、乾いた銃声が鳴るまで。


「死・な・せ・な・いーーーーー!!!!!!」


 エスティが叫んだ。


 同時に『ディケッツェン』が起動する。


 四足形態のまま立ち上がると、顎部パーツが大きく開き、うなり声を上げた。


 その異様な光景にその場にいた全員がこおり付いた。


「それは、一体?なんだ?」


 コジュウロウが辛うじて言葉を紡ぐ。

 

 ギーメルは超次元砲イデアブレイカーを構えたまま、呆けたようにエスティを見ていた。


「命を粗末にするやつは、死ね!」


 エスティが叫ぶと、『ディケッツェン』が駆けた。


「来るな!」


 ギーメルが撃つ間もなく、『ディケッツェン』は猫のように飛び掛かると『ドゥン』の喉元に喰らいついた。


 そして、そのまま無造作に振り回す。

 鋼鉄の機動兵器が、おもちゃの人形のように振り回される。


「なんだこいつ?確率変動してるのに?なんなんだこいつ!?」


 ギーメルが混乱したまま泣き叫ぶ。


「ギーメル!」


 コジュウロウが二人の間に割って入る。


 『ディケッツェン』は素早く飛びのくと、『ヤツフサ』に向き合った。


「死ね死ね死ね死ね死ね……」


 エスティはぶつぶつと呟きながら、『ヤツフサ』を睨めつける。


「ドレスビーストに飲まれたか。未熟者め」


 コジュウロウは刀を収めると居合いの体勢に入った。

 うかつに近づけば斬られる。


「うぅ~!うぅ~!」


 エスティは獣のように歯をき、うなる。

 赤い瞳が狂気に染まり、口からはよだれが垂れる。


「参る!」


 コジュウロウは、四足形態をとると、一気に間合いを詰めた。


 エスティはコジュウロウに飛び掛かる。


 瞬間、コジュウロウはきびすを返し、くるりと一回転する。

 と、同時に二足形態をとった。


 右手には振動刀。

 居合いの型だ。


「御免!」


 コジュウロウが居合切りを放った。

 獣と化したエスティに白刃が襲い掛かる。


 次の瞬間、エスティは振動刀に喰らいついた。


「確率変動!?この私の居合いを!」


 コジュウロウは驚嘆した。

 

 この『ヤツフサ』の居合斬りはどんな相手だって瞬時に確率共振させる。

 この世に斬れぬモノは無い。

 

 その居合いに喰らいつく。

 そんなこと、たとえ600番台シックスナンバーズにだって到底不可能だ。


「貴様!一体何者だ!」


 コジュウロウの叫びを無視して、エスティは振動刀を噛み砕く。

 そして、そのまま『ヤツフサ』の右腕を噛み千切った。


「ぐあああ!」


 腕の痛みがコジュウロウにフィードバックされる。コジュウロウは痛みに耐えて左手の脇差を抜くと、『ディケッツェン』の右肩に突き立てた。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


 エスティの右肩が裂けて鮮血が舞う。

 体性感覚がシンクロし過ぎて、エスティの体が本当に傷付いている。


「よくもぉおお!」


 怒りに身を任せ、エスティは吠えると今度はコジュウロウの左手を喰いちぎる。そしてさらに右足に喰らいついた。


「何故だ?なぜ確率が変動しない?」


 エスティに引き倒されながらコジュウロウが叫ぶ。

 『ディケッツェン』も『ヤツフサ』も互いに確率が共振されている。ノーガードでの殺し合いをしている。


 足に喰らいついた『ディケッツェン』は『ヤツフサ』を振り回すと地面に叩きつけた。中のコジュウロウはコックピット内で全身を打ち付けられる。


 両手を失い、左足も千切れかけた『ヤツフサ』は、ボロ雑巾のようだ。

 その『ヤツフサ』のコックピットを、エスティは『ディケッツェン』の鉤爪で貫いた。


「ぐああああ!」


 コジュウロウの断末魔が途絶え、『ヤツフサ』が動かなくなると、ゆっくりと『ドゥン』に向き合った。


「ひぃ!」


 ギラリとした眼光にさらされ、ギーメルは小さく悲鳴を上げた。


 トリガーを握る手が震える。


 そうだ。

 自分には無敵の超次元砲イデアブレイカーが有った。


 ギーメルは震える指でトリガーを握ると『ディケッツェン』に照準を合わせた。


「くたばれ!化け物!」」


 瞬間、ギーメルの目の前に鉄の塊が飛んできた。

 動かなくなったコジュウロウと『ヤツフサ』だ。


「うわ!」


 ギーメルは慌てて回避する。

 次の瞬間、目の前に『ディケッツェン』が現れた。


「来るな!」


 『ディケッツェン』は『ドゥン』の再び喉元に喰らいつくと、力任せに引きずり回した。


「やめろやめろやめろ!」


 ギーメルは震える声で抵抗するが、成すすべがない。

 確率変動しているはずなのに。


「なんで!なんで確率共振されるの?600番台シックスナンバーズなのになんで?」


 『ドゥン』の首が千切れ、胴体だけが吹っ飛ばされる。


「ギーメル!」


 ラゥリンが叫ぶ。

 首のない『ドゥン』は橋の欄干らんかんに叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

 エスティは肩で息をしながら、ゆっくりと『ドゥン』に近づいていく。


「お前は、もう死ね!」


 エスティが叫ぶ。同時に大きく口を開けると、基底核部バーゼルブロックに喰らいついた。


「きゃあああ!」


 ギーメルは胸の痛みに耐えかねて声を上げた。心臓をえぐられるような苦痛をこらえ、必死で乳房を抑える。その痛みが増すごとに基底核部バーゼルブロックがギシギシと軋み出す。


 このままではコックピットが潰されて殺される。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」


 エスティの口から殺意が呪詛じゅそとなって漏れ出ている。

 剥き出しの殺意に四方の壁が軋むコックピットで、ギーメルの心は徐々に押しつぶされていった。 


「お願い……やめて……やめてよぉ」


 ギーメルの声が次第に小さくなると、遂にしゃくりをあげて泣き出した。

 背を丸くしうずくまり、顔を両手で覆う。

 全身が恐怖で震え、歯がガチガチと鳴る。

 失禁でももから床までが、ぐっしょりと濡れていた。


 それでもエスティは許さない。


 誰も殺させない。

 誰も死なせない。

 だから……だから……。


「お前は死ね!」


 ――殺さないで!


 エスティの脳裏に言葉が響いた。

 誰だ。

 私を邪魔する奴は。


 ――殺さないで!

 

 再び同じ声がする。

 男なのか、女なのか、若いのか、年寄りなのかも分からない。


「邪魔をするな!」


 エステは叫ぶ。


 やめるわけにはいかない。こいつを殺さないと……。

 殺さないと……なんだっけ?


 私は何に怒っているんだっけ?


 行き場のない殺意が急速にしぼんでいく。

 エスティは平静をとり戻していった。


「……ティ!エスティ!大丈夫か!?」


 ミネルヴァと通信が繋がっている。

 あたりを見渡すとドレスビーストの残骸が獣に食い散らかされた後のように散在していた。


 目の前で『ドゥン』が頭を抱えてうずくまっている。

 それはまるで飼い主に叱られた犬のようだった。親の暴力に耐える子どものようだった。


 ラゥリンが『ドゥン』に近づいていった。

 『ドゥン』のハッチをこじ開けると、ギーメルが泣きながらラゥリンにしがみついてきた。


「助けて!助けて!ラゥリン!死にたくないよ!死にたくない!」


 泣き叫ぶギーメルをラゥリンはそっと抱きしめていた。

 震える少女は自分と幾つも変わらない、十代の女の子だった。


 ――こんな少女を、私は殺そうとしていた。


 エスティは自分のしたことに呆然としながら、ただ「とんでもないことをしてしまった」ということだけ何となく自覚しだした。

 だが、感情の一切が戻ってこない。表情筋が仮面のように動かない。


「エスティ!もういい!コックピットルームを出ろ!」


 ミネルヴァとシリウスが交互に話す。

 心配する二人を見ても、エスティの心はどこか別のところにあるように鈍感だった。


(雨、やんでる)


 突然、そんなことに気づいた。

 雲が割れ、光が差し込むと、白黒のような世界が鮮やかに彩られていく。


 赤や青や白の紫陽花が雨粒に煌めき美しい。

 震えるギーメルの髪も美しい赤色だった。


 ふいに、自分の手にぬめっとした感触を覚えた。

 『ディケッツェン』の手を返し、その掌を見る。


「あ……」


 真っ赤な鮮血と人間の足がそこにあった。


 男の足だ。おそらくはハチサカ・コジュウロウの。


「あ……あ……」


 エスティの心臓がどくどくと鳴り出した。

 瞳孔が散大する。

 呼吸が荒くなる。

 冷汗が止まらない。


「エスティ……?どうした?エスティ!」


 誰かが外で叫んでいる。

 

 だが、エスティは応えることができない。


 息が詰まって声が出ない。


「あ……あ……あ……」


 体が震える。

 奥歯が鳴る。

 胸の奥が冷たくなっていく。


 それでも、血に染まった『ディケッツェン』の右手から目が離せない。


 真っ赤な鮮血から目が反らせない。


 そして……。


「いやぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!」


 エスティは絶叫すると、そのまま意識を失った。

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