第六章 日は既に落ちる、されど未だ夜ならず(終)
作戦が終わり現地部隊との引継ぎを完了した頃には、もう午後七時を回っていた。
五月の太陽は、ビルの群れに紛れるのを嫌ってか、なかなか暮れようとはしない。
まだ明るい校庭をエスティは少し得したような気持ちで帰路についていた。
長い影を背に、ダンが暮れなずむ夕日を眺めている。
「何してるの?」
エスティはダンの背中に声をかけた。
ダンはこちらに振り向くこともなくポツリと漏らす。
「この夕日を、アオバは見ることができたかな」
まるで遠くに妹でも残してきたような口ぶりだった。
「さあね。元気そうだったよ!」
言いながらエスティはダンの背中を叩いた。思ったより強く叩いてしまいダンはせき込んだ。
「何をする」
せき込みながら文句を言うダンにエスティは笑いながらも謝った。
「だって、今日のダンはやけに感傷的なんだもん。調子、狂うよ。」
太陽は少しずつビルの谷間へと、その身を沈めていく。
「本当のこというとね。あなたのこと、怖いなと思っていた。」
エスティが口を開いた。
「あと、ちょっとムカついてた。だって悔しいじゃない。一緒に戦っているのに、僕には仲間なんていない、なんてさ」
背中に向かってそう言った。面と向かっては恥ずかしすぎる。
「僕には仲間なんていない。」
ダンは繰り返した。
「本当のことだよ」
そして、こちらを振り向いた。
エスティもその目をまっすぐに受け止めた。
相変わらずダンの表情は硬い……というよりも無い。
いきなりの冷たい返答だったがエスティは
彼の言葉が彼の本心なのかというと、そんなことは無い気がする。
それはエスティの思い込みかもしれない。他人の気持ちを推し量る無遠慮なお節介かもしれない。
それでも彼女は前に進むと決めた。
「あなたに仲間がいないなら、私が仲間になってあげる。」
エスティは唇をきりりと結び、真直ぐに話した。
ダンは少し驚いた顔になる。
「仲間になってあげる、だなんて、随分と上からじゃないか。」
ダンは動揺を隠すように
でも本当は、ダンの本心は、きっとそうじゃないとエスティは思った。
「じゃあ、仲間になって、ダン」
今度は優しい笑みを浮かべる。
さっと、ダンの瞳に寂しげな陰が差した。
そしてすぐに視線を
「人生は喪失だよ。得るということはいつか失うということ。出会うということはいつか別れるということ。生まれるということはいつか死ぬということ。」
そして残るのは寂しさだけだ。
耐えがたいほどの胸の痛みだけだ。
俯いたダンには、痛ましい程の孤独が
「我ら
すべては結果的に無に帰す。
希望はいつしか絶望になる。
天高く輝く太陽も必ず沈む。
この夕日のように。
そして、絶望の夜になる。
ならば期待しない方がいい。
望まなければ失うこともない。
「過去に失ったものを数えて、未来に失うことを恐れて、だから何もいらないの?」
ダンは答えない。
「あなたが生きているのは今よ。今、この
人間は過去に生きることも、未来に生きることもできない。
『今』を生きることしかできないのだ。
「今、この瞬間を生きられるなら、かけがえのないこの一瞬こそが、永遠なんかよりずっと大事になるんじゃない?」
ダンは今度こそ驚いた顔をした。
そしてじっとエスティの瞳を見つめた。
赤色の瞳が夕日に煌めく。
それはルビーのように高潔だった。
鮮血のように切実だった。
「……時よ、止まれ。お前は美しい」
突然のダンの言葉にエスティはドキッとした。ダンはなおも続ける。
――時よ止まれ、お前は美しい。
私の地上の日々の生の
この幸せの予感の内に、
今、味わうぞ。この至高の瞬間を。
それは昔読んだ詩の一節だった。
この儚い一瞬が永遠に不滅になる。
そんな詩の一説だった。
私たちは何のために生まれてきたのか。
この瞬間こそが、私たちが生まれてきた意味なのかもしれない。
「君は一体誰だ。」
ダンの言葉にエスティは応えた。
「あなたの仲間よ。ダン。」
「仲間は、みんな失った」
「まだ私を失ってない」
ダンは顔を歪め、泣きそうな顔でエスティを見た。
「いつか失うかもしれない」
「それは今じゃない」
ダンの声が涙に震えていた。
そんなダンに、エスティは迷いの無い真直ぐな瞳を向ける。
ダンは涙を隠すようにして、再び西の空へ向き直った。
エスティはその孤独な背中を遠く感じた。
太陽はすでにビル街に飲み込まれていた。
今はその残光が、西の空を茜色に染めているだけだ。
「夕日、沈んじゃったね」
エスティは寂しそうに呟く。
ダンは背を向けたまま、その気持ちを押し出すように応えた。
「でも……まだ、夜じゃない」
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