第一章 銃声は遠雷の如く

第一章 銃声は遠雷の如く

 かつて……

 一匹の獣が二本の足で立ち上がった。


 重力に抗い、その獣はやがて人になった。


 肥大化する脳の重みに耐え、人類は考えた。


 私は……私達はいったい何者なんだろうか?


 アダムの林檎か

 プロメテウスの火か


 思考のループが彼らを苦しめた。


 それでも考えることをやめない。

 やめられない。


 形而上的なものに寄せる憧憬どうけい

 人類にとって不可避の病である。


 ならば……

 重力に抗い勝ち取った知恵の実の対価は

 この胸にくすぶる不安だけなのか……。

 



      ◆ ◇ ◆



 えざえと大地を照らす蒼月あおつき叢雲むらくもにさっとかげると、広い荒野は一面に漆黒へと染まった。


 遥か遠くから銃声と爆音が聞こえてくる。かすかに響くいくさの気配を、エスティは緊張の面持ちで感じていた。


 せわしなく息を吐きながら待機するコクピットは、暗くて、狭くて、息苦しかった。


 深夜、突然の出撃である。

 落ち着きなく赤いショートヘアを触るエスティの手が、緊張から僅かに震えていた。


 見渡せば鋼鉄の機動兵器ドレスビーストがずらりと並び、防衛ラインを塞いでいる。

 その数は十数機にも及ぶ。


 ビーストの名の如く四つ足で居並ぶその姿は、駿馬しゅんめの如く勇壮である。その勇ましさに、いやがおうにも緊張は高まっていった。


冷静にクレバー。エスティさん。緊張しすぎですよ」


 エスティの脳波を観測していたパティから入電が入る。


 水色のドレスが重い駆動音とともに隣に並んだ。パティのドレスビーストだった。


「分かっているわ。パティ。でも、慣れないのよ」


 エスティは息苦しさから、パイロットスーツの胸元を指で広げた。


 機動兵器ドレスビーストは主に脳波によってコントロールされている。

 人間の大脳基底核を模した回路は、より滑らかにより複雑で、そして美しい動きを可能にした。


 人間の意思を感じ取り、その通りに動く機動兵器である。


 しかし、そのぶんエスティの緊張も容易に感じ取り、動きに支障が出る。


 だから、冷静にクレバー、だ。


 強張こわばるエスティにパティは心配そうに話しかけた。


「大丈夫ですよ。現代の戦争は敵も味方も遠隔操作のドローン機です。戦争だからって人が死ぬようなことはありません。」


 パティの言う通り、エスティも遠く離れたシティからドレスビーストを遠隔操作している。


 銃声は遠雷の如く、戦場は遥か遠くである。


 パティの言葉にいくぶんか落ち着いたエスティは、笑顔を向けた。


「そうね。帰りにKOJIMAのシュークリームでも……」


 言いかけた瞬間だった。

閃光が闇夜を切り裂いたかと思うと、爆音が耳をつんざいた。


「きゃあ!」


 パティは音だけで悲鳴を上げる。


 爆音が近い。

 しかし、戦場は数キロ先である。


「どこから?」

「分かりません。でも第1第2防衛ラインは破られていません」

「伏兵ってこと?」


 再び爆音。今度はさらに近い。

 目視できる距離で火柱が上がる。

 それはまるで戦渦せんかさそ漁火いさりびのようにの空を赤く染め上げた。


 戦闘が始まる。

 

 エスティは固唾かたずを飲んだ。


「リュウセイ!ドーニ!レイナ!ニール!抗重力伸展運動エロンゲーション!近距離迎撃用意!残りは四足形態のまま後方支援!」


 リーダーのカイルがげきを飛ばす。

 近距離戦では二足形態が基本となる。


 カイルは自分のドレス『ヘングスト』を四足形態から二足形態へと変形させた。


 同時にコックピットの座席も変形する。


 バイクのような前傾姿勢が持ち上がり、イスの背にもたれかかる姿勢へと変化する。



「やれやれ、ようやくおでましか」

「当直とはいえ、俺の睡眠時間を削った罪は重いよなぁ」


 パイロットたちは口々にぼやきながら、ドレスを二足形態へと変形させていく。

 残りは皆、トリガーを握り、迎撃態勢に入った。


「3時の方向。敵機発見!」

「オーケイ!」


 パティの報告。

 エスティの『シュトゥールテ』がライフルを構えた。

 冷たいトリガーの感覚がエスティの指に(正確には脳だが)伝わった。


「狙撃!」


 ちらりと敵機が赤い頭を出したところに、味方全員で引き金を引く。

 激しい銃撃音とともに無数の銃弾が敵機に向かって飛び出した。

 

 逃げ場はない。


(当たる)


 エスティが確信した瞬間、敵機は跳ねた。


「ウソ!」


 思わず叫ぶ。


 四足形態のまま、跳ね上がるとこちらに向かって駆けてきた。

 牝馬ひんばのような『シュトゥールテ』にはない、猫のようなの動きをみせる。

 この『シュトゥールテ』だってセンチュリア軍がほこる正規のドレスのはずなのに。


「ニール!リュウセイ!敵を囲め!」


 カイル以下数機が援護に駆け付ける。

 『シュトゥールテ』の同型、雄型の『ヘングスト』だ。


 十数機での十字砲火。

 しかしライフルもショットガンもものともしない。


 直撃のはずなのに。


「何なの?こいつ!」


 ライフルの撃鉄を起しながらエスティは驚嘆の声を上げた。


「エスティ。クレバー!次元確率を変動させています。確率共振させてください!」


 そう言ったパティの声が上ずっている。


 確率変動現象。


 次元確率を変動させることであらゆる物理効果を遮断する現象である。

 ドレスビーストが最強の兵器なのは、この確率変動にある。


「それにしたって……こんなメチャクチャな変動率、あり得るの!?」


 これでは共振できない。


 変動する確立に共振させなくては、攻撃は当たらない。


 集まった味方機の十字砲火も問題にせず赤いドレスは駆けてくる。


 味方機の銃弾はただの一発も共振させることができなかった。

 信じがたいが機体には傷一つない。


 赤いドレスが四足歩行のまま、すぐ右の『ヘングスト』に飛びかかる。

 馬乗りになるや否や、顎部ジョイントが開き、喉元に喰らいついた。


「うわあ!」


 『ヘングスト』のパイロットが叫ぶ。

 まるで野生の肉食獣に襲われたかのように、『ヘングスト』は手足をばたつかせ、やがて動かなくなった。


 その時、叢雲が去り、青白い月光が荒野を照らし出した。


 月下にたたずむ赤いドレスは、二足形態をとり、ゆっくりとエスティに首をむける。


「あ……あ……」


 エスティは怯懦きょうだにうたれ固まった。


 脈拍が上がり、瞳孔が散大し、呼吸は荒くなる。

 現実感が喪失し、意識が混濁していった。


 なんだ。

 なんなんだ。

 このドレスビーストは。

 噛み付いた。

 獣のみたいに。

 倒せない。

 やられる。

 やられる。

 やられる。


「エスティ!!」

 パティが叫ぶ。

 赤いドレスが二足形態をとり、目の前にいる。


「落ち着け!エスティ!近距離迎撃!抗重力伸展運動エロンゲーション!」


 カイルの言葉にもエスティは反応できない。


 二足形態に変形できない。


 敵は左手を伸ばしエスティの『シュトゥールテ』にとりつく。残った右手で振動刀を引き抜くと高く振りかざした。


 離脱は不可能。間に合わない!!


 やられる!


 エスティは目を閉じた。


 そして……。


 ドレスビーストは電池の切れたおもちゃのように沈黙した。


「なん……で?」


 やられると思っていたエスティはさらに混乱した。


「……ご……ディ…………なん……」


 どこからか声がする。


「動け!『ディケッツェン』!なぜ動かない!?」


 相手の機体と接触しているので直接回線が繋がっている。

 この声は赤いドレスビーストからだ。


「貴様!何をした!?ハッキングか!違う?なんだ?」


 まだ若い男の声だ。随分取り乱している。


 しかし、まさか……。


「あなた。その機体に乗っているの!?」


「だったらなんだ!?……くそ……まさか、脳波共鳴?そんな馬鹿な……俺以外で?」


「早く降りなさい。そこは危険よ!」


 エスティの警告に応じるはずもなく、男は無視をする。


「エスティさん誰と話しているの?」


「パティ!このドレス、


「そんな!ありっこない!」


 しかし現に乗っている。


 現在の戦争は敵も味方も遠隔操作のリモート機が当たり前だ。

 有人の戦闘兵器など非人道的にも程がある。


――このままでは人が死ぬ。

  現代の戦争では、人は死なないんじゃなかったの?


「早く降りなさい! 死んじゃうわよ!」


 エスティは必死になって叫ぶ。

 このまま見殺しになんてできない。


「うるさい、黙れ!」


 パイロットは拒絶した。

 しかし機体はエスティの言葉に呼応するようにドレスのコックピットが開いていく。


 いや、実際にエスティの言葉に機体が応えたようだった。


「くそ!」


 男の声が聞こえる。同時にその姿も現れた。

 パイロットは自分と同じくらいのまだ少年だった。


「貴様!『ディケッツェン』に何をした!」


『ディケッツェン』というのはこの機体の名前だろう。


 少年はエスティの『シュトゥールテ』を睨みつける。

 ぎらついた殺意をモニター越しに感じ、エスティの下腹が冷え込んだ。


「わ、かんないけど……早く逃げて!死んじゃうわよ……」


 まっすぐな敵意に躊躇とまどいながらも、かろうじて言葉をつむぐ。


「エスティ!何をしている!早くそこを離れろ!」


 カイルがロケットランチャーを構えた。

 自分が撃たなければ敵機ごと焼き尽くす気だ。

 このままでは、このパイロットが死ぬ。


「やめて! 人が乗っているの!お願い!やめて!」

「エスティ落ち着いて! 有り得ないわ!」

 必死で止めるエスティをパティはなだめる。

 しかし目の前には少年がいるのだ。平静でいられるわけがない。


「だって……! だって……!」


 叫ぶエスティを無視して確率共振されたロケットランチャーが発射された。


 少年はコックピットから立ち上がろうとしている。


「やめてぇ!!」


 音速の弾頭が着弾し、エスティの叫びは爆音にき消された。


 そして、静寂の闇が広がった。

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