42 幼馴染みの愛と恋②

「海斗が私達を許せない理由……」


 正直に言ってしまえば、海斗に腹が立って仕方がない。

 会えば恨みの一言でも叩きつけなければ気が済まない。

 鷹能先輩のご両親だけでなくうっちーまで巻き込んで私達の邪魔をして、しまいには味方していたはずの志桜里さんの決心まで無視して、彼は一体何がしたいんだろう。


 拳を握りしめた私に、咲綾先輩は穏やかに告げた。


「海斗があなた達の婚約を許せない理由──。それはやっぱり相手があなただからよ。……正確に言えば、紫藤本家の嫡男の伴侶が、一般家庭で育ったあなたであるからなの」


「それってやっぱり、私の存在そのものが気に入らないってことですか……?」


「どうしてかわかる? 海斗にとって、家柄というのは絶対的な存在なの。ナンセンスだと思うだろうけれど、武本家は室町時代から紫藤家に使える重臣で、槇川藩では代々大老を務めていたほど紫藤家と繋がりが深いのよ。この現代においても紫藤家は武本家に絶対の信頼を寄せているし、武本家は紫藤家を支えるのは自分達だという誇りを持っている。やんちゃな海斗の中でも、紫藤本家は自分が無条件に敬う特別な存在なのよ」


「庶民の私には驚きの関係ですね……」

「海斗のお父さんである浩一郎さんにも会ったでしょう? 実直な人だから、長男の海斗には特に厳しくそれを教え込んだみたい。海斗自身もタカを兄のように慕っているから、余計に思い入れが強いのよね」


 海斗にとって特別な存在である鷹能先輩が、どこにでもいそうな平凡な家柄の私を選んだのが許せなかったということなのかな。

 咲綾先輩の考察はさらに続く。


「五年前、紫藤本家を継ぐタカの結婚相手としてしいちゃんが選ばれた。幼馴染みとして接してきたしいちゃんだったけれど、きっとその時から海斗の中では彼女も特別な存在になったのよね。……自分は決して手を伸ばしてはいけない、特別な存在に」


「えっ? それってどういう意味ですか……?」


 咲綾先輩の瞳が、魔力を放ったかのように意味深に煌めいた。

 美しい弧を描く唇の端がさらに吊り上げられる。


「海斗からすれば、しいちゃんがタカの結婚相手だと思っていたから、自分の気持ちを抑えることができていたの。……ううん。しいちゃんがタカしか見ていないことを痛いほどわかっていたから、自分の初恋が実らないことを受け入れる良い口実になっていたの。けれども知華ちゃんが現れて、いよいよタカがしいちゃんと結婚する可能性がなくなった。そうなると海斗としては困るのよ。タカの婚約者ではないしいちゃんを前にして、自分の気持ちに折り合いがつけられなくなるから。

しかも、武本家にとっては永遠の主君とも言える紫藤本家に一般家庭の娘が嫁ぐということになったら、水無瀬家のお嬢様に恋心を抱いてはいけない理由もなくなってしまうでしょう?」


 三人の幼馴染みである咲綾先輩の話を聞くと、海斗の切ない立場にいくらか同情してしまう。

 昔ならば身分違いの恋だと諦めるしかなかったのだろう。

 けれども今は現代だ。いくら紫藤家と武本家の関係が特別でも、海斗の思いを咎めることは誰にもできないはずだ。


「けど、それならば今からでも自分の気持ちを志桜里さんに伝えればいいんじゃないですか?」

「そうね。海斗が自分の気持ちを抑える必要はどこにもないわ。けれど、今さらそんなこと海斗にはできないでしょうね」


 そこまでの話を聞いて、私の中にジローラ……じゃなくって鷹能先輩のお父様の言葉が思い出された。


「アモーレの力……」


「知華ちゃん、何か言った?」

「咲綾先輩っ! 私、志桜里さんや海斗が前に進めるようにお手伝いがしたいです。幼馴染みのよしみで咲綾先輩も協力してもらえませんか?」

「え? それはいいけど……」

「そうと決まったら鷹能先輩にも協力してもらわなくちゃ! 早速呼びに行ってきます!」


 パイプ椅子からガタンと立ち上がる私を見上げて、咲綾先輩がころころと鈴が鳴るように笑った。


「知華ちゃんって、こうと決めたら一直線に前へ進んでいく子ね。そういうところは海斗と波長が合いそうよ」

「ええっ!? あんな猪突猛進の奴と一緒にしないでくださいよ!」


 聞き捨てならない一言に反論してから、私は鷹能先輩を呼びに男子部員が寝袋を敷いている二階ホールへと向かった。


 🎶🎺🎶


 その夜、咲綾先輩と鷹能先輩と三人で話し合った作戦は、一週間後の夕方に決行された。


 高校と市の中心部のちょうど中間地点に位置するカフェバーは、バータイムになる手前の時間帯で予想通り閑散としていた。

 鷹能先輩が座る席からは死角になる隅の一角に私と咲綾先輩が陣取る。


 しばらくすると、約束の時間の五分前に志桜里さんが店に入ってきた。

「しいちゃん!」

 咲綾先輩が声を掛けて手を振ると、それを見つけた彼女は可憐な微笑みを浮かべた。けれど、その向かいに座る私と目が合った途端に顔を強ばらせた。


「知華さん……。どうしてあなたがここに?」

「驚かせてすみません。実は咲綾先輩に頼んで私が志桜里さんを呼び出したんです」

「タカちゃんのことは諦めると先日彼にお伝えしました。もうあなた達の邪魔をする気は……」


 華奢な肩を震わせ瞳を潤ませる志桜里さんに、私は慌てて笑顔で説明した。


「今日は別件で用事があるんです! 鷹能先輩は少し離れたあっちの座席にいるんですけれど、今から鷹能先輩と会う人物の話を聞いてほしくって」

「タカちゃんと会う人物……?」


 身を乗り出して鷹能先輩の座る席を覗くと、志桜里さんもおずおずと同じ方向を見る。

 一人でコーヒーを飲んでいる鷹能先輩がこちらに気づいて片手を挙げた。

 先輩の姿を見てさらに動揺し、今にも零れ落ちそうな涙を瞳に溜める志桜里さんに胸が痛むけれど、この作戦が成功すればきっと彼女の心も軽くなるはずだ。


「しいちゃん、まずはゆっくりお茶でもしましょう?」

 咲綾先輩が紅茶を片手に優美に微笑むと、志桜里さんは戸惑いつつも頷いて、咲綾先輩の隣に腰掛けた。


 大輪の百合と可憐な蘭。

 二人の美女を前にして、こんな人達を従姉や幼馴染みにもつ鷹能先輩がよく私なんかを選んだものだと、卑屈を通り越して純粋に世の中の不思議を実感する。

 思わず見蕩れつつアイスカフェラテを飲んでいると、「海斗!」とターゲットの名を呼ぶ先輩の声がした。


「えっ!? カイちゃん……?」

 その名を聞いて思わず声を上げた志桜里さんに向かって、咲綾先輩が「しーっ」と人差し指を唇にあてた。

 大きな瞳を揺らして動揺しつつも、志桜里さんはこくんと頷いて居住まいを正す。

 三人で聞き耳を立てると、あからさまに不機嫌そうな海斗の声が聞こえてきた。


咲綾さあちゃんからの呼び出しだと思って来てみれば、タカちゃんだったのかよ……」

「すまんな。俺からの連絡には応答するつもりがないようなので、咲綾に連絡を頼んだのだ」

「今さら何の用? 説得ならば聞く耳持たないけど」

「説得ではなく相談があってお前を呼び出したのだ。……志桜里の今後についてのことなんだが」


 先輩の言葉に、志桜里さんの肩がびくんと跳ねる。

 しばらくの沈黙の後、ガタガタと椅子を引く音がした。

 鷹能先輩と話をする気になった海斗が席についたらしい。

 すぐにアイスコーヒーを注文すると、海斗の方から話を切り出した。


「……で? 婚約を断ってしいちゃんの未来予想をぶち壊したタカちゃんが、今さら彼女の未来の何を語るんだよ?」


 こんなに乱暴な口の利き方をして、彼は本当に鷹能先輩を敬っているんだろうか。

 そんな私の苛立ちはよそに、鷹能先輩は淡々と受け答える。


「確かに、俺には志桜里の未来を語る資格はない。……だから、彼女の未来をお前に託したいのだ、海斗」

「え……っ」


 明らかに困惑した様子の声が漏れる。

 目の前に座る志桜里さんも、大きな瞳を見開いた後に再び肩を震わせ出した。


「元華族の名家に生まれ蝶よ花よと大切に育てられてきた志桜里は、外の世界を知らずに過ごしてきたいわば籠の中の小鳥だ。もしも俺との結婚が決まっていれば、彼女は一生籠から出ないまま自分の世界の狭さに気づくことがなかっただろう」

「籠の中の鳥が外の世界を知らなければいけないなんてことはないんじゃないの? 本人が幸せならば、狭い世界から出る必要はないだろ」

「その狭い世界にしか自分の幸せが存在しないと思い込むのは彼女にとって良いことだろうか。彼女はもっと外の世界を知り、幸せになる可能性が数多く存在することを知るべきだ。そのために、海斗には志桜里の傍にいて彼女を支えてやってほしいのだ」

「どうして俺がしいちゃんを支えなきゃいけないんだよ……」


 動揺で僅かに震えるハスキーボイスは、語気の荒々しさが削がれている。

 間を置いて、鷹能先輩の低く穏やかな声が聞こえてきた。


「海斗。お前には志桜里に対して他の誰よりも強い気持ちがあるからだ。お前の愛の力があれば、志桜里はきっと籠の外へと羽ばたける」


 鷹能先輩の言葉に、志桜里さんが驚いて顔を上げた。


 沈黙が空気を支配する。

 その後に、「何言ってんだよ……」と苦しげな声が絞り出された。

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