34 駆け出す恋心③

「お母さん。今度の日曜日なんだけど、晩ご飯いらないから」

「あらそう。お友達と食べて帰るの?」

「ていうか……。彼のお家にお呼ばれすることになって……」

「ええええっ!? お姉ちゃん、カレシいんのっ!?」


 ダイニングで夕飯を食べながら母と話していると、先に夕食を終えてテレビを観ていた妹の知景が割って入ってきた。


「ねえねえ、どんな人なの? イケメン!? 芸能人だと誰に似てるの? 写真とかないの?」

「誰にも似てないし、写真もないよ」

「えー、つまんない。じゃ、今度うちに連れてきてよ」

「まあ、今度、ね……」


「毎日朝早くからおにぎりを四つも握って出かけるのは、その彼のためだったのね」

 口ごもる私の向かいで、お母さんがにこにこしながら立ち上がる。

「お父さんが聞いたらそわそわしちゃうだろうし、まだ内緒にしておくからね。知景の言うように、今度うちにも遊びに連れていらっしゃい」

「うん。今度、ね……」


“今度” という機会はあるんだろうか。

 それは今週末に迫る鷹能先輩のご両親との面会にかかっている。


 先輩は「戸惑うことも色々とあるだろうが心配しなくていい」と言ってくれているけれど、海斗の口から私のことが伝わっている以上、マイナスポイントからのスタートであることは確定している。

 そんな私が志桜里さんと比べられて、勝てる要素なんてあるんだろうか。


 剣道の試合でだって、こんなに劣勢に追い込まれることはめったになかったし、精神的に脆いところのある私はそういう状況を挽回する力に欠けていた。鷹能先輩が見ていた大会で、竹刀を取り落とした時だってそうだった。


 けれども今回はそんなことは言っていられない。

 退かずに共に進むと、先輩と約束したから────


「ごちそうさま」

 湯呑みに残ったお茶を一気に飲み干すと、私はお皿を下げるために立ち上がった。


 🎶🎺🎶


 そして、とうとうやってきた日曜日。

 部活が終わり、うっちーとあゆむちゃんには二人で帰ってもらった後で、私はパーカス部屋で水色のワンピースに着替えた。

 先輩は制服のままで構わないって言っていたけれど、汗もかいたし、少しでも小綺麗に見せて好感度を上げたいもの。

 髪をハーフアップに結い直し、銀のイヤリングをつけてグロスをほんの少し唇にのせる。

 身支度を整えると、先輩の待つボーン部屋へと向かった。


「お待たせしました」

 声を掛けながら中へ入ると、私服姿に着替えた先輩がパイプ椅子からがたりと立ち上がった。

 長い脚を強調するダークグレーの細身のパンツに、白いカットソーの上に羽織った麻のカーディガン。

 雑誌から抜け出たみたいにかっこよすぎるんですけど!?


 思えば先輩の私服姿を見るのは初めてだ。素振りをする時の袴姿も素敵だけれど、線が細めのギリシャ彫刻が素地だから、こういうお洒落な洋服だって完璧に着こなしている。

 カジュアルな中にも上品さが溢れるのは、やっぱり育ちの良さが滲み出ているからなのだろう。


 そんな先輩が、私に向けて濃い桜色の笑みを零した。


「うむ……。可愛らしいな。知華らしくて、とてもいい」


 ストレートに褒められて、途端に顔に火が灯る。


「こっ、こんな感じで大丈夫ですかね?」

「大丈夫も何も、俺から見れば百点満点だ。凛として清らかな知華の可愛らしさがよく出ている」

「それは褒めすぎですよ」

「そんなことはない。このまま実家に直行するのが勿体無いくらいだ。時間さえ許せば、このまま二人でどこかへ出かけられるものを……」


 先輩の言葉に、ふと思う。

 そう言えば、先輩とはうんりょーか学校か、もしくはその行き帰りの道でしか会ったことがない。


 同じことに思い至ったのか、先輩は切れ長の瞳を細めて私を眼差した。


「コンクールが終わって落ち着いたら、夏休みにどこかへ出かけよう。行ってみたい場所を考えておいてくれ」


 それって、デートのお誘いってことでいいんだよね?

 そんなことを言われたらデートが楽しみになりすぎて、皆で頑張ってるコンクールなのに早く終わらないかなって思ってしまいそうだ。

 今の言葉は一旦聞かなかったことにして胸の奥にしまっておこう。


 甘い誘いを飲み込むように頷くと、先輩は私の肩にぽんと手を置き、「そろそろ武本が迎えに来る頃だ。外に出よう」と微笑んだ。


 🎶🎺🎶


 茜色の西の空を宵闇が塗り替えようとする中、私たちは武本さんの迎えの車に乗り込んだ。

 エンジンの音量が僅かに上がり、車が前へ進み出す。

 自分の状況も加速度を上げて前へ進み出したような気がして、鷹能先輩の隣で軽く居ずまいを正した。


「緊張しているか?」

 強ばった心をほどくように、低く穏やかな声色で先輩が問う。

「はい……。でも大丈夫です。変に取り繕ってもボロが出るだけだし、ありのままの私でお会いしようって開き直ってますから」


 思うままの言葉を真っ直ぐに向けると、微笑んだ先輩が腕を回して私の肩を引き寄せる。


「そうだな。知華ならば大丈夫だ。……俺にしてみれば、別の意味で少々心配ではあるが……」

「え? 今なんて?」

「いや。何でもない」


 車窓の外を流れる景色は、藤華学園高校に隣接する藤華大学の敷地から住宅街へと移っていく。


「……そう言えば、前に先輩にはお姉さんが二人いるって言ってましたよね。ご両親と一緒に住んでいるんですか?」

「いや。七つ上の姉はすでに結婚して家を出ているし、三つ上の姉はイギリスに留学中だ」

「そっかあ。じゃあ今日はお会いすることはないんですね」

「そうだな。俺の成人の儀には二人とも出席するから、知華にはその時に紹介することになるだろう」


 成人の儀──

 確か以前聞いた話では、鷹能先輩が十八歳の誕生日を迎えたその時に成人の儀を執り行って、婚約も済ませるってことだったな。


 ……って待って!?

 ってことは、その時には私は先輩の “婚約者” ってことで紹介されるんだよね?


 うんりょーでおにぎりを食べている時の雑談で、先輩のお誕生日は十月六日だと聞いている。

 今からおよそ三ヶ月後ということだ。


 前へ進み出したはいいけれど、周りの状況や自分の気持ちのスピードがちぐはぐで、上手く足並みが揃っていない気がする。

 それでも、もう退かないって決めたんだ。


 気を抜けば顔を覗かせそうな不安を心の隅に押し込めて、私の肩を抱く先輩の手の温もりと車の振動に意識を向けて目を閉じた。


「そろそろだな」

 先輩の声に目を開けると、窓の外に白い漆喰の壁が延々と続いていて、車が停まったかのような錯覚を覚える。


「この壁の向こうが俺の実家だ。まもなく正門に到着する」


 ひえっ。

 この壁の内側が全部敷地ってことですか!?

 敷地の中でオリエンテーリングができそうだ。


 先輩の言ったとおり、ほどなくして立派な構えの門が見えてきた。

 前で車を停めると、武本さんはさっと降りて門柱の脇に付けられたセキュリティボタンをポチポチと押す。

 すると重厚な木造の門の中心が割れ、ゆっくりと弧を描いて開いた。

 武本さんが再び車に乗り込み、枝を伸ばした大木がずらりと並んでアーチを作る中を徐行して進む。


 しばらくすると、木々の間から徐々に建物が見えてきた。

 テレビで観たことのある超高級旅館みたいな純和風で威厳のある佇まいが、柔らかい明かりに照らされて、格式の高さを漂わせている。


 車寄せに着くと、武本さんが再び降りて私の側の後部座席のドアを開けてくれた。

「ありがとうございます」と降りると、自分で車を降りた先輩が待っていて、私の手に指を絡ませる。


「行こう」

 先輩のやわらかい微笑みだけが唯一の心のよりどころだ。

「はいっ」

 緊張のあまり声が上ずる。

 手足が一緒に出そうになって、歩き方を忘れたような自分がちょっと情けなかった。

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