20 もっと踏み込みたい気持ち①

「知華ちゃん……。最近なんか変だよ? 教室でも部活でも上の空のことが多いし、時々何かを思い出したみたいにいきなり顔を赤らめるし」


 部活上がりの帰り道、うっちーが突然私の顔を覗きんできてそう言った。


「ふえっ!? そそそそう!? 別に、何もないよ?」

「ほらぁ。その反応、なーんか怪しいんだよなあ。最近紫藤先輩が俺を見る時の勝ち誇ったような目つきも気になるし……」


 さすがにそれはうっちーの被害妄想だと思うけれど、私が最近上の空なのは事実だ。


“知華が踏み込む決意を固めてくれるのならば、俺はそれを全力で受け止めよう”


 そう言って私を抱きしめたあの日から、鷹能先輩の糖度がダダ上がりで、私の中で飽和してしまっているのだ。


 あの日、私が握ってきた不恰好なおにぎりを嬉しそうに食べてくれた鷹能先輩。

「一人で向かう食卓に慣れていたが、こうして知華と二人で食べる朝食も穏やかでいいものだな」

 濃い桜色の微笑みをのせて私を見つめ、

「これからも時々でいいから一緒に朝ごはんを食べたい」

 などと言われたら、抱きしめられて思考がフリーズしたままの私には頷くのが精一杯で。


 それから平日は毎朝私がおにぎりを持参し、先輩がボーン部屋で卵料理と味噌汁を作ってくれて一緒に朝ごはんを食べているのだ。


 雑多な音を纏った賑やかな部活中と違い、朝の青雲寮はとても静かで落ち着いた空間で、そこで先輩と過ごすひとときは窓から差し込む朝日のようにキラキラと輝いている。

 そんな朝のうんりょーでは先輩の無機質さは穏やかな雰囲気の中に溶け去り、様々な表情を見せてくれる。

 おにぎりを美味しそうに頬張ったり、私の話を興味深そうに聞いてくれたり、トミー先輩や霧生先輩とのやり取りを面白そうに話してくれたり。中でも料理の話になると先輩はとても熱っぽくなって、家庭科の調理実習くらいしか経験のない私にもその奥深さを一生懸命教えてくれる。


 先輩のどんな表情も鮮烈な煌めきを放っていて、ついその横顔に見入ってしまうのだけれど、ふと目が合ってこちらを向いた時の先輩の表情が──


 琥珀系の茶色の瞳の中に私の姿を閉じ込め、普段は引き結ばれている形の良い唇が桜色の笑みをのせて綻んで────


「あぁっ!! 知華ちゃん、今絶対何か思い出したでしょ!! 何思い浮かべてんのっ!?」

「ななななんでもないってば」

「嘘だぁっ! 俺がどんなに傍に寄ってもそんな真っ赤な顔したことないのに! おかしいよなぁ、角田っ!?」

「……内山田君、それ以上嫌われたくなかったらあまりしつこく追及しない方が……」

「それ以上って何!? 俺、知華ちゃんに嫌われてんの!? そんなことないよねえっ!? 知華ちゃん!? ちょ、知華ちゃんってば!! カムバーック!!」


 その時すでに私の頭の中は鷹能先輩の甘やかなスマイルが容量いっぱいにまで広がっていて、取り乱すうっちーの声を認識する余裕はどこにも残されていなかった。


 🎶🎺🎶


「……で、今日も知華はうんりょーでラブラブ朝ごはんを食べてきましたよ、ってことで締まりのない笑顔を浮かべっぱなしなのね」


 昼休み。いつものように前後に並ぶ互いの机を向かい合わせてお弁当を食べ始めると、呆れ顔の茉希がジト目をこちらに向けてきた。


「ちょっと茉希、いつの間にそんな毒舌キャラを確立させたわけ? 確かに鷹能先輩と朝ごはんは食べてきたけど、先輩と普通にお話して、先輩の素振りの美しさに見蕩れてきただけだよ」

「そりゃあ毎日昼休みにその “にへらぁ” っとした顔を目の前で晒されてたら毒舌にもなるってものよ。しかも、よりによってヤバい噂のあったあの先輩と付き合い始めたなんて」

「その噂の真相はちゃんと先輩から聞いた事実を茉希にも伝えたじゃない。咲綾部長を助けるための(若干過剰な)正当防衛だったって。それに……先輩と私は付き合ってるってわけじゃ……」


 曖昧さをごまかすために、最後まで言い切らないうちにサンドイッチを口いっぱいに頬張る私。


 毎朝二人で朝ごはんを食べて、一緒に食器を片付けて、先輩の素振りを見学して────


 そんな幸せな朝のひとときがゴールデンウィークをはさんで約一ヶ月続いているのだけれど、ただそれだけと言えばそれだけだ。


 それって付き合ってるって言えるのかな?


 第一、私の気持ちはあのイノシシの喩えの告白もどきで先輩に伝わってるような気がするけれど、先輩の気持ちってどうなんだろう────


“君の凛とした横顔を再び見たい”

“踏み込む決意を固めたのなら全力で受け止める”


 ドキドキする言葉や眼差し。

 甘やかな笑顔。

 ふんわりと回された腕。


 期待するには十分だけれど、確信するには心もとなくて。


 思いきって壁を突き破ってみたものの、スライムみたいにふにゃりとした足場に着地して停滞しているような、そんな戸惑いが滲んでいるのも確かだった。


 🎶🎺🎶


「文化祭ステージに向けた講堂でのリハーサルは再来週の火曜日に決定しました。打楽器の運搬は男子部員、譜面台の運搬は女子部員が手分けして行ってください」

「はーい」

「以上で本日の部活動を終了します」

「お疲れ様でしたー」


 練習後のミーティングが終わり、帰り支度をするために皆がばらばらと各パート部屋へ戻る中、打楽器の片付けをしている私に鷹能先輩が声をかけてきた。


「知華。親御さんとは連絡が取れたか?」

「はい。今日は食べてきて大丈夫だって言ってました」

「そうか、では片付けが終わったらボーン部屋でな」

「はい!」


「えっ!? 今日何かあるんですか!? また焼肉とか?」

 私と先輩のやり取りを聞きつけ、うっちーがぐいっと割って入ってきた。


「……トミーや霧生達とお好み焼きパーティをするから知華も誘ったのだ」

 以前の鷹能先輩ならば問答無用の冷徹さでうっちーを突っぱねていたはずだけれど、今日の先輩は機嫌が良いのか、心底迷惑そうな顔をあからさまに向けただけだ。

 そこに隙を見つけたのか、うっちーがキラッキラの笑顔で先輩に取り入ろうとする。

「なら、今日は俺も参加していいっすか!? こう見えてお好み焼きひっくり返すの上手いんですよ、俺!」


 うっちーってば勇者なのか、はたまた学習しないだけなのか。

 せっかく穏便にすみそうだったのに、そんなにグイグイいったら先輩がアナコンダ化するんじゃなかろうか。


 ハラハラしつつ横目で見ると、当の先輩は意外なほど穏やかで、むしろ余裕たっぷりな笑みすら浮かべている。

「まあ、今日はトミーが葉山やマナミーズも誘っているようだし、パーカスでお前だけ呼ばないのも可哀想だからな。知華のクラスメイト風情枠ということで特別に参加を認めてやろう」


 先輩のその言葉にほっとして、「よかったね! うっちー」と声をかけたのだけれど、今度はうっちーが面白くなさそうな顔をしている。


「ほら出たよ、その勝ち誇ったような表情! 言っときますけど勝負はまだついてませんからねっ!」

 そう先輩に言い放ち、「ねっ、知華ちゃん」と何故か私に振ってくる。


 はあ……この二人って、なんでこんなに噛み合わないんだろう。

 思わずため息が漏れたけど、さっきの先輩の言葉でふと思いついたことがあった。


「鷹能先輩、さっき今日は葉山先輩も参加するって言ってましたよね?」

「ああ、そう聞いている」

「チューバの角田さんも誘っていいですか? 私とうっちーがうんりょーに残ったら、いつも一緒に帰っている彼女が一人になっちゃうし」

「それはもちろん構わない」

「やった! じゃああゆむちゃんも誘ってきますね!」


 あゆむちゃんはクラリネットの男装の麗人、葉山先輩に憧れてるんだもんね。

 ちょくちょく顔を赤くして先輩を目で追ってるし、誘ってあげれば葉山先輩とお近づきになれるチャンスを喜ぶはず。


 こうして、この日のお好み焼きパーティは人数が増えたために高校から近い秋山先輩のお家から急遽ホットプレートを借りてくることとなり、ボーン部屋の大きな調理台の上にプレート二台体制を取って開催されることになった。

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