43 幼馴染みの愛と恋③

「しいちゃんはずっとタカちゃんのことが好きだったんだ……。しかも、彼女は水無瀬家のお嬢様だよ? 俺の愛の力で支えるなんて、そんなおこがましいこと出来るわけないだろ」

「では、幼馴染みとしてならば、これからも志桜里のことを支えてやれるのか?」

「それは…………っ」

「幼馴染みとして志桜里に接することも最早できないのだろう? 自分の心を押し殺して彼女を支え続けてきたお前のことを、お前以外の誰がおこがましいなどと思うだろうか」


 二人のやりとりを聞いていた志桜里さんの瞳から真珠の涙が零れた。

 両手で口を覆い、肩を震わせながら俯く彼女に、咲綾先輩がそっとハンカチを差し出す。


「でも……しいちゃんにとって俺はただの幼馴染みだし、タカちゃんに比べたら顔や身長、頭の良さにしたって何も優るものがないし」

「そのように卑屈に考えるのはお前らしくないな。俺から見ればお前の方が優る部分は沢山あるし、それは志桜里だって認めるところだろう」

「でも……。でもさ、これで紫藤本家との縁談がなくなったとしても、水無瀬家としてはしいちゃんの嫁ぎ先にそれ相応の家柄を求めるだろ? 縁談のあった家の家臣にあたる武本家なんて、全然釣り合いが取れないじゃないか」


 それまで子犬のように噛みついていた海斗が勢いを失ってうじうじと悩む様子に苛立ちが募る。

 声を殺して泣いていた志桜里さんの口から「そんなこと……」と言葉が漏れ出た瞬間、私はとうとう黙っていられなくなった。


「好きならばそんなこと乗り越えられるでしょうっ!」

「好きならばそんなことぐらい乗り越えられるだろう!」


 私が立ち上がって叫んだ声に、鷹能先輩が叱咤する声が重なった。


「え……っ!? 誰……っ!?」


 狼狽えた海斗がこちらを覗き込み、目が合った。


「あっ!? お前……っ! そ、それにしいちゃん!? さあちゃんまで!?」


 何が何やらと混乱している海斗の向かいで、鷹能先輩が私に向かってやれやれと苦笑いしてみせた。


 🎶🎺🎶


「しいちゃん、少しは落ち着いた……?」


 嗚咽が止まらなくなった志桜里さんの背中を優しく撫でながら咲綾先輩が覗き込むと、志桜里さんは顔を覆っていたハンカチを下げながらようやくこくんと頷いた。


 鷹能先輩と海斗は私達のすぐ隣のテーブルに移動してきてこちらの様子を黙って窺っている。


「取り乱してすみませんでした……。驚いたこともあるんですが、わたくしをずっと大切にしてくれていたカイちゃんの気持ちに気づかなかった自分の身勝手さが情けなくて……」

「俺こそ、ずっと気持ちを隠しててごめん」


 海斗が俯くと、泣き腫らした目の志桜里さんがふるふると首を横に振った。


「カイちゃんが謝ることなんて何もないの。わたくしが落ち込んでいる時はいつも励ましてくれて、いつも笑顔でいられるようにって楽しい話を沢山してくれて……。わたくしがそんなカイちゃんにどれだけ救われてきたか」


「私から見ていても、海斗はとても純粋な気持ちであなたの力になりたいと寄り添っていたわ。そんな海斗の思い、しいちゃんには迷惑かしら?」


 咲綾先輩に問いかけられ、志桜里さんは少し間を置いてから躊躇いがちに言葉を紡いだ。


「迷惑だなんてそんな……。ただ、今はまだびっくりしてしまっていて、どう受け止めたらいいのか自分でもわからないんです」


 その言葉を聞きながら黙って唇を噛み締める海斗に、私は思わず声をかけた。


「ねえ、海斗。志桜里さんが新しい未来を見つけようとしている今だからこそ、あなたの思いが彼女を支えられるんじゃないの?」


 海斗の態度がもどかしくてイライラして世話を焼きたくなるのは、きっと少し前の自分と重なるからだ。

 目の前に立ちはだかるものの大きさに身が竦んで、自分の中にある純粋でシンプルな気持ちに正直になれないでいる。

 その気持ちこそが立ちはだかる壁を乗り越える原動力になり、新しい未来を拓くんだということを彼に伝えたい。


「知華の言うとおりだ。紫藤家の当主である俺の父も言っている。アモーレの力があれば家柄など関係なく、苦境を乗り越え周囲にも幸福をもたらすことができるのだと。志桜里がお前を受け入れるかどうかはともかく、お前の愛の力は必ず彼女を新しい未来へといざなえるはずだ」


 辿り着いたお互いの思いを確かめ合うように、私と鷹能先輩で瞳を合わせる。

 すると、向かいに座る志桜里さんがふうっと細く息を吐いた。


「そんな風に微笑むタカちゃんをわたくしは初めて見ました……。タカちゃんのために身を引かねばと自分に言い聞かせてきましたが、そうではありませんね。お二人を見ていたら、わたくし自身のために前を向いて歩いていこうという気持ちになれました」

「志桜里さん……」


「カイちゃん」

 親しげに呼ぶ声に、海斗が俯けた顔を上げた。


「カイちゃん。身勝手で弱いわたくしですが、これからも助けてもらえますか? わたくし、カイちゃんと過ごす時間が大好きなの。剣道のお話を聞いたり、一緒にリリアンを編んだり……」


「リリアンッ!?」

「おいっ!! いいとこなのにそこを突っ込むなよっ!」


 思わず叫んだ私に、海斗が真っ赤な顔をして声を荒らげた。


「そう言えば、幼い頃に俺達の間でリリアンが流行ったことがあったな」

「海斗としいちゃんは未だに編んでたのね……」

「無心になれて結構楽しいんだよっ!」


 苦笑気味の鷹能先輩と咲綾先輩にも噛みつく海斗に、志桜里さんからも笑いが漏れる。


「今日ほど皆さんとの絆がありがたいと思ったことはありません。これも幼馴染みのアモーレの力ですね。……そして知華さん、あなたのアモーレも確かに感じました。本当にどうもありがとう」

「ううん。私は何も……」


 瞼を赤く腫らしながらも、細められた志桜里さんの瞳には本来の煌めきが戻っていた。


「あーあ。タカちゃんの成人の儀で婚約が成立したら、こんな奴と一生の付き合いになるのかよ」


 わざとらしくジト目を向けてくる海斗にカチンときて「それはこっちの台詞よっ」と返すと、咲綾先輩と志桜里さんがお淑やかにころころと笑った。


「それを言うならば俺の身にもなってみろ。イノシシタイプの妻と右腕と、一生付き合っていかねばならぬのだからな」


「こんな奴と一緒にしないでくださいっ」

「こんな奴と一緒にするなよっ」


 私と海斗が同時に反論すると、鷹能先輩もははっと快活に笑う。

 日がすっかり暮れて店を出る時には皆が笑顔になっていて、藤央駅へ向かう志桜里さんと海斗を残る三人で手を振って見送ったのだった。


「知華、今日はありがとう。君のおかげで志桜里も海斗も前を向いて進むことができそうだ」


 志桜里さん達が角を曲がって見えなくなると、鷹能先輩が穏やかに微笑んだ。


「いいえ。海斗や志桜里さんを前向きにさせたのは、志桜里さんの言うとおり幼馴染みのアモーレの力ですよ。四人の絆の強さが羨ましいです」


「幼馴染みのアモーレは勿論だけれど、タカと知華ちゃんのアモーレも相当なものね。障壁を二人で乗り越えたからこその愛の強さが、あの二人の心を動かしたんだと思うわ。……というわけで、私まであてられちゃうから、手を繋ぐのは後にしてもらえるかしら?」


 片眉を吊り上げて小悪魔的にこちらを睨む咲綾先輩の隣で絡めていた指を慌てて解くと、鷹能先輩が咲綾先輩にいたずらっぽい笑みを向けた。


「咲綾はむしろ俺達のアモーレにもっとあてられた方がいいのではないか? 愛の力があれば、多少の障壁など軽く乗り越えられるぞ」

「あら、何のこと? 私は障壁のある恋愛なんて最初からするつもりはないわよ」

「その障壁を一生懸命一人で乗り越えようと奮起している奴がいるだろう。一人より二人。共に支え合って壁を乗り越えれば喜びもひとしおだぞ」


 障壁?

 一人で奮起?

 鷹能先輩の意味深な言葉に首を傾げると、クールな美を誇る咲綾先輩の頬がいつになく桃色に染まっている。


「一人で奮起って誰のことかしら。大口を叩いた割にのらりくらりと好きなことばかりやっている男なら知っているけれど」

「一度そいつの目指すものを真剣に聞いてやるといい。あいつのアモーレを高めてやれば、咲綾もまた紫藤の家のしがらみから解放されるだろうからな」

「あのう……さっきから何の話をしているんですか?」


 二人を交互に見遣ると、咲綾先輩が慌てたように目線を逸らした。

「そろそろうちの迎えの車が来るわ。タカも知華ちゃんも乗っていって!」

 あからさまに話題を変えられて、さらにわけがわからなくなる。


「というわけで、咲綾に俺達のアモーレをさらに見せつけてやろう」


 そう言った鷹能先輩が電光石火の早業で私の頬に口づけをした。


「先輩っ! いたずらが過ぎますよっ」


 全身の血が顔を目掛けて駆け上がる中、やっとのことでそう抗議すると、薔薇色の微笑みをたたえた鷹能先輩が長い指を滑り込ませ、再び私の指を絡めとった。

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