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曹丕5  驢馬の鳴き真似 」への応援コメント


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    王仲宣は驢の鳴くを好む。既に葬られ、文帝の其の喪に臨むに、顧みて同遊に語りて曰わく、「王は驢の鳴を好めり。各々作一聲を作して以て之を送るべし」と。赴ける客は皆な一に驢の鳴くを作せり。

    はいはい、隠逸隠逸。
    魏晋の隠逸は後漢から通読するとより味わい深い、というか、士大夫層の頽廃が垣間見えてよいかも知れませんねえ。
    何が見えるかは人それぞれですよねー。

    『後漢書』隠逸傳載良條
    戴良、字は叔鸞、汝南の慎陽の人なり。曾祖父の遵、字は子高、平帝の時に侍御史と為る。
    王莽の位を篡えるに、病と稱して鄉里に歸る。家は富み、給施を好んで俠氣を尚び、食客は常に三、四百人あり。
    時人は之が為に語りて曰わく、「關東の大豪は戴子高なり」と。
    良は少くして誕節、母は驢鳴を憙び、良は常に之を學びて以て娛樂とせり。
    母の卒するに及び、兄の伯鸞は廬に居して粥を啜り、禮に非ざれば行わず、良は獨り肉を食らいて酒を飲み、哀の至れば乃ち哭せり。而して二人は俱に毀容有り。
    或るひとは良に問いて曰わく、「子の喪に居るや、禮ならんか?」と。
    良は曰わく、「然り。禮は情の佚なるを制する所以なり。情の苟し佚ならざれば、何ぞ禮を之れ論ぜんや!夫れ、旨きを食して甘からず、故に毀容の實を致す。若し味の口に存ぜずんば、之を食するも可なり」と。
    論者は之を奪う能わず。


    逸脱の逸に同じく、過度の意です。

    あらあら、同じようなことをなさった方が魏晋にいらっしゃったような気がしなくもありませんわね。どちらが先なのかしら(笑


    ※※※


    『世説新語』の撰者の劉義慶の生没は403-444、『後漢書』の撰者の范曄の生没は398-445でしたっけ。2人は同時代の人だったみたいですね。それがどうだって話ではないんですけど、偶然ってありますよね(ニヤニヤ)

    作者からの返信

    ぶ厚いですねー、新語の元ネタ祭り過ぎてw こう言う過去の逸話とかを「近代人」に置き換えたりとかして成り立ってるんですね。或いは、本当に模倣した人もいるんでしょうね。

    王粲と王戎と山涛がおる……w


    ※※※

    范曄は劉裕にかなり引き立てられてますからねー、そして劉義慶も劉裕が思いっきり将来を期待してますし、ともなれば二人も相当に意識しあってはいたんでしょうねー。范曄とか性格的に、内心思いっきり劉義慶のこと見下してたんじゃないかなって妄想はしちゃいますw

    編集済
  • >しかし曹丕は鳴き真似をしなかった

    ちょwww
    ますます曹丕様が好きになりました(笑)


    作者からの返信

    ぼくのかんがえるさいきょうのそうひさまなら、みんなが鳴き真似してるところでしれっと追悼文書いてそうですw