Intermezzo ~Tommy' s side~

10 うんりょーは俺が守る

「──というわけで、昨日の職員会議でも吹部の活動内容を疑問視する意見が出たんだ。部室については高校の部活動として適正な利用を心がけるよう、今一度部員達に周知徹底してほしい」

「ほいっ! さーせんしたっ! 以後気をつけまーす」


 毎月恒例となっているお決まりのやり取りを名ばかりの顧問と交わし、俺は一礼して職員室を退出した。

 本来ならばこうした部活動への苦言は部長である咲綾に呈するべきだが、私立高校の教員だって所詮はサラリーマン。理事長社長の一人娘に面と向かって文句を言えるわけがない。


 それがわかっているからこそ、俺は副部長に立候補した。俺が盾にならなくて、誰があいつらの居場所を守るんだ。


 俺の親友と、俺が惚れた女が愛する青雲寮うんりょーを──


 四歳からピアノを習い音楽に親しんでいた俺は、中学時代吹部でトロンボーンを担当していた。

 惰性で入った高校の吹部で、俺は同じ新入部員の紫藤鷹能と紫藤咲綾に出会った。

 彼らはそれぞれに家の事情を抱えていて、俺みたいな普通の奴からしてみれば、高校に入学したての十五歳が背負うにはあまりに大きく重いものを背負っていた。

 けれどそんなことを俺が知るのはもっと後の話で、初めて足を踏み入れたボロいうんりょーで、俺は咲綾に一目惚れしてしまったんだ。


 艶やかな黒髪をすっとした背筋の半ばまで伸ばし、白磁のようにしっとりとした肌に珊瑚色の唇が咲く。

 吸い込まれそうな黒水晶の瞳はまるで魔力が秘められているかのようで、俺の心を一瞬にして絡めとった。


 中学でも割とモテる方だった俺は、得意のトークと根拠のない自信を引っさげて彼女に近づいた。

 けれども、艶やかな百合の大輪は誰に手折られることも拒んでいた。


「私にとって恋ほど無駄なものはないの。悪いけど他を当たってちょうだい」


 何度さらりと躱されても、高嶺の花ほど手に入れたいと思う俺はめげなかった。

 ストーカーだと引かれない程度の距離で自分をアピールしようと、学生指揮者希望として学指揮の先輩に弟子入りもした。


 そんな矢先のことだった。

 咲綾があの事件に巻き込まれたのは──


 元々この藤華学園高校は県東部地区一帯の坊ちゃん嬢ちゃんが通う学校でもあるのだが、コネで入ってきた良家の息子の中にはガラの悪い連中がいて、暴力団とも繋がってクスリに手を出したり仲介したり好き勝手しているようだった。

 いくら地域有力者の子息とは言え、さすがに学校側も手を焼いていたんだろう。何か表沙汰になれば退学を迫ろうとしていたところ、そいつらは入学してきた咲綾に目をつけた。

 理事長の一人娘を自分達の側に取り込めば、下手に手出しはできないだろうと。


 声をかけてくる連中を、咲綾は当然のように相手にしなかったわけだけれど、業を煮やした奴らは手荒な行動に出た。

 咲綾を拉致して連れ去り、無理矢理クスリを使わせようとしたんだ。


 青雲寮に向かう途中の咲綾の姿を見つけていつものように声を掛けようとしていた俺は、目の前で突然起こった拉致事件にパニクった。

 咲綾を助けるために無我夢中で連中に突っ込んでいったけれど、たちまち数人に囲まれ殴られ蹴られて手も足も出なかった。

 校門の外に用意されていた車に咲綾が連れ込まれそうになり、絶対絶命の大ピンチ──


 そんな時に、木刀を片手に駆けつけてきたのが鷹能タカちゃんだった。


 俺の騒ぐ声で騒動に気づいたというタカちゃんは、こっちがビビって腰を抜かすほどに鮮やかな手並みで連中をボッコボコにした。

 車を運転していたのは暴力団のチンピラだったらしく、すぐに仲間を呼んできて報復に出たけれど、タカちゃんは大の大人のそいつらをもものともせずに叩きのめした。


 同じ吹部に彼が入部したことは知っていたけれど、とっつきにくい雰囲気だしそれまで話をしたことはなかったんだ。

 咲綾の従弟いとこで幼い頃からよく遊んでいたらしく、きょうだいのように親しかったのもちょっと気に食わなかったし。


 けれども、そんなタカちゃんが鬼気迫る勢いで奴らをフルボッコにした後、痛みでうずくまっていた俺に手を差し伸べてきた。


「軽薄な男かと思っていたが、お前を見直した」と。


 顔は抜群にいいが無表情で何を考えているのかよく分からない奴だと思っていたけれど、話してみれば案外話題に事欠かない気さくさで、中学時代の苦労話なんかを面白おかしく聞いたりしているうちに俺らは随分と親しくなった。


 その間に、タカちゃんがボコったチンピラの上役達が学校に乗り込んできたりしたけれど、そこは理事長と話のわかる暴力団幹部との間でお互い警察沙汰にはしないという取引をして有耶無耶に片付けたらしい。

 咲綾を連れ去ろうとした上級生達は、暴力団幹部にこってり絞られた上にタカちゃんにビビりまくったこともあり、留学という体の良い形で学校から姿を消した。

 けれども、学校という場所での騒ぎだったために目撃者が多く、タカちゃんにはかなり悪い噂が立って周りからますます距離を置かれるようになってしまった。


 タカちゃんはあまり気にしていないようだったけれど、俺は何とかしてやりたいと考えた。

 クラスが違うけれど休み時間にはタカちゃんにうざがられるくらい付き纏ったし、うんりょーで暮らすようになったタカちゃんに付き合って部活動の時間以外にもそこに入り浸った。

 クラスでは相変わらず浮き続けてるタカちゃんだけれど、うんりょーで気の置けない仲間ができたのは俺の甲斐甲斐しい努力の賜物だと自負している。


 咲綾もまた事件がきっかけで理事長の娘ということが知れ渡り、下心を持って近づいてくる奴以外には敬遠されるようになってしまった。

 けれどもうんりょーでは彼女はただの一部員として吹奏楽をこよなく愛し、タカちゃんや俺、霧生きりゅう、秋ヤンなんかと軽口を叩きながらワイワイ楽しくやっている。


 紫藤の姓を背負う二人にとって、うんりょーで楽器と向き合い仲間と語らう時間は、その背に負った重荷を下ろせる貴重なひとときだ。


 だから俺はうんりょーを守る。

 俺が盾になって、この三年間、あいつらが楽しく過ごせる時間を一分一秒でも長く確保する。


 そんな決意を新たにしつつ廊下の角を曲がると、昇降口に向かうタカちゃんの後ろ姿が見えた。


「ターカちゃんっ! これからうんりょー?」

「お、トミーか。ちょうど昼食を食べに戻るところだ」

「んじゃ俺も一緒に行こっと」

「……なんだ、手ぶらではないか。言っておくが炒飯は俺の分しか作らんぞ」

「俺が何のためにボーン部屋にカップ麺常備してると思ってんのさ! ……でもタカちゃんの炒飯は絶品だからなぁ。ひと口でいいからちょーだい♪」

「仕方がない。ではお前のストックにある “ごん兵衛サクッと天ぷらうどん” と交換だ」

「炒飯ひと口でそれって割に合わなくね?」


 下駄箱の前で上履きを脱ぎつつジト目で見ると、能面のような表情をくしゃりと崩したタカちゃんが「ははっ」と短く笑った。

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