08 あの横顔をもう一度見たい②
「心の底に澱のように溜まる後悔や無念を掬い上げて浄化するために、君は俺と出会い、うんりょーに来たのだ。目標に向かって努力していくことは決して無駄なことではない。たとえその努力が実を結ばなかったとしても、努力しなければ得られなかったものが残るはずだ」
「一般論としてそれはわかります。でも、二年三ヶ月の部活動を通して自分が何を得られたのか、結局私にはわかりませんでした」
中学から始めた剣道にもかかわらず顧問にセンスを認められた私は、人一倍大きな期待を背負わされ、人一倍厳しい練習を課され、人一倍努力したはずだった。
それなのに県大会で優勝し全国大会に出場するという目標からはあまりに遠いところで挫折してしまった私に、後悔と無念以外の何が残るというのだろう。
スポ根マンガさながらの鷹能先輩の言葉に同意しかねて唇を噛む。
先輩の眼差しから逃げて俯いた私の頭に、大きくて温かな先輩の手のひらが包み込むようにのせられた。
「剣道で見つからなかったのならば、新しいことでそれを見つけてみないか? ──この、うんりょーで」
温かい言葉と、温かい手。
思わず顔を上げると、彫刻のように冴え冴えとした美しさの中、眼差しもまた温かに戸惑う私を包み込んでいた。
「……でも。見つからなかったものをもう一度探すより、諦めてしまった方が楽だったりしませんか?」
「それでは俺が困る。君との縁は、あの凛とした横顔を再び見たいという俺のエゴを通すためのものでもあるからな」
先輩が朗々とした
「もうすぐ合奏が始まる。合奏は俺達吹奏楽部員が個々で積み重ねてきた努力を皆でさらに重ね合わせるものだ。そこで生まれるものを知華にも感じ取ってもらいたい」
「あっ、知華ちゃーん! こんにちは♪ 今日もうんりょーに来てくれてたんだねっ」
心に響く鷹能先輩の言葉に続いて耳に入ってきたのは、トミー先輩のウエハースのようにサクッと軽い挨拶だった。
「あっ! タカちゃんが抜け駆けしてる! 頭ポンポンってどこの少女漫画だよっ」
「知華は俺が見つけてきたのだから抜け駆けではない。トミーこそ彼女の半径二メートル以内に近づくな。斬り捨てるぞ」
心地よかった手のひらの感触が頭から離れた途端、そのシチュエーションの糖度の高さに今さら気づいて心拍数がまた上がった。
それにしても、昨日の咲綾先輩と同様の牽制をされるトミー先輩の扱いが悲しすぎる。
案の定ブリザード級の冷気をすでに発動させた咲綾先輩を背後に感じたトミー先輩は「俺の指揮に惚れるなよっ」と性懲りもない台詞を残しつつ、逃げるようにホール中央の指揮台へと向かう。
フルートと楽譜を胸に抱えた咲綾先輩は身に纏う冷気を一瞬で消し去り、優しくも妖艶な微笑みを私に向けた。
「知華ちゃん、また来てくれて嬉しいわ。今日はこれから『バッカナール』という文化祭のトリ曲を合奏するの。素敵な曲だから聴いていってね」
「はい。楽しみにしてます」
自然と口をついて出た自分の言葉に驚いた。
まだ吹奏楽をやると決めたわけじゃない。
それでも、鷹能先輩の言葉から、自分の中でこれから始まる合奏に何かを期待する気持ちが芽吹いたことは確かだった。
二階に集まってきた部員達は、楽器ごとに扇状にあるいは一列に隊を成していく。その後ろにはいつの間にか数人の新入生が集まっていて、私は彼らと同じ場所から合奏を見学することにした。
「ほーい。みんな揃ったねっ! じゃあ今日は『バッカナール』合奏しまーす。昨年度の定期演奏会でも演奏してるし、まずは通しでやってみよっ」
相変わらず軽いノリのトミー先輩が一声かけ、手前に座るオーボエの先輩に向かって軽くタクトを振った。
「♪~」
独特のやわらかな音が出されると、その音に様々な楽器の音が重ねられていく。どうやら音程を合わせているらしい。
時折口から楽器を離して何やら調整する人もいたりして、そうこうしているうちに耳触りの良い音にまとまったところでトミー先輩が軽く拳を握り、すべての音が止んだ。
次の瞬間、チャラかったトミー先輩の顔つきが変わる。
挑むような真剣な眼差しを扇形の一団に送ると、タクトを掲げた。
楽器を構えた四十人近い部員の視線がタクトの一点に集中し、緊張と静寂がみなぎる。
タクトを小さく振り下ろした瞬間。
ジャン!!
一斉の音の後にすかさずオーボエのソロが始まった。
静寂の中に流れるエキゾチックな旋律。
哀愁の漂うソロが終わると、印象的なメロディが聞こえてくる。
少しずつ音の重なりが増えていき、ティンパニやシンバルといった打楽器も入ってくる。
すると、盛り上がったメロディが突然止み、タッタカタッタカ……というカスタネットの音だけが響いた。
幼稚園のお遊戯で使う赤と青のカスタネットしか知らなかったけれど、そのスピード感と鬼気迫るリズムは全くイメージが違う。
また旋律が変わる。静かな音から少しずつ厚みを増して、迫力のある音へ。スピード感も増してきて、いやが上にも気分が高揚してくる。
鷹能先輩達トランペットの高く硬質な音が緊張感を高め、アラビアっぽいメロディアスな木管楽器のフレーズに重低音の金管楽器の規則的なフレーズが奥行きをもたせて不穏な雰囲気を漂わせる。
初めて聞くけれど、何かストーリーを感じさせる曲だ。
盛り上がった旋律が緩やかに減速し、美しく静かなメロディが始まった。鉄琴がハープのような柔らかい音色を奏でる。
情緒あふれる旋律にうっとりと目を閉じて聞き入ってしまう。
やわらかい部分が終わると再びスピード感のある旋律が戻ってくる。
前半部分と同じメロディが繰り返される。
盛り上がって、盛り上がって、スピードを増して……
そのスピードと突然の静寂を一手に引き受けて響き渡るティンパニ!
ティンパニの激しいリズムにホルンが華やかなメロディを乗せる。続いて木管楽器とトランペットが重なるところでティンパニのスピードと音量がさらに増す。
終焉に向かって破滅を思わせるようなスピード感と音量、厚み、そして高揚。
曲は最高潮に盛り上がったまま、ジャン!と終わった。
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