Intermezzo ~Tommy' s side~

25 崖に咲く百合は手折られるのを待っている

「お疲れっ!」


 ステージも無事終わり、出席確認のためだけにHRホームルームに顔を出し、荷物を取りにうんりょーへ戻る途中。

 廊下の少し先を歩く後ろ姿に声をかけると、艶やかな黒髪をさらりと揺らした咲綾が振り返った。


 今日のステージでも一際華やかに咲き誇っていた大輪の百合の花。

 明るすぎるステージの照明の下、凛とした眼差しでフルートを吹く顔も美しいが、こうしてリラックスして綻ばせる笑顔は少しあどけなさが見えて可愛らしい。


「お疲れ様。トミーはこれからうんりょーに戻るところ?」

「ああ。咲綾は?」

「私はこのまま帰るわ。荷物ももう車に運んでもらってるし」

「毎年のことながら、すげー花束やプレゼントの数だったもんな。運転手さん一度に運びきれなかったんじゃね?」

「そういうトミーこそ、あの花束全部持って電車で帰るつもり? 良かったらうちの車で送ってあげましょうか?」

「いや。花は全部うんりょーに置いていくよ。タカちゃんに生けといてって頼んだし」

「あら。女の子達から受け取る時には鼻の下を伸ばしてでれっとしてたくせに、意外と冷たいのね」


 ふふん、と鼻で笑いながらこちらを横目で見る咲綾。

 クールに振舞っているけれど、なんだかんだ俺のことを見ていてくれていたのだと知って思わず頬が緩む。


「そりゃあ女の子が好意でくれるものはありがたく受け取るさ。けど、俺が本当に欲しいのは──」


 咲綾。

 お前の心だけなんだよ。


 言いかけて、口をつぐむ。


「とうとう終わったなー。文化祭」

 白々しく話題をすげ替えると、咲綾が浅いため息を吐いた。


「そうね。秋ちゃん達は今日で引退ですものね。もう一緒に合奏することがなくなるなんて寂しいわね」


 うちの高校は、同じ学校法人の藤華大学へエスカレーターで進学する生徒が半数以上を占める。

 内申と推薦状だけで進学できるエスカレーター組は夏のコンクールまで部活を続けるけれど、秋山のように外部の大学を志望する奴はこの文化祭で引退となり、受験勉強に専念することになるのだ。


「そう言えば、先日の藤華大の説明会にトミーの姿もなかったわよね? あなたも外部の大学を受験するってこと?」

「ん? ああ、まあ、そのつもり」

「それなのにコンクールでも指揮棒タクトを振るつもりなんでしょう? そんなことしていて、受験の方は大丈夫なの?」


 美しい眉を寄せて、咲綾が顔を覗き込む。

 俺のことを多少なりとも心配してくれているならちょっと嬉しい。


「だいじょぶだいじょぶ! 俺が棒を振んなきゃ誰が振るんだっつーの。今年こそ俺が皆を全国大会に連れて行くんだからさっ」


 俺はわざと鼻の穴を広げて自信満々の笑顔をつくってみせる。

 全国大会進出は流石に大風呂敷かもしれないが、俺はそのくらいの気概をもってコンクールに臨むつもりだ。

 それは咲綾やタカちゃんに一日でも長く部活動を楽しんでほしいという願いでもあり、俺自身が目指す高みへのステップでもある。


 調子に乗ってチャラいモードを見せた俺を呆れ顔の彼女が窘めた。


「指揮が大好きなのはわかるけど、受験を疎かにして自分の人生を棒に振らないように気をつけた方がいいわよ」

「おっ! “指揮棒を振る” と “人生棒に振る” を掛けたわけ? 咲綾ちゃん上手いこと言う~っ」

「別に上手いこと言いたかったわけじゃないわよ」


 茶化したことが面白くないのか、ツンと横を向く。

 ならばお前に伝えてもいいんだろうか。

 コンクールに賭ける俺の本当の思いを──


 🎶🎺🎶


 あれは一年生の冬だった。


 バレンタインデーに思いをのせた咲綾への三度目の告白で、彼女は初めて自分にとって恋が無駄である理由を俺に教えてくれた。


「私は紫藤家に生まれた人間として、グループの繁栄のために人生を捧げる宿命にあるの。女の私に期待される役割は、外部の優秀な人材と結婚しその血を紫藤に引き入れること。次代のグループを担う子供達を心身共に健全に育て上げることよ。そのための結婚相手を選ぶ権利は私にはない。恋愛をしてもその先を諦めるしかないのなら、その喜びも切なさも私にとっては無駄な感情でしかないの」


 だから俺の思いに応えるつもりはないと、いつもの優雅な微笑みを崩すことなく彼女は言った。

 嵌める必要のない枷を当然のように受け入れようとしている彼女に、納得のいかない俺は反発した。


「それって、女は子どもを産み育てるだけの、一族のための道具ってことだろ? そんな時代錯誤な考え方に従う必要なんかないんじゃないのか」

「そうね。旧態依然とした考え方であることは確かね。けれども紫藤家はこの一族のあり方を数百年守り続けてきたからこそ、繁栄を維持してこられたことも事実なの」


 その黒水晶の瞳を揺らすのは、しきたりへの信頼なのか、宿命への諦めなのか。

 未来が変わらないのならば、咲綾にとってはどちらでもいいことなのだろう。

 けれども、俺にとってはどちらにしても咲綾の心を閉じさせる忌まわしい壁には違いない。

 ならば俺がその壁を壊すか乗り越えるかするしかないんじゃなかろうか。

 壁の向こうで縮こまる、臆病な咲綾の心に触れるために。


「ってことは、俺がその中に飛び込んでいくしかないってことだな」

「えっ? トミー、何を言って……」

「要するに、咲綾の恋愛する相手が優秀ならばその先を諦める必要もないんだろ? だったら、俺が周りに認められるような優秀な男になればいいってことだよな」

「またそんな冗談ばっかり」

「冗談かどうかはこれからの俺を見て判断してくれよ。恋の喜びも切なさも、全部無駄にはさせないぜっ」

「ふふっ。いつもおちゃらけてるトミーが私のためにそこまで頑張ってくれるなら、それはそれで見ものね」


 俺の決意をお調子者の戯れ言と受け取った咲綾は一笑に付した。

 日頃の行いが行いだし、今はそんな反応だっていい。


 けれども、俺の目指すところはそこで決まったんだ。


 俺はビッグな指揮者になる!


 世界に認められる指揮者となって、紫藤咲綾に相応しい男として彼女の前に立ってみせる。


 🎶🎺🎶


 そのための第一歩が、この藤華学園高校吹奏楽部での指揮であり、コンクールの上位入賞であるわけだ。


「咲綾に心配してもらえるのは嬉しいけどさ。まあ見てなって! 咲綾がいつ俺に惚れてもいいようにビッグになって見せるぜっ」


 夏服の半袖シャツの下に力こぶをつくって見せたが、咲綾の機嫌は直るどころかますます斜めに傾いたようだ。

「そんなちゃらんぽらんな男に惚れるなんて無駄なこと、この私がするわけないでしょう」

 黒水晶の瞳から氷の魔力を放つ視線で俺を突き刺した。


 今にも発動しそうなブリザードを冗談で躱そうと、俺はゆるい笑顔を貼り付ける。

けれども彼女は俺から顔を背け、つっけんどんな口調で言った。


「……ただ、コンクールで振るからには、悔いのないようになさいよね。去年の県大会では才能溢れる学指揮学生指揮者って評価を受けているんだから、部員だけでなく周囲の期待を裏切らないで」


 無遠慮で高飛車なその言葉。

 壁の向こうの本心を隠して投げて寄越したつもりだろうけれど、生憎俺はお調子者で通っているんだ。

 俺の好きなように解釈させてもらうぜ。


「もちろん! この富浦啓太郎が期待を裏切るわけないだろ?」


 わざと回り込んで咲綾の顔を覗き込む。

 俺の満面の笑みをとらえると、冷え切った黒水晶の瞳が戸惑うように揺れた。

 かと思うと、今度は烈火のごとく頬を赤らめて俺を睨みつける。


「何馬鹿なこと言ってるの!? 私は部長としてコンクールで悔いのない演奏をしたいだけよ! あなたにそれ以上の期待なんてしているわけないんだから!」


 早口でそうまくしたてると、咲綾は黒髪を翻して昇降口とは反対の方向へ歩き去ろうとした。

「おぉい、帰るんじゃないのかーい」

 怒ってもなお優雅な後ろ姿にツッコミを入れつつ、俺の頬はどうしてもゆるんでしまう。


 いつだってクールに上品に、毅然と凛然と咲き誇る百合の大輪。

 断崖絶壁のてっぺんで誰に手折られることもなく咲き続けているけれど、彼女はきっと待っているんだ。

 その断崖絶壁を登り、自分に手を伸ばしてくる人間を。

 俺はお調子者だから、それが独り善がりの思い込みだとしても気にしない。


 待ってろよ、咲綾。

 俺は絶対にお前を諦めない。

 険しかろうが、苦しかろうが、お前が手に届く高みまで必ず上り詰めるから――――

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