第二章 放課後は戦場で
第二章 放課後は戦場で①
ある賢人が蝶になった夢を見た。
夢から覚めた賢人は思う。
私が蝶になった夢を見ていたのか、
蝶が私になった夢を見たのか。
この世界が本当に存在するのか。
私自身の夢なのか。
それを証明する手段は、今のところ私には分からない。
「
本当のところはどうなのだろう?
夢の中では分からないんじゃないかしら?
そんなことを考えていると、
背中から何か薄気味悪いものが近づいてくるような
ぼんやりとした不安に襲われる。
私の身体が、
私の心が、
私をかたち造るものが、
陽炎のようにゆらゆらとゆらめく。
私と私じゃないものの境が、
実はひどく曖昧なものなんじゃないかと
そう思えてくる。
本当のところどうなんだろう?
この世界は本当に存在するのだろうか。
あなたは、本当に存在するのだろうか。
◆ ◇ ◆
「それで不安になって、レポートが間に合わなかったと……」
「はい!そういうことです!」
「元気よく言うな……」
職員室で直立不動のまま真顔で答えるエスティに、オオガミ・シリウス教諭は
「『
思春期の少女が抱く繊細な感情にシリウスは感銘を受けたようで何度も頷いたあと、エスティにさらに二つレポート提出を命じた。
「えー、そこは許してくれるところじゃないんですか?」
「バカを言うな。実績のない生徒に単位はやれん。これは先生の優しさだぞ」
このご時世にくわえ煙草で説教。
SNSに上げたら社会的に即死だ。
脅してやろうか、とちょっと考えてみる。そんなエスティをシリウスはじろりと見上げた。
考えが見抜かれたかとどきりとした。
「最近、ぼうっとしていることが多いようだが……まだ引きずっているのか?」
おそらくこちらが本題なのだろう。レポートを忘れたくらいで職員室に呼びつけられるほどエスティの素行は悪くはなかった。
「いえ、その……」
エスティは言いよどむ。
「そうか……」と頭をかくシリウスの後ろ、女教師の視線にエスティは気づいた。
面倒くさがり屋で職務に対して勤勉とはいいがたいシリウスである。
わざわざエスティを呼びつけたのは、この女教師の差し金に違いない。
長い髪を巻き上げた長身の女はアネガサキ・ミネルヴァ教諭だった。
ウソを嫌う真直ぐな性格は好感を持てるのだが、反面、
「と、いうか、正直言うとそのことには、もう触れてほしくない……というか」
「だろ?俺もそう言っているんだが、ミネルヴァの奴がさ……」
「シリウス……!」
ミネルヴァは立ち上がるとシリウスを睨みつけた。
シリウスは気の抜けた顔のまま口を閉ざすと明後日の方向を向いてしまった。
やる気のないシリウスにため息をつく。
「エスティ……やはり『特騎クラス』への編入が辛かったのではないのか?準特待でよければ今の成績でも十分いけるのだぞ」
「ミネルヴァ先生。本当に大丈夫です。あれから一カ月ですよ。」
「しかし、心の傷というものはそうそう消えるものではない。幻覚まで見て……」
――幻覚まで見て。
その言葉にエスティの顔が耳まで真っ赤になる。
一カ月前の自分の
そのまま俯いて動かなくなる。
「ミネルヴァ……」とシリウスが肘をつつく。
ミネルヴァはあっと気付くと小さく「すまん」と言った。
「今日は午後からミッションがある。お前、行けるのか?」
「はい!大丈夫です。」
赤い顔を上げて、しっかりと答えた。
ここで特騎クラスから外れるわけにはいかない。
シリウスは「だってさ」とミネルヴァを見上げた。
ミネルヴァはまだ心配そうだったが、エスティの決意に折れたように頷いた。
◆ ◇ ◆
特別陸戦騎兵科。
通称、『特騎クラス』。
現役高校生を主体とした、機動兵器ドレスビースト中隊である。それはセンチュリア軍の人材不足を補う苦肉の策であった。
ヤマモト・エステリアこと、エスティは高校二年の春、その特騎クラスに編入した。
戦災孤児であったエスティは、施設で育った。必死に勉強し、奨学金をもらい、なんとか高校に進学したまでは良かった。
だが、生活費を稼ぎがら成績を維持するというのは、なまなかなことではない。
成績不振により特待生枠から外れたエスティは特騎クラスへの編入を希望したのである。
このクラスに編入できれば学費は免除、全寮制のため生活費も心配なくなる。
就職に有利な技術技能も身に付くし、希望者は付属大学までエスカレーターで入学できる。お金も身寄りも無いエスティにとって、これ以上の条件は無かった。
このクラスで三年の卒業まで生き残る。
それがエスティに唯一残された道だった。
◆ ◇ ◆
教室に戻ったエスティは目立たないようにこそこそと一番後ろの席に着いた。
「なんの話だったんですか?」
隣の席のパティが話しかけてくる。
このクラスで声をかけてくれるのはパティだけだ。彼女は唯一の友達だった。
他の生徒は遅れて入ってきたエスティを苦々しく見ているだけだった。
「大丈夫か?だって。ミネルヴァ先生の差し金だった。」
「ああそれで」とパティは納得した。
シリウスの職務怠慢はこの学校では有名だった。
「よう、エスティ」
ニタニタ笑いながら近づいてきたのはクラスメイトのニールだった。
彼は星を20個挙げたクラスのエースだった。しかしその性格は陰湿で、編入生のエスティのことをことあるごとにいびっていた。
エスティは眉をひそめると「何よ」とあいさつをする。
「お前、今日の出撃で星が挙げられなかったら除籍なんだってな?」
編入生にはたくさんの条件が課せられていた。
一つは実績。
編入までの条件として、一学期中に星3つを上げる。
つまり、敵機を三機、撃墜させなくてはならなかった。
エスティはまだ星を上げていない。
「そんなことあんたに関係ないでしょ」
別に今日の出撃で、ということは無いのだがエスティは否定しなかった。
細かい違いを指摘するような会話は疲れる。
辛辣なエスティにニールはイラついた。
「また、幻覚でも見るんじゃねぇかって、言ってんだよ!!」
その一言でクラス中にどっと笑いが起こった。
エスティの顔が真っ赤に染まる。
「か、関係ないでしょ!?」
エスティの動揺を見てニールはなおも続ける。
「中にパイロットがいるって騒いでいたの、誰だよ。」
現代の戦争は敵も味方も遠隔操作のリモート機だ。中にパイロットがいるなんで有り得なかった。
しかしエスティは戦場で少年を見た。
味方十数機を大破させた赤いドレスビーストの中に黒髪の少年を。
赤いドレスビーストは回収され、調査されたが、パイロットがいた痕跡も記録もなかった。
大騒ぎした挙句、敵機も打ち取れず、国家の財産であるドレスビースト『シュトゥールテ』まで大破させたのである。
エスティの評価は学校からもクラスからも下がってしまった。
エスティは言い返すことができず、拳を握りしめて恥ずかしさと悔しさに耐えるしかなかった。
涙が溜まるのを堪えながら懸命にニールを
そんなエスティにクラスメイトの嘲笑は止まない。
屈辱に耐えるエスティに学級委員のカイルが助け船を出した。
「やめるんだ。みんな。」
カイルはこのクラスの中心人物だった。
その一言でクラスに張り詰めた緊張感が生まれた。
「編入生だって同じ戦友だ。そうだろニール?」
カイルはニールの肩をポンと叩くと爽やかな笑顔を見せた。
その笑顔に緊張感は一転し、和やかな空気になる。
ニールもニヤリと笑うと「そうだな」と自分の席に戻っていった。
クラスに馴染めないエスティにも、カイルは優しかった。
カイルのおかげでこのクラスの雰囲気は
多くの生徒がこのクラスは最高だと思っているだろう。
だが、エスティには違った。
カイルと入れ違いに副委員長のカチュアがエスティの前に立つ。
「よかったわね」
笑顔で言っているが、眼鏡の奥に深く暗い嫉妬の炎がちらついていた。
「私のカイルに近づかないで」とでも言いたげだ。
彼女はカイルがエスティをかばうのが気に入らなかった。
「ありがとう。カチュア」
陰湿な敵意にエスティは顔を引きつらせるしかなかった。
エスティの頭に幻覚の少年が浮かんだ。
手負いの獣のような眼をした少年。彼は真直ぐな敵意を自分に向けてきた。
あの少年はエスティの恐怖そのものだったのかもしれない。
チャイムが鳴り、ムラカミ・ギラード教官が現れると、みな散り散りになった。
そしてホームルームという名の作戦ブリーフィングが始まった。
ギラードの退屈な精神論にあくびをこらえながら外を見る。
校舎の外は群青の空が広がっていた。
普通クラスの男子が土埃にまみれサッカーをしているのが見える。
活躍する男子生徒に女生徒がエールを送っていた。
一人の生徒がゴールを決める、女生徒たちから黄色い歓声が沸いた。
エスティの気持ちもよそに、学園は今日も平和である。
エスティは教室に意識を戻す。
次の授業の準備をし、今日の予定を確認する。
今日の放課後は戦争だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます