Intermezzo ~Tommy' s side~

37 アモーレの力

 コンクールの地区大会までいよいよあと一週間というところまできた。


 細かい点ではまだまだ追求や向上の余地があるものの、課題曲・自由曲とも仕上がりはそこそこ順調だ。

 この地区大会で金賞を取り県大会へ進めば夏休みに突入し、うんりょーでの合宿が予定されている。

 長い練習時間が確保できれば、俺が一つ一つのパート練習に顔を出して細かくチェックができるようになる。

 今のうちに各パートのチェック項目を書き出しておくことにするか。


 そんなことを考え、皆が帰宅した後のボーン部屋で総譜スコアの総ざらいをしていた時だった。


「トミー、今日も居残りか」


 部活後スーパーへ夕食の買い出しに行っていたタカちゃんが、マイバッグをぶら下げて戻ってきた。


「あ、おかえりー。まあね、地区大会突破後の練習内容もそろそろ考えておかなくちゃと思ってさ」

「精が出るな。遅くなるようならば夕食を食べていくか?」

「えっ!? いいのっ!? タカちゃんマジ神!! ちなみに今日の献立は?」

「さんまの梅おかか煮と小松菜のお浸し、それにご飯と味噌汁と香の物がついた定食で税抜き八百円だ」

「食堂かよっ!」


 俺のツッコミにタカちゃんはははっと軽く笑うと、早速エプロンを身につけ夕食の支度を始めた。

 お袋に夕食不要の連絡を入れつつ、ちらと彼の横顔を窺う。


 先週末、知華ちゃんを実家の両親に会わせたと言っていたけれど、その後どうなったんだろう。

 彼女と相変わらず仲良くしているところを見ると会食はそれなりに上手くいったんじゃないかと思うけれど、ふとした時にタカちゃんが物思いに耽っていることがある。

 何か問題でもあったんだろうか。


 親友として気がかりではある。

 けれどタカちゃんはあれこれ詮索されるのが嫌いだし、俺の咲綾への思いも知っているくせに彼から話を振ってくることは滅多にない。


 トントンとリズミカルな包丁の音がボーン部屋に響く中、俺は再び意識を総譜に向けた。


 やがて魚を煮つける良い匂いが空腹を刺激してきた。

「そろそろ出来上がるぞ。広げた総譜を片付けてくれ」

「ほいほーい」

 部屋の真ん中に据えられた大きな調理台の隅に片付けると、湯気の立つ皿が手際よく並んでいく。

 美味そうな照りを出したさんまが二尾。スーパーに行く前から俺の夕飯まで用意するつもりでいてくれたんだな。


「美味そーっ! いただきます!」

 手を合わせてから箸を取り、くだらない雑談でもしながら飯を食おうとした時だった。


「トミーは、咲綾とのことは今後どうするつもりだ?」

「ぶほぉっ!!……ゲホッ! ゴホゴホッ」


 何の前振りもなく放たれた直球に、味噌汁が気管に入ってしまった。


「ちょ……、何だよ、藪から棒に」

「いや。今年はコンクールに賭けるお前の情熱が並々ならない気がしてな。咲綾と何かしらのやり取りがあったのではないかと思ってな」

「……特に咲綾と何かあった訳じゃないさ。ただ、俺としては咲綾に相応しい男になるために、このコンクールで何としても良い成績を収めたい」

「咲綾に相応しい男か……。具体的にはどういう男を目指している?」

「プロの指揮者になろうと思ってるんだ。そのために学生指揮者としての実績を積んだ上で、霞音大の指揮科を受験しようと思っている」

「なるほど。叔父上はクラシック音楽への造詣が深いからな。指揮者として成功すればあの厳格な叔父上のお眼鏡に叶うかもしれん。しかし霞音大の指揮科は募集人数が少なくかなりの難関だろう?」

「だからこそ学指揮としての実績が欲しいんだよ。二次試験の面接でアピールできるだろ?」


 俺の話をそこまで聞くと、タカちゃんは箸で漬物をつまんだまままじまじと俺の顔を見つめながらポツリと呟いた。


「咲綾への愛のなせる技か……」

「そっ、そんな照れくさいこと言うなよっ! コンクール上位入賞を目指すのはそのためだけじゃないさ。大会に勝ち進めば、それだけ俺ら三年生も長く部活が続けられるだろ? エスカレーター進学組はどうせ夏休み暇なんだし、ちょっとでも楽しい時間を過ごしたいじゃん。それに、後輩達の自信ややる気にも繋がっていくしさ」

「ふむ……。まさにアモーレの力が周囲にも影響を及ぼすパターンだな」

「……タカちゃん、熱でも出たのか? さっきから愛だのアモーレだの、小っ恥ずかしいワードを連発してるんだけど」


 普段はおよそ口にしなさそうな単語を連発する彼を見やると、箸を止めてまたしても物思いに耽るような顔をしている。


「知華ちゃんを実家に連れて行った時になんかあったの?」

 タカちゃんの様子がいつもの感じじゃないから、俺の方も気になっていたことを単刀直入に尋ねてみた。

 タカちゃんは止めていた箸を口に運ぶとぽりぽりと漬物を噛みながら言葉を選ぶようにくうを見つめた。


「父から、俺達には愛が足りないと言われてな」

「……は? タカちゃんの親父さんって、そんなこと言う人なの?」

「小さな頃から、俺と父は全く似ていないと思っていた。俺は祖父や叔父と似た堅物の部類だと思っていたんだがな。知華に再会し彼女の魅力に触れるうちに、やはり自分には父の血を引いている部分があるように感じ始めた」

「親父さんの血って、どんな血よ?」

「愛する女性に対して非常に情熱的なのだ。……息子である俺が引くほどに」


 ……ここは恐らく笑うポイントじゃないよな?

 口角を緩めまいと、俺も漬物を口に突っ込んで奥歯で噛み始める。

 タカちゃんは大真面目に言葉を続けた。


「父がそのような人間でも、母もまた情熱的な気質であるから釣り合いが取れていて良かったのだ。しかし、知華はそういうタイプではない。俺が父親譲りの愛情を押しつけたら、初心な彼女は余計に尻込みしてしまうのではないかと心配なのだ。“共に進む” と誓ってくれたが、程度というものがあるだろう」

「ぶはっ!!」


 タカちゃんらしからぬ悩みに、とうとう耐えきれずに吹き出してしまった。

 口に入れたばかりのご飯粒が飛び出し、タカちゃんがめちゃくちゃ迷惑そうに顔を顰めた。


「……俺が真剣に悩んでいるのがそんなに可笑しいのか」

「ごめんごめん! けど、俺は見てみたいなあ。堅物のタカちゃんが知華ちゃんに情熱的に迫るとこを」

「お前はそれを見て面白いかもしれんが、当の知華はどうなんだ? ただでさえ俺の存在を知ってまだ三ヶ月の彼女に婚約を迫っているのに、その上過度な愛情をぶつけたりしたら余計な重荷を課すことにならないだろうか」

「タカちゃん……っ! なんか俺がキュンキュンしてきたぁっ!!」

「おいっ! 飯粒を顎につけたまま抱きつくのはやめろっ!!」


 珍しく頬を濃く染めて悩むタカちゃんこそ初心で可愛いな。

 ティッシュを渡され、飯粒を取りながら俺なりのアドバイスを考える。


「確かに知華ちゃんからしたら色々戸惑うことも多いんだろうけどさ。悩みながらもタカちゃんについてきてくれるって言ったんだろ? そんな彼女の悩みや不安を吹き飛ばすには、やっぱりタカちゃんからの強い愛が必要だと思うのよ」

「強い愛……」

「うん。もちろん、最終的にそこを乗り越えるのは彼女自身のタカちゃんへの愛が必要なんだけど、それを育むためにはタカちゃんからいっぱい愛を注ぐ必要があるんじゃない?」

「知華に引かれたりはしないだろうか?」

「今さらタカちゃんに迫られて引くくらいなら、タカちゃんの境遇を知った時点で既にドン引きしてるだろ」

「そうか……。そうかもしれんな」


 タカちゃんの端正な顔が安堵で緩む。

 知華ちゃんが現れてから、彼の表情は随分と豊かになった。

 タカちゃん自身はアモーレの力とやらで既に変わり始めているんだろう。


「いいなあ……タカちゃん達は、既に気持ちがお互いを向いててさ。覚悟はしていても、一方通行はやっぱキツいわ」


 思わずぽつりと零すと、タカちゃんは反撃とばかりにニヤリと口角を上げた。


「トミーこそアモーレの力がまだ足りないのではないか? 咲綾のためにお前がこれだけ頑張っていることを彼女にもっとアピールすべきだと思うが」

「なんか、そういうのを自分で言っちゃうのってカッコ悪くない? 咲綾には語らずとも俺の背中を見て気づいて欲しいんだけどなあ」

「俺もお前も何でも器用にこなす方だが、恋愛となると途端に不器用になるようだな」


 ははっ、とタカちゃんが短く笑う。

 本当にそのとおりだな、と俺は思う。


 俺の思いが咲綾にいつか変化をもたらすことを期待したい。


 アモーレの力、俺も信じてもうひと頑張りしてみるかな────


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