40 合宿の夜③
うんりょーから歩いて五分のスーパー銭湯に皆で行き、戻ったところで肝試し大会が始まった。
スタートはプールを挟んでうんりょーの反対側にある更衣室前。
部員達がそこに集合したところで、テンションマックスのトミー先輩が仕切り始めた。
「さあっ! 吹部合宿恒例の “うんりょー肝試し大会” 始めるよーっ! ルールは簡単。二人一組のペアになってうんりょーまで行ってね! 中に入ってお札をゲットしたら、うんりょーの周りを一周して戻ってきてくださーい」
肝試しのペアはくじ引きで決めたのだけれど、こういう時に限って気まずい相手とペアになってしまうものだ。
「知華ちゃんとペアなんてラッキー! 怖くなったらいつでも抱きついてきてね!」
本気なのか冗談なのかわからないうっちーに、曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
鷹能先輩はまだ戻ってきていない。
あの二人との話し合いだから、難航して時間がかかっているのかもしれない。
未だちりちりと焼けつく胸の痛みは消えず、時間の進み方がとても遅く感じる。
「はいっ! うっちー・知華ペアスタート!!」
トミー先輩の号令で、二人揃ってそろそろと歩き出した。
プールを囲む壁を曲がると、グラウンドの照明はすでに落とされていて、壁をつたってうんりょーへ向かう。
「昔うんりょーで自殺者が出たって話、フィクションだってわかっててもめちゃくちゃ怖かったよな!」
暗闇の中、沈黙を引き連れてしばらく歩いた後、うっちーが努めて明るい声で話しかけてきた。
二人きりになるのは先日の喫茶店以来だったから何を話していいのかわからなかったけれど、手探りで話題を振ってくる彼との距離感が何となく掴めそうでほっとする。
「葉山先輩のぼそぼそした話し方が怖さを倍増させたよね!」
「いつの間にか三年生の姿が消えてたから、絶対どっかで驚かされるんだろうなあ」
そんな会話を交わした瞬間、うんりょーの方から「きゃああああっ!!」と誰かの叫び声が聞こえてきた。
思わずゴクリと唾を飲む私。
心拍数が急上昇して、手のひらにじっとりと嫌な汗が滲んできた。
壁を左に曲がり、うんりょーが見えてくる場所にさしかかった。
鷹能先輩という主が不在のうんりょーは今日は明かりがついていなくて、鬱蒼と茂る木々がざわめく中で不気味に佇んでいる。
うっちーが恐る恐るドアを開けようとした瞬間、ギギギッとドアが開き、私とうっちーは無駄に驚いて飛び上がってしまった。
「うわあっ!!」
「ひゃあっ!!」
中から出てきたミオ先輩も、私達のシルエットに驚いて声を上げる。
「中はめちゃくちゃ怖いよー! うっちーも知華ちゃんも頑張ってお札探してね! ほらっ、あゆむちゃん、外に出たよ! もう大丈夫だから頑張って歩こう?」
ミオ先輩が失神しかけたあゆむちゃんを引きずるように外へ連れ出し、入れ替わりで中へ入った私達が扉を閉めると本当に何も見えないくらい真っ暗になった。
「よし、お札は手分けして探そう! 一階にしか隠してないって話だから、俺が奥のフルート部屋とボーン部屋を探してくる」
「じゃ、私はクラ部屋とサックス部屋を探すね」
うっちーの気配が遠ざかる中、手探りで廊下を進み、クラ部屋に入る引き戸に手を掛けた。
戸を開けて壁づたいに中へ入る。
とりあえず棚のある場所を目指し、さわさわと壁面の感触を確かめながら奥へ進んでいた私の手に、何か柔らかくて温かいものが触れた!
「きゃああっ!?」
叫びながら手を引っ込めると、突然パッと丸い光が発せられ、クラ部屋の奥、窓際の棚の上に置かれたお札が照らされた。
懐中電灯を操る人影がぼんやりと浮かび上がる。身長の高さから言って霧生先輩のようだ。
ドラムさえ触らなければ仏のように優しい先輩の心遣いに感謝しながらお札に手を伸ばすと、「ぬおおおおっっ!!」と奥の方からうっちーの叫び声が聞こえてきて、思わずくすりと笑いが漏れた。
「うっちー!! お札ゲットしたよ! 玄関に戻ろう!」
「りょ、りょ、了解」
親切な脅かし役に「ありがとうごさいました」とお礼を言うと、クラ部屋の出入口を照らしてくれた。
部屋を出て再び真っ暗な廊下を戻り、うっちーと一緒に玄関を出た。
「フルート部屋でいきなり足を掴まれてさ。めちゃくちゃびっくりしたけど、今思い返すとあれは咲綾部長だったような気がする」
「クラ部屋の脅かし役は霧生先輩だったよ。お札のある場所を懐中電灯で照らしてもらえて助かったよ」
言葉を交わしつつ、うんりょーの外をぐるりと回る。コースとしては建物の外を一周した後に、来た方とは違う方向のプールの塀に沿って更衣室前まで戻るという流れだ。
パーカス部屋の外壁を過ぎ、鷹能先輩が使っている洗濯機の前を通る。
先輩、もう戻ってきてるかな……。
洗濯機にきっちりと掛けられたカバーを見ながら歩いていたら、足元の小石に躓いた。
「きゃっ!」
「大丈夫!?」
バランスを崩した私の腕を、うっちーが咄嗟に掴んだ。
「ごめんごめん。大丈夫!」
笑いながら腕を引こうとして────
「うっちー……? もう大丈夫だから、離し……」
「嫌だ。離さない」
暗がりでもわかるほど表情を強ばらせたうっちーが、唸るように低くそう言った。
「……俺が原因?」
「えっ? 何が……?」
「知華ちゃん、俺が告った日から紫藤先輩と口きいてないでしょ? もしかして、俺の言葉を真剣に聞いてくれたのかなって思って」
「…………」
「知華ちゃん自身も、やっぱり結婚を決めるのは早いって思ったんでしょ? 俺にもまだチャンスがあるって自惚れてもいいのかな」
「うっちー、違うの。私はただ……」
「もう一度言わせてよ。知華ちゃんが好きだ。俺と高校生らしい恋愛を楽しもうよ。知華ちゃんの幸せを一番に考えるって約束するから──」
掴まれたままの腕をぐいと引かれ、再びバランスを崩した私はうっちーに抱き止められた。
「ちょ……、離して……!」
慌てて押し返そうとしたその時────
「何をやっている……っ」
密着した私達を咎める声が耳を貫いた。
うっちーと互いに体を離して振り向いた。
仁王立ちする長身のシルエットが夜闇に浮かび上がっていた。
「鷹能先輩…………っ」
「先ほど海斗が言っていたことは本当だったのか……? 内山田の言葉がきっかけで、知華が婚約を躊躇い出したのだと──」
「ちが……っ! 誤解です!!」
「俺は海斗って奴から全部聞きましたよ。家同士で決めた婚約に逆らうあんたのわがままに、知華ちゃんを巻き込まないでください」
先輩に駆け寄ろうとした私の前に、うっちーがずいっと立ちはだかった。
向かい合って立つ二人の間には少しの刺激で爆発しそうな緊張が張りつめる。
「確かに俺はわがままかもしれないが、知華を無理矢理巻き込んだつもりはない」
「知華ちゃんの手を引いて強引にうんりょーに連れて行ったり、部活の後のイベントに色々誘ったり、がっつり巻き込んでたじゃないですか! 普通なら自由で楽しい恋愛ができるはずなのに、そっちの都合を押しつけて、知華ちゃんの未来を奪ってるんですよ!」
誤解を解こうと口を開いたのに、言葉が出てこない。
先輩が凄絶な怒気を纏う代わりに、あまりにも静かな悲嘆にくれていたからだった。
「内山田。お前に何を言われようが構わない。俺がわがままで強引だと言うことも認める。……ただ、知華は自分の意思で共に進むと決めてくれたのだと信じていた。それなのに、内山田の言葉ごときで迷う程に不安定だったとは」
「ごときって言うなっ! 俺は知華ちゃんに真剣な思いを伝えたんだ。彼女の心にそれが響いたってことなんだよ!」
どうすれば────
どうすれば先輩の誤解を解ける?
何を言えば信じてもらえる?
必死で考えようとしているのに、焦れば焦るほど頭の中が真っ白になる。
「知華……。惑わせるようなことばかりしてすまなかった」
低く静かにそう告げると、私達に背中を向けた鷹能先輩はうんりょーから遠ざかり、空き地の奥で息を潜める闇の中へと消えて行った。
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