第十二章 血の匂いに染まって(終)

 ミネルヴァとアオバは会場の隅からエスティ達の戦いを観戦していた。

 シリウスは「ちょっとヤボ用」と席を外したきり戻って来ない。自分勝手なシリウスにミネルヴァはため息を漏らした。


 傍らでは巨大スクリーンを、アオバがじっと見つめている。息が詰まるほど緊張するアオバの肩にミネルヴァはそっと手を置いた。


 エスティ!

 エスティ!

 エスティ!


 会場中にエスティコールがこだまする。エスティは声援に背を押されるようにして立ち上がった。


 会場の異様な熱気に怯えながら、アオバは祈るように小さな手を組む。


「大丈夫だ。これは本当の戦争じゃない。ただの戦争ごっこだ。負けたってエスティには何の不都合もない」


 ミネルヴァの気遣いにアオバはかぶりをふった。


「でも、戦っている本人は戦争ごっこなんて思っていない……」


 アオバの瞳はスクリーンの『ディケッツェン』に向けられている。


 片腕の『ディケッツェン』は『ヴィルトシュバイン』の猛攻に防戦一方だ。

 エスティとビクトル。会場内に両者の声が響く。


「この……!」

「さすがにしぶとい!」


 ビクトルは巨大な斧を軽々と振り回す。普段からの筋トレでドレスビーストの最大出力を引き出している。


 そのビクトルに対し、エスティは前に出た。嵐のような斬撃に身を投じながらも振動刀を振るい反撃を試みる。


 エスティの勇気に会場中がどよめき、喝采した。


「ここで斬り返すかよ!」


 ビクトルは歓喜の声をあげ、さらなる斬撃を繰り返す。


「うああああああ!」


 エスティは雄叫びをあげると、ビクトルの斬撃をいなし、さらに反撃する。

 その姿に会場のエスティコールが更に大きくなっていく。


「だめ……エスティ!」


 アオバが堪らず叫んだ。


「いや、あれでいいんだ。」


 ミネルヴァは冷静だった。


 中距離でも遠距離でもエスティがビクトルを倒す手はない。片腕だとしても、近距離戦にしか活路は無いのだ。


 アオバは震えていた。真っ青な顔に冷や汗が浮かんでいる。「どうしたんだ」とミネルヴァはアオバの肩を抱いた。


「エスティ……そんなに叫んだら……」


 ミネルヴァの言葉にも耳を貸さず、アオバはうわ言のように続けた。


「そんなに叫んだら……『ディケッツェン』が応えちゃう!」



  ◇  ◆  ◇



 エスティは激しい斬撃をかいくぐり、前に出た。

 胸の鼓動が激しく打つ。

 弾けた左腕の痛覚刺激は脊髄後角でブロックしたが、重苦しい痛みが脳に残っている。


「ま、け、る、かぁー!」


 その痛みを無視して弾けた左腕でビクトルを殴りつけた。


「なに!?」


 予想外の攻撃にほんの一瞬、ビクトルがひるむ。反応が遅れたビクトルに、エスティは振動刀を振りかぶる。


「これで……!」


 終わりだと、思った瞬間だった。


 ビクトルが突進し、振り上げた腕を掴んだ。


「惜しかったな!」


 凄まじい握力で捻り上げられた右腕が軋む。激痛に耐えかねてが叫んだ。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


 ビクトルは残った手で振動斧を振リ上げると、会場内から悲鳴があがった。


「これで……本当に終わりだ!」


 トドメの一撃を入れようとビクトルは斧を振り降ろす。ビクトルは自らの勝利を確信した。会場中がエスティの敗北に悲鳴を上げた。


 瞬間だった。


「だめだよ……ベス……」


 ダンが小さく呟いた。


「うあああああああ!」


 エスティが雄叫びをあげる。

 まるで本当の獣のように。


 エスティが吼えると『ディケッツェン』も顎部パーツを広げて唸り声をあげた。


 会場が息を飲む。


「噛み付こうってのか!」


 ビクトルはたまらず斧を捨て両腕で『ディケッツェン』を抑え込む。

 噛み付こうとした『ディケッツェン』が空を噛む。


「残念だったな!」


 届かない……はずだった!


「うあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 エスティが再び吼える。

 そして……。


 バギ!


 鈍い音とともに自らの腕をへし折った。


「こいつ……自分の腕を!」


 ビクトルは驚愕の声を上げた。

 エスティの腕が有り得ない方向に曲がる。


 『ディケッツェン』が『ヴィルトシュヴァイン』に喰らいついた。


 首筋に喰らいついた『ディケッツェン』は猛獣のように『ヴィルトシュヴァイン』を引き倒す。凄まじい力だ。鍛え上げた筋肉ごと地面に叩きつけられる。


「首が千切れる!」


 ビクトルの叫びを無視して、今度は『ヴィルトシュヴァイン』の基底核部バーゼルブロックに、食らいつく。


「ぐう!」


 心臓を抉る苦痛に悶えながら、ヴィクトルの唸り声が響く。


 猛獣が獲物を捕らえるように『ディケッツェン』は『ヴィルトシュバイン』に噛み付いた。


 何度も、何度も、何度も!


 鋼鉄が砕ける音が響くごとにビクトルは痛みに叫ぶ。


「ぐああああああ!」


 『ヴィルトシュヴァイン』の装甲が食い破られ、基底核部が剥き出しになる。


「死ねぇ!」


 エスティは折れた右腕で基底核部を掴むと、力任せにえぐり出した。


 そして、『ディケッツェン』が基底核部バーゼルブロックを引き千切った時、『ヴィルトシュヴァイン』は完全に沈黙した。


 『ヴィルトシュヴァイン』……ビクトルだけではない。

 会場中が沈黙に包まれた。


 誰も、何も喋らない。


 野生の猛獣に遭遇し、気付かれないようやり過ごしているかのように、誰もが息を潜めていた。


「はあはあはあ……」


 荒い息を吐きながらエスティは立ち上がる。両腕を失った『ディケッツェン』が倒れそうになるのをダンが抱きとめた。


 エスティは倒したドレスの残骸を見下ろす。『ヴィルトシュバイン』は仰向けのまま、魂が抜け落ちた鉄の塊となって、その身を天に向けていた。


 エスティは無意識に右手で口をぬぐう。基底核部バーゼルブロックえぐり出した感触が口の中に残っている。


 会場中がしんと静まり返っていた。先程までの熱狂が嘘のようにエスティ達を応援する声はない。


 皆、野獣のようなエスティの戦いぶりを恐れていた。


「エスティ……」


 ダンの呼びかけにエスティはぎこちなく首を向ける。


「ダン……」


 とんでもないことをしてしまった。自分の力が信じられなかった。


 これは初めてのことではなかった。

 カルディナ橋でギーメルの『ドゥン』とコジュウロウの『ヤツフサ』を倒したのもこの力だった。


 しかしエスティはそれを覚えていない。


「これ、私がしたの?」


 どんな顔をしていいか分からぬまま、エステイは泣き笑いの顔を向けた。そんなエスティに、ダンはかける言葉が見つからず、ただ視線を合わせるので精一杯だった。



  ◆  ◇  ◆



「なんだ?あのドレスは?」


 オズワルドは興奮して椅子から立ち上がった。


――なんだ?あのドレスは?

  四足形態?そうか!

  扁桃体と辺縁系が強くなり過ぎて抗重力伸展運動エロンゲーションができないのか!?

  二足形態が取れないんだ!?


 皮質の活動がないのか!

 アレは中脳での……上丘あたりでの反射だけで動いている!


  純粋な恐怖と憤怒の感情だ。

  闘争逃走Fight-Flight反応だけで戦っているんだ!


  あれはもうドレスビーストではない。

  装飾ドレスを取り払ったビーストそのものだ。


  何故あんなことができる?

  動物の神経細胞では足りない。


  あのドレスは人間なのか?

  600番台シックスナンバーズなのか?


  いや、たとえ600番台シックスナンバーズだとしてもあんなドレスは知らない。

  たとえ600番台シックスナンバーズだとしてもあんな戦いはできない。


  それができるとしたら。

  600番台シックスナンバーズと限りなく共振できる者。


  あの大淫婦!ヤナガセ・ソレアだけだ!




 エドワルドは興奮を抑えきれず独り言を続ける。


 シリウスはそんなエドワルドを冷やかな瞳で見つめていた。



  ◇  ◆  ◇



 エスティがコックピットルームを出ると、会場は静寂に包まれていた。

 静まり返った会場で、ただ視線だけがこちらに向けられている。


「な……に……?」


 奇異、好奇、畏怖、嫌悪。


 複雑な感情が入り乱れていたが、およそ好意的な雰囲気でないことだけは確かだった。

 皆、得体の知らない赤毛の少女を気味悪がっていた。


 エスティはせわしなく目をを動かす。


 しかしどこを向いても白い目がこちらを見ているだけだ。


 エスティの首筋がぞわりと冷える。身を縮め肩をすくませる。


 怖かった。


 観衆の視線が。

 仲間たちの視線が。

 自分自身が。


 エスティは不気味な雰囲気にいたたまれなくなり、駆けだした。

 もうここには一秒だっていたくない。


 会場を走り去るエスティの背中を、観衆の視線が追従する。


「化け物だ」


 誰かが呟いた。


「赤い化け物」


 その声は少しづつ会場内に伝播していく。


赤い竜レッドドラゴン!」


 誰かが叫ぶと、皆がエスティをそう呼んだ。


 ――赤い竜レッドドラゴン


 神話にある古の竜のことだ。

 世界の破滅に導く終末の化け物のことだった。


 この恐ろしい娘には相応しい二つ名だと、皆がそう思った。



  ◇  ◆  ◇



 ダンは走り去ったエスティを追いかけた。


「エスティ!」


 エスティは洗面所で手を洗っていた。

 このところエスティは頻繁に手を洗っている。いつからこんなに潔癖症になったのか。


「エスティ……大丈夫か?」


 ダンはエスティの背中に声をかけた。


「おかしいよね。あんな戦い方……」


 エスティの華奢な背中が応えた。思ったより落ち着いているようだ。

 ダンは少しほっとすると、静かに応えた。


「そんなことない。君と『ディケッツェン』の相性が良すぎるだけだ」

「それがおかしいのよ!」


 エスティは振り向くことなく叫ぶ。

 その両手に何度も石鹸をつける。


 何度も。

 何度も。

 何度も。


「おい!いくら何でも洗いすぎだ!」


 手を取ろうとするダンを振り払いエスティは再び手を洗いだす。


「とれないの!」

「どうしたんだ?エスティ」

「とれないのよ……洗っても洗っても!……血の匂いがとれないの!」


 エスティは泣きながら手を洗い続ける。


 エスティはカルディナ橋でコジュウロウの足をその手で捥ぎ取ったのを覚えていない。脳がその記憶を改竄かいざんしたためだ。


 だが、エスティの心の奥底にはその血の記憶が染みついていたのだ。


 洗っても洗っても、決して落ちない罪の匂いが……。


 「とれないよ~。とれないよ~」と泣くエスティをダンはきつく抱きしめた。


 それでもエスティは手を洗い続けた。


「エスティ。君は、君だけには、もうそんな思いはさせない」


 必死で手を洗うエスティにその言葉は届かない。


 しかし、ダンは誓った。


 この少女だけは、エスティだけは自分のようにはさせない。


 自分のような、血の匂いに染まりきった薄汚い人殺しには……。


 その為には、自分がどんなに汚れても構わないと思った。

 血の匂いに染まろうと、地獄の業火に焼かれようと、この少女だけは守らなければならないと思った。


 

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