14 うんりょーの先輩達①

 ブレザーを脱いだ白いワイシャツの上に、胸当てのついた黒いエプロン(猫の刺しゅう入り)姿。

 そんなどこぞの若奥様的な出で立ちの先輩が、菜箸を片手に無機質な表情で私を見据えた。


「今日はこの後トミーや霧生達とうんりょーここで焼肉パーティーをするのだが、知華も食べて行かないか」

「えっ? ここで焼肉っ!?」


 そう言えば、皆が帰り支度をしている中で甘辛ダレの良い香りがこの古い洋館の中を漂っている。

 近所の家の夕飯の香りかと思っていたけれど、発生源はボーン部屋だったのか!


「それって俺も食べて行っていいんですか?」

 成長期真っ盛りでかつ空腹の身に、この香りはたまらなく魅力的だ。

 うっちーが目を輝かせて鷹能先輩に尋ねたけれど、先輩は万物を凍らせる絶対零度の目つきで彼に言い放つ。

「知華のクラスメイト風情に食べさせるようなものは野菜の切れ端一つとてない。さっさと家に帰れ」

「ちょっ! なんて言い草だよっ! 知華ちゃんと俺はクラスメイト兼同じ吹奏楽部員なんだからなっ」


 追加された関係性にたいした進展は見られない気がするけれど、進展させるつもりもないからとりあえずスルーしておこう。


「うーん。でも、お母さんが夕飯の支度始めちゃってると思うし……」

「だよねっ!? 知華ちゃんは俺と一緒に帰る方が断然楽しいよねっ!?」


 うっちーの身勝手な解釈に、鷹能先輩の背後にひゅごぉぉぉっとブリザードが発動した!

 さすが血縁だけあって、咲綾先輩に負けず劣らずの凄まじい冷気だ。


「ほう……。俺に刃向かうとは見上げた度胸だな。知華のクラスメイト兼同じ吹奏楽部員風情ではあるが名前くらいは聞いてやろう」


 その凄みにうっちーも私もアナコンダに睨まれたジャンガリアンハムスターのように戦慄した。

 暴力団がらみの事件を起こしたヤバい先輩という噂はあながちガセではないのかもしれない。

 完全に膝が笑っているうっちーが、震える声をなんとか絞り出す。


「う……内山田光亮こうすけ。パ、パーカッション希望ですっ」

「パーカスだと……? そうか、霧生に教えを請うわけか。言っておくが、あいつは “ドラムの鬼” という二つ名をもつ男だ。では、霧生にお前を指導するよう俺からも頼んでおくとしよう」

 絶対零度の眼差しのまま先輩がにやりと口角を上げた。その冷酷な微笑みはギリシャ彫刻の美しさを凄絶に際立たせる。

 目が離せずにいると、先輩はその眼差しの冷たさをいくらか和らげて私を見た。


「では知華。ジュース一杯ほどならば飲んでいけるか」


 どうしよう。

 今の先輩の迫力に足が竦んだはずなのに、心はまだ──ううん、前よりもっと先輩に囚われてしまっている。

 美しい色彩のアナコンダに魅せられてしまったジャンガリアンハムスターは、巻きつかれ締め上げられてもその繊細な輝きを放つ鱗に触れてみたいと思ってしまうんだ。


「じ、じゃあ、ジュースだけいただいていきます。うっちー、悪いけど私はここで」

「えっ……。う、うん……。また明日」


 うっちーはまだ何か言いたげだったけれど、さすがにこれ以上ヤバい先輩に食い下がることに身の危険を感じるのか、渋々靴を履いて青雲寮を出ていった。


 鷹能先輩に促されてボーン部屋に入ると、中央の大きな調理台を占領していた総譜スコアは綺麗に片付けられていて、普段はどこかにしまってあるらしきホットプレートが置かれている。

 その上にはすでに玉ねぎやピーマンなどの野菜が並べられていて、先ほどまでお世話になっていたパーカッションの秋山先輩が箸でひっくり返していた。


「もうすぐお肉焼き始めるからちょっと待っててね!」

「あ、いえ、私はジュースだけいただいたら帰りますから」

「そうなの? タカちゃんの特製焼肉ダレは超絶品なんだよ! 少しくらい食べていきなよ」


 一刻も早く肉を投入したくてお肉のトレイを片手にうずうずしているのは、指揮のトミー先輩とパーカッションの霧生先輩だ。

 さっき鷹能先輩は霧生先輩に “ドラムの鬼” という二つ名があると言っていたけれど、細い垂れ目でいつもニコニコしている霧生先輩を見るとそんなイメージは全然湧いてこない。


「咲綾部長はいらっしゃらないんですか?」

 私が尋ねると、トミー先輩が答えてくれた。

「あいつの家は門限厳しいからねー。部活の終わる時間になるとうんりょーの裏に迎えの車が来て、すぐに帰っちゃうんだよ」


「まあ、に巻き込まれたらそりゃあ親も過敏になるよね。部活動を許してもらえてるだけでもいいのかも」

「ああ、理事長も昔この吹部の部員だったみたいだからな。俺らがこうしてうんりょーを使わせてもらえるのもOBである理事長の好意らしいよ」


「あの、理事長って……?」

 先輩達の話が見えなくてさらに質問を重ねると、今度は秋山先輩が答えてくれた。

「咲綾は学校法人藤華学園の理事長の娘なんだよ」

「ええっ!? そうだったんですか!!」


 藤華学園って言ったら、この高校の他に中高一貫の女学園や大学、専門学校、幼稚園も経営している大きな学校法人のはず。

 その理事長の娘ってことは相当なお嬢様だ。

 どおりで滴り落ちるほどの気品に溢れていると思った。


 けど、って、一体何のことだろう?


「さ、知華ちゃんも座って!」


 その質問をする前に霧生先輩に促され、私は鷹能先輩の隣に空いているパイプ椅子におずおずと座った。


「それじゃ、知華ちゃんの入部を祝してかんぱーいっ!」

「かんぱーい!」


 陽気な先輩達とプラカップを軽く打ち合わせてからオレンジジュースを飲む。

 エプロン姿の鷹能先輩はカップを置くと菜箸で手際よく野菜をお皿に上げた。

「トミー、肉を焼き始めろ」

「待ってましたー!!」


 ジュウウッといい音がして、煙と匂いがもわっと広がる。

 ううっ。お肉を目の前にすると、やっぱりこの空腹には抗いがたい……。


「おっしゃ! 肉ゲットー」

 トミー先輩が早速伸ばした腕を手刀でびしりと薙ぎ払う鷹能先輩。

「こら! 最初の肉は知華にやるに決まっているだろう」


 トミー先輩と息の合ったコントを見せた先輩の意外な気さくさに驚いていると、目の前のお皿に焼きたてのお肉がのせられた。


「さあ、タレにつけて食べてみてくれ」

「は、はいっ! いただきますっ」


 胡麻と刻んだねぎが浮かぶタレにお肉をつけて口に運ぶ。

「うわ……! おっいしい……!!」

「だろっ!? タカちゃんのタレは本当に最高なんだよ!」

「なんでトミーが威張るんだよ! そこはタカに譲ってやれよ」

「ほらほら男子ー。プレート空いたらさっさと肉を置くー!」


 わいわいとはしゃぐ先輩達の様子にくすくすと笑っていると、微かな温かさを含んだ空気が耳元でそよいだ。

 ふと顔を横に向けると、彫刻のように端正な鷹能先輩の顔が思いの外近づいている。


「知華。入部を決めてくれてありがとう」


 そう囁いて綻ぶ笑顔に、心臓を鷲掴みにされた!


「ひゃっ! あああの、どどどどど」


 言語系統が完全に崩壊した私に構わず、鷹能先輩は濃い桜色に染まる温かな笑顔で、さらに攻撃力の高い一言を繰り出した。


「これでまたあの横顔が見られるのだな。今度は、もっと君の傍で──」

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