46 改めてのプロポーズ

 うんりょーの二階ホールでは、いつものように練習後のミーティングが開かれていた。

 凛とした咲綾部長の声が響く。


「コンクール地方支部大会まで残り一週間を切りました。一、二年生の皆さんは夏休みの課題学習に追われている時期かと思いますが、体調管理を万全にしつつ悔いのない練習をしていきましょうね」

「「はいっ!」」

「それでは本日の部活動を終わりにします」

「「ありがとうございましたー!」」


 ミーティングが終わり、部員達はそれぞれのパート部屋に戻っていく。私が楽器の片付けをしていると、いつものようにうっちーが声をかけてきた。


「知華ちゃん、今日は一緒に帰れる?」

「先に帰っててくれるかな。今日はちょっと鷹能先輩と用事があって」

「えぇー! またかよー」

「ごめんごめん。でも、あゆむちゃんと二人なら帰り道に葉山先輩の話で盛り上がれるから楽しいんじゃないの?」

「それがさあ、実は “トラ子ファンクラブ” が解散の危機なんだよ」

「えっ!? それまたどうして?」

「角田が抜け駆けしやがってさ。今週末に葉山先輩と地元の大食い大会イベントに出場するんだって。俺だって葉山先輩と夏休みの楽しい思い出が作りたいのにさっ」


 口を尖らせるうっちーが本気なのか冗談なのかわからなくて、私はとりあえず愛想笑いを返すことにした。


 私を引き留めたうっちーを振り切って鷹能先輩を追いかけた合宿の夜、号泣する彼を夜中までトラ子の姿で慰めてくれた葉山先輩。

 心優しい葉山先輩は咲綾先輩やトミー先輩に頼み込まれたのもあってそうしたのだけれど、それ以来先輩はうっちーの心の拠り所になったようだ。

 うっちーはよこしまな気持ちはなく葉山先輩を敬愛しているだけだと言うけれど、あゆむちゃんと二人でトラ子のファンクラブを結成し日々情報交換をしている熱心さを見ると、本当に彼はそれでいいのだろうかと心配になってくる。

 けれどもそのおかげあってこうしてうっちーと今までどおり接することができているのだから、やっぱりトラ子さまさまなのだ。


 部員達がうんりょーを出た後、私服に着替えて鷹能先輩と共に待っていると、武本さんが迎えに来てくれた。


「鷹能様、知華様。先日は愚息が大変お世話になりましたようでありがとうございました」

 車を降りて傍に寄るなり、武本さんが深々とお辞儀をする。

「海斗から色々と聞き出しましたが、お二人やご友人に大変なご迷惑をおかけしたようで本当に申し訳ございませんでした。息子も今は大変反省しているようですが、誰に似たのか何せあの性格ですから、お二人にきちんと謝罪できていないようで、父親として本当に情けなくお恥ずかしい限りで……」


 頭を垂れたままの武本さんに、鷹能先輩が穏やかに声をかけた。


「武本、そんなことは気にしなくてもよい。海斗のことがあったからこそ、俺と知華はお互いの気持ちを確かめ合うことができたし感謝している。それよりも、海斗はこれまでどおり志桜里と仲良くしているのだろうか」

「はい。おかげさまで志桜里様の方からお誘いいただいてお屋敷に遊びに伺ったりしているようです。志桜里様が海斗の趣味であるサーフィンにご興味を持たれたようで、今度一緒に海へ行く約束をしたとか……」

「志桜里さんがサーフィン!? 随分アクティブなことに興味を持ったんですね!」


 あの可憐な美少女が勇ましく波に乗る姿が想像できなかったけれど、鷹能先輩は私の隣で愉快そうにははっと笑う。


「そう言えば、志桜里は幼い頃かなりのお転婆だったな。元々持ち合わせていた活発な面が開放されたのかもしれないな」


 志桜里さんが活発さを取り戻したのは、やっぱり海斗のアモーレの力なんだと思う。

 彼女の心に新たなアモーレが芽生えるのはそう遠い未来ではないかもしれない。

 そう考えると自然と口元が綻んで、微笑みをたたえた鷹能先輩と頷き合った。


「さ。ご両親がお待ちです。どうぞお車へ」

 武本さんのエスコートで後部座席に乗り込むと、高級外車は紫藤家のお屋敷に向かって静かに発進した。


 🎶🎺🎶


「よっしー、知華ちゃん、待ってたよ!」

Benvenuti!いらっしゃい


 前回同様、武本夫人の案内でプライベートダイニングに通されると、先輩のご両親が笑顔で出迎えてくれた。


 椅子に座って早々に、お父様が割れた顎を撫でながらちょいワルな微笑みを覗かせた。


「ふむ。僕の期待どおり、二人でアモーレを高めてきたようだね」

「若い頃の私達を見ているようネ、テゾーロ私の宝物

「僕達は今も変わらずラブラブじゃないか、アモーレ愛しい人

 私達の目の前でそんな甘い言葉を交わし、チュッと口づけを交わす紫藤夫妻。


 目のやり場に困るけれども、鷹能先輩は慣れっこなのかベタ甘な両親に向けて淡々と本題を突っ込んでいく。


「それで、本日僕達を呼んだのはどういったご用件なのでしょう?」

「なんだい、よっしー。いきなり本題に入るあたりはアモーレが高まっても相変わらずの堅物ぶりだなあ」


 お母様と絡めていた指を離すと、お父様は居住まいを正して私達を眼差した。


「今日は君達に報告があるんだ。水無瀬の家から、正式によっしーとしいちゃんの婚約の話をなかったことにしたいという連絡が来た。どうやらしいちゃん本人がご両親にそう申し出たらしい。君が乗り気でないことは先方も知っていたし、それならばということで特に後腐れもなく話がまとまったよ」

「そうですか……。それは良かった」


 ほっと安堵のため息を吐いた鷹能先輩が私に柔らかな眼差しを送る。

「志桜里が僕との結婚にこだわらずに前向きになれたのは、知華のおかげなのです。彼女が志桜里を外の世界に向かわせるきっかけを作ってくれたのです」

「いえ、私ではなくて海斗や咲綾先輩、そして鷹能先輩の幼馴染みのアモーレが志桜里さんの背中を押したんです。今回のことで、私もアモーレの力の大きさを実感しました」


 鷹能先輩に向けていた視線をお父様とお母様に向けると、お二人が満足そうに頷いた。


「僕達が二人に一番伝えたいことが伝わったようで良かったよ。どんな人生でも生きている以上は苦境に陥ったり進むべき道に悩んだりすることは何度もある。そんな時、アモーレが乗り越える力を与えてくれるんだ。そして、最も強いアモーレを注いでくれるのは家族や愛する人であり、人生の大半を共に歩むことになる夫婦にはいつ如何なる時にもアモーレが必要なんだよ」


 前回お父様の口から “アモーレ” の言葉が飛び出た時にはピンと来なかったけれど、今日は素直に頷ける。


 話が一段階したタイミングを見計らってメイドさんがグラスにワインやジュースを注ぎ始めた。

 膝の上に置いた私の手を、テーブルの下から鷹能先輩の手がそっと迎えに来た。


「父上のお言葉が今は心に染みます。僕も一生を賭けて知華を愛し続けたいと思います。紫藤家の嫡男として背負うものも、彼女が傍にいてくれれば重荷と感じることもないでしょう」


 指と指を絡めたまま、先輩が私を真っ直ぐに見据えた。

 真剣なその表情に、これから向けられる言葉は心に深く刻まれて一生の宝物になる予感がしてくる。




「改めて言う。知華、俺と結婚して欲しい」




 心構えはできていたはずなのに、先輩の顔がみるみる涙で滲んだかと思うと、温かい雫が頬をつたい始めた。


「はい……! 私も鷹能先輩を一生愛し続けます。先輩が隣にいてくれるなら、私も一緒に苦難を乗り越えてみせます」


 胸を詰まらせながらもありったけの思いを込めてそう返事をすると、滲んだ視界に先輩の笑顔が見えた。


「bacio! bacio! bacio!」


 見つめ合う私達に向かって、お父様とお母様が繰り返し謎の言葉を掛け始める。


「バーチョ? 何ですか、それ……」


 首を傾げて尋ねると、先輩は眉を不機嫌そうに歪めていた。

 けれども、頬はほんのりと桜色に染まり、口元は微かに綻んでいて────


「バーチョとは、イタリア語で “キス” のことだ」


 口ごもりながらそう告げると、先輩の顔がみるみる近づいてきて、唇と唇が重なった。


「よし、これから婚約の段取りで忙しくなるぞ!」

「そうネ。知華サンのお宅にもご挨拶に行かなくっちゃ」

「エミちゃん、あれこれ話をする前にまずは祝杯をあげよう!」


 ハイテンションで喜び合うご両親の声が聞こえるけれど、鷹能先輩の唇は私に重なったままで────


「……あれ? よっしー? 知華ちゃん? いつまでバーチョしてるの。早く乾杯しようよー」


 お父様が狼狽え始めても、私は先輩に捉えられたままで────


 この強引で甘やかなアモーレがこれからもずっと自分に注がれ続けるのだと思うと、自分のアモーレの力が発揮される前に心臓がもたなくなるんじゃないかと、本気でそんな心配が首をもたげてくる。


 ようやく唇が離れたところで息をつき、

「先輩っ! ご両親の前でこんな強烈なことをされたら、さすがに私もますよっ」

 と抗議すると、

共に歩むという約束だ。諦めろ」

 そう言い放ったギリシャ彫刻の端麗な顔に薔薇色の笑顔が咲いた。



 ・*:..。o♬*゚・* Fine *:..。o♬*゚・*


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うんりょー! 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari

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