02 うんりょーが君を待っている②
けれども、許されたのは一年生の帰宅だけではない。アッセンブリィの後から各部活動は新入生の勧誘を許されるのだ。
バイト探しのために家路を急ぐ私が昇降口を出たときには、すでに正門までの桜並木の下に上級生達がずらりと列をなしていた。
風の強い午後。桜の花びらが舞い散る中、異様な熱量を放出している空間に圧倒され、私は思わず後ずさった。
ここを切り抜けるには相当な意思の固さが必要だ。
私は視線を爪先の一メートル先に固定し、バッグをしっかりと胸に抱え、大きく深呼吸をしてから息を止めたまま、正門目指して一直線に歩き出した。
「テニス部入らない?」
「漫画研究部! 漫画描けなくても歓迎だよ!」
「君かわいいね! サッカー部のマネージャーやらない?」
まとわりつく声を次々と振り払い、わき目もふらずに早足で歩く私。
数組の勧誘をやり過ごした時、右腕が、ぐん! と強く引かれて思わず顔を上げた。
「あ……っ。先輩……」
「星山! 久しぶりだなっ」
私の腕を掴んで親し気な笑顔を向けているのは、中学時代の部活の先輩。
最悪! なんて運が悪いんだろう。
「お久しぶりですぅ。でも、今日はちょっと急いでるんで……」
精一杯の愛想笑いを貼り付けてスルーしようとしたのに、先輩が腕を離す気配はない。
「お前、入るだろ? 剣道部」
「いえ、私、高校では部活はやらないつもりなんです」
「何言ってんだよ! こっちはお前が入ってくるの待ってたんだぞ?」
そんな勝手なこと言われても!
思えばこの先輩、中学の時はかなり強引なワンマン部長だった。
今だってこっちの事情はお構いなしだし、このままじゃ私の意志とは無関係に部活に引きずり込まれてしまう。
高校でまたあんな思いをするのは絶対に嫌だ!
誰か助けてー!!
心の叫びを上げたときだった。
涙目になった私の視界に割り込んできた人影が先輩の腕を掴んだ。
「痛ぇっ……!」という唸り声が聞こえて、私の腕が解放される。
「彼女が嫌がっているではないか。やめろ」
陶器のように白い肌。すっと通った鼻筋。形の整った切れ長の目。
想像よりもずっと低い声。
ギリシャ彫刻の人――!
「げっ……。
先輩はその人を見るなり顔を引きつらせた。澱む雰囲気を察し、周りにいた部外者の視線までもがギリシャ彫刻に注がれている。
トンカチで叩けば割れそうなくらいに固まる空気。なんだか只事ではないみたいだ。
「じゃっ、じゃあな、星山! 待ってるからな」
呆然としていると、先輩は怯えたように後ずさりしながら人混みの中へ消えていった。
ギリシャ彫刻が切れ長の目で周囲を見渡すと、こちらを見ていた人達が慌てて背中を向け、何事もなかったかのように動き出す。
なんだかよくわからないけど助かったことには違いない。
妙な緊張感を引きずりながらも、私はじんじんと感触の残る腕を片手で押さえつつギリシャ彫刻に向き直った。
「あの……。ありがとうございました!」
一礼して顔を上げた途端、彼の視線に囚われた。
無機質で、高潔。
表情に何の感情の色ものせずに毅然と佇み私を見下ろす彼。
けれども、長い睫毛が被せられた切れ長の瞳は、麗らかな春の日差しを閉じ込めたように煌めいている。
やがて視線を絡め取られたままの私に向かって、彼の薄く形の良い唇がゆっくりと動かされた。
「見つけた――……」
「……え? 何を――?」
口から零れ出た私の問いと手のひらは、彼の大きな手で掬い上げられた。
「へっ……? ちょ……」
心臓がびくんと跳ねて、慌てて手を振りほどこうとしたけれど、がっちりと握られて逃れることができない。
混乱する私に向かって、まっすぐに視線を据えた彼が問いかける。
「君はもう剣道はやらないのか?」
躊躇いつつもこくりと頷くと、ギリシャ彫刻は無機質な表情を崩すことなく小さく頷いた。
「ならば話が早い。行こう」
「行こうって、どこへ――」
「うんりょーが君を待っている」
凛然と謎の言葉を口にすると、ギリシャ彫刻は私の手を握ったまま、正門に背を向けてずんずんと歩き出した。
全っ然わからない。
うんりょーって何?
人の名前?
なんで今、私はギリシャ彫刻に手をつながれてるんだろう?
「ちょっと離してください! どこへ連れて行くんですか!?」
逃れようと腕を引いたけれど、彼の骨ばった大きな手のひらはしっかりと私の手をとらえたままだ。
きれいな鼻梁の横顔はやっぱり無機質なのに、彼の手の意外なほどの温かさで私の鼓動は過剰な反応を示している。けれど、今は手をつながれてドキドキしてる場合じゃない。
「私を助けてくれたんじゃないんですか? これじゃあさっきの先輩と同じじゃないですか!」
「確かに先ほど俺は君を助けた。だから、助けた礼だと思ってついて来てほしいのだ」
お礼を要求されるなら、助けてもらわなかった方がマシだったんじゃないか。
さっきからグラウンドの奥へ向かっているし、人気のない所へ連れて行かれているみたい。
これはもしや乙女の貞操の危機なんじゃ――!?
冷や汗が背中をつたうのに、時折もつれそうになる足は手を引かれるままに歩みを進める。
全力で抵抗しきれないのは、きっとあの時トランペットを吹く彼に魅入られてしまったからだ。
野球部、サッカー部、陸上部が練習する横を通り抜け、校庭の端にあるプールの壁を沿うように歩き、壁の途切れたところを左へ曲がった。
そこに突如姿を現したのは――
文化財と言われたら納得するような、古い木造の洋館だった。
私の手をがっちりと握ったまま、背中を向けていたギリシャ彫刻が振り向いた。
切れ長の瞳が細められ、形の良い唇がやわらかに綻ぶ。
「ようこそ、 “うんりょー” へ」
無機質さが溶け去った甘やかな笑顔に、私は再び囚われた。
彼の背後に佇む “うんりょー” は、鬱蒼と枝を広げる大樹の下、無秩序に重なる楽器の音とのどやかな春の空気を纏い、確かに私を待っていた。
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