41 幼馴染みの愛と恋①
「鷹能先輩……っ!!」
追いかけようとした私の腕がぐんっ! と引かれる。
「知華ちゃん! 行っちゃだめだ!」
うっちーのその言葉に、ちりちりと胸を焼いていた私の中の熾火が一気に炎を上げた。
「離してっ!! 先輩が行っちゃうっ!!」
「行かせればいいじゃないか! 知華ちゃんはここに残るべきだ!」
「嫌っ!! 嫌なの!! 先輩がいなきゃ駄目なの……っ」
「知華ちゃん!!」
渾身の力を込めて腕を振りほどき駆け出した。
空き地の隅の門扉を開け、道路へ飛び出す。
足早に遠ざかる先輩の後ろ姿は二つ先の街灯の向こうに待つ暗がりに吸い込まれようとしていて、私は必死で追いかけた。
「鷹能先輩……っ!!」
「来るなっ!!」
厳然と放たれた制止の言葉に身が竦む。
せっかく距離を詰めた背中が再び遠ざかろうとする。
「先輩っ、誤解なんです! 話を聞いて……」
「近寄るなと言ったら近寄るな! でなければ俺の制御がきかん」
身勝手かもしれない。
自惚れかもしれない。
けれども、絞り出されたその言葉はとても切なげで、私を求めてやまない叫びに聞こえた。
気がついたら、私は先輩の背中に抱きついていた。
「近寄りたいんです。先輩から離れるなんて嫌です。差し伸べられた手が離れても、私は先輩を追いかけたい……」
身を焦がす炎が涙の雨を呼んだ。
込み上げる嗚咽がそれ以上の言葉を阻む。
それでも縋りついた背中だけは離すまいと腕に力を入れたのに、あっけなく引き剥がされた。
「……己の感情のままに、俺は知華の全てを奪うぞ。それでもいいのか」
「違います……! 先輩に奪われるんじゃない。私が自分で未来を決めたんです。先輩と共に歩む未来を──」
涙でぼやけた視界のまま見上げた瞬間、きつく抱き寄せられた。
「すまんがもう限界だ。
その言葉と共に、先輩の体がすっと離れる。
かと思うと、涙を拭うように大きな両手が私の頬を包んだ。
優しく顔を上に向けられて、思わず目を閉じた。
唇に温かく柔らかなものが押し当てられ、しばらく後にそっと離れた。
また重なり、優しくついばまれる。
甘やかな時間は永遠に続くかのようにゆっくりと流れ、トップスピードで打ち続ける鼓動と胸の奥深くから沸き上がる感情に息が止まりそうになる。
好き。
好き。
好き────
その感情が全身を満たしていく喜びに心を震わせ、大好きな人によって同じ思いが降り注がれる幸福に身を委ねた。
🎶🎺🎶
「結婚とか先輩の背負うものとか、目の前に立ちはだかるそういう大きなものに気を取られすぎてたんだと思います。根っこにある大切な気持ちにもっと正直になっていいんだってことに気づきました」
私の携帯からトミー先輩に連絡を入れ、私と先輩は近くの公園のベンチに腰掛けた。
道すがら絡めていた指と指が離れ、肩をそっと抱き寄せられる。
その力が優しく作用するまま頭を預け、先輩を追いかけた末に辿り着いた答えを口にした。
「そうか……。俺はむしろ逆だった。君に背負わせるものの大きさを意識していなければ、自分の中の熱情を抑えることができずに君をもっと傷つけていただろう。先程知華を失うかもしれないと感じた時には、この身が千切れて狂ってしまうのではないかと思うほどだった」
私にとっても先輩にとっても、背負うものの大きさは自分の気持ちを押さえつけるものだったけれど、その意味合いはそれぞれで全然違っていた。
けれども、お互いにそれを押しのけてぶつけ合った感情はまったく同じものだった。
とてもシンプルで、純粋な気持ち。
「知華……。好きだ」
「私もです。鷹能先輩が好きです。大好き」
「こうして言葉で伝え合ったのは、今日が初めてではないだろうか」
「そうですね。もっと早くお互い口に出せたらよかったのかな」
「いや、そうとも限らないだろう。紆余曲折があり悩んだからこそ、お互いのこの感情が磨かれ、より尊いものになったのだと俺は思う」
視線を感じて見上げると、琥珀の瞳に私を閉じ込めた先輩が柔らかに微笑んだ。
今まで見てきた桜色よりも、もっと色濃く情熱をのせた微笑み。
薔薇色とは、まさにこういう表情を言うのだろう。
「先輩……。私、先輩と恋愛がしたいです。デートしたり、一緒にお料理作ったり、日々の些細な出来事を笑い合ったり。そういう恋人同士がするようなこと、これから先輩といっぱいしてみたいです」
「そうだな。後のステップが人より若干詰まってはいるが、これから恋人同士としての経験を沢山重ねていこう」
先輩の言葉が嬉しくて、再びことん、と頭を預けた。
頭の上に、くすりと小さな笑みが落ちてくる。
「ただし、知華には覚悟してもらわねばならないな。俺は改めて自分の中にあの父の血が受け継がれていることを思い知った。箍が外れたからには、俺はこの先遠慮なく知華にアモーレをぶつけていくだろう。……引かずに共に歩んでくれるか?」
「えっ? “引かずに” って、そういうこと!?」
驚きながら身を起こすと、ぽかんと開いた唇に先輩の細く長い指がそっと触れた。
私の硬直をよそに唇の感触を繊細に楽しむ指はやがて顎の輪郭を辿りながらそっと添えられる。
再び唇が重なる。
込み上げてくる幸福と気恥ずかしさと息苦しさに思わず息が漏れたけれど、その吐息まで愛おしむように抱きしめられて、確かにこの熱くて甘いテンションでこの先も迫られ続けたら自分の心臓がもたないなあとどぎまぎしてしまうのだった。
🎶🎺🎶
「咲綾先輩、勝手に抜け出したりしてすみませんでした!」
先輩とうんりょーに戻ると、部員の皆はすでに持参した寝袋を広げていて、女子は和室であるサックス部屋に固まっていた。
私の寝袋は芋虫のようになって既に寝ているあゆむちゃんの隣にころんと置かれている。
「タカと一緒だったとトミーから聞いているから大丈夫よ。うっちーが一人で泣きながら戻ってきたって聞いたときは驚いたけれど」
「うっちー、泣いていたんですか……!?」
「何があったのかは何となく想像がつくけれど、こればっかりは仕方ないわよね。葉山君にトラ子になって彼を慰めてもらってるからきっと大丈夫よ」
「そ、そうですか……」
確かに、文化祭のステージで美の女神と化した葉山先輩にうっちーも半ば本気でときめいていたように見えたけれど、これがきっかけで変な方向に目覚めないことを祈るばかりだ。
それにしても、咲綾先輩やトミー先輩に頼み込まれたであろう葉山先輩にもいいとばっちりを与えてしまって申し訳なかったな。
そんなことを考えつつ、私は美容クリームを念入りに塗っている咲綾先輩に切り出した。
「先輩、実はちょっと相談にのってほしいことがあって……」
「あら、何かしら?」
「ここでは話しにくいので、別の部屋に行ってもいいですか?」
咲綾先輩を誘って、ボーン部屋へと入る。
電気をつけ、大きな調理台の角を挟んで座ると、美しい笑みを穏やかにたたえる咲綾先輩を見つめた。
「咲綾先輩は、武本海斗のことはご存知なんですよね?」
「もちろんよ。彼は私にとっても幼馴染みだし。タカや
「海斗の連絡先を教えてもらえませんか? 彼と直接話をしたいんです」
「知華ちゃんが海斗と……? どうしてタカではなくて私に聞くの?」
「実は……」
公園からの帰り道、海斗達との今日の話し合いで、とうとう志桜里さんが折れたと鷹能先輩から聞いた。
「タカちゃんをこれ以上苦しめるのは辛い」と泣き崩れた志桜里さんの心情を思うと胸がとても痛くなる。
けれども、「志桜里が前に進むためには必要な涙だ」という先輩の言葉に納得し、心の中で彼女にエールを送ることにした。
けれども、問題は海斗の方だった。
志桜里さんを受け入れなかった先輩にも、そんな先輩の意思を汲んで身を引いた志桜里さんにも怒り出し、「タカちゃんの婚約を俺は絶対に認めない」と店を飛び出したらしい。
先輩が電話をしても繋がらないらしく、当面は取り付く島がなさそうだとのことだった。
「あいつは昔からすぐにカッとなる性格なのだ。あいつに認められなくても困ることはないのだから放っておけばいい」
鷹能先輩はそう苦笑いしたけれど、私としてはどうしても気になることがある。
なぜ、海斗は鷹能先輩と志桜里さんの婚約にそこまでこだわるんだろう?
私のことが気に入らないだけでなく他に理由があるのか、海斗の思いを聞いてみたい。
咲綾先輩にそれを伝えると、先輩は黒水晶のように煌めく瞳を細めて微笑んだ。
「知華ちゃん、いいとこついてるわね。海斗には、あなたとタカの婚約をどうしても許せない理由があるんだと私も思うわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます