Intermezzo ~Tommy' s side~

44 俺達のアモーレ

 コンクール地区大会から二週間が経ち、いよいよ明日は県大会の本番となる。

 昨年はこの県大会で金賞を獲ったものの、地方支部大会へ進出する枠には入れない、いわゆる「ダメ金」だった。

 その悔しさをバネに一年間皆で頑張ってきたわけだけれども、皆と共により高みを目指していくことの意義には、俺個人の若干よこしまな目的が混じり込んでいる。


 学生指揮者として名を馳せ、プロ指揮者を目指す上での足がかりにしたい。


 俺が第一志望にしている霞音大の指揮科は、数多くの有名指揮者を輩出している少数精鋭の人気校だ。

 調音や新曲視唱、課題曲指揮や総譜初見演奏、楽典などなど、クリアしなければならない試験が数多くあるのだが、その中でも面接で指揮の実績をアピールすることはかなり有効だと聞いている。

 そのためにも、今年こそは地方支部大会に進出、あわよくば全国大会出場を果たし、受験に有利となる実績を作りたい。


 ここまでの期間でどのパートも地区大会の時よりも完成度が高められたと思う。細かいことを挙げればキリがないのだが、高校生の技術で指揮者の要求する演奏を全員が行うというのは至難の業だ。

 後は皆がうんりょーで練習している時のようにのびのびと演奏できるよう、皆の力を最大限に発揮できるようタクトを振るだけだ。


 そう考えつつ、部活の終わったうんりょーの二階ホールで、頭の中で曲を再生しながら一人指揮の練習をしていた時だった。


「トミー、今日も居残り?」


 階段を上がってくる音には気づかなかったが、鈴の鳴るような声音に顔を上げると、咲綾がひょっこり顔を覗かせていた。


「明日はいよいよ本番だし、俺が緊張して指揮を間違えるわけにいかないしね! そういう咲綾こそこの時間までいるなんて珍しいじゃん。迎えの車はまだ来ないのか?」

「ええ。今日は個人練習のために時間を少しずらしてもらったの」

「なんだー。咲綾がいるって知ってたら、俺もフルート部屋で練習したのに」

「あんな狭いところで思い切り腕を振られたら邪魔になって仕方ないわよ」


 いつもどおりの軽口の言い合い。

 俺達がこんなやり取りをうんりょーでできるのも、コンクールが終わるまでになる。


 部活を引退したら、咲綾は華道や茶道、日舞に薙刀、料理といった花嫁修行に毎日忙しくなり、大好きなフルートを吹いたり友人と気安い会話をする機会がぐんと減るらしい。せっかくの高校生活なんだから、できるだけ大好きな部活動に没頭する時間を作ってやりたい。


 それに俺達だって部長と副部長という名目で交わす会話がなくなるし、校舎で会うことはあっても長い時間一緒にいられることはなくなるし……。

 そういう意味でも、やっぱり県大会で敗退するわけにはいかないんだよな。


 そんな思いを新たにしつつ総譜に目を向け、曲を脳内再生する。

 仲間達の奏でる一音一音が鮮明に甦り、重なりはフレーズとなり、曲として滑らかに流れ始め────


「トミー」

「おわっ!? びっくりしたぁ! 咲綾まだそこにいたの?」

「失礼ね。話の途中でトミーが勝手にトリップしたんじゃないの」

「あ、そうだっけ?」

「もう……。指揮のことになると人が変わるくらい熱心になるわよね」

「まあね。指揮には俺のアモーレを注いでいるからね」


 音楽への愛。仲間への愛。そして咲綾への愛。

 それら全てを指揮に込め、俺はコンクールの二曲に全身全霊を傾けている。


「んで、俺に何か用? ……って、どうした? 顔が赤いぞ」


 ふと咲綾を見ると、雪女かと思うほど俺の前ではクールな咲綾が珍しく頬を染めている。


「アモーレって……。どうしてトミーがその言葉を……?」

「あ、ちょっとキザっぽかった? タカちゃんの受け売りなんだ。タカちゃんが言うとかっこいいんだけど、俺の口から出た途端ギャグっぽくなるという不思議」

「そんな照れ隠しはどうでもいいわ。指揮にアモーレを注いでるって、どういう意味なの?」


 黒水晶のような咲綾の瞳が熱っぽく揺れている。

 こんな表情の咲綾を見るのは初めてで、俺の心臓は途端に跳ね上がった。


「言葉のまんまだよ。音楽や仲間へのアモーレももちろん注いでいるが、一番の原動力は咲綾、お前へのアモーレだよ」


 いつものように冗談で受け流されるかと思ったのに、視線が絡まった途端、頬を紅潮させた咲綾が逃げるように瞳を逸らした。


 なんだ……? そんな反応をされたら、こっちまでドキドキしちゃうじゃないか。


「……トミーが指揮に没頭するのは、音楽や部活が大好きだからという理由だけだと思っていたわ。でも、私のために指揮を頑張って何になるの? 将来のことを考えたら、もっと他にするべきことがあるんじゃないかしら」

「もちろん将来のことを考えた上でのことさ。音楽しか取り柄のない俺が咲綾に相応しい男になって認めてもらうには、指揮者として名を挙げるしかないと思ったんだ」

「……じゃあ、外部受験するって、まさか」

「うん。霞音大の指揮科を受けるつもり。指揮者になっても最初は無名だろうけど、実績積んでのし上がって、ゆくゆくは世界の有名オケに招かれるようなビッグな指揮者になってみせるぜ! だから咲綾、それまで待っていてほし……」

「何言ってるのよ……。そこまで待てって、この私を一体どれほど待たせるつもりなのよっ!」

「えっ……?」


 ひゅごおおおぉぉっっ


 艶っぽく恥じらう姿から一変、久々のブリザードを発動させた咲綾に、俺は「ひいっ」と小さな悲鳴を上げた。


「だいたいね、二年前に私に相応しい男になるから見てろって啖呵切ったくせにこれまでのトミーの言動はどうなのよ!? いつもおちゃらけてばかりだし女の子なら誰彼かまわず良い顔してるし勉強そっちのけで部活にのめり込んでるしそんな成績でよく私に相応しい男になるなんて宣言したわねと呆れていたら実は指揮者を目指してましたなんて寝耳に水で私の事情も考えずにいきなり大成するまで待ってろなんて言われても大学進学後の見合い話まで既に来ているような状況の中で私にどうしろと言うのよ!?」


「さ、あや、さん……?」


「そもそも私に相応しい男になるまで待っていろだなんて、実績もないうちからよく軽々しく言えるわよね。あなたの実力を私は認めているけれど周囲がそれを認めてくれるようになるまでには相当な時間がかかるのにその間私は何かと理由をつけて見合いを断り続けなければいけないわけでその針の筵むしろのような状況ってどんな罰ゲームよとも思うしその間あなたは大好きな指揮に没頭して大好きな女の子達にちやほやされて鼻の下伸ばしてたりなんかした日には私が耐え忍ぶのが馬鹿らしくなってきそうだし」


 猛烈な勢いで氷のつぶてが俺の心を直撃する……。


「咲綾さん、もう勘弁して……」


「音大の指揮科を受けるって決意してずっと部活動を頑張っていたんでしょうけれどもしも落ちたら格好が悪いとか黙って背中を見せるのが男だとか変なプライドでこれまで隠してきたんでしょう? そんな調子だから私としても二年前の宣言はおちゃらけてるトミーの中ではもうなかったことになっているんだろうと思って所詮その程度よねと諦観していたのにあれだけ吹奏楽にのめり込んでいたのが指揮者として大成するための努力だったんだと知ってしまったら私だって不確かなことに賭けてみるのもいいのかもしれないなんて柄にもないことを思ってしまうじゃない」


「ほんともうすみませんでした…………って、え? 今、なんて……」


「……だって、自分のためにそこまで頑張っているって知って、心を動かされないわけがないでしょう。それだけのアモーレをトミーから感じたということよ」


 氷の礫はいつの間にかおさまり、雪の嵐の後には再び頬を染めた咲綾が立っている。


「ちょっと待って。それって、俺の思いを受け入れてくれるってことなのか────?」


「勘違いしないでちょうだい。今すぐ付き合うとかそういうことじゃないわ。恋愛対象として適う条件が不確定要素であるうちでも、あなたの努力次第でいくらかでも関係が発展する可能性を示唆したというだけよ」


「勘違いでも何でも、とにかくこのまま頑張っていけばお前に振り向いてもらえる可能性があるってことだよな! そうとなれば明日の県大会では何がなんでも上位入賞して、男としての高みを目指していくぜ!」


 先の見えなかった道程に一筋の光明が差した気がして、俺の心がさらに奮い立つ。

 雪融けの後に咲くスノードロップのような仄かな笑みが咲綾の口元で綻んだ。


「じゃあ私も練習に戻ることにするわ」

「あ、ちょっと待って!」


 黒髪を翻し俺に背中を向けた彼女の腕を咄嗟に掴んで抱き寄せた。


「ちょっと……!? 急にこんな……っ」

「嬉しすぎて、言葉だけじゃ足りないんだ。さっきの咲綾の言葉にすげーパワーをもらったよ。ありがとう」


 俺の腕の中に捕らえた華奢な肩から余計な力が抜けていく。


「不確定要素をただ観察するより、少しくらい自分から動いてみるのも面白いかもって思ったの……。ふふっ、こんな風に思うなんて、トミーのアモーレの力が私にも作用したのかもしれないわね」


「もしもそうならばこれまで頑張ってきた甲斐があった……! ならば咲綾、お前からのアモーレをもっともらえれば、きっと霞音大にだって余裕で……」


 バチーーーンッ!!


 勢いに任せ艶やかな唇に触れようとした途端、頬に熱い衝撃が襲う。


「調子に乗るんじゃないわよっ!」


 うんりょーに、氷の剣のごとく冷たく鋭い声が響き渡った。

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