第四楽章 終曲 ~うんりょーの恋人たち~
38 合宿の夜①
「皆さん、今日は地区大会お疲れ様でした! 結果は金賞受賞、しかも一位ということで、まずは第一目標突破ですね」
地区大会終了後に乗り込んだ大型バスが市民文化センターを出発すると、咲綾部長がさっそくマイクで部員に語りかけた。
盛大な拍手と共に「うぇーい!」「おつかれー!」などの声が飛び交う。
文化祭のステージとは全く違う空気が漂う大ホール。他校のライバル達が客席を埋め尽くす中、初めて経験したコンクール本番は独特の緊張感が胸にせり上がり、夢の中にいるような浮遊感と必死に掻き集めた集中力とのせめぎ合いの中であっという間に終わってしまった。
もっと良い音が出せていたかもしれない、あの音が少し遅れていたかもしれない、などと思い返すと存分に力を出し切れたとは言えない。
けれども、これまで積み重ねてきたものを曲の形に織り成して聴衆へとぶつけていく真剣勝負は、熱くまぶしい照明の下、部員四十三名の心がトミー先輩の振るタクトの先に向かって一つになった充実感を確かに味わわせてくれた。
咲綾先輩からマイクを奪ったトミー先輩が咆哮を上げる。
「俺たち藤華学園高吹奏楽部はこんなもんじゃ終わらねえぜ! 次は県大会で金賞獲って、地方支部大会へと行ってみせるぜっっ!!」
「「「おおーっ!」」」
「明後日は終業式だ! 夏休み初日にうんりょーで合宿するぜっ! 練習もみっちり入ってるけど、せっかくのお泊りだ。楽しい思い出いっぱい作ろうぜっっ!!」
「「「うぃぃーっ!!」」」
「そうそうっ! 合宿のお楽しみイベントとして、バーベキューと肝だめ……」
「トミー! 合宿の話は別の時にしてちょうだい! これからいただいた講評を読み上げなきゃいけないんだから」
調子に乗ったトミー先輩が咲綾先輩に叱られて、テヘペロしながらマイクを返す。
くすりと笑いながらその様子を見ていたら、トミー先輩の隣に座っていた鷹能先輩がこちらを振り返って私を見た。
先輩の視界に囲い込まれて、思わずどぎまぎしてしまう。恥ずかしくて目を逸らそうとした瞬間に桜色の微笑みを向けられて、心臓が暴発しそうになった。
🎶🎺🎶
高校に到着後、トラックで搬送された楽器をうんりょーに運び込み、ミーティングの後に解散となった。
うっちーとあゆむちゃんとうんりょーを出て、三人で地区大会での受賞の喜びや演奏中の緊張感や高揚感を分かち合いながら駅前まで歩いてきた時だった。
「角田。俺、知華ちゃんと二人で話がしたいんだ。悪いけど今日はここから一人で帰ってくれないかな?」
ぴたりと歩みを止め、いつになく表情を強張らせたうっちーに、私は首を傾げた。
「あゆむちゃんがいたら話せないことなの?」
「うん……。紫藤先輩のことで、ちょっと話したいことがあって」
「鷹能先輩のこと……?」
「ま、まだ暗くなってないですし、私なら全然大丈夫ですっ!」
あゆむちゃんが私達を交互に見ながら、おどおどとフォローを入れる。
うっちーの様子がいつもと違うので私もあゆむちゃんを引き留めることはせず、早足で去っていく彼女に手を振りその場に留まった。
「落ち着いたところで話がしたいんだ。そこの喫茶店まで付き合ってもらっていい?」
「うん」
横断歩道を渡って以前海斗と志桜里さんに会ったあの喫茶店に入り、四人掛けのボックス席に向い合せで座る。
「話って何……?」
アイスティーを二つ注文した後に切り出すと、強張った表情のままのうっちーが顔を上げた。
「……知華ちゃん、武本海斗は知ってるよね? 以前知華ちゃんをこの駅まで待ち伏せしてたし」
「えっ……」
あの時海斗を見かけただけのうっちーが、なぜ彼の名前を知っているんだろう。
「実はこないだ部活の帰りに堂内駅で降りたらそいつが待ち構えてて、俺に話しかけてきたんだ」
「海斗がうっちーに……? どうして?」
「結論から言うと、知華ちゃんを紫藤先輩から引き離すように言われた」
「そんな……っ」
海斗の名前が出てきた時点で嫌な予感はしていたけれど、まさかあいつがうっちーにまで接触してくるなんて――――
「紫藤先輩があの紫藤グループの跡取り息子だってことも初めて聞いたよ。部室に住んでるなんてどんな素性の人だろうって思ってたけど、そんなすごい家柄だったなんて驚いた。……それから、先輩に婚約者がいることも聞いた」
苦々しげなうっちーの眼差しに、私の背筋が固くなる。
「うっちー。それは誤解だよ。先輩は志桜里さんのこと……」
「金持ちの家同士が決めた結婚で、三か月後には婚約が決まるんだろう? 紫藤先輩はどういうつもりで知華ちゃんに言い寄ってるんだよ!?」
「だから誤解なんだってば。鷹能先輩は志桜里さんとの婚約を五年前に断ってるの。そして、私と婚約したいって思ってくれてるの」
「婚約を断ったのは、紫藤先輩のわがままなんだろ? 第一、知華ちゃんはこの歳で本当に結婚なんて大事なことを決めちゃっていいの?」
「それは……っ」
うっちーに真っ直ぐに見据えられて、すぐに首を縦に振ることができなかった。
先輩が好き。
先輩が手を差し出してくれるならば、その手をとって一緒に前に進みたい。
先輩の背負う荷物を少しでも軽くできるのが私ならば、怯むことなくそれを受け入れたい。
けれども、その気持ちが「結婚」というこの先何十年も死ぬまで変わることのない形に相応しいものだと、そう言い切ることには躊躇いがある。
言い淀んだ私に、それ見たことかとうっちーが畳み掛ける。
「まだ引き返せるんだろ? 海斗って奴が言ってたよ。今ならまだ誰に迷惑をかけることもなくなかったことにできるって。紫藤先輩のわがままに付き合って、知華ちゃんが自分の人生を犠牲にする必要なんてないよ」
「私は犠牲になんかなってないよ! どうして海斗なんかの話を鵜呑みにするの!?」
「俺にとってその方が都合がいいからだよっ!!」
感情的に放った言葉に、うっちーの剥き出しの感情がさらに被せられた。
「うっちー……?」
「だって納得できないだろ? 諦めきれないだろ!? 俺、知華ちゃんにまだちゃんと気持ち伝えてないのにさ……」
「それってどういう……」
「いい加減気づいてよ。俺、知華ちゃんが好きだ。紫藤先輩に負けないくらい好きなんだ」
心に溜まった感情を絞り出したかのように掠れた声。
重苦しく漂う空気を嫌うように、グラスの氷がカランと小さな音を立てた。
「うっちー……。気持ちは嬉しいけれど、私は鷹能先輩のことが……」
「わかってる。けど、知華ちゃんのためにも、結婚なんて今決めない方が絶対にいい。高校生なら高校生らしい恋愛の形があるはずだよ。将来のことはふんわりした夢として語り合いながらデートしたり電話したり……。そういうのが身の丈に合った幸せなんじゃないのかな」
鷹能先輩のお家の事情を知るまでは、私も確かにそんな恋に憧れていた。
「これは海斗って奴に頼まれたから言ってるわけじゃないんだ。知華ちゃんのこと本気で思ってるし、本気で心配してるってことをわかってほしい」
「うん……」
「知華ちゃんにとってどういう人生が幸せなのか、焦らずにきちんと考えた方がいいよ」
「…………」
うっちーの真摯な言葉にどう返していいのかわからない。
鷹能先輩のことを好きだって気づいたのは先輩を取り巻く環境を知った後で、そこに飛び込んたらどうなるかもわかった上で覚悟したはずだ。
後戻りはできない、したくないという一心で、悲しみにくれる志桜里さんの前でも譲らず、婚約を前提にご両親にも会ってきた。
でも、それは鷹能先輩が私にいつも手を差し伸べてくれたからだ。
繋いだその手がもし離れても、私は立ち止まらずに前へ進んでいけるのだろうか。
「しっかし今日も暑かったよなぁ。楽器運んだらめっちゃ汗かいたよ」
のしかかる空気を払い除けるように明るいトーンでそう言うと、うっちーはアイスティーを一気に飲み干した。
先輩の瞳によく似た濃い琥珀色の液体が、ダウンライトの光を含んで煌めいている。
目の前のグラスに手を伸ばすと、透き通った氷が再びカランと優しい音を立てた。
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