22 もっと踏み込みたい気持ち③
私立
毎年六月の第一土曜日に行われるそれは、運動部も文化部も部活動単位で様々な催し物を企画して実行する学校行事の花形の一つだ。
模擬店を担当する部があれば活動成果を企画展示する部があり、私達吹部のように講堂や体育館のステージで公演を行う部もある。
先輩方いわく毎年大好評の吹部ステージは、今年は講堂で午後一番の上演予定となっていた。
本番前の最後の練習と諸準備のために、部員達は昼食持参で朝八時にうんりょー集合となっている。
週末の早朝、いつもよりだいぶ身軽に走るがらんどうの電車に揺られ、私は学校へ向かっていた。
私と鷹能先輩はお好み焼きパーティの後もうんりょーでの朝ごはんを続けている。先輩は相変わらず優しくて甘やかで、二人で過ごす朝の時間はいつも穏やかに流れていく。
けれども、結局私達が会っているのは朝ごはんの時間だけ。二人の時間をもっと増やしたいという思いは、形になることなく足踏みしたまま止まっている。
“今はまだ君を絡め取るべきではない”
不確かな足場からもう一歩踏み込もうとした私に、鷹能先輩はそう告げた。
引き返すことのできる場所にいるうちは、自分の事情に無理やり私を巻き込みたくはない――
先輩がそんな風に考えているのはわかる。
その優しさがすごくもどかしい一方で、私自身引き返せないところまで行ってしまうことへの不安がないと言ったら嘘になる。そんな思いがグラウンドを周回するようにひたすらぐるぐると巡るだけで、結局さらなる一歩を踏み出すことを躊躇っているのだ。
けれども、今日の学園祭が終わったら――
鷹能先輩は、自分の事情を私に教えてくれると約束した。
先輩の負っているものを知った上で、さらに踏み込むのか、引き返すのか。
その決断を自分自身に下す時がいよいよ近づいているというのは、私にとって文化祭での演奏以上に緊張することだった。
🎶🎺🎶
「おはようございます!」
「おはよう。集合時間が早いのに今日も来てくれたのか」
「はい。今日はいよいよ文化祭当日ですからね! 明太子増し増しで握ってきましたよ」
いつものようにボーン部屋を覗くと、顔を洗っていた鷹能先輩がタオルを顔に当てながら微笑んだ。
制服にもまだ着替えていなくって、パジャマ代わりと思わしきTシャツにダークグレーのスウェットパンツ姿。前髪が少し重そうに濡れていて、いつもより無防備な姿にドキリとする。
こんな可愛い先輩を見られるなんて、早起きはやっぱり三文の徳だ。
着替えのために先輩が二階へ上がっている間にお茶を用意し、二人揃ったところで「いただきます」と手を合わせる。
無音のうんりょーは本番当日の朝とは思えないほどに穏やかだけれど、私の心はすでにそわそわと落ち着きなくウォーミングアップを始めている。
「どうした。今日は大人しいな。緊張しているのか?」
俯きがちにおにぎりを頬張る私を鷹能先輩がからかうように覗き込んでくる。
もうすぐ先輩の事情を知ることになる、その時の自分が一体何を思うのか、それが気になって仕方がないなんてことは言えなくて、曖昧に口元を緩めて頷いた。
「知華が演奏するのは寸劇パートのポップス三曲だったな。そう緊張しなくても、聴衆は皆あいつらの寸劇に釘付けになるだろう。思いきって自分自身が楽しめばそれでいい」
「確かに、あの寸劇をリハで初めて見た時は衝撃でした……。今日は本番だからメイクも入るし、さらにパワーアップするんですよね」
「ああ。メイクは咲綾率いるフルートパートが “チーム
先輩のいたずらっぽい口ぶりに徐々に緊張がほぐれていく。
「鷹能先輩のあのソロパートもすごく楽しみです。素敵な演奏を聞かせてくださいね!」
「ありがとう。知華を酔わせることができるよう、いつも以上に心を込めて演奏することにしよう」
先輩、その言葉ですでに私酔わされてしまいそうです。
練習の時ですら先輩のトランペットにはいつも心を奪われているのに、ソロの演奏中に私のことを思って吹いてくれてるなんて、妄想しただけで卒倒してしまいそうだ。
本番中は自分の演奏に専念して、今の言葉はできるだけ思い出さないようにしなくっちゃ。
いつものように甘く穏やかな時間を過ごしていると、一人、二人、と部員が集まり出し、うんりょーは本番直前の独特な高揚感をゆっくりと纏い始めた。
🎶🎺🎶
基礎練習や個人練習の後、本番前最後の合奏で一通りの曲をなぞる。
ラスト一回の合奏練習だと思うと、軽く流していくような雰囲気の中にもいつもと違う緊張感が漂う。
この曲をうんりょーで演奏するのはこれで最後なんだなあという感慨も出てきたりして、本番はこれからだというのに終わってしまうことの寂しさがひたひたと近づいている感じがする。
剣道の試合前に似た緊張感や高揚感がありつつもワクワクや寂しさまでが
練習後は早めの昼食を済ませ、楽器を運びながら講堂へ移動することとなった。
私がマオ先輩と二人がかりでバスドラムを運んでいると、前方を大きなチューバを運ぶあゆむちゃんが歩いていた。
冬眠前に穴ぐらに大きなエサを運び込もうと奮闘する小動物のようで、思わず手を貸してあげたくなる。
「あゆむちゃーん、大丈夫?」
声をかけると、肩をびくびくっと竦めた後で「大丈夫です……」とか細い返事がきた。
通り過ぎようとして、あゆむちゃんの首に下がる大きなレンズのついたごついカメラがふと目についた。
「あゆむちゃん、それで何を撮影するの? 演奏中にはカメラなんて触れないよね?」
「あ……っ! こっ、これはですね、その、本番の前後に使おうかと……」
そのとき、しどろもどろするあゆむちゃんの後ろから、先ほどまでサックス部屋に籠っていた一、二年生男子部員の集団が歩いてきた。
彼らのその姿に、私もマオ先輩も抱えていたバスドラムを取り落としそうになった!
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