12 うんりょーの新入部員達②

 鷹能先輩と手を繋いだまま息を切らせてプールの角を曲ると、青雲寮の姿が見えた。

 周りを囲む木々が木漏れ日を降り注ぎ、ボロボロの屋根や壁をめいっぱい飾り立てている。


“待っていたよ” そんな声が聞こえてくるような気がした。

 これから私はここで新しい青春を体験するんだ。

 沢山の仲間と、隣にいる美しいギリシャ彫刻と。


 近づいていくと、ドアの前でそわそわと中の様子を伺う小柄な女の子の姿が目にとまる。先週同じようにうんりょーの中を覗いていて、鷹能先輩に声をかけられて逃げた子だ。

 先輩が再び声をかけようと息を吸い込んだので「ちょっと待っててください」とその場に留め、私は一人で彼女に近づいた。


「こんにちは!」

 声をかけると、びくうっと大きく肩を上げ、飛び退かんばかりに振り返る。

 昨日は鷹能先輩が声をかけたから怖がったんだと思っていたけれど、元々とてつもなく気が小さい人らしい。


「あなたも入部希望?」

 眼鏡の奥の零れそうなくらい大きな瞳に問いかけると、高くてか細い声を震わせながら彼女が答える。

「は……はい……。“も” ってことは、あなたも……?」

「そうだよ! 私は1-Cの星山知華。どうぞよろしくね」

「わ……わたしは1-Aの角田あゆむ、です」


 あゆむちゃんっていうのか。

 穴ぐらに棲息する小動物系っぽい印象の彼女。楽器は何をやるんだろう?


「角田じゃないか!」

 その声に振り返ると、はぁはぁと息を切らしながら私達を追いかけてきたうっちーがプールの角から姿を現した。

 鷹能先輩とお互いに火花散る眼差しを交わしつつこちらへと歩いてくる。

「うっちー、知り合いなの?」

「ああ。同じ中学おなちゅーなんだ。確か角田は中学も吹部だったもんな」

「は、はい……」

「へえーそうなんだ! 楽器は何やってるの?」

「あ、えと……」


「こんな所で立ち話せずに中に入ったらどうだ」

 うっちーに追いつかれたのが面白くないのか、若干不機嫌そうな鷹能先輩が割って入ってくる。

 そんな彼を見て、あゆむちゃんはまたびくびくと後ずさったけれど、私とうっちーが取りなしてなんとか青雲寮の中へと誘った。


「すげー! これが噂の “魔窟” の中かぁ」

 初めて中に入ったうっちーとあゆむちゃんは、独特の雰囲気に圧倒された様子。

「もうすぐ部長も来るだろう。そこの二人は部長が案内するから待っているように。知華は俺と二階へ上がろう」

 鷹能先輩が私を目線で促すと、うっちーが不満げな声を上げた。

「星山さんも俺らと一緒でいいじゃないですか」

「知華はすでに部長の案内を受けている。今日は俺とマウスピースで音を出す練習をする予定になっている」

「ほ……知華ちゃんだって、一人でいるより新入生同士で見学する方が楽しいよねっ!?」


 何の対抗意識なのか、うっちーまで私を下の名前で呼び出したし。


 またしても二人の間に不穏な空気が澱み出す。どうしてこの人達はこうも対立するんだろうか。

「私は今日は色んな楽器を体験させてもらおうかなっ」

 殺気立つ空気にあゆむちゃんが白目を向いて失神しかけていたので、私は慌てて中立案(というか、元々そのつもりだったけど)を提示した。


「知華は俺と同じトランペットでいいのではないか? 俺が手取り足取り教えてやろう」

「なんで楽器を教えるのに足まで取る必要があるんだよっ」

「まあまあ、うっちー。それは言葉の綾だから」

 鷹能先輩のお誘いは魅力的だけれど、つきっきりで教えてもらったら、ドキドキしすぎて練習に集中できなさそうだ。


「私は楽器未経験だから、どんな楽器が自分に合いそうかいろいろ試してみたいんです」

 心の内を素直に伝えてみたら、鷹能先輩もうっちーも渋々納得した様子。そうこうしているうちに咲綾先輩が来て、私達はそれぞれの場所に散ることとなった。


 トランペットのマウスピースは先日体験してみたけれど、金管楽器はどれも同じマウスピースで音を出すものだと鷹能先輩が説明してくれた。

 なかなか音が出ないことはわかったので、今日は木管楽器の方を体験してみることにする。


 訪ねてみたのはクラリネットの部屋。

「こんにちは。楽器を体験させてもらえますか?」

 きゃっきゃと華やかな空気に満たされた部屋を覗いてそう告げると、奥にいた男装の先輩がこちらへやってきた。


「こんにちは。ボクはクラリネットのパートリーダーをしています、二年の葉山です。よろしく」

 おお、外見だけでなく声も可愛らしい。いわゆる”ボクッ娘”ってやつですか。

 アンニュイな雰囲気だけど、はにかんで微笑むと背景に鈴蘭がほわわんと見えるくらい可憐な人。

 ああ、無性に守ってあげたくなる……!


 葉山先輩はまじまじと見つめる私のことは気にしていない様子で、黒くてコロンとした物体に薄い木の板がついたものを私に差し出した。

「これがクラリネットのマウスピースです。まずはこれで音を出す練習をしてみましょう」


 ここでもマウスピースか……。

 先輩の見よう見まねで口にくわえて息を吹き込むけれど、ふーっというだけで全然それらしい音にならない。

 金管楽器のマウスピースとは息の吹き込み方が全然違うらしいけれど、どちらにしても楽器の音を出すのがこんなに難しいだなんて思わなかった。


 何度チャレンジしても一向に音の出る気配がなく、引き際のタイミングを考え始めたときにクラ部屋の扉が開いた。

「こっちはひととおり案内終わったけれど、知華ちゃんはどんな感じ?」

 うっちーとあゆむちゃんを引き連れた咲綾先輩が、大輪の百合の背景を負いつつ顔をのぞかせる。


「いやー、なかなか音が出なくって」

 苦笑いで答えると、咲綾先輩がふふっと可憐な笑みを零す。

「初めは皆そんなものよ。次はフルートを体験してみる?」

 フルートと言えば、あの百花繚乱の美しい先輩達が銀色の横笛を優雅に吹いていらっしゃるのよね。

 あの中に混じったら、まさに醜いアヒルの子状態になるに違いない。

「フルートはなんとなく自分のガラじゃない気がするんですよ」

 やんわりお断りすると、咲綾先輩の隣にいるうっちーが目を輝かせた。


「それなら一緒にパーカッションの体験に行ってみようよ! この後先輩達が楽器練習をするから、いろいろな楽器を触らせてくれるって」

 いろいろな楽器と聞いて、二階ホールにずらりと並んだ多国籍楽器群を思い浮かべた。

 バリエーション豊かなあの楽器達を触らせてもらえるなんて、確かにそれは面白そう!

「じゃあ、せっかくだから私も行ってみようかな」

 立ち上がった私はボクっ娘の葉山先輩に「ありがとうございました」とマウスピースを返し、彼らの元へと歩み寄った。


「あゆむちゃんは? 自分の楽器の練習に行くの?」

「あ、うん。わたしは金管だから、二階に……」

 か細い声で口ごもるあゆむちゃんはきっとこれが平常運転なんだろうけれど、なぜだか茹でたてのタコのように顔を真っ赤にしている。黒縁メガネのレンズが曇るくらい顔を上気させて、一体どうしたんだろう?

 彼女の熱い視線の先を辿ると、マウスピースを丁寧に拭いている葉山先輩がいる。

 ほほう……。あゆむちゃんはそっちの趣味がおありですか。


「知華ちゃん、何ニヤニヤしてんの。二階に行こうよ」

 うっちーに促され、クラ部屋のドアガラス越しに葉山先輩を見つめ続けるあゆむちゃんを置いたまま、私達はミシミシと階段を上った。

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