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すべてのエピソードへの応援コメント

  • 古代中国ドラマ迷です。
    ここまで噛み砕いて書いてくださってありがとうございます。目加田先生も伊波先生もなかなか読み進められず…楽しんで読ませていただきます。

    作者からの返信

    こんばんは、ようこそお越しくださいました!
    ぶっちゃけ途中から目加田訳も井波訳もきっちり理解させるつもりねえだろって半ギレになりながらやっていましたw 両大家の訳がなければ到底書けないものではありましたが……


  • 編集済

    へー、という感じで読ませていただきました。

    短編集から飛んできました、人の乳ですか…。

    瑠璃というのはガラスですか?

    あと「㹠」というのは初見ですが…。珍しい漢字ですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます、なんか色々こっちの常識ぶっ飛ばしてくる感が凄まじいです。

    瑠璃は瑠璃、でいいのではないかな、と思います。そういう宝石もありますしね。㹠については、晋書でも三箇所にしか出てこない字のようでした。かなりのレア文字ですね…説明は「豚の異体字だよ」で終わりですがw

  • このエピソードは知っていたけど、そう解釈しますか。凄い。

    作者からの返信

    ありがとうございます! 「明帝が何を言ったか」でなく、「明帝の言葉に何を仮託したいと作者陣が思ったか」が重要だと思っているのですよね。なので妄想を逞しくしてみましたw

  • 宗承、初めて知りました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    自分もここで初めて知りました。
    しかし他には逸話がなく、
    「そうか、冷遇されたのか」
    で終わってしまうのが悲しいところです。


  • 編集済

    田所です! 私は特に何もしていないのに、このような場をもうけていただき、ありがとうございますm(;∇;)m

    デイリー世説新語を通して見えた、破天荒だったり超ゆとりだったり(こら!)優雅だったりした在りし日の英雄、貴族に文士たちのエピソードを、毎日ワクワクしながら拝見しておりました! 私は、人間の乳で育てた豚の料理の話が特に好きです!!! こんな贅沢、常人にはとても思い付かない。これぞまさに大陸的スケールの大きさだなあ、と……。あと、借りた家に竹を植える話とか、何晏とアツアツうどんの話とか、葬式で驢馬の鳴き真似をする話とか、好きなお話はたくさんあります。

    ご紹介していただいたエピソードも絶対に拝見して、全制覇を目指します!! 本当にありがとうございました(*^▽^*)

    作者からの返信

    田所さま

    いえいえ、元々「これに全話お付き合いいただくのは厳しいだろうなあ、なにか明確なあらすじがあるわけでもなし」と、全話にお付き合いいただくのは諦めていたところがあるのですよ。なので嬉しい誤算というか、励みになりましたw

    人乳料理の話、いいですよね。自分も思わずこれで一編別に短編を上げてしまうくらい好きです。竹もうどんもロバも、油断すると自作でオマージュしてしまいたくなる魅力がw

    追加したエピソードの中には、既存のエピソードをふかぼりしてくれるものもあるかと思います。お手空きの際にでも、お越し下さいませw

  • > 曹丕の皇后、甄氏に対して

    甄氏のフリガナが「けんし」になっていませんか?
    尚、この時期は皇后ではなく夫人です。

    作者からの返信

    ご指摘、ありがとうございます!

    確認したところ、「甄」字の
    音読みで、一番頻度が高いのが
    「けん」なのだそうです。
    なので、ここは伝統的な呼ばれ方より、
    「漢字の読まれ方」で統一、
    という事にさせて頂いております。


    >皇后でなく夫人
    そうか、曹叡即位後の追贈か。
    見落としておりました、ありがとうございます!

  • お香というかにおい袋が仏教のような異国の風習によるから東晋貴族の雄としては容認できなかった、とかでしょうか。

    当時の人にとって常識すぎることを探るのは骨が折れますね。

    作者からの返信

    これについては「ライナスの毛布」であるのかもしれない、というご指摘を頂戴したことがあります。子供が持っている分にはいいけれど、いつまでもいい年こいた奴が持ってるなよ……みたいな感じですね。

    そうすると今度はなんで子供はそう言うのを持っているの? という無限ループにハマり、もう手のつけようがないですw

  • 謝安の逸話は、諦念というか、そこはかとないメランコリーが漂っていて、読む側にとっては居心地が良いのがなんとも。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    このおっさん、いちいちコメントがエロいですよね(謎のフィルタ)

  • この斜に構えたスタイル、まさに東晋ですね。痺れます。

    作者からの返信

    桓温に対してこの口の利き方ができてしまうのはすごいというか、こういう人も飼って使ってる桓温がやはりすごいと言うか。楽しいです。

  • この表、素晴らしいです

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    極限まで情報を圧縮したい!
    と思ったら、こうなりましたw

  • 感動的……

    作者からの返信

    劉宝さんは面白い人ですよね、
    エピソードの少なさが惜しまれます。

  • キンドルみたいにハイライトできればいいなと思うぐらいに、メモリたいところいっぱいです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    教養人のデフォルトみたいな書物で遊んでいるわけですし、それなら少しでも教養人どもの常識を庶民に引きずり下ろしたく思います!

  • 実際、こんな事があったのかもしれませんね。ただし、父の一瞥を、息子は誤解したのかもしれず、その末路を考えると、親父の責任も重いのかも、なんて思います。

    作者からの返信

    息子は間違いなく性急に過ぎましたものね。あるいは周囲にはやし立てられて、なのかもしれませんが、もう少し慎重であれば、(実際に晋の命脈は尽きていたのだし)どうにかなったのかもしれません。

  • 不世出の英雄桓温様らしくないエピソードですが、おもろいです

    作者からの返信

    二パターン考えられるんですよね。

    袁宏という人物がまたなかなかの特殊人格者なので、その文才はともかく、性格に常々イラッ☆ としていたか。

    あるいは、こいつにならこの手のノリが通じるから、ある意味で信頼して放言しているか。

    より面白い方、で解釈したいものです。

  • これは面白い……文がかっこよすぎて。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    書き下し文はおれたちの厨二マインドを全力でくすぐってきてくれると思っていますw

  • 読ませる文で、ちょう引き込まれます!

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    劉義慶とゆかいな仲間たちの恩恵に全力で乗っかっている作品ですので、少しでも劉義慶フレンズの文才を紹介できれば、と思っています!

  • このエピソード好きです。
    あまり効果はないかもですが、ある程度は循環するのかな?とか考えたりします。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    確かに、どれだけ実効性があったかは謎ですよね…

  • ピエール。。。

    作者からの返信

    シャングリラ彼女が歌ってしまわれたか…

  • 聞見擬爲吏部郎,不知審爾?
    果當至此,誠相遇之過。

    擬して吏部郎と爲さるると聞くも、知りて審ならざるのみ。
    果たして當に此に至るべくんば、誠に相遇するの過ならん。

    こんな感じかなあ。
    爾の後の?は無視しました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    「見」によって受動態になるのか!
    新しいルートを教えて頂けました、なるほど……!

    爾の扱いにも困ったし、
    「相遇の過」にしてみても
    いまいち意味を拾い切れない。

    なのでいろいろこねくり回してみましたが、
    やっぱり意味の推測に
    雑な飛躍が生じてしまっています。

    ここをもっと地に足つけていきたいところ。

  • 技術職は古代中国では賤業の節ありです。なんで、士大夫に診察させるなんつーのは大それたことだったんでしょうね。なんで、召使いはビビリまくり、終わった後にはもう二度とやらないってワケで、医書を焼いたのでございましょう。

    作者からの返信

    ※元々本文中に以下のようなことが書いてありました。
     それについての河東さんとのやり取りです。


    久しぶりにバックグラウンドが濃厚で死ぬ。これどう言う話なんだ? なんで殷浩さんは医を諦めようとしたんだ? 給仕は何で死をも賭すほどの決意を抱かなきゃいけなかったんだ? どちらを説明するためにもゴッツい文字数が必要になりそうである。この辺りについて目加田先生は何も教えてくれないのでりっちゃん先生を見る。やっぱり説明してくれない。えー? そこはこっちで探んないとだめ? だめなの????




    そうか、諦めるじゃなくて、こんな卑しいこといつまでもやっていられない、なんですね。「士大夫にあえて卑しいことをさせねばならない」とか、それは確かに恐怖満点です。しかし、うーん。文字数そんなにいらなかったw

    ありがとうございます!

    編集済
  • この手の話に全く造詣が深くないですが、好き嫌いは良くないと思い拝見しに伺いました。

    禰衡
     いい人っぽく書かれてるけど、かなりのクソやろう。のちに亡命したが、亡命先でもえらそうだったから殺された。

    の説明で吹きました。
    難しい歴史書がこんなにも面白く翻訳されているとは!
    なんか笑えるし、賢くなった気にもなるので、得した気分です。
    正直歴史は全くわかりませんが、これなら読めそうな気がします。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    世説新語、「何が書いてあるか」さえわかれば、面白いキャラクター小説として成立してくれていると思っているのです。問題は「何が書いてあるか」に辿り着くまでのハードルが異常に高い事でして……w

    はじめから最後まで隅々まで読まなければいけない、という性格のものでもありませんので、ピンと来ないエピソードはどんどんスキップしていただくのが良いかと思われます。お楽しみいただければ幸いです!

  • 成都王は禾ですね。
    ギョッとして調べ直しました。
    穎、頴、潁は分かりにくいのでまとめて廃されるべき。

    作者からの返信

    アウアウアー(^q^

    何なんでしょうね、いくら気をつけてもこの辺が残り続けて…
    ご指摘ありがとうございます、修正します!

  • 陶侃がカタコト過ぎて吹きました(笑
    土人過ぎる。。。でもこうだったかもしれませんね。

    作者からの返信

    かの女傑、湛氏が息子を片言にさせるよーな、そんなヌルい教育してるはずもねーだろ、とは思うのですがねw

    温嶠が大好きな人間としては、彼の言う川犬キャラを押したくて仕方なかったのです、なので過去の陶侃のエピソードも、全部川犬トークに修正しましたw


  • 編集済

    聊斎志異で読んだのですが、
    このお美しい皇后のちに殺されたんでしたよね。
    文帝の弟も恋こがれていたので
    彼女の死をいたみ、詩を作ったとか。

    作者からの返信

    非常にドラマのある女性ですよね。ちなみに、彼女については王欣太「蒼天航路」がドラマティック、かつエロティックに描いていました。


  • 編集済

    文章はわりとメチャクチャしますな。

    〉仍當足乃超兩階用之 

    仍りて當に乃ち兩階を超えて之を用うるに足るべしとす、って感じですかね。
    せやから一段飛ばして昇進させてもえーくらいやんか、かな。まあ評価されました、と。

    〉嘗發所在竹篙有一官長連根取之

    嘗つて所在の竹篙を發するに、一官長の根を連ねて之を取る有り、か。
    竹を根っこから引っこ抜いて持ってきたヤツがおった、わけですね。

    何で評価されたか推論は二つ、
    1、根っこからブッコ抜いて竹を再生させなかった
    2、根っこもサオ的に使えてベリグー
    まあ、後者でしょうね。。。

    ◆根竹
    細工物とかには使えるみたいですね。
    まあ活用可能だったらしい、と。

    作者からの返信

    目加田センセーがだいぶ混乱されてたようで、
    當足、の部分の扱いに
    非常に困ってらっしゃいました。
    俺もそこに引きずられちゃって大混乱でした。
    確かに「之を用うるに足るべしとす」のほうが、
    スマートに意味が取れる気がします。


    桓玄と司馬道子のやつもそうですが、
    「いやそのラストいる?
     ねぇ、そのラスト省いて
     紹介したいんだけど?」
    感の凄まじさたるや……。

    うちの近所でも
    孟宗竹の繁殖力とかヤバいですし、
    竹害防ぐ意味でも根っ子ごと、は
    ありがたそうですよね。

    画像検索しても、まぁ、あの根っ子なら
    竿として使えなくもない、のかな……?
    それはそれで無理筋な気はしますが、うーん。

    助けて箋疏えもーん!

     >時荊州大饑,百姓多餓死。侃至秋熟,
     >輒糴。至饑,復價糶之。士庶歡悅,咸蒙濟賴。

    乗ってるのは蓄財とその開放により
    庶民が助けられた、程度か……
    「竹の根の有用な扱い」がわからなくて参ります。
    斉民要術案件なのかなあ。

  • 〉桓出謝過

    桓は出て謝は過ごす、かなあ。
    桓は座を退き、謝は座に残った?

    まあ苦しいですね。

    作者からの返信

    ここまで読んできた中で、鐘会と荀勗の奴以外のオチはわりと妥結できてきたと思うんです。けど、これについてはどう逆立ちしても理解できる気がしないっす……欠字なのかなあ。

    オチさえなきゃかなり面白いエピソードに分類できるだけに、このオチがよく分からないのにはやきもきさせられて仕方ないです。

  • 面白そうです。

    作者からの返信

    楽しんでいただけたら、と思います。

    そしてレビューも、ありがとうございます!

  • 今もこういうのありますよね(笑
    社会思想の方面で。

    作者からの返信

    こうなりたくないと思っても、こうなっちゃうのが現実だったりしますねー。

    賢者への道は遠い。

  • 裴令公は夏侯太初を目し、「肅肅として廊廟の中に入るが如く、敬を脩めずして人は自ら敬さん」と。一に曰わく、「宗廟に入るが如く、琅琅として但だ禮樂の器を見る。鍾士季を見るは武庫を觀るが如く、但だ矛戟を覩る。傅蘭碩を見れば江廧として有らざる所靡し。山巨源を見るは山に登りて下に臨むが如く、幽然として深遠なり」と。

    傅蘭碩だけ文型が崩れているやらない方がマシな対句風散文。イライラさせてくれますが、もしかして頭韻?いや、違うか。。。
    目夏侯太初、如入宗廟,琅琅但見禮樂器。
    見鍾士季,如觀武庫,但覩矛戟。
    見傅蘭碩,江廧靡所不有。
    見山巨源,如登山臨下,幽然深遠。
    あー、色々崩れてますねー。
    廊廟
    ろうびょう、宗廟だと思ったら執務する表御殿だそうな。粛々としていたんですね。
    琅琅
    ろうろう、金石が打ち合って鳴るさま。
    江廧
    汪翔の間違いとのこと、汪翔は茫洋の意、らしい。そのままだとイミフ。

    ない。無に同じ。

    作者からの返信

    こうして改行してもらえると、「あ、対句的にはしたかったんですね」みたいな意図は感じられますね。そうすると初段三段だけ外してきてることとかにも意図を見出せるのかな。あ、無理だ二段四段の照応も探し出せない。うーんこの謎散文。

    >廊廟
    思いっきり「廟」の文字しか見てませんでした。まー確かに、字形を見ればひさしの下にある朝、ですものね。そう言う字義になるのに何の不思議もない、と言うか宗廟の方がむしろ派生形っぽい。注意力不足でした。

    >江廧
    目加田センセーの本では汪廧でした。この用法だとネットで検索かけてみるかぎりだと世説新語のここにしかいないっぽい。筆写時のミスの混入の類なんでしょうねー。


  • 編集済

    起つを勃つに見間違えましたよ。
    渓狗
    匈奴を胡狗と呼んだところから推して、渓狗と呼ばれた陶侃は五渓蛮出身?という疑いもあるみたいですね。それなんて王平?
    王平は蜀の板循蛮ですけど。
    五渓蛮は今の苗族とかそっちですよねー。官服の庾亮に原色民族衣装の陶侃の対面。。。
    そうだといいですねえ。むしろ、そうあるべき。

    作者からの返信

    陶侃さんバリバリですから(ナニが?)!!!

    必要以上に差別されたエピソードが残りすぎている気もしなくはないです、陶侃。そうすると、…やっぱりおいしい方でいきたいなあ。

    よしいこう!
    いった!


  • 編集済

    鍾士季は王安豐を目して「阿戎は了了として人意を解す」とし、裴公の談を謂いて「日を經るも竭きず」とせり。
    吏部郎の闕くるに、文帝は其の人を鍾會に問う。
    會は曰わく、「裴楷は清通、王戎は簡要、皆な其の選なり」と。
    是において裴を用う。

    鍾士季は王安豐を目してAとし、裴公之談を謂いてBとす。というナゾ構文。四六駢儷的に裴頠は裴逸民にすべきだと思う。
    うーん、なんかヘンな対句ですね。読めない。
    了了
    明らかなさま。解がついて、忖度スキル高、の意。

    つきる、尽に同じ。


    ※※※


    裴楷だから裴叔則ですね。ボーっとして見間違えてました。
    四六駢儷文は魏晋に案出されてはやったのはもうちょっと後なので、劉宋の頃は散文の方が一般的だったのかなあ。でも文選を読む気にはならない。。。
    鍾会が225年生、王戎が234年生、裴楷が237年生、でも王戎は戎チャンで裴楷は裴公ってのも引っかかりますし。変だなあ。
    ちなみに裴頠は267年生、鍾会は264年没なので、会えません。


    ※※※


    〉1巻詩だったみたいですし。

    余談ですが、文庫の文選は全六冊刊行予定で六冊すべて詩篇です。。。

    作者からの返信

    不思議ですよねー。日本人の散文みたい。けど俺、最初はこれまったく対句云々とか気に掛けようとしてなかったですねw 確かに対比なんだし対句用いるのが普通ですものね。

    何か色々煮え切らん感が残りますね。何らかの意図がありそうなもんですが、ううむ。結局裴楷選ぶロジックもわかりませんし。謎だらけ。

    ※※

    駢儷文自体は、
    宋初期の段階だとそれ程でもなさそうな印象です。
    この辺りは、今度出る新訳文選の2巻辺りで確認が取れそうな気も。1巻詩だったみたいですし。

    文選2巻辺りだと、知りたかったあの人このひとの文章とかもあるんだろうなあ。

    ※※

    フォフゥ!?(悲鳴)

    まあ、詩でも世相に関するいろいろとかは語られてるわけですし…きっと…うぅう。

    新釈漢文体系、神保町で漁ってこようかなあ(涙)

    編集済

  • 編集済

    夏侯玄は既に桎梏を被り、時に鍾毓は廷尉たり。鍾會は先に玄と相い知らず、因りて便ち之に狎れり。玄は曰わく、「復た刑餘の人なりと雖も、未だ敢えて命を聞かず!」と。
    考掠するも初めより一言もなく、東市に刑に臨むも、顏色は異ならず。

    文意だけを見ると、鍾毓が判事だったので弟の鍾会がコネで夏侯玄に面会してナメた態度を執り、相手にされませんでした。という、わりとどーでもいいハナシに読めますね。
    言いたいことは一つ、「夏侯玄は超イケメン」?
    桎梏
    法吏に拘束される、の意。

    なれる、ナアナアな態度を執る、くらいの意味。侫臣伝に頻出。

    また、ではありますが、たとえ、に近いのかなあ。
    刑餘の人
    捕まってまだ刑を行われていない人。

    作者からの返信

    このエピソードを読み込んでの最終的な印象としては「記者お前の筆致雑すぎんだろ」でした。この短さでエピソードが完全に三つに分断されてるって、的な。もっと密度上げられたんじゃねえの、と言う。

    夏侯玄については、ここで超然としているくせに容止3の注で、毛氏への態度がクソだったのがいまいち納得いかんです。まー他人にヘイトキメる人間が自分の命数尽きる局面であっても超然としてるのは、それほど矛盾の生じる話でもなさそうですけど。

    早い段階で夏侯玄諸葛誕については拾っておきたいよなーと司馬炎辺りで思いましたが、とりあえず今は簡文帝が面白すぎるし簡文始めると桓温謝安が気になりすぎるしで後回しになってますw


  • 編集済

    鍾會の四本論を撰して始めて畢るに、甚だ嵇公をして一見せしめんと欲し、懷中に置けり。既に定むるも其の難ざれんことを畏れ、懷より敢えて出さず、戶外より遙かに擲ち、便ち回りて急ぎ走る。

    洛陽の紙価を高めた左思と鍾会はちょうど入れ替わりくらい。鍾会はおハイソなので、紙本だったんでしょうね。絹布か木簡だったらイヤだなあ。

    副詞ですね。justに近い、気がする。
    一見
    チョイ見せ、の意。

    論難されるの意、軽く受け身。

    かえる、振り返っての意。


    ※※※


    〉目官渡

    予測変換がいい仕事してます。


    〉鍾会

    武人家系とは言いがたいですよね。能吏の家系。それで著述もするってんだから大変ですよ。
    蜀や呉にはない魏の文化を感じます。

    作者からの返信


    これ、最初の訓読だと「始畢」でstart and end みたいな感じになってました。確かに just end ですねーこれ。

    絹布か木簡
    「軍師連盟」を見ている人が、紙巻物と絹布と木簡とでそれぞれに用途が違うのがわかった、って言っていました。この辺の用途とかも上手く拾えたら面白そうなんだけどなあ。しかし鍾会、文人としても結構なビッグネームですね。世説新語のお陰で鍾会の乱の見え方がずいぶん変わってきました。


    ※※


    いつ官渡なんか使ってたかなぁ……
    最後に使ったの「漢を襲う」だった気がするんですが。
    ううむ、そいつが残っちまってるのか。
    変換記憶恐るべし。

    鍾毓には何とか武人の香りがありますけど、
    それ以外の家系はとことん文人ですよね。
    突然変異すぎる。

    編集済
  • 鍾毓兄弟の小かりし時、父の晝寢るに值り、因りて共に偷みて藥酒を服む。
    其の父は時に覺め、且く寐るに託けて以て之を觀る。毓は拜して後に飲み、會は飲むも拜さず。
    既にして毓に問うらく、「何ぞ以て拜するや?」と。
    毓は曰わく、「『酒は以て禮を成す』とあり。敢えて拜さずんばあらず」と。
    又た會に問うらく、「何ぞ以て拜さざるや?」と。
    會は曰わく、「偷むるは本より禮に非ず。拜さざる所以なり」と。

    鍾繇も昼寝とかするのね、というハナシでした。

    おさない。

    ぬすむ。

    のむ、服用の用例。

    かつ、または、しばらく。今回は後者。

    ねる。

    かこつける。
    不敢不拝
    あえて拝さずにはいられない、の意。
    あえてはいさざるなし、または、あえてはいさずんばあらず、くらいに読むしかなさそう。
    読みにくい。

    作者からの返信

    おぉ、確かに鍾繇の発言はかっこで括るべきですね。こう言った地に足の着いた振る舞いができないなー。ありがとうございます!

    >不敢不拝
    敢えてに不ってお前、とか思いながら読み下しました。二重否定にしたかったけど上の字が上手く思いつかなかったからくっつけた、みたいな感じなんでしょうか。ただ音読みでも「フカンフハイ」って、結構カッコイイ響き。

    編集済
  • 〉※今回より、原文から
    〉記号類をぶっこ抜きました。

    うわあ。。。
    「ムチャしやがって(AA略」ですね。

    作者からの返信

    正直地獄ですが、楽しいですw
    まぁ、「目加田センセー」と言う
    後ろ盾がなきゃ絶対にやらないですがw

  • 元帝の皇子の生まるるに、普く群臣に賜あり。
    殷洪喬は謝して曰わく、「皇子の誕まれ育つに、普天は慶を同じうす。臣は勳なしくして猥りに厚き賚を頒たる」と。
    中宗は笑いて曰わく、「此の事に豈に卿に勳有らしむべけんや?」

    殷「皇子が誕生して功績もないのにボーナスもらったわーツライわー」
    元「ワシの子が生まれてオマエに功績あったらエライこっちゃで(NTR的な意味で)」
    下ネタかい。
    普天
    満天は空いっぱい、普天は空の下の地上すべて、の意。

    みだりに。ムダに、の意。

    たまもの、音はライ。

    わかつ、頒布の用例に同じ。

    作者からの返信

    なんか元帝陛下、押し並べてあんま考えの深くないお気楽おじさんとして書かれることが多いですねー。嫌いじゃないですけど。

    そして、ガチでNTR方面に頭が行きませんでした。まあ赤ちゃんはこうのとりさんが連れてくるし仕方ないよね!

  • 韋仲將は書を能くす。魏の明帝は殿を起こして榜を安んぜんと欲し、仲將をして梯を登りて之に題せしむ。既にして下り、頭鬢は皓然たり。因りて兒孫を勅めていわく、「復た書を學ぶなかれ」と。

    短いのに肝心なところが読めない。隔靴掻痒ですねー。
    安榜
    意味不明。箋疏あたりを調べても注なし。用例を調べないと。。。

    いましむ。

    作者からの返信

    看板に文字を入れる、ってことだと、多分呪術的な方面の意味合いがあるんでしょうけれども。ひとまず仮に「いずくんぞ」方面で読んで死亡しておきましたw


    なんで皇帝でもないのに勅してんねんとかイラッと来ましたw いましめるかー。政府絡みの読みものばっか読んでると認識が偏りますね。

  • 陵雲臺の樓觀は精巧、先に眾木の輕重を稱り平げて然る後に造構し、乃ち錙銖の相い負く無し。揭げる臺は高峻にして常に風に隨いて搖動すると雖も、而して終に傾き倒るの理無し。
    魏の明帝は臺に登りて其の勢の危きを懼れ、別に大材を以って之を扶え持するに、樓は即ち穨壞せり。論者は謂えらく、「輕重の力の偏るが故なり」と。

    助長の故事みたいな話ですね。変な用例がちょぼちょぼ。

    はかる、重さに使われます。

    たいらぐ、等しくするの意。
    造構
    建設の意。
    錙銖
    重さの単位、ともにわずかなので、少しの意。
    揭臺
    楼上の物見台だと思う。

    そむく、違うの意。

    作者からの返信


    これもまたカメレオンですねー。「計る」の用法を見て「!?」ってなりました。いい加減にしろと申し上げたい。でも愛しよう。


    これの「そむく」もなかなかの無茶振り感。きっと言葉遊びが好きな人がこの辺りの記事書いたんでしょうねー。

    世説新語、時々やけに編の前後で文章のキャラが違うから、たくさんの木簡竹簡を集めて読み合わせて、年代順につなぎとめた、みたいな感じなんでしょうね。


  • 編集済

    孔車騎は少くして遁がるるを嘉するの意有り、年四十餘にして始めて安東の命に應ず。
    未だ仕宦せざるの時,常に獨り寢ね、歌吹すれば自ら箴め誨え、自ら孔郎と稱して名山を遊散せり。
    百姓は道術を有すと謂い、為に生ながら廟を立てり。今猶お孔郎の廟有り。

    平易ですが、最後の為の使い方がキモかも知れません。意味がかなり変わります。

    のがる、遁世の用例に同じ。

    よみする、喜ぶ、好むの意。

    いましめる、戒に近い。

    おしえる、教に近い。
    遊散
    散の用例に同じ。フラフラする。

    前文を受けて、だから〜、の意。

    いきているうちに、の意。


    ※※※


    〉これだと慕われた百世が建てた、ってことにもなるのかもしれないですね。

    主語は百姓なので、文法的にはそうですね。自分大好きではなかった、のかな。

    為に
    よくよく見たら、これがありました。
    道術使いだと思って百姓が廟を建てたのでした。ふーむ。

    作者からの返信

    >百姓は道術を有すと謂い、為に生ながら廟を立てり。

    これだと慕った百姓が建てた、
    ってことにもなるのかもしれないですね。

    自分で建てた、だと竹林どもっぽくなるかw


    ※※※


    こうなってくると、孔愉の生涯とも合致してきますね。恐れ敬われる対象であった。そして中央に出てみれば、車騎将軍なんてもんを追贈されるレベルの大活躍。でも本人はお役目を終えたらとっととまた再隠遁。しゅごい。

    編集済

  • 編集済

    許允は吏部郎と為り、多く其の鄉里を用う。
    魏の明帝は虎賁を遣りて之を收む。
    其の婦は出て允を誡めて曰わく、「明主は理を以て奪うべく、情を以ては求め難し」と。
    既に至り、帝は之を覈べ問う。允は對えて曰わく、「『爾の知る所を舉げよ』とあり。臣の鄉人は臣の知る所なり。陛下の檢校するに職に稱うと為すや不や。若し職に稱わざれば、臣は其の罪を受けん」と。
    既にして檢校するに皆ての官に其の人を得る。是に於いて乃ち釋し、允の衣服の敗れ壞るるに、詔して新衣を賜う。
    初め允の收らるるに家を舉げて號哭せり。阮新婦は自若として云わく、「憂うるなれ。尋いで還らん」と。粟粥を作りて待ち、之より頃くして允は至れり。

    だんだんと慣れてきましたなあ。三連発でした。

    しらべる、の意。

    換骨奪胎の用例に近く、得るっぽい意味、と思う。

    かなう、fitの意。
    與不
    〜や否や、と読んでおきました。

    すべて、皆勤の用例、allの意。
    頃之
    しばらくして、無理やり読み下してみました。


    ※※※


    與不
    與は&の意、〜と、ですが、ここでは前後が正反対なので、orの意と解しました。

    作者からの返信

    ありがとうございます、目加田センセーに頼るけど頼りすぎないぞ! みたいにやらかしてフシギ訓読を決めることもままありますがw


    時々ある、字義に真逆の意味を当てるアレかなーと諦めた感じはありました。お前何でそこに奪うなん……と思いつつも、はいはいアレですねー、とw


    かなう、かー。頻繁にみる字は割とあっさり「いつもの読み」に当て込んじゃうんですが、この字については結構バッティングが多かったです。なるほど。

    與不
    不を与える、的ニュアンスなんでしょうかね。いまいち與が浮いてしまい、ニントモカントモ。


    ※※


    or not ですね。
    英語と似た使われ方、と言うか
    普遍的な言いまわし的な
    何かという事になるのかしら。

    編集済
  • 魏の明帝は后弟の毛曾をして夏侯玄と坐を共にせしむ。時人は謂えらく、「蒹葭の玉樹に倚るあり」と。

    短いし、平易。しかし、言い回しを選ぶ気がしましたので、disりにいささか工夫をすると、こんな感じでしょうか。

    作者からの返信

    「使」をスルーしてますね……なんのために訓読やってるんだか。訂正訂正。

    確かに自分のやつのディスリは、ちょっと平板すぎましたね。けどここは敢えてそのままにしときます。ここについては敢えて差分を残しておくのがよさそう。

  • 何平叔は姿儀美しく、面は至りて白し。魏の明帝は其の粉を傅けるを疑う。正に夏月となり、熱湯餅を與う。既にして噉らい、大いに汗出で、朱衣を以って自ら拭うも、色は轉た皎然たり。

    アッーな雰囲気を漂わせる一品。
    姿儀
    見目と挙措の意。

    至上の至に同じく、MAXの意。

    つける。

    うたた、マシマシの意。
    皎然
    こうぜん、白々と輝く様、月や銀の形容に遣われる印象、ふーん。

    作者からの返信

    三国志マンガ幾つか拾って読んだら、だいたい何晏変態でしたねーw 烈祖さまに強引に五石散ブチ込んだりとか、やりたい放題w

    皓然には、さすがにニヤつきを禁じ得ませんでしたw ほとばしる何か…汗から五石散振りまいてたんじゃないかしら
    w

  • 魏の明帝は宣武場の上に於いて虎の爪牙を斷り、百姓に之を觀るを縱せり。
    王戎は七歲にして、亦た往きて看る。虎は閒を承けて欄に攀りて吼え、其の聲は地を震わす。
    觀る者に辟易して顛れ仆さざる無し。戎は湛然として動かず、了に恐れる色無し。

    ケチの王戎の神童エピソード。瑯琊王氏ということで、通説を含めて神童とケチのギャップを想像してお楽しみ頂けますね。

    ゆるす、ですね。
    閒を承けて欄に攀りて
    隙間を見つけて柵によじ登って、の意。たぶん。
    顛仆
    たおれふす、と読めます。
    湛然
    たんぜん、水面が静かな様子。

    ついに、最後までの意。

    作者からの返信

    うーん、自分の訓読が記号に翻弄されまくりんぐ。
    ちらちらと修正させて頂いています。

    縦すとか、まだここでしか見かけてないんですよね。こういう変則的なやつにどれだけ対応できるか。

    竹林七賢盛大にすっ飛ばしたせいで、未だ王戎さんのキャラを掴み切れていません。この辺は崔浩先生ピックアップキャラ終えた後のお楽しみという事にしてますw

  • 盧志は眾坐に於いて陸士衡に問うらく、「陸遜、陸抗は是れ君の何物ならんか?」と。答えて曰わく、「卿の盧毓、盧珽に於けるが如し」と。
    士龍は色を失い、既にして戶を出て、兄に謂いて曰わく、「何ぞ此くの如きに至らん。彼は容に相知らざるべけんや?」と。
    士衡は色を正して曰わく、「我が父祖の名は海內に播かれり。寧んぞ知らざる有らんや?鬼子は敢えて爾せり!」と。
    議者は二陸の優劣を疑えるも、謝公は此れを以て之を定む。

    なかなか面白いお話ですが、わりと読みにくい。。。

    いれる、かと思いきやまさかの帰り文字。まさに〜べし、この場合は、まさに〜ざるべけんや。

    しく、布に同じ。

    いずくんぞ、どうして〜か(そんなワケあるかい)、反語です。

    然りに同じ。この場合は、しかす=そうした、という動詞になる離れ業もやります。

    作者からの返信

    この辺りの用法の跳躍ぶりを見ていると、案外編集参与者の推測も出来ないことも無くはないと言えなくもないのかなぁ、と憶測してしまいます。文章表現的な意味でちょくちょく見かける「馬鹿じゃねえのお前」感が振り切った表現、その傾向を並べることで何かが見えるのかなあとか、見えないのかなあとか。

    ここの「爾」は、ノータイムで that 扱いしましたw 変に丁重に扱いすぎたら地獄みるやつや……

  • 諸葛瑾は豫州と為り、別駕を遣りて臺に至らしむるに、語りて云わく、「小兒は談を知る。卿はともに語るべし」と。
    連りに往きて恪に詣るも、恪はともに相い見えず。
    後に張輔吳の坐中に相い遇う。別駕は恪を喚びていわく、「咄咄、郎君ならんや」と。
    恪は因りて之を嘲りて曰わく、「豫州は亂れり。何ぞ咄咄の有らんや?」と。
    答えて曰わく、「君は明にして臣は賢なり。未だ其の亂れるを聞かず」と。
    恪は曰わく、「昔、唐堯は上に在りて四凶は下に在り」と。
    答えて曰わく、「唯だ四凶のみに非ず。亦た丹朱有り」と。
    是において一坐は大いに笑う。

    語釈が分かりにくいだけで平易ですね。内容はまあ、落語によくあるパターン。

    しきりに、何度もの意。
    咄咄
    あらまあ、の意。

    作者からの返信

    これ、案外

    恪は因りて之を嘲りて曰わく、「豫州は亂れり。何ぞ咄咄の有らんや?」と。
    答えて曰わく、「君は明にして臣は賢なり。未だ其の亂れるを聞かず」と。

    の部分の訳出が地獄でしたねー。「乱れる? 咄咄? は?」みたいな。落語のようにすんなり落ちてくれるストーリーではあるはけれど、途中の展開にいまいち納得がいかずに乱暴な訳になっちゃったという。

    改めて、兒って字には「自分の子供」ってニュアンスが多く含まれることを意識しておきたいなーと思いました。何回か出てきてる「兒」に毎回引っ掛かっては目加田センセーのツッコミを頂戴している毎日ですw


  • 編集済

    殷仲文は既にして素より名望有り。自ら謂えらく、「必ず當に朝政に阿衡たるべし」と。
    忽として東陽太守と作り、意は甚だ平かならず。郡に之きて富陽に至るに及び、慨然として嘆じて曰わく、「此の山川の形勢を看るに、當に復た一孫伯符を出すべし!」と。

    劉裕を劉繇に、自分を孫策に見立てたわけですか、そうですか。こういう掛詞やよく見られる本歌取りは和歌にも使われたわけで、おハイソ文化繋がりを感じますね。

    前後の発言を両方、當に〜べし、と読むと、バカっぽさ5割増し。
    阿衡
    動詞とせざるを得ないナゾ用法。阿は寄りかかる、衡は計る、という意味なので、動詞にできなくはないのかなあ。

    たちまち、は急にの印象。前触れなく、とかの意を表したい場合はこっちの印象。忽然の忽。※個人の感想です。

    作者からの返信

    殷仲文、頑張っても厳白虎レベルなんですけどねえ……。

    阿衡
    側で測る、と言う感じですね。定型文的動詞と言う感じ? ううむ。

    いい加減官職についた時の「作る」になじみたいです。なんでこれに拒否反応が出ちゃうんだろう。

  • 陳林道の西岸に在るに、都下の諸人は共に要えんと牛渚に至りて會せり。陳の理は既に佳にして、人は共に言いて折らんと欲す。陳は如意を以て頰を拄えて雞籠山を望み、嘆じて曰わく、「孫伯符の志業は遂げず!」と。是に於いて竟に坐は談ずるを得ず。

    注釈なかったら激しく意味不明。やっぱ時間かかりますね、こりゃあ。
    陳准
    『続三国志』で間違えて陳淮チンワイになってる。。。陳准チンジュンが正ですね。直さないと。
    如意
    如意棒。西遊記のあれ。伸びない。そんなに長くない。たぶん扇子くらい。

    支に同じ、支える。

    作者からの返信

    結局自分の解釈だって確度50パーセント以下ですしねえ。「本気でイミフな話なんぞ放り込んでくるはずねえだろ」的信頼感に基づいて超釈をキメたわけですが、さてどこまで妥当性があるんだか。

    淮准
    あっー、おきゃくさま、あっー! この辺りの扱いが凄まじく雑なのがバレてしまうのが、アッー! あんまりダメージないことに気付いて、アッー!
    つうか「準って書きたくないから淮」みたいなこと平然とやらかしやがってる奴らにまともに付き合いたくねーって思ったのが本音です(突然のガチギレ)

    如意については、元帝周りで拾った殷羨のエピソードを読んで、ようやく理解した感じがあります。そいつを仏具にしちゃったんですか…そうですか……てきな。


  • 編集済

    顧劭は嘗て龐士元と宿りて語るに、問いて曰わく「聞くならく、子は人を知るの名あり、と。吾と足下と孰れか愈れるや?」と。
    曰わく、「世俗を陶冶して時と浮沈するは、吾は子に如かじ。王霸たるの餘策を論じて倚仗すべきの要害を覽るは、吾に一日の長有るに似る」と。
    劭は亦た其の言に安んぜり。

    龐統の発言の後段、人相見と関係なくない?
    宿語
    徹夜して語ったの意。普通は読み下しません。
    足下
    you。同格またはやや格下に使います。

    whitch、どっちの意。

    すぐれる、の意。


    ※※※


    〉あんまりにも龐統の感じが悪くて没にした

    龐統のイメージは顔がブサイク、意外にみんなあんまりないですから、新エピがある方が喜ばれるかもですぜ。
    そして、上から目線のブサイクに進化します。

    孫策1はタイムトライアルしてみました。
    字面を読むだけで17分。注釈なしで。あんなに短くても時間かかりますねー。

    これを毎日は大変、おつかれさまです。

    作者からの返信

    この人没にしたエピソードじゃ、顧劭のことも「ふーん、ま、お前も悪くはないよ、悪くは(笑)」位のウエメセでしたからねえ。ぶっちゃけあんまりにも龐統の感じが悪くて没にした勢いでw

    足下は、宋書武帝紀でも見かけたんですよね。劉裕と司馬休之の決戦前、司馬休之の長史である韓延を寝返らせようとしたら、「誰が足下についてくもんかよ、殺すなら殺せ」ってこっぴどく袖にしたという。なので印象としては、慇懃無礼、という感じでした。


    ※※


    羊祜辺りから始めた
    「二つのエピソードをくっつけて一つにする」
    をやれば、没エピソードもこれに組み込めるんですよね。
    その内やれるやつは、全部組み込んでいきたいもんです。
    ただこれ、エピソード網羅すると
    思いがけないつながりもありそうで、
    迂闊にはやりづらいという……w

    ……そんときにはエピソード被らせればいいだけか。


    孫策1、よりにもよって、
    ここまででもかなり地獄み高かったやつでしたのにw

    だいたいの場合は出勤前の三十分を
    充てていると言う感じです。
    そして、漢文慣れがまだまだメイン目的ですので、
    割とすぐ目加田センセーに頼りますw

    目加田センセー頼りをもうちょい減らすと、
    一気に掛かる時間が跳ね上がるので、
    あんまり自力過ぎないようには心がけていますw

    編集済
  • 南郡の龐士元は司馬德操の潁川に在るを聞き、故に二千里して之に候せり。至るに德操の桑を採るに遇う。
    士元は車中從り謂いて曰わく、「吾れの聞くに、丈夫は世に處るに當に金を帶びて紫を佩すべし、と。焉ぞ洪流の量を屈して絲婦の事を執る有らんや」と。
    德操は曰わく、「子よ、且く車を下りよ。子は適に邪しき徑の速きを知るも道を失うの迷いを慮らざるなり。昔、伯成は耦耕して諸侯の榮を慕わず。原憲は桑樞にありて官有るの宅に易えず。何ぞ坐すれば則ち華屋、行かば則ち肥馬、侍女數十有りて然る後に奇と為さんや。此れは乃ち許、父の忼慨せる所以にして、夷、齊の長嘆せる所以なり。秦に竊むの爵,千駟の富有りと雖も、貴ぶに足らざるなり!」と。
    士元は曰わく、「僕は邊垂に生まれ出で、大義を見ること寡し。若し一たび洪鍾を叩き、雷鼓を伐たずんば、則ち其の音の響けるを識らざるなり」と。

    今北産業してみると。
    龐統「オッサンが桑摘んでる(プゲラ」
    司馬徳操「地位も金も飾りやで」
    龐統「マジ?南郡ド田舎」
    その割に話が長い。よくよく考えたら老荘思想は清談の背景、彼はそういう考え方のハシリだったのですよ、ということ?

    ゆえに、ではなく。ことさらに。故意の故、忖度力を問いますね。
    滞金佩紫
    金紫光禄大夫とかそんな高官になる、の意。

    しばらく、ちょ待てよのちょに相当。

    みち、せまいヤツ。
    有官宅
    官僚が住むべき家、とかそんな感じでしょうか。
    千駟
    四頭引きの馬車千台、くらいの意。
    邊垂
    ド田舎の意。

    作者からの返信

    徳操のアニキの弟殴りガチ過ぎ問題。

    確かにこの喋り方、荘子な感じはありますね。あの人も結構ガチで言葉で殴ってくるタイプですし。あの孔子に対するツンデレぶりと来たら……おっと脱線脱線。

    このエピソードについては、どっちかっていうと「へー、こんな逸話がいろいろ残されてるんですねー」的な意味で面白かったですが、既に全部知ってる人からしたら「はいはい、いつものパターンいつものパターン」になる印象もありました。さすがの自分も伯夷叔斉ではそれを感じましたしw

    編集済
  • 郗司空の北府を拜せるに、王黃門は郗の門に詣り、拜して云えらく、「應變の將略は其の長ずる所に非ざるなり」と。
    驟ば之を詠じて已まず。
    郗倉は嘉賓に謂いて曰わく、「公の今日の拜あるに、子猷の言語は殊に不遜なり。深く容るべからざるなり!」と。
    嘉賓は曰わく、「此れは是れ、陳壽の作せる諸葛の評なり。人の汝が家を以って武侯に比すに、復た何ぞ言う所あらんや?」と。

    読み方により、郗倉disか嘉賓disか、まとめてdisかが変わりそうです。なかなか味わい深い。

    曰と同じ、曰が会話に多用されるのに対し、コッチはなんか言いっ放しなイメージ。噂とか放言とか。

    実は陳寿の原文は「蓋應變將略,非其所長歟=もしかして臨機応変の軍略は苦手だったのかなあ?」、頭と尻に疑問符がついてます。黄門はそれを故意に外しています。後はご想像次第。

    しばしば、度々の意。
    言語
    言動と同義です。
    此是
    英訳すると、this isか。読み下しは変になります。

    作者からの返信

    嘉賓

    世説新語で、嘉賓まだここでしか見かけていないんですよね。桓温のお友達として結構な存在感を示しているはずなんですが。大物はキャラ設定を結構統一している感じがありますし、他のエピソードを読んだ後に、じゃあどう見えるのか。もちろんこれ単体で読んで、の印象も捨てがたいものだとも思いますし。うむむ、深い。

    蓋應變將略,非其所長歟
    黄門が外し、嘉賓が即座に反応した、と言う所から見ても、割とこの言葉って両端の疑問符を外して定型文化されてたのかな、てきな印象にもなりますね。このネット社会でも原文から微妙に文意を削って意図が真逆になるような細工を施されることも多いですし。まぁ、この辺は「そういじくられてくれていた方が社会学的見地から見て面白い」と言う願望にしかすぎませんがw

    此是
    あ、やっぱり this is なんですねw それ以上の踏み込みが難しいなぁ、と言うふうには考えていたので、胸をなでおろしましたですw

  • 諸葛瑾、弟の亮、及び從弟の誕は並びに盛名有りて各々一國に在り。時は以為えらく、「蜀は其の龍を得る。吳は其の虎を得る。魏は其の狗を得る」と。
    誕は魏に在りて夏侯玄と名を齊しうし、瑾は吳に在りて吳朝は其の弘量に服せり。

    諸葛誕はイヌ呼ばわりですか、そうですか。

    時に、だと誰がやねんとなりますから、ここは主語扱いすべきでしょうな。時人と同義。
    以為
    おもう、と読む用例。飛び道具的ですが頻出。以って〜と為す、でも意味は変わりませんね。
    弘量
    度量が広い、の意。そのまんま。

    作者からの返信

    結果からして、一番結末が悲惨ではありますけどねえ。
    それにしたってお前、とゆう。

    >時以為
    「時流がこう規定していた」みたいな、
    えっらい持って回った表現にするのが好みではありますが、
    あんまり訓読でホイホイこういう跳躍決めちゃうのもなあ。

  • 殷淵源は墓所に在ること幾十年たり。時に朝野は以て管、葛の起つや起たざるやと擬え、以て江左の興亡を卜う。

    謝安にも似たような話がありましてな。「安石の出でずんば其れ蒼生を如何せん」的な。この東晋貴族にしか通用しない優しい世界は、北朝派からすると最高にBulls**tです。
    墓所
    喪礼では父母の没後は墓の傍に廬を編んで墓守を三年することになっておりまして、長いほど孝行ポイントが貯まります。ポイントにより官吏登用の道もありました。
    起不起
    読みにくい。力ずくで読みやすくしてみました。

    作者からの返信

    ぶる○だなんて……あらあらおげふぃんでいらっしゃいますのね……(お前が言うか)
    この辺りは、本当に許由や伯夷叔斉を褒め称える土地柄って感じですねー。舐めてんのかこら、てきな。

    登用の為の孝行って色々本末転倒じゃねえのって後世的観点からは思うんですが、けど多分我々も、自分では気付かない謎の因習に縛られていたりもする。あまり笑ってばかりもいられないよなー、などとは思うのでした。

    >起不起
    これ、むしろなんで河東さんの訓読でいかなかったのかがわからないです……えええええ。それ以外ない気もします、今となっては。

    編集済
  • 王導、溫嶠は俱に明帝に見え、帝は溫に前世の以て天下を得る所の由を問えり。
    溫は未だ答えず、頃くありて王は曰わく、「溫嶠は年少にして未だ諳んじず、臣は陛下の為に之を陳べん」と。
    王は迺ち具に宣王の創業の始を敘ぶ。名族を誅夷して己と同じくせるを寵樹し、文王の末の高貴鄉公の事に及べり。
    明帝は之を聞くに面を覆いて床に著き、曰わく、「若し公の言の如くんば、祚は安んぞ長きを得んや!」と。

    父祖のオニチクな所業を聞いてドン引きの明帝ですが、主題はKYな王導と溫嶠の忖度の対比の妙。
    所以
    〜の所以の由にすると意味が重なってアレな感じなので、読み下しました。

    しばらくの意、ですが、読み下しにくいです。溫嶠が意図して黙念としていたのを、王導がシャシャって、の意をもたせたいので、工夫するとこんな感じになりました。

    陳列の陳は並べる、陳述の陳は述べる、今回は後者。述べて並べる、の意なんでしょう。

    すなわち、意味は即に近い気がする。すぐさま、とかそういう感じ。
    寵樹
    司馬氏マンセーの私党を立てたの意味。

    つく、着席の着に近い感じ。この場合は床に身を投げ出して、くらいの意味でしょう。

    幸い、あるいは、年の意味。国家の寿命、命数くらいの意味です。

    作者からの返信

    先ほど明帝を廃しようとした王敦と、そうはさせまいとする溫嶠のバトルのシーンを訳してたので、タイミングの一致に一人でニヤニヤしてましたw

    所以とか、時々こいつら本当にもの考えて書いてるか…? みたいな表記にぶち当たりますが、この辺白文化しちゃうと少しは分かり易くなるのかな。

    今日からウィキソースの元テキストから記号類ぶっこ抜いた奴での訓読訳出に切り替えてます。自由であることの心地よさ、そして寄る辺なさよ……w

  • 劉尹は桓公を道えらく、「鬢は反れる猬皮の如く、眉は紫なる石稜の如く、自ら是れ孫仲謀、司馬宣王の一つ流れの人ならん」と。

    なぜカッコを勝手に入れたかと言うと、解釈の範囲だからですね。

    ビンはつまりモミアゲ、近畿ではチャリ毛ともいわれます。理由は知りません。
    ちなみに、鬚はシュであご髭、髯はゼンで頰ひげを言います。
    一流
    〜の流れを汲む、と考えればだいたいマルです。

    「鬢如反猬皮,眉如紫石稜」より「鬢反如猬皮,眉紫如石稜」の方がいいと思うんだけどなあ。。。

    作者からの返信

    おおう、道を「言う」って読めずにいたピュアな時代の訓読だ。

    一流、って言っちまっても問題はないですが、訓読的には確かにアウトですね。一の扱いが杜撰になりすぎる。

    鬢如反猬皮については、「ハリネズミがいきり立ってる様子」を強調したかったのかな、って思いました。なので後文もそれに合わせた、みたいな感じで。髭の逆立ち方が「寛いでるときの」ハリネズミじゃないよ、的な。

    つーかもみあげでしたか……目が滑ってるなあ……

  • 諸葛亮の渭濱に次するに、關中は震動せり。
    魏の明帝は深く晉の宣王の戰うを懼れ、乃ち辛毗を遣りて軍司馬と為す。
    宣王は既に亮と渭に對して陳し、亮は誘譎を設けること萬方なり。宣王は果たして大いに忿り、將に之に應ずるに重兵を以てせんと欲す。
    亮の間諜を遣りて之を覘せしむるに、還りて曰わく、「一老夫あり、毅然として黃鉞を仗つき、軍門に當りて立つ。軍は出るを得ず」と。
    亮は曰わく、「此れは必ずや辛佐治なり」と。

    文字面では激オコ司馬懿を曹叡に命じられた辛毗がカラダを張って止めました、というお話。
    青龍2年(234年)の第5次北伐ですが、明帝はMAX30歳、司馬懿は56歳、辛毗はたぶん司馬懿よりやや年上、諸葛亮が54歳、当時の平均寿命からするとジジイ祭り。


    じする、軍勢を留めて夜を明かすの意、だいたいが進軍中の経由地を記す際に使われます。

    陣に同じ。

    まさに〜す、ここでは〜しようとしたの意ですね。
    黄鉞
    こうえつ、金色のまさかり。まさかりは金太郎のアレ。斧との違いは刃幅、狭いのが斧、広いのが鉞。ちなみに、「假黄鉞、都督中外諸軍事」に任じられるのは「皇帝の兵権を全部奪ったよ」のサイン、だいたい簒奪待ったなし。

    よる、ですが、杖をつくの意もありますので、つえつく、と読むとオシャレ。

    作者からの返信

    ジジイ祭wwwwww

    確かに「つえつく」だと、
    仁王立ちで、正面に黄鉞立ててる感じになりますね。
    この1編にしか登場しないのに、
    辛毗の存在感異常すぎますw


  • 編集済

    郭淮は關中都督と作り、甚だ民情を得て亦た屢々戰庸あり。
    淮の妻は太尉の王凌の妹にして、凌の事に坐して并せて誅さるに當れり。
    使者の徵攝すること甚だ急にして淮は戒裝せしめ、日を克めて發するに當る。
    州府の文武、及び、百姓は淮に兵を舉ぐるを勸むるも、淮は許さず。
    期に至りて妻を遣るに、百姓の號泣して追い呼ぶ者數萬人あり。
    行くこと數十里、淮は乃ち左右に命じて夫人を追いて還らしむ。
    是において文武は奔り馳せ、身首の急に徇うが如し。
    既に至り,淮は宣帝に書を與えて曰わく、
    「五子は哀しみ戀い,其の母を思い念えり。其の母の既に亡くば,則ち五子無し。五子の若し殞せば、亦た淮無し」と。
    宣帝は乃ち表し、特に淮の妻を原せり。

    戰庸
    戦功の意味なんでしょうけど、用例はあまり見当たりませんね。

    通常は、「まさに~べし」と訳すのですが、どうも上手くいきませんので、「あたり」と訳すことにしました。すごく気持ちワルイ。。。
    徵攝
    徵は徴兵の用法と同じく召すの意、攝はとる、捕らえると同義でいいと思います。
    戒裝
    ここでは旅装と考えればいいんでしょうね。
    克日
    日を決めての意。
    身首之急
    生命の危機、くらいの意味でしょう。

    従に同じく、したがう、の意。

    許すの意。


    ちなみに、『三國志』郭淮傳の注に引かれた記事は以下のとおりです。

    淮の妻は王淩の妹なり。淩の誅さるに妹は當に坐に從うべく、御史は往きて收む。
    督將、及び、羌胡の渠帥數千人、叩頭して淮に表して妻を留めるを請うも、淮は從わず。
    妻の道に上るに、流涕せざる莫く、人人は扼腕して劫して之を留めんと欲せり。
    淮の五子は叩頭流血して淮に請い、淮は視るに忍びず、乃ち左右に命じて妻を追わしむ。
    是において追う者數千騎、數日にして還れり。
    淮は書を以て司馬宣王に白して曰わく、
    「五子は母を哀れんで其の身を惜しまず。若し其の母無くば、是れ五子無し。五子無くば、亦た淮も無きなり。
    今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。
    書の至るに宣王は亦た之を宥せり。

    覲展
    きんてん。展覲という用例もありますが意味は々。謁見するとか見えるとか、そういう意味です。

    けっこう細部が違いますね。



    ※※※



    〉当
    再読文字の代表ですが、厄介です。將のような未然ではなく、「まさに〜べし」が一般的ですが、「まさに〜す」がないかと言われると、、、どうかなあ。克日當發の當は將と同じに見えますけど、決め手を欠きます。安パイに流れました。


    〉戒装

    戒装は旅装の意、戎装は軍衣の意、虞兵と虜兵みたく分かりにくいですね。


    〉身首之急

    雰囲気は分かりますが用例がない。。。身首を我が身の意で用いた例があったので、そちらによりました。


    〉今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。

    妻を送らなかったために法に抵触するなら、役人に罪されて近いうちにお目にかかるでしょう、とでもなりますかね。肚をくくった感ありです。


    面白いお話ではありますよね。

    作者からの返信

    「当」は「~せんとす」とはならないんですね。「まさに」ってなるしいいやーと思って使っちゃってたんですが、だめでしたね。そうすると確かに気持ち悪い。ただ新字源には「かなう、あたる」がありましたので、そこで飲み込んでおくのがよさそう。

    「戒裝」には連行の服装、みたいな印象がありました。

    「身首之急」については、これ、目加田説が文学的で素敵だったのでそのまま頂きました。「よく慕われる」感が出てて好きです。

    「原す」は晋書諸葛長民でも見た用法だったので、割とすんなりと行けました。やっぱり用例収集大切ですねー。


    郭淮の態度、三国志注の方がより頑なですね。
    ただ、「若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」……うまく意味は取れませんが、やることやってるんだし、罰でしたら何なりと、と言う感じでしょうか。この表明は素敵だと思いました。


    ※※


    七歩詩の時もそうですが、目加田先生、時々イケイケな超訳お決めになりますねw キュートだ。いや、こんな逸訳キメてる人間のセリフではないですがw

    「当」については、もうこれ、出たら即警戒するくらいでいいですね……いや全部に警戒しろよ、がお作法ではあるんですが。ううむ。古代人怖い。

    編集済
  • 訓読省略!

    作者からの返信

    えーwwwwwww


  • 編集済

    魏の文帝は弟の任城王の驍壯なるを忌む。卞太后の閤に在りて共に棊を圍み、並びに棗を噉うに因り、文帝は毒を以て諸棗の蔕中に置けり。
    自らは食うべきものを選びて進め、王は悟らずして遂に雜えて之を進む。
    既に毒に中り、太后は水を索めて之を救わんとす。帝は預め左右をして缾罐を毀たしめ、太后は徒跣にて井に趨くも、以て汲む無し。
    須臾にして遂に卒せり。
    復た東阿を害さんと欲するに、太后は曰わく、「汝は已に我が任城を殺せり。復た我が東阿を殺すを得ざるなり」と。

    殺伐とした関係ですなあ。訳しにくくはないけど、読みにくい。


    物凄く長くかけていますが、冒頭に置いて、忌んだ、だから〜という理解も成立します。

    主語扱いにしました。後文が王は〜なので対句にしたいだけ。

    食べるの意。食が進む、の進なのかなあ。

    毒あり毒なし区別せず、の意味。なので、まじえて、が良さげ。

    求める、探す。井戸の在処は知っているので、求める、が良さげ。

    壊す。読みは、こぼつ。


    ※※※


    〉「漢文読みまくって用法をたたっ込みまくれ」

    人様の訓読文を読むのが吉です。新釈漢文大系みたく、原文、訓読、訳文が揃ったのがいいですよ。文選とかいかがですか?(倒れるわ)

    作者からの返信

    「因る」については自分の奴、扱いに困ってますね―これ。浮いてる。敢えて言えば、まさしく河東さんのご指摘の形で使ってはいる気もします。

    「自」の主語扱いは、今の自分には離れ業に見えます。うぬう、そんな用法まで……! 「漢文読みまくって用法をたたっ込みまくれ」は至言ですねー。

    ※※

    文選、買おうと思ってますがまだ手が出てません。地元の本屋全滅なのがさすがだ、とw 都会に出たら買おうと思ってます(紙の本であんまアマゾン使いたくなくなってきてる派、ただしキンドルでばかすか買いまくり)



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    王仲宣は驢の鳴くを好む。既に葬られ、文帝の其の喪に臨むに、顧みて同遊に語りて曰わく、「王は驢の鳴を好めり。各々作一聲を作して以て之を送るべし」と。赴ける客は皆な一に驢の鳴くを作せり。

    はいはい、隠逸隠逸。
    魏晋の隠逸は後漢から通読するとより味わい深い、というか、士大夫層の頽廃が垣間見えてよいかも知れませんねえ。
    何が見えるかは人それぞれですよねー。

    『後漢書』隠逸傳載良條
    戴良、字は叔鸞、汝南の慎陽の人なり。曾祖父の遵、字は子高、平帝の時に侍御史と為る。
    王莽の位を篡えるに、病と稱して鄉里に歸る。家は富み、給施を好んで俠氣を尚び、食客は常に三、四百人あり。
    時人は之が為に語りて曰わく、「關東の大豪は戴子高なり」と。
    良は少くして誕節、母は驢鳴を憙び、良は常に之を學びて以て娛樂とせり。
    母の卒するに及び、兄の伯鸞は廬に居して粥を啜り、禮に非ざれば行わず、良は獨り肉を食らいて酒を飲み、哀の至れば乃ち哭せり。而して二人は俱に毀容有り。
    或るひとは良に問いて曰わく、「子の喪に居るや、禮ならんか?」と。
    良は曰わく、「然り。禮は情の佚なるを制する所以なり。情の苟し佚ならざれば、何ぞ禮を之れ論ぜんや!夫れ、旨きを食して甘からず、故に毀容の實を致す。若し味の口に存ぜずんば、之を食するも可なり」と。
    論者は之を奪う能わず。


    逸脱の逸に同じく、過度の意です。

    あらあら、同じようなことをなさった方が魏晋にいらっしゃったような気がしなくもありませんわね。どちらが先なのかしら(笑


    ※※※


    『世説新語』の撰者の劉義慶の生没は403-444、『後漢書』の撰者の范曄の生没は398-445でしたっけ。2人は同時代の人だったみたいですね。それがどうだって話ではないんですけど、偶然ってありますよね(ニヤニヤ)

    作者からの返信

    ぶ厚いですねー、新語の元ネタ祭り過ぎてw こう言う過去の逸話とかを「近代人」に置き換えたりとかして成り立ってるんですね。或いは、本当に模倣した人もいるんでしょうね。

    王粲と王戎と山涛がおる……w


    ※※※

    范曄は劉裕にかなり引き立てられてますからねー、そして劉義慶も劉裕が思いっきり将来を期待してますし、ともなれば二人も相当に意識しあってはいたんでしょうねー。范曄とか性格的に、内心思いっきり劉義慶のこと見下してたんじゃないかなって妄想はしちゃいますw

    編集済
  • 魏の文帝の受禪するに、陳群に慼える容有り。
    帝は問いて曰わく、「朕は天に應じて命を受く。卿は何ぞ以て樂しまざるや?」と。
    群は曰わく、「臣は華歆と先朝に服膺し、今、聖化を欣ぶと雖も、猶ほ義は色に形せり」と。

    スーパー小人風味の曹丕です。
    慼は憂に同じ、容は形に同じ、まあ一種のPropagandaなんでしょう。

    作者からの返信

    突然思ったんですが、劉義慶、謝晦と徐広が同じようなやり取りしてたのは知ってた確率が高いですよね……「謝晦の小人ぶりを曹丕に比定した」可能性も無いわけではない、と言うか、そう妄想すると俺が一人無駄に楽しいことに気付き興奮してます。

    堯舜以外の禅譲が禅譲(笑)なのは、どう頑張っても誤魔化しようがないですものねー。あれっ、そうすると義慶のスタンスも割とアンチ禅譲…?(もうそう が かそく する)

  • 文帝は嘗て東阿王をして七步の中に詩を作らしめ、成らざれば大法を行わんとす。
    聲に應じて便ち詩を為りて曰わく、「豆を煮て持って羹を作し、菽を漉して以て汁と為す。萁は釜下に在りて燃え、豆は釜中に在りて泣く。本より自ら根を同じくして生ずるに、相煎ること何ぞ太だ急ならんや?」と。
    帝に深く慚色有り。

    詩は難しいです。
    行大法
    意図なので、未然扱いにしました。忖度。
    漉菽
    豆を濾しても汁にはなりませんから、原文とは字義が違うようにも思います。菽は豆類の総称ですね。

    いる、としたいですが、にる、ですね。忖度。

    現代中国語と同じく甚だの意で良さそうです。

    作者からの返信

    実はここ、さっぱり意味分かんなかったから目加田先生のマルパクリでした……先生も相当苦労された末に、この役に辿り着かれたんだなぁ。

    忖度は楊脩さんだけで十分、とは言いたいですが、まぁ適切に忖度できるかどうかも、また楽しみではありますね。

    自分の場合超訳、と言うか逸訳を決めそうですがw


  • 編集済

    賈充の初めて律令を定むるに、羊祜と共に太傅鄭沖に咨れり。
    沖は曰わく、「皋陶の嚴明の旨は、僕のごとき闇懦の探る所に非ざるなり」と。
    羊は曰わく、「上の意に小しく弘潤を加えしめんと欲せり」と。
    沖は乃ち粗々意を下せり。

    あ、間違えて読み下した。まあいいや。
    平易ではありますが、上意と下意の対句が果たして我々が思うとおりなのかなあ、という疑問がありますかね。
    嚴明と弘潤も対になっており、明らかに鄭沖は厳しい法治を志向しているように見受けられます。
    つまり、、、

    作者からの返信

    あー、なるほど。

    ていうかなんで使役形になってんだろ俺の書き下し……むむむ。ご指摘に従い、修正しました。ありがとうございます!


  • 編集済

    それでは、ライトではない補足をば。
    鴆毒
    伝承では鴆という鳥があり、その羽根に毒があって羽根でかき回した飲み物を飲むと、人はたちどころに絶命した。だから、鴆は毒の代名詞になった。
    と言われますが、出典は不明です。
    用例は古く、『漢書』景十三王傳の賛には「是の故に古人は宴安を以って鴆毒と為す」とあり、顔師古の注には「『左氏傳』に管敬仲は云えらく、『宴安は鴆毒、懷うべからざるなり』」と『春秋左氏傳』がその典拠と指摘しています。
    つまり、春秋戦国時代には用例があるわけですね。
    ちなみに、『漢書』の用例は「宴会とかの楽しみに現を抜かすのは鴆毒のようなものだ(いずれは身を滅ぼす)」の意なので、遅効性の毒という認識なのかも知れません。
    漢文では、鴆する、鴆殺する、という用例が頻出しますが、これは毒殺するの意味と解される場合が多く、必ずしも毒酒には限らないようです。ただ、毒酒を指す場合が多いことは確かです。
    後代にはこの用例のように、「ダメにする」という意味で広く使われたようです。

    ※※※

    ちっと気になったのでもう少し深掘りを。

    『史記』魯周公世家の注
    服虔の曰わく、「 鴆鳥、一に運日鳥と曰う」と。
    うんじつちょうとも呼ばれておりましたか。

    『漢書』高五王傳にある齊悼惠王肥條の注
    應劭の曰わく「鴆鳥は黑身にして赤目、蝮と野葛を食らう。其羽を以て酒中を畫し、之を飲めば立ちどころに死す」と。
    羽でかき回した酒を飲むと死ぬ、はこれが出典らしいですね。
    黒い羽根に赤い目という中二な外見だったようで、まあ「ボクが考えた最強の鴆鳥」だろうとは思います。お前はそれ見たんかい!

    その「野葛」ですが、『漢書』翟方進傳の注によると、
    如淳の曰わく、「野葛は狼毒の屬なり」と。
    狼毒って何でしょうか。

    『新唐書』地理志の山南道西道採訪使成州同谷郡の條によると、
    土貢:蠟燭、麝香、鹿茸、防葵、狼毒。
    どうも植物だけども毒がある、というモノらしいです。
    ちなみに、同谷郡は漢代の武都郡、仇池とも呼ばれて白馬氐がワラワラといた魅惑の異民族ゾーン、漢中の一部でありますね。

    『新唐書』では土貢=土産に狼毒が含まれるのは此処しかありませんから、狼毒は仇池あたりの名産品として知られていたんでしょう。

    ちなみに、『舊唐書』酷吏傳の王弘義の條によると、
    自ら矜りて曰わく、「我の文牒は狼毒、野葛の如きあるなり」と。
    「俺の文書は狼毒や野葛のように毒が利くぜ」と誇って言った。
    というワルモノの言葉がありますので、まあ、ロクな使い方はされていなかったであろうことは疑いありませんね。

    云々。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    と言うかこれ、自分が調べて書くべきでしたね。諸語の特殊な用法をぽいっと投げ込まれて「そんなもんです」と突き付けられるのに、悪い意味で慣れちゃってた。

    「ライトなノリ」であれば、ライトなノリで回答するのがライトな作品での振る舞いでした。

    反省しきりです。


    ※※


    鴆鳥、いないいない言う割に毒薬が存在しててなんやねんそれ感が半端ないですw 野葛って言うとなんとなくトリカブトとか思い出すなぁ。この辺は毒薬版斉民要術的な本もあったんでしょうね。もうとっくに失われてるだろうけど。

    編集済
  • 乙女かよ、がナイスツッコミすぎて笑えてきます!

    作者からの返信

    曹操の振る舞いは「僕のことわかって」が多すぎますねw
    意にそまないと殺すけど

  • 漢文はあまり分かりませんが、楽しく読んでいます。
    鴆毒は「ちんどく」と読んで、毒酒を指すのが一般だと思います。
    漢文や晋書ですと、特殊な使い方をするのでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    基本、原文訓読についてはシカトして下さって構いません。と言うのも、やっぱり「あんまもの考えないでゲラゲラ笑うだけ」と言う振る舞いは、とても大切だと思うのです。世説新語という、ほっとくと難解きわまりない代物を、ちょっとした暇つぶしレベルの読み物に引きずり下ろしてやりたい、と言うのが作者のもくろみです。


    と言うか、おうどくでなく、ちんどくでしたか……調べ方が雑に過ぎたようです、修正致しました。ご指摘、ありがとうございます!

    そしてこの鴆毒についてですが、石崇王愷の振る舞いと晋の関係とを言い表すには、下手に解説を入れない方が良かろうと思い、ここで止めています。と言うのも、それを言いだしたら「鴆」についての解説を始めなければならない感じがあったからです。

    それはそれで面白いのですが、さすがに「ライトなノリ」ではないな、と省略しました。

    あくまで「晋を内側から蝕んだ存在」としてのみ石崇と王愷を表現したい、と言うのが当方の認識です。ご認識下さいましたら幸いです。

    ※※

    振り返るだに、「ライトな作品のための振る舞い」であれば、ライトな回答をするべきでした。自分自身がこの作品を主催している人間としての振る舞いを理解できておりませんでした、申し訳ありません。

    既に河東竹緒さんに解説をして頂いていますが、あえてここに追記させて頂きます。

    晋書に載る「鴆毒の事」は、それそのものが既に比喩表現です。晋書の表現からして「晋が王愷、石崇を飼うのは、毒酒を毒酒と分かった上で飲むようなものだ」と言っている感じになります。

    つまり晋書記述の段階でも、ある意味特殊な使い方をしている、と言うことになります。河東竹緒さんの解説で、ある程度表現として一般化していることを、むしろたった今知った勢いです。

    ご質問に対し、的確な回答を出来ておりませんでした。申し訳ありません。

    編集済
  • 鍾毓、鍾會は少くして令譽あり。
    年十三となりて魏の文帝は之を聞き、其の父の鍾繇に語りて曰わく、「二子をして來らしむべし」と。
    是において敕して見えしむ。
    毓の面に汗あり。帝は曰わく、「卿の面は何ぞ以て汗するか?」と。
    毓は對えて曰わく、「戰戰惶惶として汗の出づること漿のごとし」と。
    復た會に問うらく、「卿は何ぞ以て汗せざるか?」と。
    對えて曰わく、「戰戰慄慄として汗は敢えて出でず」と。

    トンチですね。素直な文です。


    地味に使役、なので文末は〜せしむ。

    作者からの返信

    使役系は、文脈から拾って感じる方向が最適解なんでしょうね。

    とは言え、勅す、は令すの最上位互換。コーテーヘーカが頻出するよーなブンガク作品に触れるんであれば、勅って字に対してもっと感度を高めるべきですね。


  • 編集済

    劉公幹は敬を失するを以て罪に罹れり。
    文帝は問いて曰わく、「卿は何ぞ以て文憲に謹まざるや?」と。
    楨は荅えて曰わく、「臣は誠に庸短にして、亦た由陛下の綱目の疏ならざるに由る」と。

    平易なのに、前文は字で後文は諱とか、止めてもらえませんかね。
    失敬
    罪名なので読み下さないのが普通、大不敬とか読み下すとエライことになります。大いに敬さず。


    ※※※


    〉表記揺れ

    士大夫は同じ言葉の繰り返しを嫌いますから、それでこうなるんでしょうね。繰り返しは典雅じゃないと言われます。しかし、固有名詞にまで及ぶか、普通。。。

    作者からの返信

    割と多いですよねー表記揺れ。字→官名とかほんとなめてんのかって感じですし。

    失敬罪。
    何か日本語としてみるとギャグの香りすらしますが、いまやっているのは古中国語ですものね。修正修正。

    ありがとうございます!


    ※※


    かと思いきや、別のところでは諱諱諱とかやらかすんですよねぇ。義慶も編集するときにもうちょいきっちり指示出せよ、という……

    編集済

  • 編集済

    魏の甄后は惠にして色有り、先に袁熙の妻と為りて甚だ寵を獲る。曹公の鄴を屠るや、疾く甄を召さしむ。
    左右は白すらく、「五官中郎は已に將て去れり」と。
    公は曰わく、「今年の賊を破るは正に奴の為にせり」と。

    わりと平易でした。
    將て
    読みは、いて。痛いわけではない。引いて、に近い感じ。連れて行った、です。
    為奴
    奴と為すと読むと、奴隷にしたの意。この場合、奴の為にすと読んで、野郎のためにやった感じやんけ、となります。


    ※※※


    〉奴を「やつ」と読む

    読みはドでよいのですよ。意味が「あの野郎」となるだけです。悪しざまに言ってます。

    作者からの返信

    将て
    いてっ!(痛い)
    率いる、とかそっち方面から拾えるニュアンスでもありますね。うぬぬ。

    奴を「やつ」と読むのが、どうしても日本語くさい、で及び腰になってしまいます。ここまででそう言う用法に巡り逢ってこなかったからなんでしょうけれども。
    もっと目加田センセーを頼るべきなんや……ちょろちょろミスが見受けられるって言っても、やらかすミスの数は、どう考えても自分の方が圧倒的に多いんや……


    ※※


    「奴」を使ってもオッケーと聞くと、悪し様な文章書く(すぐ書きたがる)ときにいろいろ便利そうですぐふふ。

    編集済

  • 編集済

    魏武に一妓あり、聲は最も清高なるも情性は酷惡なり。殺さんと欲すれば則ち才を愛しみ、置かんと欲すれば則ち堪えず。是に百人を選びて一時に俱に教う。少しく時すぎて果たして一人の聲の之に及ぶあり。便ち惡しき性の者を殺せり。

    disられてますなあ。。。文章はわりに平易でした。

    清高
    ゴスペル風の太くて声量があるものではなく、高く澄んだ声の意、そういうのが好まれたのですね。

    愛惜の用法、つまり惜の意です。notLove.
    百人
    朝廷ならこういう歌妓は教坊に入れて訓練しました。これは勝手に殺しているから、魏王府だったのかなあ。身分は奴婢に近かったようです。いずれにせよ、教科書には載らないですね。#MeToo的な意味で。
    少時
    普通は読み下さず、少し時間が経過した後、の意。力ずくで読み下すとこんな感じでしょうか。



    ※※※


    〉いまでも高音出る人の方が人気

    それなんてロブ・ハルフォード。。。


    〉あまり無理して開かない方向

    力ずくで開くのも勉強にはなるんですけどね。傾向として開かず意味が分かってない、に陥りがちでして。適切な処理にはかなり知識を要しますから、難しいところです。

    作者からの返信

    声の高さは、いまでも高音出る人の方が人気とかはありますね。何事も程度問題でしょうけど。

    目加田センセーも愛を「惜しむ」となさってて、きっとそれで合ってるんだろうけど、本能が受け付けてくれない、と言うかw どうこの本能をやっつけてくれようか…

    さすがにこの話はフィクションだろ感満載ですが、ソソサマを最低の悪役に仕立てたいときは便利そうですね。それはそれで、また表現の一スタンス。

    そろそろ(東晋皇帝列伝以降)あまり無理して開かない方向で訓読していこうと思います。熟語が持つふいんきもまた訓読文の醍醐味でしょうし。

    少時とか、ほんに開く意味ねーとか思いながら開いてましたw


    ※※※


    ハルフォードこの期に及んで新譜出してますねー
    なんか評判めっちゃよさげで。

    開く開かないには、自分なりの基準設けたほうがよさそうですね。
    そうだな「開くとダサい」にしようかしら。(あいまい)

    編集済

  • 編集済

    魏武は常に云えらく、「我が眠る中に妄りに近づくべからず。近づかば便ち人を斫り、亦た自ら覺えざるなり。左右は宜しく深く此れを慎め!」と。
    後に眠るを陽り、幸せる所の一人は竊かに被を以って之を覆う。因りて便ち斫り殺せり。
    爾より眠る每、左右に敢えて近づく者莫し。

    まあまあ、こんなもんでしょう、という感じ。

    掛け布団的なやつです。

    指示語として多彩に使われて厄介、今回は、それ。

    日ごとに、のように使われますが、常と同じ意味も。
    左右
    みぎひだり、ではなく、近侍する方々の意味。


    ※※※※


    考えるな、感じろ。です。

    作者からの返信

    今回はだいたいこんな感じ……と言いたかったですが、消しもれとかがどっかんどっかんあって慌てて消しましたw

    本当に、爾は厄介すぎて困ります。それになったりなんじになったりしかりになったり。七変化すぎる。


    ※※※※


    oh...ブルース...

    編集済

  • 編集済

    魏武は常に言えらく、「人の己を危からしめんと欲さば、己は輒ち心動けり」と。
    因りて親しむ所の小人に語りて曰わく、「汝は刃を懷にして密かに我が側に來たれ。我は必ず『心動けり』と說かん。汝を執えて刑を行わしむるも、汝は但だ言うなかれ。其れ他をなからしめ、當に厚く相い報うべし」と。
    執うる者はこれを信とし、以て懼を為さず、遂に之を斬る。此の人は死に至るまで知らざるなり。
    左右は以て實と為し、逆を謀る者は気を挫けり。

    言い回しが難しいです。あと、なんか悪文。


    あやぶむ、は危惧の使い方なので、心配するに近い意味。ここは危害の使い方なので、あやうくす、がよろしいかと。

    語所親小人曰
    親しい所、が小人を修飾しているので、語〜曰=〜に語って曰わく、の語法です。

    使無他
    無が動詞、他が目的語なので、他をならかしめ、になりますかな。

    當厚相報
    當に〜べし、の構文。〜してやろう、ですね。

    執者信焉,不以為懼,遂斬之。
    二つの解釈ができそうです。
    執者なら通常、執る者、となり、刑罰を執行する者という解釈になるべきなので、それに従うパターン。この場合、主語はすべて執行する人。懼は疑に近い意味に解さないといけなくなります。苦しい。
    文脈から、執者を被執者と読む忖度パターンの場合、斬だけ主語は執行する人、不以為と信は小人が主語となります。
    執るは行うの意もあるので、茶番を行った小人を指すとも言えますが、それは忖度が過ぎる。。。
    抗議の意を籠めて敢えて前者を採用しました。





    其れ他をなからしめ
    そんな、ホントにブッ殺したりしないよー、と解するのがよいかと。
    色々解釈できますので、結局は藪の中ですが。まあ、このあたりも漢文の醍醐味ですよね。1500年以上前の人と簡単には意思疎通はできないよ、ボーヤ、的な。

    作者からの返信

    明らかに原作者違うだろって文章が混じってますよね。研究とかには劉義慶と共に編纂に携わった人の名前とかも見出せたりしてるのかしら。裴松之辺りは関わっていそうですけれど。

    と言うか、この文は何やらいろいろなところが曖昧でふわふわしていますね。「所」の存在意義が曖昧とか、「使無他」も正直意味不明、「執者信焉,不以為懼,遂斬之」に至っては、意味を取ろうとしてくらくらしてくる始末。まぁ、「え、ほ、本当に殺しちゃっていいの……?」的にびくびくはするのかなぁ。



    「他意はないよー、他意は(そっぽ見)」みたいな感じなんでしょうかねー。コミュニケーションでもそうですが、わかったつもりのタイミングが、一番相手を理解できてないタイミングだったりしますね。すまん義慶。忖度するは。

    編集済
  • 魏武の少かりし時、嘗て袁紹と好んで游俠を為せり。人の新たに婚するを觀るに、因りて潛かに主人の園中に入り、夜に叫び呼ばわりて云わく、「偷兒の賊有り!」と。
    青廬中の人は皆な出て觀る。魏武は乃ち入り、刃を抽きて新婦を劫かす。紹と還り出て道を失い、枳棘の中に墜つ。
    紹は能く動くを得ず、復た大いに叫んで云わく、「偷兒は此に在り!」と。紹は遑迫して自ら擲げ出で、遂に以て俱に免ず。

    有名な逸話ですが、そんなに変な用例はなさそうです。


    少年に使われるのに同じく、若の意ですね。

    游俠
    放埓とかに近い感じ、素行不良です。

    偷兒
    偷は盗と同じ、兒を盗まれた花嫁とするか、盗人のガキとするかは微妙ですが、後段で偷兒と賊を呼んでいるので、まあ後者でいいのかな。

    ちなみに、青廬は庭に張られるそうです。新婚の際には庭に青い幔幕を張り、その内で披露宴のようなことをするそうな。その人々をおびき出して、残った花嫁を強奪する、と。策士ですなあ。

    作者からの返信

    えぇー……いま改めて目加田センセーのご本と較べてたんですが、俺これどういうルートで訳出してたんだかわかんないです……これ青廬シカトしていい要素じゃないですね。だいぶ意味合いが違ってくる。

    ちなみに「少」には「おさ」ってルビ振っていましたw 幼くはないですねw


  • 編集済

    桓公の洛に入るに、淮、泗を過りて北境を踐む。諸々の僚屬と平乘樓に登りて中原を眺矚し、慨然として曰わく、「遂に神州をして陸沈して百年の丘墟とせしむ。王夷甫の諸人は其の責に任じざるを得ざるなり!」と。
    袁虎は率爾に對えて曰わく、「運は自ら廢興あり、豈に必しも諸人の過ならんや?」と。
    桓公は懍然と色を作し、顧みて四坐に謂いて曰わく、「諸君は頗か劉景升を聞くや不や?大牛の重さ千斤なるものあり。芻豆を噉うこと常の牛より十倍するも、重きを負いて遠くに致すこと、曾て一羸牸に若かず。魏武の荊州に入るや、烹て以て士卒に饗わす。時に快と稱せざるなし」と。
    意は以て袁に況う。四坐は既にして駭き、袁も亦た色を失えり。

    わりと長め、厄介な箇所もポツポツ。

    慨然
    勃然=ムスッとする様と同じく形容動詞扱いなので、慨然たりが基本。なので、慨然として、が良さげ、意味は公憤を感じた様。勃然との違いは謎。

    使神州陸沈,百年丘墟,
    王夷甫諸人,不得不任其責!
    前半の神州は陸沈させて百年の廃墟となるので、使は丘墟までが良さげ。ちなみに、前文後文ともに、主語は王夷甫諸人ですね。

    率爾
    そつじ、軽々しくなので副詞扱い、率爾に、がよろしいようです。

    諸君頗聞劉景升不?
    ヤマ場です。
    頗はすこぶるが一般的ですが、すこしくの意味もあるので、後者をとって「劉表の話を小耳に挟んだことねえか?」って感じですかね。
    最後の不は否と読みかえるパターンです。


    なぞらえる、あまり見ない用例ですね。最初は何かと思いました。

    しかし、よくよく考えてみれば、デカい牛をペットみたく飼ってえばっていたわけですから、富の象徴みたいなもんだったのでしょうね。曹操にはそういう趣味はなかったという話で。スタッフがおいしく頂きました。

    作者からの返信

    これの書き下し、半日仕事でした……桓温さまの意図を拾い上げるのにひーひーしたり。その分好きなエピソードにもなりましたけど。

    慨然、率爾
    この辺の取り扱いがまさしく「率爾」だったという……(一座爆笑、いや笑えないけど)
    しかし桓温と袁宏の関係調べるとここまで激烈な間柄なのかなぁ、とかは疑問に思わないでもありませんでした。まぁきっと、気にするだけ負け。

    使神州陸沈,百年丘墟
    「神州」が「百年丘墟」なんだから、
    当然「使」は後半にまで掛けないといけないですね。
    むしろなんでさらっと外したのか……
    読点か、例によって読点に引っかかったのか……

    諸君頗聞劉景升不?
    多いと少ないの両方の属性持つなんてふざけんな! ……って地団駄踏みたいところではありますが、
    ラストに「不」がくる表現の場合、「最後になって全部をひっくり返す」構成になるわけだから、「頗る」みたいな言葉も、ある意味では誇張表現的になって一種の皮肉、そしりの要素を帯びてきたり、とかも考えられるのかもしれないですね。
    過去の俺が露骨にここの翻案から逃げてて、お、おう、まぁある意味で賢いよな、とは思いました。
    ただ、この辺りのニュアンスをうまく拾えてこその「超訳」のような気もするしなー。


    「いわんや」の読み下しも、確かに「言わんや」からの派生とは言えそうですね。漢文ごっこしてるとどうしても「いわんや~をや」の定型に嵌めてしまう……うぬぬ。

    富の象徴かー。世説新語、司馬炎と言う sage 対象見たあとだと、曹操の扱いはまだじゃれてるレベルでしたね。むしろやっぱり一定の尊敬はされている感じ。ここでも劉表が太平楽にのほほんとしてるところを曹操は実利で掻っ攫った、みたいな印象にもなりますし、ある程度は愛されてたんだなー。

    考えてみりゃ劉宋が簒奪王朝ですし、下手に曹操のこと dis れないですよね。劉宋否定にすらつながりかねないし。

  • 魏の武帝の崩ずるや、文帝は悉く武帝の宮人を取りて自らに侍らせり。
    帝の病に困しむに及び、卞后は出て疾を看る。太后は戶に入り、直侍するものを見るに、並びに是れ昔日に愛幸せし所の者なり。
    太后の問うらく、「何れの時に來たれるか?」と。云えらく、「正に伏魄の時に過れり」と。
    因りて復た前まずして嘆じて曰わく、「狗鼠も汝の餘を食わず、死するは故より應に爾るべし」と。山陵に至るも、亦た竟に臨まず。

    地味に難しいですよ、これ。
    直侍
    直は宿直の直に同じく当番の意に近いので、熟して読むしかないパターンです。

    正伏魄時過
    伏魄は、復礼と言って、死者の衣服を屋根の上でパタパタして魂を返らせようとする儀礼、死んだ直後に行います。
    過は「よぎる」と呼んで至と同義、なんで、曹操が死んだ直後に来たのよね、となります。

    死故應爾!
    死ぬのも当然の意味は分かりますが、訓読は話が違います。
    故は「もとより」として「そんなんやったら」と解し、爾は然と同じく指示語の「しかり」と解するのがよいですね。應は「まさに〜べし」で当然を強めていると解すると、上のような感じになります。

    ちなみに、井波版『世説新語』もだいたい同じでした。井波版いいですね。5冊あるから15,000円くらいかかるので、高いけど。

    作者からの返信

    えらい難しかったです……因みにこの頃、目加田訓読にあまり頼りすぎないようにって、結構スルーしてます(最近はそうでもないですが)。なので、確か目加田訓読とは結構違った……記憶がw 確認してみますw

    >死故應爾
    ここ、本当に超訳を超えたトバし訳になっちゃいました。「死」以外の字の用法が、もう全部異次元殺法としか……w

    井波先生版も読んでみたいところです、どこかで大学図書館かデカい公立図書館に足を運びたいもんです。

    頂戴したご指摘に従って修正させて頂きました、ありがとうございます!

    編集済
  • 魏武の將に匈奴の使に見えんとするに、自ら形の陋なるは遠國に雄たるに足らざるを以って、崔季珪をして代わらしめ、帝は自ら刀を捉えて床頭に立つ。
    既に畢わり、間諜をして問わしめて曰わく、「魏王は何如?」と。匈奴の使は答えて曰わく、「魏王の雅望なるは常に非ざるなり。然して床頭に刀を捉うる人は、此れ乃ち英雄なり」と。
    魏武は之を聞き、追いて此の使を殺せり。

    形陋は主語を一文にして少しヒネリました。意味が分かりやすいから、というだけです。
    ここの自以は長く掛け、遠国を圧するに足りないからイケメン代打、とした方が良さげですね。
    遠国に雄たる、も地味に訓読しにくいなあ。遠国を圧するの意ではあるのでしょうけど。

    使を殺した理由は「魏王は屁だけど近臣にヤベーのいたから内乱待ったなし」と噂が広がるのを懸念した、なんですかなあ。
    人物鑑定に長けた人は評価が高い文化がありますから、「あーいうヤツを放っておくと匈奴が強くなってイヤだ」も考えられますね。
    見事な丸投げですが、その辺を考えるのが一番楽しかったり、ではあります。

    作者からの返信

    >自らの形の陋ろうなるを以て
    だと、以自形陋ですね。うまくニュアンス拾い切れてないんだなあ。前置句系は、一旦いちばん遠くを狙ってみるとかしておく方が、理解しやすいのかもですね。とりあえず囲んじゃう。

    遠国に雄たる、については、威風が広く行き渡る、みたいな解釈でいいのかな、って思いました。どのみち匈奴に嘗められたくない、ではありますね。

    このエピソード、俺は「優れた使者を冷たくあしらい、凡庸な使者を懇ろにもてなす」の最上級なのかな、と言う認識です。アレを匈奴が飼ってたらぎゅんぎゅん匈奴に人材が集まるぞ、的な。

    まぁけど、これも読んだ人間が好きに料理すればいいタイプっぽいエピソードですねw


  • 編集済

    こんにちは。

    〉この対句表現が前後に
    〉うまく接続しきれない

    素晴らしい。。。

    它人能令疎親
    他人は能く親を疎ならしむも
    臣不能使親疎
    臣は疎を親ならしむ能わず

    他人は親しい人の間を裂けるのに、私は親しくない人を仲良くさせられないの。
    いやいや。。。わりと普通、恥じるに及びません。アナタ変です、となります。

    これ、誤記なんです。
    『晋書』王済伝の同文はこのとおり。
    他人能令親疎
    臣不能使親親
    これなら、他人様より難易度が低いことを出来てませんから、恥じるも通りますよね。

    この箇所は徐震堮『世説新語校箋』に指摘されていますが、目を通すだけだと「ふーん」と流してしまいます。
    意味を理解しようとすると、がっつり引っかかりますから、理解して書くという行為の素晴らしさですねー。


    ※※※


    〉元テキストを万全に頼りつつ、けれども時々は疑う。

    「ダメだ、まったく意味が分からん」は翻訳していると、必ず出会いますよー。
    そん時はだいたい、

    一、字義の解釈を間違えている。または、固有名詞を誤って読み下そうとしている。
    →字書で全文字を調べ直す
    →固有名詞の見直し(字書を引き直していると、わりと気づく)

    二、漢字を見間違えている(ex.虞兵を虜兵と見間違えるby氷月さん)
    →一字ずつ読み直す

    三、史料の誤字(今回のパターン)

    このいずれかにハマっています。
    三の場合、気になる一節を検索して探すようなことをします。『世説新語校箋』みたいに校註があるなら、それを見ればいいんですけど。ない場合はネット頼みになりますねー。
    『通俗』を訳していて、何回かはありました。まさに地獄。

    作者からの返信

    うぉお、晋書にはあるのか……! ありがとうございます!
    ダメですね、だいたいチャイナWikipediaで片付けちゃ。そのご指摘なら、確かに流れがスムーズです。

    元テキストを万全に頼りつつ、けれども時々は疑う。このさじ加減は非常に難しそうですが、上手いところバランスは取っていきたいものです。

    世説新語の物語って、本当にテキストに無駄がないんですよね。見事としか言いようがない。なので、こちらとしても含意をどれだけ忠実に伝えられそうか、には尽力したいものです。


    ※※


    字義間違いの見間違いはよくやらかしますので、
    そこは大丈夫です!(大丈夫じゃない)

    アドバイス頂いたやり方を頂戴して、
    https://www.ptt.cc/bbs/SAN-YanYi/M.1273919161.A.DED.html
    に辿り着きました。向こうでも引っ掛かってる人が結構いるんですねー。

    晋書の記述に従う方が王道なんでしょうけど、ここは敢えて「台詞の展開的に好き」で押し切ろうと思いますw

    編集済
  • はじめまして。
    いつも楽しく読ませていただいています。

    さて、このお話ですが、日本にも伝わっていたようで、江戸中期の女流作家の荒木田麗女の「怪世談(あやしのよがたり)」にも、日本風にアレンジされて記されています。
    前半部分はほぼこの話の鍾会と荀勖のやりとりが登場人物だけを日本人に替えて描かれています。
    ただ、後半部分は相当な改変が行われています。

    剣を盗まれた大輔は、盗んだ少将の新築の家に大臣一行が訪れた様子を描く。
    それを見た少将が本物と思いこんで翌朝大臣に問い合わせたところ、そんな事実はないという返答が。
    それを聞いた少将の家族が「それは鬼の仕業だ。そんな所に絶対に行きたくない」と怖気づいて引っ越しをやめ、結局新築の家が空き家になってしまった。
    という展開になっています。

    これはこれで多少無理やりな感もあるわけですが、やはり江戸時代の日本人にも後半部分の理屈はわかりづらかったのでしょうね。
    ちなみにこの話は、数年前のセンター試験追試の古典で出題されています。
    よかったらご覧になってみてください。

    これからも作品を楽しみにしております。
    失礼しました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    うーん荒木田女史、この話が
    好きは好きだけど手に余ったんでしょうかw

    世説新語は世界でも有数の
    「古い」短編集でしょうから、
    いろいろな方が本家取りしているのだろうな、
    とは思います。

    自分は目加田先生のご本を頼りに、
    エピソードについてはほぼ機械的に
    ピックアップしていますので、
    世説新語から始まる物語の系譜にはどうしても疎いです。
    また、こういった物語の系譜等ございましたら、
    教えてくださればありがたいです。


  • 編集済

     何晏は年七歲にして明惠なること神の若し。魏武は奇として之を愛す。晏の宮內に在るを以って、因りて以て子と為さんと欲す。晏は乃ち地を畫して方ならしめ、自ら其の中に處る。人の其の故を問うに、答えて曰わく、「何氏の廬なり」と。魏武は之を知り、即ち遣りて外に還らしむ。

    晏乃畫地令方は読みにくいです。空目するし。地を画してその区画を方形にした、と読むのがよいんでしょうね。絵柄は想像できるのに読み下しにくいパターン。

    作者からの返信

    「地に令して方せしむ」って、まさかの無生物主語かよって感じではありますね。まさしく「そう言う表現のしかたもあるのか」としか言いようのない案件であり、まるっと飲み込むしかないというか。

    こういう所の表現をまるっと飲み込むのが大切になってきそうですが、考えてみりゃこれ言語習得のあらゆる場面で必要になってきますね。できれば一個一個の出来(しゅったい)もきちんと踏まえた上で飲み込みたいところですが、なかなか。うーん。


  • 編集済

    魏武の袁本初を征するに、裝を治めて數十斛の竹片を餘す有り。咸な長數寸、眾は並びに謂わく、「用に堪えず」と。正に燒きて除かせんとす。
    太祖は甚だ惜しみ、之を用いる所以を思う。竹の椑楯を為るべしと謂うも、未だ其の言を顯さず。
    使を馳せて主簿の楊德祖に問わしむるに、聲に應じて之に答え、帝と正に同じうす。眾は其の辯悟に伏せり。

    椑は札とかの意味らしいですが、まあ、屑ですね。楯にすると言われてもねえ。想像できません。
    馳使問主簿楊德祖は馳使&問〜の形で、人を遣って問わせたという言外の使役、分かりにくい。。。
    あ、「謂」が二つありますが、前は「言」、後は「思」の意味です。後者は前文に「思」があるので言い換えたのかな。
    ちなみに、「魏武」「太祖」「帝」は全部曹操、一々言い替えてマウントしてみました、みたいな。アホというかバカというか、士大夫だなあ。
    云々。

    作者からの返信

    ほんに、訳にはできるけど書き下しは……みたいなところの多さには参ってしまいます。

    謂、を思う、って用法、ちらほら見かけてて、上手く自分の中にインストールできないんですよねー。何が障害になってるんだろう。解釈ルーチンがある程度見えてきて、そのルーチンが凝り固まっちゃって、とかなのかしら。

    これ前も言ってた気がします。定期的に凝り固まってないかどうかのチェックをしないと、すぐ迷子になりそうな気がしてきました。こわいこわい。

  • 珍しく長い。。。

    魏武の嘗て曹娥碑下を過るに、楊脩も從う。碑背上に題して「黃絹幼婦,外孫齏臼」の八字を作すを見る。
    魏武は脩に謂いて曰わく、「解けるや不や?」と。答えて曰わく、「解けり」と。
    魏武は曰はく、「卿は未だ言うべからず。我の之を思うを待て」と。
    行くこと三十里、魏武は乃ち曰はく、「吾は已に得れり」と。
    脩をして別に知る所を記さしむ。
    脩の曰わく、「黃絹は色絲なり。字に絕と為す。幼婦は少女なり。字に妙と為す。外孫は女子なり。字に好と為す。齏臼は辛を受くるなり。字に辤と為す。所謂『絕妙好辤』なり」と。
    魏武も亦た之を記せるに、脩と同じうす。
    乃ち嘆じて曰はく、「我が才の卿に及ばざること、乃ち三十里なるを覺ゆ」と。

    「解不」はマトモにやると読みにくいので、「不=否」と考えると読みやすいです。意味が「解けた?」なのは誰でも分かるのに。
    この文章を最初に読んだ感想「分かるか、こんなもん」を思い出しますなあ。

    作者からの返信

    セリフの最後の「不」のこの、わかるのにわからないっぷりと来たら、本当にもう……。
    そうか、否や、ってやると収まりがいいですね。

    この無茶振り連想ゲーム、
    敢えてやるとしたら、
    妙、好
    からの類推でしょうか。
    何を受けて妙と言い、何を好と言うか。
    どちらかと言えば「辞」(字違うけど)
    の方が連想はしやすいですね。
    ここまで来ればあと一文字になるでしょうけど、

    ……これ、このエピソード作った人も
    苦しいと思ったんじゃないかなあ、
    とは思えて仕方ないですw

  • 人の魏武に一桮の酪を餉るに、魏武は噉うこと少し許り、蓋頭の上に「合」字を題して以て眾に示す。眾に能く解する莫し。次の楊脩に至り、脩は便ち噉らいて曰わく、「公は人ごとに一口を噉わしむるなり。復た何をか疑わんや」

    「次」は順番の意味ですね。なので、酪を一同に回してその順番が楊脩に来たわけです。そこで機智を働かせた、というお話です。
    「教」は「令」と同じく使役なので、文中では末尾の「しむる」にバケています。
    云々。

    作者からの返信

    なるほど。「教」は完全に辞書引くのサボっていました。違和感覚えないと駄目だよなぁこれ……

    次に、の部分の扱いも雑になっていましたね。これは訳もきっちり差し替えておかないと。

    ありがとうございます!

  • 楊德祖は魏武の主簿と為る。時に相國門を作り、始めて榱桷を構う。魏武は自ら出て看て、人をして門に題して「活」字を作さしめ、便ち去る。楊は見て、即ち之を壞さしむ。既に竟りて曰わく、「門中の『活』は『闊』字なり。王は正に門の大なるを嫌うなり」と。

    榱桷はたるきですね。まあ横木ですから門らしくなったわけですわ。そこに曹操登場です。

    作者からの返信

    うーん、このエピソードにおける訓読でも、自分のやつは引用もとの句読点に翻弄されていますね。もっと積極的に離れられるようにしないと。


  • 編集済

    潛は曰わく、「中國に居らしむれば能く人を亂すも、治を為す能わず。若し邊に乘じて險を守らば、一方の主と為るに足る」と。

    前文は「(曹操)使(劉備)居中國、(劉備)能亂人,(劉備)不能為治。」なので最初の一文だけは使役ですね。
    後文は「若(劉備)乘邊守險,(劉備)足為一方之主」なので主語はともに劉備、「為」は自動詞として読む方がいいですね。なので、「為す」ではなく「為る」の方がよさそう。細かい。

    作者からの返信

    うぉお、「使」を見逃してる……! ヤッチマッテますね。普通に対句的に扱ってしまいました。なんという……

    とは言え、使役云々抜きでも後の「為」はなす、と読み下したと思います。なんか字の扱いが固いんだなあ。もう少し柔軟に行きたいところです。

  • この墓穴の堀り方、ある意味かわいいとか思ってしまいますw
    中2くらいの頃、諸葛恪とか鍾会がすごく好きでした(笑)
    こういうイタい秀才スキーには世説新語はたまりませんな(笑)

    作者からの返信

    イタイ秀才と言えば、いま司馬炎に取りかかっているのですが、この方もなかなかですねw

    王導さまも中々の逸材くさいですし、ここからの出会いが楽しみですw

  • 曹公の少き時、喬玄に見ゆ。玄は謂いて曰わく、「天下は方に亂れて群雄は虎のごとく爭わんとす。撥して之を理むるは、君に非ざらんや?然れども君は實に亂世の英雄、治世の姦賊なり。恨むらく、吾は老ゆ。君の富貴なるを見ず。當に子孫を以て相い累すべし」と。

    「天下方亂,群雄虎爭,撥而理之,非君乎?」は「天下方亂,群雄虎爭」の状況説明と「撥而理之,非君乎?」の曹操評に分かれるので、切る方がキレイになると思います。
    「恨吾老矣,不見君富貴,當以子孫相累」は何か気持ちワルイです。
    「恨むらく、吾は置いて君の富貴を見ず、當に子孫を以て相累すべし」としたいのですけど、「恨吾老矣」で切るべきなんでしょうね。「矣」だからなあ。。。
    「累」は「煩」の意味もあるので、ここではこちらでしょうね。

    作者からの返信

    天下方亂,群雄虎爭
    の部分は、ウィキソースの句読点に徹底準拠とか目論んだ結果でした(盲信するだけ馬鹿を見ると気付いたので、いまは参考程度に留めていますが)。ここ切らないと、やっぱりおかしいですよね。

    訳した感じだと、自分は恨吾老矣で切れてるほうがすっきりとした印象です。その方が、後の文が「それならば、せめて」的にまとまる漢字がしました。


  • 編集済

    こんばんは。
    ゆっくり訓読を見ていきます。

    〉禰衡被魏武謫為鼓吏
    〉禰衡は魏武の謫さるを被りて鼓吏と為り、

    能動文の場合、「魏武謫禰衡為鼓吏」で「魏武は禰衡を謫して鼓吏と為す」になるわけですが、受け身なので「禰衡被魏武謫為鼓吏」になり、元の形を勘案すると、「禰衡は魏武の謫して鼓吏と為すを被り」が自然かも知れませんね。


    〉四坐為之改容。
    〉四に坐すは之の容を改むるを為す。

    四坐は四方に坐していた人たちを意味する熟語ですね。これが八座になると、朝貴とほぼ同義になります。為之は前文を受けて「之が為に」が良いでしょう。「之の容を改むる」の場合、だいたいは「改之容」の語順になります。

    云々。





    マジか?!ですよねー。今は使われない用例の宝庫です。そういえば、氷月さんの『襄陽』の氷月あやあとがきを訓読してやろうと企てています。その後は、本作を順繰りに見ていきますよ。
    ふへ。





    一杯食わされましたので、検討しておきました。

    作者からの返信

    おはようございます。

    >禰衡被魏武謫為鼓吏
    なるほど。
    そうすると、正月の半ばに鼓を試さる、まで被の適用範囲、と言う形にもできそうですね。すると、

    禰衡は魏武に謫され鼓吏と為さしめられ、正月の半ばに鼓を試さるを被る。

    ともできそうかな。ここまで被るを掛けてしまうと、少し重たい感じがしないでもありませんが。


    >「之が為に」
    この用法は、完全に自分の中の認識にありませんでした。そう言う使われ方もあるのか。たぶん、似たような引っかかり方は他の箇所でもやっているんでしょうね。

    ありがとうございます!



    氷月漢文、接した瞬間訓読開始しましたからねーw だいぶスピードは上がってきたみたいです、まだまだ要検討になる箇所は多いですがw

    編集済
  • >應變將略非其所長
    ルビwwwwwww

    細かいところまでセンスがいいです!

    作者からの返信

    ありがとうございますw

    ルビ芸ではちらほら遊んでるんですが、いろんな可能性がありそうだなーって思ってます。

    カクヨムで表示されることを前提にするんならルビも踏まえた AA とかも面白そうで(以下止めどない妄想)

    編集済
  • これ、好きなやつ!
    ナイス補足です!司馬懿レベルのが…あー、いますよねえ(遠い目)

    最近ちらほら見かける崔浩先生による人物紹介が面白いですが、高貴郷公はスルーされてますね(笑)

    作者からの返信

    これ、情報量凄まじいですよねw

    崔浩先生、八王の乱以降に絡まない人達はよっぽどのことがない限り採用して下さらないのですw なにせ孫権すら切り捨てるお方ですからねw

  • 孫権のヴィジュアルって何か紫髯碧眼とかわかるんですが、司馬懿って首が回るくらいのイメージしかw

    作者からの返信

    司馬懿も儒者的な意味で容姿端麗とは書かれてた気がします(確認しない)

    たぶん、いわゆる龍相みたいな感じだと思うんですよね。晋書では逆賊扱いですが、世説新語での持ち上げられ方からするに、当時の桓温の扱いって皇帝レベルだったのかもなぁ、と思うのです。

    となると桓玄の sage 激化は南斉代梁代の動向…?(もうそう が はじまった)

  • 最近、郭淮とか諸葛誕とか鍾会も某有名なゲームのプレイアブルキャラになったりして、若い子でも知っていてびっくりです。本当、隔世の感です(笑)

    そのゲームでも、このエピソード入っていて、「おっ」と思いました。

    >曹氏の衰運は自爆の側面もあるように思えてならぬ

    そうですね、まさに。追い詰めちゃいましたね。。。

    作者からの返信

    諸葛誕もいるんですか!?
    すげえなぁ……

    文鴦出すならかんきゅーけんじゃねえのとかは思うんですが、この辺りにツッコんでも仕方ないですね。

  • 曹氏好きなんですが、『世説新語』好きなのは、何かユーモアというかツッコミ待ちな感じがあるからでしょうかねえ。

    作者からの返信

    世説新語、やっぱり読む人を笑わせようとはしているように思うんですよね。

    ちなみにこの後だと、石崇と言う人のエピソードが楽しみです。と言うのも、汰侈(贅沢にかんする話)12編のうち、9編が石崇のもの。劉義慶のイジリ芸の真骨頂を魅せてもらえそうですw

  • >しかし曹丕は鳴き真似をしなかった

    ちょwww
    ますます曹丕様が好きになりました(笑)


    作者からの返信

    ぼくのかんがえるさいきょうのそうひさまなら、みんなが鳴き真似してるところでしれっと追悼文書いてそうですw

  • 私、そういうハンパな畜生な曹丕様が好きなんです(笑)

    作者からの返信

    そこまでやっといて悔いるなよ、と言うw

    「んなこと曹丕やってねえよ」はほぼ断定されているようですが、やらかしてくれていることにすると、大変においしくて良いですねw

  • 鍾会、いろいろイタい人!
    ゲーム『三国無双』でもイタい人として登場し、有名になりましたが、内心、「いや、もっとイタい人だったような…?」と思った記憶があります。ええ、確か世説新語だったような。楽しみにしています!訳もコメントも面白いですねえええ!(テンション上がる)

    作者からの返信

    ありがとうございます! 一通り鐘会終わっての印象は、正直「あれっ、意外と大人しい……?」でしたw
    史書記述と合わせると、また別の面白みを発掘できたりはするんでしょうね。

  • 劉楨の返答の訳が面白すぎるwww
    『世説新語』といえば、井波律子先生あたりから入ったのですが、web上でこんな面白いのが読めるのはありがたいです!
    文帝スキーですが、よろしくお願いします。

    作者からの返信

    建安七子、なにせ陳琳もいるわけですし、あんまりしゃっちょこばるのもなー、とw この辺りは竹林七賢にも似たことが言えますが。

    井波先生目加田先生は、世説新語の学術的価値に重きを置いていらっしゃいますものね。もちろんそこは大切だと思うんですが、そう言ったのはえらい先生方にお任せし、こちらは好き勝手に行きたく思っていますw

    漢文そのものであるからこそ得られる面白みとかにも上手くリーチできるようにはしたいですが、まぁ、ひとまずは自分自身もお気楽にw

  • 劉義慶てめえ…w

    作者からの返信

    劉義慶のチョイス、ほんとなにごとだよってのがちらほらありますねw

  • 文帝の性格の悪さは、詩歌としては屈折文学としていい味だしていると思っている私です(笑)六言詩とかチャレンジャーなことやってますし(しかし後世につながらなかった)友達にはなりたくないし、臣下にもなりたくないけど、後世の人としてニヤニヤ見守りたい対象です(何宣言w)

    作者からの返信

    まともに三國志を読まずにいきなり世説新語という割とイレギュラーな人間なのですが(まぁ東晋クラスタですしね)、世説新語の文帝さま、なかなかにエグくて素敵でしたw 文選とか典論とかにも手を伸ばしてみたいものであります。

  • こんばんは。

    〉「父の肖像を見て大いに嘆いた」と「邸宅を手放した」がどうして接続するのかを、儒教的見地から理解したい。

    たしかに分かりにくいかも知れませんね。孝が家庭の基本であることはご承知の通り、しかして、その対し方は二つあります。
    すなわち、亡くなった父母を身近に置くか、敬して遠ざけるか。儒教の対し方は後者、肖像画なんぞもってのほかだったはずです。

    なぜならば、諱の存在がその最たるものだから。『世説新語』には父の諱を呼ばれて泣く、怒る話がありますが、亡父の諱を呼ぶことは許されない非礼、ゆえに例外的事象としてこれらの逸話は記録されました。
    この意味を測るに、亡父を思い出すだけで彼らは哭するなどの儀礼を踏まなければ許されなかった。無論、外的に証明できる形において思い出した場合、ですけど。他人の目がなきゃどうでもいいのです。

    さて、そんな慣習の中にあって父の肖像画を家に描かれた日にはどうなるか、とうぜんのように暮らすかぎりは悲しみつづけなくてはならない。楽しかろうが嬉しかろうが、それは変わらない。
    で、そんな家に住みたいですか?と問われれば、誰もがイヤですよね。だから、手放すしかない。さらに言えば、彼らは父の絵を消すこともできなかったはずです。不孝ですからね。

    後漢の明帝は雲臺に光武帝の功臣二十八人を描かせましたが、光武帝はそこにいなかった。それもこの理屈で説明できるかなー、と思います。光武帝と愉快な二十八将にはならないわけですね。
    少なくとも、私の知る限り、父母の肖像を描いて飾ったのは、、、あるわ。『北齊書』にある。しかし、それは常に礼拝して父を殺した皇帝への恨みを忘れない、という話なので、明らかに意図的であり、自らに課した枷です。亡父の肖像画を飾るとは、それくらいヘビィな話なんですね。
    以上、余談でした。

    作者からの返信

    こんばんは。

    孝からの接続が上手く行かなくてひーこらしていましたが、なるほど……! 一旦公衆の面前で父の肖像を発見されてしまっては、もうどうしようもない感じですね。

    犯諱がどれだけ屈辱的なものなのか、世説新語でホイホイ扱われまくってるから正直ピンときづらいところがあるんですが、多分この辺って「テレビで大打者がホームランを量産しているのを真似してお前もホームラン打ってね☆」って言われてるようなもんなんでしょうね。いやいや一杯目撃するけどそれの再現とか無理ですから、みたいな。

    北斉書の話は初めて聞きましたが、ノータイムで斛律光の息子かな? とか妄想しましたですw


  • 編集済

    あ、指摘消えた。まあいいや。

    高貴鄉公の薨ずるや、內外は諠譁せり。
    司馬文王は侍中の陳泰に問うて曰わく、「何ぞ以て之を靜めんや?」と。
    泰は云えらく、「唯だ賈充を殺し、以て天下に謝するのみなり」と。
    文王は曰わく、「復た此より下すべきや不や?」
    對えて曰わく、「但だ其の上のみを見る。未だ其の下を見ず」と。

    まあまあ平易ですが、上下を含めて忖度全開にしないとなんか読めません。
    諠譁
    ケンカ、いわゆる殴り合いじゃなくて非難ゴーゴーとか、そんな感じ。ちなみに名詞。

    したす、もちっと安いコースにして、の意、

    ないの?の意。シャットアウトされますけど。

    作者からの返信

    !?

    何故か読み仮名がインストールされなくて、何回か調べた末のルビ振りでしたのに……自分の記憶野のヤバさにドキドキしてしまいました。

    ご指摘、ありがとうございます! つーかこんな初歩的ミスキメるとか、もうアナがあったらレリゴーしたいです。

  • >そもそも王導、この国でいま、
    >司馬懿レベルの権勢を握っているのが
    >誰なのか、卿は理解しておるのか!

    この補足によるツッコミは笑いました。
    王導の心理は忠臣ではなく、王敦と補完関係にあるという解釈が
    なされていたようですね。

    ところで、曹髦を殺したのは司馬師とありますが、
    殺したのは文王の司馬昭です。司馬師は景王です。
    確認の上、修正お願いします。

    作者からの返信

    補足部分を隠していることこそがこのエピソードの面白みだったりするんですよね。ほんとそう言うのやめろよって言いたいんですが、けどやっぱりその辺をどうにか拾ってもらいたい、と思わずにおれません。

    >殺したのは文王の司馬昭
    ありゃ。司馬師司馬昭への無関心をさらけ出してしまいましたw ご指摘ありがとうございます、直ちに修正しましたw

    編集済