第十三章 荒野の英雄②

 エスティの前に果てしない荒野が広がっている。


 八月の荒野にギラギラとした太陽が容赦なく照りつけ、埃っぽい風が熱を帯びて頬を撫でた。


 『ディケッツェン』から降りたエスティは、久しぶりに荒地ワイルドの風を感じていた。


 マルクト高校に入学してから初めて、生身で降り立つ荒地ワイルドである。

 アスファルトとコンクリートで固められたシティに比べ、荒地ワイルドの風には、大地の息吹を感じる。


 人間の叡智えいちを結集し、人災と天災の全てに抗うために作られたのがシティである。


 対して荒地ワイルドはまさに自然そのものであった。


――「荒地ワイルド」と「シティ」。


 その二項対立の関係性はそのまま「自然と文明」と捉えることもできる。

 あるいは「獣と人間」それとも「野生と理性」か。


 だが、荒地ワイルドに住む人々は何よりも「富める者と貧しき者」と感じていた。それほどまでに荒地ワイルドシティの経済格差は露骨なのだ。


「エスティさん。久しぶりの荒地ワイルドですね。」


 隣のパティが『ギラッフェ』のハッチを開けて顔を出した。エアコンの効いたドレスから出れば、八月の日差しに汗が吹き出る。


 手をかざし、日差しに耐えながら空を仰ぎ見るパティに、エスティは話しかけた。


「パティは生身での荒野ワイルドは初めて?」

「いえ、出撃で何度か」


 シティ出身のパティには、この光景はどんなふうに映るのだろう。


 シティの外に広がる広大な大地、荒野ワイルド


 それは、地雷や不発弾、放射能、化学兵器に汚染された大地であった。


 しかし人間とはかくもしぶといもので、そんな荒野ワイルドにも人々の営みはある。荒れた大地を復興させ、人々は寄り添い、集落を作っていった。


 もちろん、汚染の酷い地域や地雷原になった地域に住む人は少ない。


 シティにほど近い集落は、まだ汚染の少ない地域である。

 エスティが育ったのも、そんな集落の一つだった。


「あと少しだ!みんな頑張れ!」


 ギラード教官が『ヘングスト』から顔を出した。後ろには白銀の『ユニコーン』、搭乗者は当然、ミネルヴァである。


「前線基地につけばコックピットルームがある。そこならここまで暑い思いはしなくてすむぞ。」

「なにを言っている!ミネルヴァ!こんなことで音を上げていては本隊の現役軍人に笑われるぞ!」


 ギラードはミネルヴァに噛み付くと、スポーツドリンクを飲み干しながらエスティ達を叱咤する。


 夏休み最後の二週間は「戦場実習」である。


 実際に荒地ワイルドの最前線でセンチュリア本軍とともに任務に就くのである。成績最下位のエスティ、パティ、ダンの三人はギラードの引率で前線基地のある村へと向かっていた。


 ティフェレトシティから東に百キロ地点に、その村はあった。


 遠隔操作のドレスビーストだが、電波状況によっては遠隔操作が効かなくなる。そんな時は前線基地にコックピットルームを作り、そこから電波を飛ばすことになる。もっとも、その前線基地だって戦闘地域からは百キロ以上は離れている。


 センチュリア軍が戦闘地域内にコックピットルームを作ることは無い。それは人道的戦術兵器であるドレスビーストの理念に反することになるからだ。

 搭乗者の安全を保証するのがドレスビースト本来の理念である。

 もっとも人道的戦術兵器という言葉自体、矛盾に満ちているのだが……。


 いや、そもそも服を着た獣ドレスビーストという名前自体が矛盾だ。


 理性の服を着た野生の獣。


「獣が服なんて着るわけないじゃん……」


 エスティの口から思考がころりとこぼれ出た。


 開発者のヤナガセ・ソレアは、この名前に何を込めたのだろうか。



   ◇  ◆  ◇



 前線基地に着き、ドレスから降りると薄い水色の制服を着た女生徒たちが待っていた。


 聖ティフェレト女学院。

 第七特騎の生徒たちだった。


「第七特別騎兵隊隊長!リー・レイリアです!」


 折り目正しい敬礼姿で銀髪の少女が五機のドレスビーストを迎えた。


「レイリア一等騎曹!ご苦労!」


 ドレスから降りたギラードが女生徒に声をかけた。女生徒は白薔薇の異名を持つリー・レイリアだった。


 レイリア以下、第七特騎の二十六名はギラード騎大尉とミネルヴァ騎中尉に敬礼する。聖ティフェレト女学院は女子高だ。当然、第七特騎のメンバーは全員、女生徒である。そんな彼女らの視線はアネガサキ・ミネルヴァに集まった。


 ミネルヴァは600番台シックスナンバーズ『ユニコーン』を駆る女騎士として、センチュリア中の女生徒から慕われていたのだ。


 少女達の視線を知ってか知らずか、ミネルヴァは薄く笑うと軽やかな敬礼を返した。それだけで、女生徒達がうっとりとなる。


「私とギラードは司令部に顔を出す。お前たちはレイリアについて寄宿舎へ向かえ。」


 そう言うとギラードとともに司令部へと立ち去る。第七特騎の生徒たちは憧憬の眼差しと、整然とした敬礼でミネルヴァを見送った。


「あの……宜しく」


 エスティがポツリと挨拶をすると二十六名全員がこちらを向いた。


 冷たい瞳に息を呑む。


「いいわね。ミネルヴァ先生に直接教えを請えるなんて。」


 すらりと長身の女生徒が口元を歪めた。

 悪意を込めた物言いにエスティの背中が冷たくなる。


「やめなさい。ヒナ」


 レイリアがたしなめた。しかし、ヒナは不満そうに頬を膨らます。


「だって……お姉さま〜。」


 ヒナはねた声でレイリアに訴える。

 

「だって……じゃねえだろ……」


 レイリアの声が怒気を孕んだ低い音に変わった。ヒナは「ひぃ!」と小さく悲鳴を上げ、黙り込む。同時に第四特騎全体の空気が張り詰めていく。


 優雅な薔薇のような少女だと思ったがこちらが本性なのかもしれない。

 パティが緊張から固唾を飲んだ。


 静かになるとレイリアはニコリと笑った。ヒナの顔が安堵に緩む。


「久しぶりね。エスティ」


 先程とは打って変わって優しげな口調だった。

 レイリアと会ったのはビクトル戦以来である。あの時は、獣のような凄惨な戦いぶりを見せてしまった。エスティは緊張に肩を強張らせた。


「お久しぶりです……リーさん」

「レイリアでいいわよ」


 気さくなレイリアにエスティもなんとか笑顔で返すと、寄宿舎へ歩くレイリアに付き従った。


「悪く思わないで。みんなイライラしているのよ」

「事情は分かります」


 小走りでついて行くパティが相槌を打つ。


 この前線基地、第105前線基地はティフェレトシティからほど近いホーライ地区に向かって作られていた。

 ホーライ地区の自警団を討伐し、センチュリアに帰順させるための基地なのだ。


 第七特騎はその攻略任務を数ヶ月にわたって続けている。


 テコ入れとしてセンチュリア本隊が送られてくるだけならまだしも、同じ学生のエスティ達が派遣されるのは屈辱であった。


「ホーライの自警団はかなり強敵だと聞いている。援軍要請はむしろ英断だよ。」


 ダンの冷静な分析に、ヒナの頭はいくぶんか冷えた。小さな声で「ありがとう」とうそぶく。


「しかし、そう思わない者もいる」


 レイリアは声を落とすとドック中央の青いドレスビーストを指さした。


「あれは……『オルトロス』!」


 ダンが驚嘆の声を上げた。ダンがこんな声を出すのは珍しい。


 600番台シックスナンバーズ『オルトロス』。

 兄弟機となる『ケルベロス』とともに『ヴォルフ』タイプの最高傑作と呼ばれる機体である。


 登場者はケテル高校、第一特騎隊長。

 イマムラ・チヒロ騎准尉。


 学生唯一の尉官。

 イマムラ・チアキ防衛大臣の子息である。


「こんな機体を学生に……」


 エスティは思わずつぶやいた。


 学生に600番台シックスナンバーズを支給されるなんてあり得なかった。

 現に撃破数全国一位のカイルにだって、第五世代の『ヘングスト』が支給されている。


「なるほど。親のスネかじり、第一特騎様のお出ましか」


 ダンが皮肉めいた笑顔を見せた。


 それはまるで出会った頃のダンのようであった。

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