終奏 ~二つの場面によるエピローグ~

45 努力の先にあるものと、間近に見る君の横顔

「プログラムナンバー八番、私立藤華学園高等学校。課題曲Ⅲ『スケルトン・スケルツォ』、自由曲『風花の如く炎を散らせ』、作曲者……」


 大きなホールにアナウンスの声が響く。

 照明の熱がじりじりと肌に伝わるほど明るいステージに扇形に広がる部員達。

 指揮台に立つトミー先輩の背中の向こうでは、飲み込まれそうに広い暗がりがじっとこちらを窺っている。


 コンクール県大会の演奏がいよいよ始まる。


 皆の視線はトミー先輩に集中し、先輩が軽くタクトを上げた途端皆が楽器を構えた。

 四十三人の視線はタクトの先の一点に注がれ、緊張感は最高点に到達する。


 タクトが振れた瞬間、唸るような重低音が静かに流れ始めた。

 草木も眠る真夜中に、土の中から這い出した骸骨がポキポキと体を鳴らし始める。

 その音をテンプルブロックで表現するのが私の担当だ。

 おどろおどろしい空気が淀む中で響く、高く乾いた音。初めはゆっくりと自分の体を確かめるように。徐々に体が慣れてくると、骸骨は骨の鳴る音でリズムを取るようになる。

 夜の帳を表す周りの音とは対照的に軽快にリズミカルに響くよう、メトロノームで何度も練習した正確なリズムを刻む。

 緊張のあまり速まる鼓動につられそうになるけれど、時折こちらへ送られるトミー先輩の視線が、“俺のタクトをしっかり見て” という練習中のアドバイスを思い出させてくれる。

 骸骨ダンスに繋がるリズムのモチーフまで発展したところで木管高音部による主題が始まり、第一ポイントを無事通過した私はふうっと息を吐いた。


 とある民家から聞こえてきたメロディに魅せられた骸骨が、リズムに合わせてコミカルに踊り出す。

 トランペットやサックスが奏でる主題に骸骨の踊りを表現した木琴シロフォンが重ねられる中で、時折ポキポキと骨の鳴る音をテンプルブロックで挿入する。

 眠っていたはずの草木の精霊も目を覚まし、木管楽器の柔らかな音が精霊達の笑いや歌を表現する。

 イタリア語で “冗談” を意味するというとおり、スケルツォは明るく軽快に進んでいく。

 出番の合間にちらと鷹能先輩を見ると、暖色の照明に銀色のトランペットを煌めかせながらベルを真っ直ぐに掲げ、長い指で滑らかにピストンを押している。

 その横顔と音色はやっぱり端麗で高潔で、この瞬間のこの場面を、この音を、ずっと心に焼きつけておきたいと思うほどの尊さだ。


 音楽の盛り上がりと共に骸骨の踊りも激しさを増す一方で、少しずつ変調が訪れる。

 リズミカルに鳴らしていた骨の音が狂いだしたり、主題に変拍子が入り込んだりと骸骨の様子が明らかにおかしくなるのだ。

 激しく踊りすぎた骸骨はやがて骨がばらばらになり、崩れ落ちて土へと還る。

 私の演奏で最も難易度の高い五連符の挿入や変拍子のリズムが連続するし、地区大会では僅かにずれてしまった音があった。

 けれどもその失敗をばねにして二週間、さらに練習を重ねてきただけあって、この本番では五連符も変拍子もきっちりと叩くことができ、壊れゆく骸骨を表現することができた。

 精霊達は再び眠りにつき、真夜中の静けさが戻ったところで静かに曲が終わった。


 引き続き自由曲の演奏となるため、パーカッションの面々が静かに移動し楽器を変える。

 私はテンプルブロックからシンバルへ。霧生先輩がティンパニのチューニングを変えている間、トミー先輩は皆の緊張をほぐすように少しおどけた顔をして見せた。

 口の端を僅かに上げて指示を待つ部員達。

 泣いても笑っても、県大会の本番は次の一曲で最後になる。

 その次の本番があるかどうかわからない今、皆の心を一つにして音楽という素晴らしい形として表現できるこの時間を慈しみたい。

 そう願う気持ちは皆同じのようで、課題曲の演奏前よりも緊張感に丸みがあるように感じられた。


 トミー先輩の顔つきに真剣さが戻り、いよいよ『風花の如く炎を散らせ』の演奏が始まった。

 静かに幕を閉じた課題曲から一転、炎が赤く激しく揺らめくシーンからスタートするこの曲は、打楽器群がかなり重要な役割を担う。

 激しく打ち鳴らすティンパニに合わせ、シンバルとバスドラム、スネアドラムが炎の盛んに燃える様子を伝え、そこに金管楽器の硬質な高音が絡み合う。

 炎から火の粉が躍り出ては儚く消えていくその様は、フルートを始めとする木管楽器の滑らかな十六分音符で表現される。

 燃え盛る炎が衰えを見せたところにやがて一陣の風が吹き始めた。トロンボーンやユーフォニアムが炎の主題の変奏を吹く中で、柔らかな風の主題が重ねられる。

 戯れるように交互に繰り返されながら、二つの主題は勢いを増していき、炎は再び大きく激しくなっていく。


 炎の勢いが最高潮に達したところで、打楽器群のソリが入る。数小節手前から私は両手にシンバルを構え、この曲の最大の見せ場を待っていた。

 管楽器が大きく長いクレッシェンドを吹き切った直後に始まるティンパニとバスドラムの掛け合い。霧生先輩とうっちー、二人の男性陣による力強いリズムにシンバルの私が加わる。そこにマオ先輩のスネアドラム、ナオ先輩のボンゴが五連符、七連符、十一連符といった複雑なリズムで絡んできて、ミオ先輩のシロフォンが炎の主題を奏で始める。

 ここまでシンバルを打ち続けると腕が相当きついのだけれど、シンコペーションを正確に打ち続けなければ皆のリズムとずれてしまい、この迫力とスピード感を台無しにしてしまう。激しいリズムを打ちながらも後輩五人の演奏を励ますように目線を送ってくる霧生先輩にも後押しされて、なんとかトランペットの高らかな音に無事引き継ぐことができた。

 ソリパートを終え、背中を合わせたパイプ椅子の上にほんの少しの間重いシンバルを置くことができた。

 炎と風の主題に火の粉が躍り出るメロディが加わり、曲はクライマックスへと向かっていく。

 腕に残る痺れを振り落とすように手首を振った後、私は再びシンバルを構えた。


 あともう少し。あともう少しでステージが終わる。

 腕は限界に近いのに、皆でステージで演奏するこの刹那がずっと続いてほしいと思う。


 扇形に広がる木管楽器、ひな壇にずらりと並ぶ金管楽器、ステージ向かって左側に広がる打楽器、そして中央の指揮台で渾身の力を込めてタクトを振るトミー先輩。

 ステージで輝く皆のことを見渡した時、入部前鷹能先輩に強引にうんりょーに連れてこられた時に彼が言った言葉が鮮明に頭に浮かんできた。


“目標に向かって努力していくことは決して無駄なことではない”


 剣道で結果が残せなかったことに腐っていた私に、努力の先にあるものを共に見ようと誘ってくれた鷹能先輩。

 そんな先輩の毅然とした横顔を見つめながら思う。


 文化祭やこのコンクールを通して、私は何度となく皆で音楽を作り上げることの楽しさや充実感を味わってきた。

 その喜びを得る土台となるのは、やっぱり一人ひとりの日々の地道な練習であって、皆のそれを重ねたものをトミー先輩に磨き上げられることによって身震いするほどの達成感を得ることができるのだ。

 努力の先にあるこの感情を最も強く感じる瞬間がもうすぐ訪れる。


 霧生先輩のティンパニがさらに一段階音量を上げた。

 トミー先輩の眼差しが打楽器群に送られる。

 天まで届くほどに舞い上がる炎と吹き荒れる風にさらなる勢いをつけるべく、私は腕に力を込めてクライマックスのシンバルを叩ききった。


 🎶🎺🎶


「興奮と嬉しさが引かなくて、何だか足が地についてないようにふわふわします」


 うんりょーに戻り解散した後、駅に向かう通学路を歩きながら、私は隣に並ぶ鷹能先輩にそう呟いた。


「地方支部大会に進出を決めたトミーの喜びようは凄まじかったが、知華もそこまで嬉しいのか」

「そりゃあもちろん嬉しいですよ! 剣道でも吹奏楽でも、勝ち進むのはやっぱり気分がいいですし」


 そう。勝ち進むのは気分がいい。

 気持ちが昂り、次のステージへ向かう闘志が湧いてくる。

 けれども、最後まで勝ち続けることが出来るのは一位を獲るものだけで、ほとんどの場合どこかで敗退の悔しさを味わうことになる。

 中学時代、剣道ではその悔しさに心が折れてしまった私だったけれど、今ならその悔しさにも折れずにきっと前を向き続けることができると感じている。


「鷹能先輩……。改めて、私をうんりょーに、吹奏楽に誘ってくれてありがとうございます。先輩が言っていた努力の先にあるものを私も今確かに感じています」


 歩みを止めて先輩を見上げると、先輩の濃い琥珀色の瞳が私を捉えた。

 口元が綻び、彫刻のような端麗な顔に桜色の笑みがのる。


「それならば、礼を言わなければならないのは俺の方だ。一年前に出会った君の横顔を、俺は今こんなに間近に見ることができている」


 先輩の瞳に映る私の姿が僅かに揺らめく。


「うんりょーに誘ったばかりの頃は、あの横顔を間近で見られればそれでいいと思っていた。なのに君は俺の作った壁を乗り越え、傍にいようとしてくれた。俺の事情を知った時には随分悩ませてしまったが、こうして隣にいる未来を選んでくれた。本当にどうもありがとう」

「先輩……」

「地方支部大会は夏休み明けだから、あとひと月はうんりょーで共に部活動ができるな。練習があれば毎日知華に会えるから俺は嬉しい」


 先輩の微笑みにとくんと心臓が跳ねたけれど、その言葉にほんの少しもどかしさを感じた私は思いきって口に出した。


「先輩、そうなると私服デートは夏休み明けまでお預けになっちゃうんですか? コンクールに勝ち進めるのは嬉しいけれど、さっかくの夏休みだから二人だけの思い出を作りたいのになあ」

「知華……」


 照れ臭くて俯いた途端、絡められた指がぐいっと引っ張られ、体の向きを変えられた。

 駅まで送ってもらうはずなのに、踵を返した先輩が私の手を引いたままずんずんと歩き出す。


「ちょっと先輩っ!? なんで来た道を引き返すんですか?」

「うんりょーに戻る。遅くなったら家まで送るから心配しなくていい」

「へっ!? どうしてうんりょーへ……」

「知華の可愛らしい不満顔に自制がきかなくなった。いくら夏休みとは言え高校生カップルが通学路でキスをするのは憚られるだろう。うんりょーに戻って、知華に俺のアモーレを注ぎたい」

「ちょっ、そんな……っ!!」

「ついでだから、部活の盆休みに二人でどこかへ出かける計画も立てよう。行きたいところをどこでも教えてくれ」


 このままうんりょーに戻ったら、私は間違いなく呼吸困難になるほど先輩のアモーレに浸されてしまうだろう。

 恥ずかしいし緊張する。けれど嬉しそうに跳ねる先輩の柔らかな髪の先やワクワクを滲ませた肩を見ると抗うことはできなくなる。


 茜色と紫色でせめぎ合う西の空の下、校庭の隅に木々と共にシルエットを作るうんりょーに向かい、少し強引でかなり甘やかな鷹能先輩に手を引かれながら、あたふたと早足で戻ることになってしまったのだった。

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