36 駆け出す恋心⑤
乾杯をしてからも、ご両親との会話は和やかに続いた。
今日のお料理を作ってくれている紫藤家お抱えシェフの話や、シェフがお休みの日はお母様が大好きな和食を作るという話、そして鷹能先輩は小さな頃から料理が好きでよく厨房を覗いては手伝いたがっていた話などを聞くうちに、私の緊張も少しほぐれてお料理の美味しさが認識できるようになってきた。
それと同時に、鷹能先輩の表情を窺う余裕もできたのだけれど────
ご両親が私達のことにどういう結論を出すのかがやっぱり気になるようで、尋ねられたことに返答したり私に気遣いを見せたりする時のほかは僅かに眉を歪ませながら食事を淡々と進めている。
メインのお肉を食べ終えメイドさんがお皿を下げたタイミングを見計らい、鷹能先輩が痺れを切らしたように口を開いた。
「……ところで母上、俺達に伝えなくてはならないこととはどういったことでしょう?」
先輩が真っ直ぐに視線を向けると、お母様は彼と同じ濃い琥珀色の瞳を細めながら口元を拭っていたナプキンを膝に掛け直し、居住まいを正した。
「私があなた達に伝えたいこと──。それは、あなた達二人にとっての結婚の意義です。タカヨシと知華サン、お二人は結婚することの意義についてどう考えているのかしら?」
お母様の言葉を聞いて、私と鷹能先輩は顔を見合わせた。
結婚の意義──?
ここまでの展開が急すぎて、そんなことは考えてみたこともなかった。
私が不安げに見えたのか、鷹能先輩は軽く頷くとお母様に視線を向けた。
「俺にとって結婚の意義とは、愛する人と共に人生を歩み、幸せや苦しみを分かち合って人生を豊かにすることだと思っています。知華とならばそれが可能であると俺は思っています」
躊躇いなくそう告げた先輩が再び私を見やる。
先輩と瞳を合わせて互いに頷くと、お母様は再び質問を投げかけてきた。
「一般論としてはタカヨシの言うとおりでしょうネ。でもあなたの場合は紫藤家の後継者として、結婚には別の意義を持たせなくてはならないワ。それが何かはわかるかしら?」
「それは……お家存続のために子孫を残すということでしょうか」
尋ね返した鷹能先輩に、お父様が答える。
「もちろん子孫を残すことも大切だがそれだけじゃない。紫藤グループの従業員約一万人の生活を背負う者として、自身の結婚が会社の発展に大きく影響するということを考えなければならないのだよ」
見た目に反して重みのあるお父様の言葉が、重厚なプライベートダイニングの雰囲気をさらに重苦しく塗り替える。
やっぱりそれって、一般庶民の私では紫藤グループ後継者の嫁として相応しくないと言っているんだよね──?
「確かにグループを継ぐ者として、従業員とその家族の生活を保障できるようグループの業績を維持拡大していくことが至上命題であることはわかっています。しかし、それは俺自身が経営について学び努力を重ねていくことで実現可能であり、必ずしも結婚に頼る必要はないと思いますが」
「見た目は随分と大人びたけれど、まだまだ甘ちゃんだな、よっしーは。結婚が自分の人生をどれだけ大きく左右するのか、それによって周りにどれだけ大きな影響を及ぼすのか、まだまだわかっちゃいない」
鷹能先輩の反論をお父様がぴしゃりと返す。
先輩は眉を大きく歪ませ、父親への苛立ちをため息と共に吐き出した。
「確かに、お祖父様も父上も、妻に迎えた女性の家は出資者であったりビジネスパートナーであったりと、紫藤グループの発展に重要な役割を担っていますね。特に父上、あなたは紫藤グループがアパレル業界で新規事業を開拓するにあたり、イタリアの有名生地メーカー経営者の娘であった母上と結婚した。政略結婚の成功体験を俺の意志とは無関係にごり押しするつもりなのですか。……お祖父様が父上にそれを無理強いしたように」
先輩の言葉に、お母様の顔が青ざめる。
「タカヨシ……。あなたはそれをお祖父様から直接聞いたのですか?」
「はい。厳格なお祖父様でしたが、晩年は小学生の俺を話し相手に、時折ご自分の人生を振り返ることがありました。その中で一度だけ聞いたことがあるのです。“鷹麗とエミリアーナには申し訳ないことをした。自分が結婚を無理強いしたばかりに大変な苦労をさせた” と……」
「そうでしたか……。お義父様がそんな風に思っていらしたとは……」
お母様は俯けた瞳を揺らして言葉を詰まらせた。その後を引き受けて、お父様が私達二人に視線を向ける。
「親父がそのことを悔いていたとは知らなかったが、よっしーは誤解しているよ。僕とエミちゃんは政略結婚じゃない。むしろ僕は親父の仕組んだ政略結婚に逆らったんだよ。……よっしー、君と同じようにね」
「えっ……!?」
思わず驚きの声を漏らしてしまった私に穏やかな微笑みを向けると、お父様はお母様との出会いについて話してくれた。
お父様は成人の儀までの五年間、紫藤グループのアパレル事業立ち上げのためにお祖父様にイタリア滞在を命じられ、学業の傍らイタリア語の習得と現地のファッション市場の調査に勤しんでいたそうだ。
イタリアのハイセンスで上質な生地は当時の日本では馴染みが薄く、提携できる生地メーカーを探していたお祖父様は現地のとある有力企業に目をつけ、その経営者一族の娘とお父様との縁談をまとめ、成人の儀で婚約する予定だったという。
ところが、お父様は偶然出会ったエミリアーナさんと恋に落ちてしまった。しかも、エミリアーナさんの実家は婚約相手の同業者で、ライバルと呼ぶには程遠い小さな工場を営んでいるにすぎなかった。
厳格なお祖父様がそんな二人の結婚を許すはずがなく、また婚約相手の家族が怒ってエミリアーナさんの実家の工場を潰しにかかったりと大変な騒動になったらしい。
「そんな……。お祖父様が無理強いしたと仰っていたのは、母上との結婚ではなかったのですか? 母上のご実家は今やイタリアでも一、二を争う大きなテキスタイル会社ですし、てっきり初めから母上との縁談が決められていたのだと思っていました」
鷹能先輩が半ば呆然とする前で、お母様がその潤んだ瞳を隣のお父様に向ける。
「
「父上と母上も、政略結婚ではなく恋愛結婚だったとは……。であるならば、紫藤家とグループの繁栄に俺の結婚が大きく影響するというのはどういうことなのです?」
「
この大事な場面で突然ちょいワル要素を出してくるお父様に、私と鷹能先輩は思わず顔を見合わせた。
そんな微妙な反応をスルーしてお父様が語り出す。
「良いかい? 人間は愛によって強くなる。僕もエミリアーナへの愛の強さがあったからこそ、苦境を乗り越えアパレル事業を成功に導きグループの繁栄に一役買うことができた。結婚はアモーレの力を最大限に引き出すためのとても大切な人生の選択だよ。よっしーにもアモーレの力で自分の人生を豊かにするだけでなく、周りも幸せにしてほしいんだ」
「アモーレの力……」
呟いた私にお茶目なウインクを飛ばすと、お父様は先輩を見据えた。
「よっしーが五年前に
「それはつまり、俺と知華のことを認めてくださるということでしょうか」
先輩が安堵の色を滲ませてコーヒーカップに手をかけたけれど、お父様は彼をじっと見つめたままテーブルの上で指を組んだ。
「君が愛すべき女性を見つけたことはとても喜ばしいことだ。けれどもこの会食での君達を見ている限り、まだまだアモーレが足りない。よっしーは今、しいちゃんと話し合っているそうじゃないか。君達のアモーレの力で、志桜里ちゃんと海斗君を納得させてごらん。君達がより強い絆で結ばれ、お互いへのアモーレをさらに高めた時、僕とエミリアーナは君達を祝福し婚約を認めよう」
“アモーレを高めれば婚約を認める”
頭ごなしに反対されなかったけれど、お父様からは随分漠然とした条件を提示されてしまった。
さすがの先輩も、その条件に対してすぐに妙案が思いつくわけではないらしく、会食を終えた帰りの車の中でも思案顔のまま窓の外を見つめていた。
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