06 鷹能先輩の謎③

「で、星山さんはどこの部活に入るか決めてるの?」

 内山田君の質問に話題転換のチャンスを見出した私はすかさず答えて切り返す。

「ううん。私、部活に入るつもりはないんだ。内山田君は入りたい部活があるの?」

「まだ決めてないんだけど、実は楽器をやりたくてさ」


 彼のその言葉に、茉希ちゃんがぱっと顔を輝かせた。

「じゃあ軽音部なんてどう? 昨日見学に行ったけど、楽しそうな雰囲気だったよ!」

「軽音かぁ! 俺、密かにドラムに憧れてるんだ。今日見学に行ってみようかな。星山さんも見学だけでも行ってみない?」

「えっ!? 私は遠慮するよ! 入るつもりないし」


 部活には入らないって宣言したばかりなのに屈託なく誘ってくる内山田君。賢そうなのに人の話は聞かないタイプなのかな?

 残念そうな表情の彼が何かを言いかけたけれど、担任の先生のHRホームルーム始めるぞの声かけに、私達は慌ててそれぞれの席についたのだった。


 🎶🎺🎶


「内山田君! 軽音部に一緒に行こうよ!」

 今日の授業が終わり、教室が解放感と席を立つ音に沸く中で、茉希ちゃんが早速内山田君を誘っている。

 私は「お先に!」と二人に声をかけてリュックを背負った。


 今日こそは自宅に直帰するつもりでいたのに、放課後になった途端、私の意識はグラウンドの向こう、鬱蒼と茂る木々の下に立つあの古い洋館と今日もそこにいるであろう美しいギリシャ彫刻へと引き寄せられている。


 昨日は帰宅後も鷹能先輩の謎が気になりすぎて結局バイト探しに身が入らなかった。

 だからと言って、ギリシャ彫刻の無機質さに隠された柔らかな部分に触れようとするならば、私は憧れの帰宅部ライフを手放して、きっと青雲寮に通わなければならなくなる。


“うんりょーが君を待っている”


 先輩のあの言葉は、やっぱり魔法の言葉だったんだろうか。

 帰宅部を決意したはずのなのに、放課後のあの場所が、あの場所にいる鷹能先輩が、こんなにも気になってしまうなんて──


 そんな魔法を振り払おうと、首をぶんぶんと振った私の耳に飛び込んできたのは。


「知華」


 詩をそらんじるような、朗々とした低い声。


 心臓に直接響くようなその声に驚いて顔を上げると、動く芸術品、鷹能先輩その人が教室の出入口に立っていた。


「鷹能先輩……」


 初々しさであふれる一年生の教室に突如現れた三年生は、体躯も雰囲気も物憂げな表情もすべてが大人の雰囲気で、加えてその端正なルックスが教室じゅうの視線を一心に集めている。

 鷹能先輩はそんなことはお構いなしという態度でずかずかと教室に入ると、呆然とする私の目の前に立った。


「知華。君を迎えに来た」

「えっ? でも私は……」

「せっかく君に会えたのだ。それを無かったことにはしたくない」


 その言葉に射抜かれる。

 昨日つながれた右手が、彼の温もりを思い出したかのように熱を帯びる。


 あ、まただ──

 陶器のようにひんやりとした彼の表情に、僅かに桜の色がのる。


「行こう」

 再び魔法をかけられた私が促されるままに歩き出そうとしたとき、それを遮る鋭い声がした。


「ちょっと待ってください! 彼女は入部の意思はないそうですよ」


 我に返って振り向くと、その声の主は内山田君だった。


「……君は?」

 鷹能先輩が冷ややかな視線を彼に送る。

 その表情は無機質を極め、まるで血の通わない本当の彫刻のようだ。


「見てのとおり彼女のクラスメイトです。星山さんは今朝、吹奏楽部への入部の意思はないときっぱり言ってました。そんな彼女を教室にまで誘いに来るなんて、ちょっと強引じゃないですか」


 冷徹な凄みに気圧されながらも、内山田君は微かに震える声でそう言い切る。ヤバいと噂の上級生に意見するのは相当な覚悟がいるんだろう。どれだけ正義感が強いのか。


「俺はずっと彼女を待っていたのだ。昨日今日に出会ったばかりのクラスメイト風情が知ったような口を聞かないでもらおう」


 内山田君に厳然と言い放ち、鷹能先輩は私に向き直ると、昨日の温もりを思い出した手のひらをもう一度迎えに来た。


「まずはうんりょーに来て話を聞いてほしい。そこに留まるか否かはそれから決めればいい」

 私をまっすぐに見つめてそう告げると、先輩は今日もまた私の手を握ったままつかつかと歩き出した。


「あ……、えと、二人ともまた明日ねっ!」

「ちょっと待ってくださいよ!」

「ちっ、知華ちゃんっ!?」



 内山田君の抗議の声と、慌てふためく茉希ちゃんの声が耳に届くけれど、私はこの手を振りほどくことはできない。


“見つけた”

“ずっと待っていた”


 鷹能先輩は、

 どうして私を探していたんだろう。

 どうして私を待っていたんだろう。


 その答えはきっと青雲寮にある。


 手をつないで歩く鷹能先輩と私に、廊下に溢れ出た生徒達は目を丸くしながら道を開ける。

 ヤバいと評判の先輩に二日連続で手を引かれるなんて、きっとまた噂の的にされるんだろう。

 けれど、背筋が綺麗に伸びた背中とか、つながれた手の温かさとか、時折見せる温かな眼差しとか。

 きっとそれを知る人は少ないであろう先輩の一部に触れてしまったら、噂にされてもいいからもっと触れてみたいと思ってしまう。


 そうして結局今日も私はギリシャ彫刻に手を引かれ、青雲寮へ向かうことになった。

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