30 一進一退の恋心②

 鷹能先輩が藤北駅の改札で私を待つ朝は、あれから二週間ほど続いている。


「おはよう」

「おはようございます」


 改札を抜けて階段を下り、ホームに並んで立つ。

 電車が到着すると、開いたドアの反対側の定位置に向かい合わせで立つ。


 鼓動は相変わらず忙しなく打つけれど、固く縮んでいた心はこの二週間の通学電車で少しずつほぐれていた。


「来週から期末テスト前で部活が休みになるな」

 電車が動き出してから、鷹能先輩が穏やかに話しかける。

「そうですね。テスト期間中も含めて十日くらい練習しなくなっちゃうんですよね。せっかく課題曲も自由曲も合奏できるようになったのに」


 一週間ほど前から合奏練習が始まり、個人やパートで練習していた音が一つの曲としてその姿を見せた。

 課題曲の『スケルトン・スケルツォ』は、骸骨がコミカルに踊る様を表現した明るく軽快な雰囲気の曲。片や自由曲『風花の如く炎を散らせ』は、燃え上がる炎が風に散らされ雪のように舞い踊るイメージを音に変えた、激しさと儚さが混在する幻想的な曲だ。

 合奏をしてみると曲の全容が明らかになると共に、他の楽器とのバランスや表現力を高めるための様々な課題が見えてくる。

 個人やパートでの練習の積み重ねが大切なのはもちろんなのだけれど、合奏はトミー先輩のリードの元、部員皆で作り上げていく醍醐味があってやっぱり楽しい。

 休みの期間中でも個人練習はできるけれど、合奏ができないのは少し寂しいな。


 それに────

 部活が休みに入ると、鷹能先輩と会えるのも朝の通学の約二十分間だけということになるのか……。


「……明日から、私またおにぎり握ってきましょうか」


 ここのところずっと口にしようか迷っていた提案を思いきって出してみた。

 早まる鼓動を感じつつちらと先輩を見上げると、濃い琥珀色の瞳が揺らぎ、引き結ばれているのが常の口元が緩んでいる。


「それは本当か……? 知華とまたうんりょーで朝食を共にできるならば、俺は本当に嬉しい」

「だ、だって……。テスト前の貴重な時間を潰して私を迎えに来てもらうのは申し訳ないですし……」

「そんなことは気にせずともよい。俺はこうして二人で電車に揺られる時間も好きなのだ。君が明日からうんりょーに来てくれるとしても、これまでどおり君を迎えに行くつもりだ」

「そっ、それじゃあ私が朝うんりょーに行く意味がなくなっちゃうじゃないですか」

「意味がないわけがなかろう。それだけ二人でいられる時間が増えるのだから」


 そんな会話を交わした時に、電車が大きく揺れた。

 バランスを崩した私の肩を先輩が抱きとめる。


「停止信号です。少々お待ちください」


 車内にアナウンスが流れると、先輩は私を解放するどころかむしろ自分に引き寄せた。

 優しく押しつけられた耳に、先輩の胸から微かに鼓動が伝わってくる。


「どうせ動き出すときにまた揺れるだろう。しばらくこうしているといい」


 甘く低い声が直接脳に響いてくる。

 その振動に戸惑いは溶かされ、自分の鼓動が強く早く打つ感覚が全身を支配する。

 程なくして電車はガタンと揺れて動き出し、スピードが安定したところで先輩の胸がそっと離れた。


 緊張から解放されてほっとしたような、隔たったことが残念なような。

 でもそれ以上に胸に広がるのはチリチリと灼けつくような “好き” という感情で、明日からまたうんりょーでの二人の朝が始まることや明日からも続く通学電車でのひとときに思いを馳れば、落ち着きかけた鼓動が再び跳ねて踊り回るのだった。


 🎶🎺🎶


「知華ちゃん、今日はずいぶん元気だけれど、何かいいことでもあった?」


 部活の帰り、あゆむちゃんと二人で葉山先輩の女装はゴスロリ系とプリンセス系のどちらがより似合いそうかという話で盛り上がっていると、うっちーがジト目で会話に割って入ってきた。


「え? 別に何もないよ?」

「だって、ここ半月くらいの間で今日が一番笑ってると思うよ? 教室で斐川さんとお弁当食べてる時も美味しそうにもりもり食べてたし、基礎練で動かすスティックもここ最近になく軽やかだった気がする」

「そっ、そう?」


 うっちーは私の帯同トレーナーか何かだろうか。

 よくもまあ細かな変化に気がつくもんだなあと感心していると、蛍光灯の白い光が煌々とさす駅の改札が見えてきた。

 バッグから定期を取り出しふと前を見ると、改札の横に少年らしき人物が立っている。

 見覚えのあるシルエットに目を凝らせば、それは先日私に敵意漲る視線を放っていたあの武本海斗だった。


 向こうもこちらを認識し、もたれていた壁から体を離す。


「どーも」

 親しげと言うにはあまりにぞんざいな挨拶に、私の心は途端に固くて重い鎧を装着し始める。


「……こんばんは」

「話あるんだけど、ちょっといい?」

「私には話すことなんてありません」

「人を待たせてあんだ。あんたもきっと会ってみたい人だよ」


 その言葉に足が止まる。


 海斗が連れてきた人物。

 私が会ってみたい人物。

 それはきっと────


「知華ちゃん、この人誰? 知り合いなの?」

「……うん。うっちー、あゆむちゃん、ごめんね。先に帰ってて」

「えっ!? ちょ、そんな奴についていって大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっと人に会うだけだから」

「なんか心配だなあ。俺もついて行こうか?」

「内山田君。それ以上食い下がるとウザキャラ認定を受けるかと……」

「ちょ、角田っ! いつ俺が知華ちゃんにウザいことをしたよ!?」


 なんだかんだで仲の良いうっちーとあゆむちゃんに手を振って、歩き出した海斗の後ろをついていく。

 彼はこじんまりした駅前に佇む一軒の喫茶店のドアを開けた。


 カラン、とドアについたカウベルが軽やかに鳴る。

 カフェというよりも純喫茶の雰囲気が漂うレトロな店内を見渡すと、海斗が進む方向にいた一人の少女が俯いていた顔を上げた。


 やっぱり、志桜里さんだ……。


 私の姿をみとめた彼女が、慌ててソファから立ち上がりぺこりと頭を下げる。

 私もおずおずと頭を下げると、前を歩いていた海斗が志桜里さんの隣に座った。


「き、今日はお呼びだてしてすみません……。どうぞお掛けください」

 向かい合わせの席を手のひらで示されて、軽く頷いてから席につく。

「呼び出したのは俺だよ。しいちゃんは俺が無理やり連れてきたんだ」

 美しい幼馴染みを庇う海斗に、これから提示されるであろう話の内容が予測されて、私の心はますます強ばる。


「すいません、追加でコーヒー二つ」

 メニューの選択権を私に与えず海斗がオーダーした後に、志桜里さんがおどおどと切り出した。


「自己紹介が遅れて失礼いたしました……。わたくしは水無瀬志桜里と申します。藤華女学院の二年生です」

「あ、えと、星山知華です。藤華学園高校の一年生です」


 不安げに揺れている大きなアーモンドアイに長いまつげが被せられて、志桜里さんはそれきり黙ってしまった。

 見ると細い肩が小刻みに震えている。

 深窓のご令嬢はきっとこんなシチュエーションには慣れていないのだろう。

 ……って、私だってこんな修羅場は初体験なのだけれど。


 お互いに黙っていると、盛大なため息を吐いた海斗が口を開いた。

「単刀直入に聞くけどさ、アンタ、タカちゃんを何てそそのかしたんだよ」

「……は? そそのかすって……?」

「タカちゃんがさ、こないだ珍しくしいちゃんを呼び出したんだよ。久しぶりに大好きなタカちゃんと話ができるって喜んで出かけたしいちゃんに、タカちゃんは何て言ったと思う? “俺は金輪際君と会うつもりはない” って言い放ったんだってさ」

「鷹能先輩が……?」


 確かに、志桜里さんとのことを気にする私に向かって、鷹能先輩は彼女にきちんと自分の意思を伝えると言っていた。

 実際に彼女に会って、はっきりとそう言ったんだ……。


 震える彼女の頬を真珠の涙がほろりとつたった。

 胸がぎゅうっと締めつけられ、呼吸が喉に絡みついて息苦しい。


 絶望に必死で耐える可憐な少女を前にして、罪悪感が心に纏った鎧を剥がしていく。


 弱い部分がむき出しになったところに、海斗の一言が槍のように深く突き刺さった。


「勘違いしてるみたいだけどさ、紫藤家ご嫡男のタカちゃんがアンタみたいな平凡な女を本気で相手にするわけないだろ? タカちゃんが本当に好きなのは、ここにいるしいちゃんなんだよ」

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