21 もっと踏み込みたい気持ち②
合宿所時代の調理場であり、パート部屋の中では比較的広いボーン部屋。
けれども参加者が十人を越えるとさすがにここも手狭な感じで、ホットプレートから上がる白い煙とあちこちで雑談を交わす声が蛍光灯の光を揺らし、独特の雰囲気を醸し出している。
私の席は当初鷹能先輩の隣かうっちーの隣かで二人の小競り合いとなり、先輩とうっちーの間に座るという私の折衷案は何故か二人から却下された。
今にもアナコンダ化しそうな鷹能先輩の殺気に穴ぐら小動物系のあゆむちゃんが恐れおののき、その恐怖だけで昇天しかけたところをなんとかフォロー、結局私はあゆむちゃんと葉山先輩の間の席に座ることにした。
……とまあ、ここまででも十分紆余曲折があったんだけれども。
「葉山先輩っ、先輩って入学した時から男子の制服着てるんですか?」
「……え、うん。そうですけど……」
「わあー。筋金入りのボクっ娘なんですね! 長めのショートヘアと相まってすっごく似合ってます。ねっ、あゆむちゃん!」
「……え、は、はあ……」
せっかくならばと、恥ずかしがり屋のあゆむちゃんとアンニュイな葉山先輩の会話の架け橋になるつもりで二人の間に座ったのはいいけれど、どちらに話を振っても互いに無口でなかなか会話が弾まない。
思わず助けを求めて視線を彷徨わせると、調理台の向こう側で何故か隣同士に座る鷹能先輩とうっちーが不機嫌そうな顔をこちらに向けており、慌てて目を逸らし俯いた。
うう、なんだか妙に居心地が悪い。
早く焼き上がらないかなあ……。
一刻も早くこの気まずい空気から抜け出したいと焦っていた私の耳に、救世主・秋山先輩の朗らかな声が響いた。
「さあ、焼けてきたよー! 今から切り分けるから、まずは一切れずつお皿に取ってねー」
大きなホットプレートに広がる三枚のお好み焼きを秋山先輩がひっくり返し、コテで切り分けていく。
「はい、食べてよーし!」
合図が入ると、プレートに向かって四方から一斉に箸がのびた。
私の両側にいる二人も黙々と食べ始める。
「美味しいねっ、あゆむちゃん」
「……おかわり」
「葉山先輩はお好み焼きは海鮮派ですか? それともお肉派?」
「……お肉派です。ボクもおかわり」
楽しく盛り上げようと必死で話を振る私のことはそっちのけで、ひたすらお好み焼きを口に運ぶ二人。
プレートに焼き上がったお好み焼きは、それが幻であるかのように一瞬にして跡形もなく消え去っていく。
「タカちゃーん! キャベツ追加ねー!」
「何だと!? 先ほど切った三玉分をもう使い切ったのか!?」
神業レベルのスピードでキャベツを刻む鷹能先輩のペースが消費スピードに追いつかない。
「これで買ってきたキャベツ五玉全部切ったぞ!」
「ダメだ! 肉も野菜も全然足りない」
「何い!? では誰かヤマキで買い足して来い!」
予想外の展開に調理担当の先輩達が慌て始める。
そのすべての元凶は、私の両隣で無言でひたすらお好み焼きを食べ続ける葉山先輩とあゆむちゃんの大食いコンビだった……。
🎶🎺🎶
「結局キャベツ十玉を刻み続けただけで終わってしまった……」
「私は何にもしてないのになんだかどっと疲れました……」
後片付けが終わり、皆が帰った後のボーン部屋。
キャベツを刻み続けてお好み焼きにありつけなかった鷹能先輩と、大食いコンビに挟まれて最初の一切れしか口にできなかった私は、トミー先輩がめぐんでくれたカップ麺が出来上がるのをぐったりして待っていた。
「しかし、虎之助が大食いなのは知っていたが、小柄な角田までまさかあれほど食べるとは……」
「え? 虎之助って──」
「葉山のことだ。だからあいつはスーパーの特売日にしか呼べんと言ったのだ」
「えええええええっ!? 葉山先輩って、虎之助って名前なんですか!? 女の子なのに!?」
「何を言っている。葉山虎之助は男に決まっているだろう」
完っ全に誤解してた。
華やかな女の城である
線の細い輪郭、艶めかしい唇と長い睫毛、儚げでアンニュイな表情。
確かに男子の制服は着ているけれど、女の子だと疑いもしていなかったのに……!
てことは、てっきり百合系かと思っていたあゆむちゃんは意外にもノーマルだったということ?
もしあの二人がカップルになったら、デートでいったいどれだけの量を食べまくるんだろう……。
そんなことを悶々と考えているうちにタイマーがピピッと鳴り、先輩と私はカップ麺をすすり出した。
「あーあ。鷹能先輩特製のお好み焼き、もっと食べたかったなぁ。一切れしか食べられなかったけど、すっごく美味しかったですよ?」
「そう言ってくれて嬉しいが、知華に僅かしか食べてもらえなかったのは俺としても残念だ。今度は二人でゆっくり食べたいな」
「二人で……?」
「お好み焼きは大勢で食べた方が楽しいか? だったら他のメニューでもいい。知華のリクエストに応えよう」
箸を休め、リクエストを促すようにこちらを眼差す鷹能先輩。
いつものその甘やかな笑顔に、一度跳ねた心臓がきゅうっと苦しげな音をたてた。
「先輩……。それって、朝だけじゃなくって、部活が終わった後も私と二人で会ってもいいってことですか?」
「うん? 当たり前ではないか。朝しか会わないなどと言ったことはないはずだ。帰りが遅くなるのが心配なようなら、一緒に電車に乗って知華の家まで送り届けてもいい」
「それって、先輩はもっと二人でいたいと思ってくれてるってことですか? 私はどこまで先輩に踏み込んでもいいんですか?」
「知華……」
期待するには十分だけれど、確信するには心もとない現状。
ふにゃりとした足場の頼りなさから抜け出したくて、私は思いきってもう一歩前へと踏み込んでみた。
少しの沈黙。
俯けた顔を恐る恐る上げてみると、先輩は私から目を逸らすことなくこちらを見つめていた。
けれどもいつの間にかその口元は甘やかさが消え去り、決意を込めたように引き結ばれている。
「正直に言おう。俺は知華と共に過ごす時間が愛おしい。毎朝君がうんりょーへ来てくれることがとても嬉しい。ころころと変わる表情を見ているのは楽しいし、凛とした横顔だけではない君の魅力を日々見つけていけることを幸せだと思っている」
言葉として紡がれる先輩の思いの熱さ。
それを閉じ込めるかのように、濃い琥珀色の瞳が微かに揺らめく。
その真摯な言葉と眼差しに射抜かれ、鼓動がぐんぐんペースを上げる。
「先輩……」
「知華ともっと一緒にいたい。それはまごう方無き俺の率直な思いだ。しかし、それと同時にこうも思うのだ。今はまだ君を絡め取るべきではない、と」
踏み込めそうだった先輩の心に、また一枚の壁が作られる。
「それってどういう……」
「これまではとにかく俺という人間そのものを知ってもらうつもりで知華と接してきた。ただ、俺の事情を伝える前に思いを余さずぶつければ、人生の重大な岐路を前にした君の判断力を奪いかねない。だから、今の時点で俺の思いの全てを語ることははばかられるのだ。……ただし、文化祭が終わったら俺は俺の抱える諸々の事情を君に話したいと思う。俺の事情を知った上でなお君が踏み込んでもいいと思ってくれるならば──」
膝に置いた私の拳を、先輩の大きな手がそっと包んだ。
「その時こそ、俺は自らの思いに付けた枷を外し、その全てを君に捧げたいと思う」
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