04 鷹能先輩の謎①

「うんりょーはね、二十年ほど前まではこの高校の宿泊施設だったのよ。部活の合宿所みたいなものね。新しい合宿所が体育館の横に建てられて、使われなくなった青雲寮を吹奏楽部が部室にしているの」


 咲綾先輩の説明を受けて、建物の中を見回してみる。

 奥まで続く廊下に沿って、引き戸や襖、ガラス戸などの建具が並ぶ。その廊下と並行して、意匠の凝った手摺のついた階段が上へと伸びている。

 建物中が様々な楽器の音で満たされているけれど、よくよく見ればこの建物は家だ!

 部室というよりも生活空間だ――


 手始めに、咲綾先輩が私達の前にある引き戸をガラリと開けた。

 カタタタ、カタタタ。

 乾いた音が細かな粒となって跳ねるように聞こえてくる。

「ここはパーカス部屋。昔は屋外にある手洗い場だったんだけど、壁で囲って床を張って打楽器パートの部員達の練習スペースにしてるの」

 コンクリートの流しの縁をバチで叩いている先輩方と目が合い、ぺこりと会釈をする。

 背の高い優しそうな男の先輩と、ボーイッシュな女の先輩、その後ろにも二人ほど女子の先輩がいて、リズミカルにバチを動かしながらにっこりと微笑んでくれた。


 次に、パーカス部屋の対面の襖を開けた咲綾先輩。

 畳敷きの和室に似つかわしくない、グルーブのきいたジャズの音色が飛び出してきた。

「ここはサックス部屋ね。ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの他にオーボエやファゴットも一緒に使ってるわ」

 バリトン? ファゴット? 聞いたことのない単語が混じってるけど、入部するつもりもないし、敢えて質問はしないでおこう。


 和室の隣は開放的なホールのようになっている。窓が大きくて明るいし、皆が集まる食堂だったのかもしれない。

 たくさんのパイプ椅子が並べられていて、丸みを帯びた高めのクラリネットの音に混じり女子部員達の甲高い笑い声が聞こえてくる。

「ここはクラ部屋。女の城みたいでしょ」

 採光の取れた開放的な空間を満たす甘い香りと華やかな空気は、古い洋館の薄暗い雰囲気の中では随分異質な感じがする。


 その中でさらに異彩を放っていたのが、男子の制服を着た華奢で小柄な先輩だった。

 長い睫毛を伏せるように楽譜を見つめ、程よい厚みの柔らかそうな唇で楽器をくわえている姿が妙に艶めかしい。

 男装の麗人ってやつだろうか。女子高にいたら神レベルに崇拝されそうだ。


 その人の美しさに思わず見入っていると、咲綾先輩が歩みを進めた。

 クラ部屋の前を通り過ぎ、その奥の部屋の前で止まる。

「ここはボーン部屋ね」

 ガラガラとガラスのついた引き戸を先輩が開けると、調理場と思わしき空間が姿を現した。

 壁に沿うのは大きなシンクと調理台。真ん中にも大きな調理台が据え付けられていて、楽譜がいっぱい広げられている。

 それを見ながら鼻歌混じりに腕を振っていた男の先輩が顔を上げた。

 あのチャラい指揮者だ!

「わっ、咲綾! そのかわいい子、新入生!?」

「見ればわかるでしょ。半径二メートル以内には近づかないで。ぶつわよ」

 すっくと立ってこちらへ突進せんばかりのチャラ男先輩に、咲綾先輩が速攻で牽制を入れる。

「なんだよー。自己紹介くらいさせてよ。俺はトロンボーン担当で副部長で指揮者の富浦とみうら啓太郎。トミーって呼んでねっ!」

 チャラい笑顔で右手を差し出され、おずおずと握り返そうとして今度は私が咲綾先輩に制された。

「知華ちゃん。トミーは女の子の手が握りたいだけだから、握手は必要ないわ」

 優美な咲綾先輩の笑顔が、突如氷のように冷たくなる。

 ひゅごぉぉぉっという効果音と共にブリザードが発動しそうな空気だ。

 この二人、部長と副部長なのに仲が悪いんだろうか……。


「ちぇっ! 咲綾のケチ~」と口を尖らせるトミー先輩の背中越しに、ふと気になるものが視界に入った。

 長い調理台の隅に置かれたカセットコンロやフライパン、鍋。さらに見ると、シンクの横には水切りカゴ。干された布巾。据え付けの食器棚には食器も入っている。

 家のような青雲寮の中でも、ひときわ香る生活臭。

 一体誰が使っているんだろう?


「知華ちゃん、次の部屋に案内するわ」

 質問しようと口を開きかけた私に、冷気を纏ったままの咲綾先輩が告げる。

 一刻も早くこの場を離れた方がいいような気がして、「また今度ゆっくりお話しようね~」と手を振るトミー先輩に頭を下げ、咲綾先輩の後を続いた。


 次に案内されたのはボーン部屋の奥、突き当りにある洗面所とお風呂場だった。

 昭和の香り漂うタイル貼りの床と浴槽。こんな場所までパートの部屋として使われてるの!?

「ここが私達のフルート部屋よ」

「なんだか湿気が多そうですね……」

 思わず漏れた本音に慌てて口をつぐんだけれど、咲綾先輩は気を悪くする様子もなくにっこりと笑った。

「そうね。確かに鷹能タカが使ってるけど、毎日乾拭きと換気はしてくれてるし、楽器は廊下の楽器庫に収納してるし、問題ないわよ?」

「ふぇっ!?」


 また変な声出たし!

 ここって現役のお風呂場だったんですか!?

 しかも、あの鷹能先輩が使ってるって――!?


 突っ込もうと思ったところに、フルートと楽譜を抱えた女子の先輩達がパタパタとスリッパの音を鳴らして入ってきた。

「咲綾部長、こんにちは! ……あら、新入生?」

「こんにちは。うんりょーへようこそ!」

 咲綾先輩に負けず劣らず……とはいかないまでもかなりの美人揃いで、浴室が途端に百花繚乱となる。

 その雰囲気に気圧されて、何も突っ込むことができないままにフルート部屋を後にした。


 ますます謎が深まる。


 ここでお風呂に入っているという鷹能先輩って、一体何者なんだろう。

 あの無機質で高潔なギリシャ彫刻のイメージからはまったく想像もつかない。

 もしかして、いやもしかしなくても、ボーン部屋の調理器具は彼が使っているんじゃなかろうか。


「次は金管パートが使っている二階のホールを案内するわね」

 咲綾先輩の後に続きつつも悶々とする私が廊下を歩いて玄関ホールに戻ると、ギイイと玄関ドアが軋み、くだんの鷹能先輩が現れた!

「あら、おかえりなさい。早かったわね」

 咲綾先輩が迎えると、鷹能先輩は無機質な表情の中に僅かに不機嫌さを含んで答える。


「しくじった。今日は第一木曜のスペシャルデーだった。目の前で最後の特売卵パックを婆さんにさらわれてしまった」


 憮然としながら玄関で靴を脱ぐ先輩。

 その手にぶらさげられたスーパーのビニール袋からは――


 長ネギの束と大根が飛び出していた。

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