第十三章 荒野の英雄

第十三章 荒野の英雄①

 白き虎。


 荒野の英雄パイフーリー。


 世界の矛盾に抗い。

 強者に歯向かい。

 弱者を守る。


 社会の底辺にあってなお誇り高き、

 餓えと貧困の子。


 この荒野に生きる人々の希望の灯火。

 天に輝く白き炎の使者。


 パイフーリー。


 どうか願いが叶うなら。

 貧しき民をお救いください。



  ◇  ◆  ◇



 蒼天に白い太陽が輝いている。

 少年は荒野の真ん中で、仰向けに寝そべっていた。衰弱したその身では力無く瞬くのが精いっぱいだった。


 夏の太陽は容赦なく少年の体力を奪っていった。少年はそれに抗う力などもう残してはいない。少年は自らの死期を悟った。


 ああ、自分は死ぬんだ。


 荒野ワイルドに生まれ育った少年にとって、世界はあまりにも過酷過ぎた。この弱肉強食の荒野ビーストランドで弱いことが罪ならば、やはり死ぬしかないのであろうか。


 どの道、未来などに希望を抱いたこともない。この先ずっと苦しいなら、ここで死んだとしてもなんの未練があるだろう。


 ただ一つ、心残りは、スラムで待つ弟と妹だ。


 二人のために小さなパンを一欠けら、水を一本を盗んでしまった。

 そのせいでセンチュリアの地方警備部隊に随分追い回された。


 一昼夜走ったが、もう指一本動かせない。


 このまま何もない荒野で野垂れ死ぬ。どうせ罪を犯すならテロリストにでもなれば良かった。罪人の自分はもう天国なんかに行けはしない。


 ただ一つ、最後に願いが叶うなら、このパンを弟達に届けて欲しかった。


「小僧、死んでんのか?」


 突然、陰が差すと伝法でんぽうな女の声が降ってきた。


 少年は力なく視線を向ける。メラメラと燃え盛るような太陽は、逆光となり、女の顔は分からない。


「やい、小僧。俺たちみたいな荒野の根無し草が、このままのたれ死んだって、誰も何とも思やしねぇぜ?」


 女は容赦のない言葉で少年を責めたてた。


「そんなの悔しいじゃねぇかよ。だったらよ、お前、生きてみろよ!」


 苛立ちの混じった言葉だった。


 しかし、この怒りは自分に向いているものではないと、少年は感じた。

 世界への苛立ち、そしてそんな世界に対して無力な自分自身への苛立ちだと感じた。


 この人なら、少年は思った。


 少年は必死で右手を突き出した。その手には盗んできたパンと水だ。


「こ……れ……弟……に」


 最後の力を振り絞ってやっと言えた言葉だった。


 よくやった。


 自分はよくやった。


 この人はきっと届けてくれる。このパンを弟達に届けてくれる。


 やり遂げた安堵から涙が溢れた。喉がこんなにカラカラなのに、まだ涙が出るのが不思議だった。


 そう思った時だった。


「そこの民間人!」


 拡声器からの声が響く。


 大地を蹴る轟音と共に鋼鉄の獣が駆けてきた。地方警備隊の『ヴォルフ』だった。

 ズタボロのマントとターバンをひるがえし、女は『ヴォルフ』と向き合った。


「そこの少年は窃盗を犯した犯罪者だ。引き渡しなさい」


 こんな荒野ワイルドでは犯罪は山ほど起こる。一つ一つまともに対処などしてはいられない。捕まれば、劣悪な刑務所で死ぬか、取り調べ中に拷問で死ぬか、すぐに射殺されるか、のいずれかである。


「従わないというなら、お前も同罪だぞ」


 その言葉に少年は絶望した。


 そんな、この親切な女の人まで殺されてしまう。

 いや、女性はもっと悲惨な目に遭うかもしれない。


「食うや食わずの小僧っこが、饅頭一つ盗んだくらいで、殺されるほどのことかね?」


 かりかりしなさんなと女は両手を広げた。


「ここは戦闘区域だ。通常の法律では対処しきれない。我々には超法規的措置が認められている」


「戦闘だと?笑わせやがる。どこが戦闘だ?一方的になぶり殺しにしやがって!てめぇはそのドレスを遠くから動かしてやがるだけだろう!腰抜けじゃねぇって言うなら、そいつに乗ってここまで来てみやがれ!」


 女の苛立ちを、センチュリア兵は一笑に付した。


「有人の戦闘兵器など、人道的に許されない」


 事務的な返答に女はさらなる怒りで応える。


「いいやがったな!人道的とは恐れ入った。それで人の道を歩いているつもりかよ。てめぇみたいなやつをなぁ!外道って言うんだよ!」


 女のものいいにセンチュリア兵は苛立った。


「では、貴様は人の道を歩いていると言えるのか?」

「痛てぇ所を付きやがる。そうさ。俺が歩いているのは……獣道だ!」


 女の言葉と共に、ドレスが現れた。

 太陽のように真っ白に光り輝くフレームに黒い縞が入っている、まるで白い虎のようなドレスビースト。


 機器無しで遠隔操作をしている。


 これは600番台シックスナンバーズだ。


「白いドレスだと!」


 白いドレスは青龍刀を振るうと『ヴォルフ』と対峙した。


 女は再び少年に向き直る。


「やい、小僧!お前、生きてみろよ。生きたいって言ってみろよ!」


 逆光の中、女の顔は分からない。だが、その瞳だけはやけにはっきりと見て取れた。伝法な口調とは裏腹に、深い悲しみがそこにはあった。野良犬のように死んで行くこの身を思う慈愛の心だった。


 きっとこの人は菩薩さまに違いない。

 菩薩さまならお願いの一つくらいしてみたってバチは当たるまい。


 少年は最後に一つだけ、願い事を言おうと思った。


「……たい」


「馬鹿野郎!そんな声じゃ分かりゃしねぇよ!」


 女は大声で怒鳴りつける。


「生きたい!」


 今度こそ言った。

 大声で「生きたい」と叫んだ。


 女はニカリと笑うと水筒の水を口いっぱいに含み、そのまま少年に口づけた。


 柔らかな女性の唇を感じる。

 その唇の隙間から、冷たい水が押し込まれた。


 喉を鳴らしてその水を飲むと、生きる力が湧いてきた。


 少年の目に光が戻ると女は再び『ヴォルフ』に向き直る。


「貴様!大人しくしろ!」


 襲いかかる『ヴォルフ』を、遠隔操作の白いドレスが殴りつける。


 『ヴォルフ』が倒れるのを見ると女は白いドレスに乗り込んだ。


「ざまあみろ!センチュリアの飼い犬野郎!俺たち野良犬だってな、生きてんだぞ!生きて生きて!生き抜いてやるんだぞ!」


 コックピットハッチが閉まると白いドレスは雄たけびを上げ、四足形態で駆け出した。


 疾駆するその姿は本当にホワイトタイガーのようだ。


「白い虎のドレス……お前は……!」


 獲物を仕留める虎のように、白いドレスは『ヴォルフ』の喉元に喰らいついた。


「パイ……フーリー……」


 バギ……!


 その言葉を最後に『ヴォルフ』の首は噛み千切られた。


「さあな。そう言うやつもいるけど、俺は知らねえ」


 そう笑うと物言わぬ鉄の塊に吐き捨てた。


 これが……白き虎。

 荒野の英雄パイフーリー。


 蒼天の空の下、白き虎の如きドレスビーストを、少年は息も忘れるほどに魅入っていた。

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