第十二章 血の匂いに染まって②

 会場中の熱気を受けながらエスティは戦っていた。激しい怒号と声援にエスティの気分は高揚していく。

 新しいヒロインの誕生に観客達のボルテージは最高潮に達していた。


 激しく斬り合うエスティとビクトル。両者はともに近距離での戦闘を得意としていた。

 二人は武器も折れよとぶつかり合う。激しい斬り合いで息が切れるが、その斬撃は少しも衰えることは無かった。

 

 その戦いに会場の熱気は更に高まり、いつしかエスティとビクトルの応援合戦となっていた。


「今、この距離であいつと戦えるのは貴女だけなのよ!」

「お願いします!エスティさん!」

「悔しいけど見せ場を譲って差し上げますわ!」


 カチュア、パティ、マリア。

 戦闘不能に、陥った三人が口々に激励する。

 この三人の気持ちを無駄にしてはいけない。


「負けられない!」


 エスティの叫びに会場は歓声をもって応える。

 そんなエスティにヴィクトルも吼えた。


「勝つのは俺だ!」


 両者の気迫に会場はさらなる興奮に包まれた。


 カイル達クラスメイトも二人の戦い見守っていた。

 本当は助けに行きたい。みんな、拳を握りしめ唇を噛み、その歯がゆさに耐えていた。

 しかし、全員が分かっていた。


 この戦いは誰も手を出してはいけない。


 そんな二人の戦いを見守る影がもう一つあった。

 それは極端に低い四足形態で誰にも気づかれずに潜んでいた。その影は『シュヴァルツカッツェ』に乗ったダンだった。



  ◇  ◆  ◇



 激しい攻防を繰り広げるエスティとビクトル。そんな二人に這い寄る黒いドレスビースト。


 ダンの『黒猫シュバルツカッツェ』である。


 クリーパーである彼は、ここまで誰にも索敵されずに近づいている。

 あと数歩、近づけばビクトルの『ヴィルトシュヴァイン』に振動ナイフを突き立てることができる。それはエスティ一人で闘うよりもずっと効率的な倒し方だ。


 エスティは一人で戦うことにこだわっているが、ダンにはそれが理解できなかった。


 倒せる敵は倒せる時に倒す。

 それは戦場の鉄則である。


 倒さなければ自分がやられる。食うか食われるかの獣の世界ビーストランドである。


(あと二歩……)


 ダンは『シュヴァルツカッツェ』を一歩だけ進めた。

 相手に確率共振させてレーダーから消える。そして相手の注意から巧みに逃れ索敵されないようにする。それを実行するためには凄まじい集中力と精神力をすり減らさねばできない。


 人間の眼球は動くものに注意を払う。

 逆に、動かないものを注意するのは難しい。


 ダンは最小限の動きで少しずつ悟られぬように近づいていった。『ヴィルトシュヴァイン』を補足できる距離まで近づくと振動ナイフを引き抜いた。


(あと一歩……!)


 はやる気持ちを抑え、ゆっくり、ゆっくりと動く。


 エスティもビクトルも、こちらに気付いた様子は無い。ダンは息を潜め、『ヴィルトシュバイン』の基底核部バーゼルブロックを確実に一撃で貫く瞬間を探っていた。


 幸いビクトルの確率変動率はそれほど高くはない。未確認、死角からの一点攻撃ならば、確実にビクトルを倒せる。


(その一瞬で……やる!)


 その時はついに来た。


 ビクトルの攻撃にエスティがわずかによろめいた。その一瞬を見逃すビクトルではない。必殺の一撃を入れようと、斧を大きく振りかぶった。


 その瞬間こそ、ダンの待ち望んだ一瞬の隙であった。


 ダンは素早く立ち上がるとビクトルの『ヴィルトシュヴァイン』に襲い掛かかる。


 エスティは怒るかもしれないが、勝つためだ。仕方があるまい。


 滑るように動き出した『シュバルツカッツェ』は真っ直ぐに『ヴィルトシュバイン』へとナイフを突き出した。


 まだ、誰も気付いていない。


 ナイフは吸い込まれるように『ヴィルトシュバイン』の基底核部へと突き進む。


 ダンは自らの勝利を確信した。


 その瞬間だった。


  ◇  ◆  ◇



 『シュバルツカッツェ』の振動ナイフが『ヴィルトシュバイン』へと届く瞬間だった。


 ガキン!


 耳をつんざく金属音とともに、振動ナイフを『シュトゥールテ』が握り止めた。


「マリア!」

「ダン様!いけません!」


 ダンは満身創痍の『シュトゥールテ』を恨みがましく睨みつけた。


「ダン!どういうこと!?」


 突然、現れた『シュヴァルツカッツェ』にエスティは激しく動揺した。しかし目の前にはビクトルの『ヴィルトシュバイン』がいる。一瞬の気も抜けない。


「エスティさん!ダン様はわたくしが抑えますわ!今のうちに!」

「離せ!マリア!」


 エスティの戸惑いは一瞬だった。真っ直ぐにビクトルに向かい合い、斬り合った。


「何故だ、エスティ!?」

「来ないで!」


 エスティが叫ぶ。


「しかし、エスティ……!」

「これは私達の戦いなの!私達だけで戦わないと意味がないの!」

「何故だ?僕らを温存する意味はない。一緒に戦ったほうが効率がいい。」


 ダンの言うことはもっともだ。しかし、そういう問題ではないのだ。


 エスティ達は誇りのために戦っている。女だからと、それだけの理由で自分たちの自由意志が奪われるなら、誇りを傷付けられるなら、戦って勝ち取らなければならなかった。


 ダンにはそれが分からない。ダンは生きるために戦ってきた。

 それが、それだけが彼の日常であった。目の前に与えられた闘争に対し、戦うFight逃げるFlightかだけの選択肢しかなかった。


 それでは地を這う野生の獣と同じだった。


 だが、彼女達は違う。自らの両の足で立ち、自らの誇りを、存在意義をかけて、この戦場に臨んでいる。


 それが分からないダンは困惑するしかなかった。


「ご、ごめんなさい。わたしもそう思います」


 パティが珍しく自分の意思をはっきりと口にした。


「それ以上近づいたら!たとえダン様だって許しませんことよ!」


 マリアの口元から笑みが消えた。


「なぜだ……」


 エスティ達の強い決意にダンは項垂れた。所詮、自分は彼女達のように誇り高い騎士にはなれない。血の匂いに染まりきった人殺しに過ぎない。


「騎士同士の一騎討ちに横槍を入れるなんざ野暮な野郎だ……だが!」


 亜音速の『ヴィルトシュヴァイン』が突貫してきた。


「あいつの選択は本当なら正しいぜ!」


 両手でしがみつくが、突撃が止まらない。


「あんた、なんかに!」


 ビクトルの突撃に『ディケッツェン』の左腕が爆発する。さらにそのまま勢いは収まらず、数メート後方へと吹き飛ばされた。

 弾けた左腕の痛覚がエスティを襲う。


「きゃああああああ!!」


 エスティの絶叫にダンは青ざめた。


「だめだ……エスティ……君では、ビクトルには……」


 二人の間には厳然たる実力差があった。近接戦闘においては、ビクトルは全国でも屈指の実力者だ。近接戦闘以外は並以下のエスティでは、接近戦でも中距離、遠距離戦でも勝ち目はない。


 エスティはビクトルには勝てない。


 ダンにはそれが分かっていた。


 片腕の『ディケッツェン』がヨロヨロと立ち上がると、会場がどよめいた。満身創痍のエスティを鼓舞しようと、観衆からエスティコールが巻き起こる。


 エスティ!

 エスティ!

 エスティ!


 声援を背にエスティが歯を食いしばる。


「うあああああああ!」


 雄叫びを上げて立ち上がるエスティに会場全体が拍手と歓声をもって応えた。


 荒い息を吐き出しながら立ち上がるエスティにダンは更に青ざめる。

 お願いだからこのまま倒れていて欲しかった。


「だめだ……エスティ……このままでは……」


 このままではが目覚めてしまうかもしれない。


 それだけは避けねばならない。


 


 

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