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こんばんわ。
「願明公為桓、文之事,不願作漢高、魏武也」
よく見るけど意味が分かりにくいところです。
訓読すると、「明公に桓、文の事を為(な)さんことを願い、漢高、魏武と作(な)ることを願わざるなり」というのが一般的ですね。
※
「桓、文の事」または「桓、文の挙」は今後頻繁に目にすると思いますよ。変革期には必ず現れます。本来的には「勤王」と同義のはずなんですけど、野心家の隠れ蓑に使われるのですね。
なかなか罪深い言葉です。
※
すみません、ちゃんと補足しますー。
晋の文公、齊の桓公はそれぞれの国の君主なのです。
春秋時代はあくまで周王が天下をゆるく治めて列国は、あくまで公侯伯子男の爵位を与えられた列侯が統治していました。
二人は覇者とはなったけど周王を尊重した、という意味で、勤王の有力者なんですね。
この体制は秦や楚のように蛮夷とされていた国々が王を名乗りはじめて壊れ、戦国時代に入ることになります。
なので、「桓文の事」「桓文の挙」は王または皇帝を擁して大権を握る、という意味で遣われ、その代表が曹操の献帝擁立となるわけです。
ちなみに、類義語に「伊霍の事」があります。
こちらは伊尹、霍光が不徳の王または皇帝を廃立(伊尹は王を放逐して改悛後にまた呼び戻しました)したことから、正義の名の下に廃立を図ることを指します。
やはり儒教的には名分を大切にしますから、史書ではこういう典故がワラワラと現れますが、その意味は「僕が初めてじゃないもん」です。
一応、『通俗続三国志』ではこの種の典故はなるたけ▼で解説していますので、ご興味の向きはご参照下さい。
死ぬほど長いけど。
作者からの返信
こんばんは、ご指摘を踏まえ、修正致しました。ありがとうございます!
「事を為す」でよかったのか……「事」に「仕える」って意味があるに違いない! と暴走しておりました。
「事を為す」って表現、なんでしょう、物凄い深みを感じます。こう言った、ぱっと見では簡素な表現こそ注意深く読まないといけないんだろうな、と言う気もしています。
※
「桓、文」はテンプレなんですね! ちぃ覚えた。
このまま続けていくと、きっと「桓、文」を
見ただけでにやつきが止まらなくなりそうですw
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ご解説、ありがとうございます!
こういった文学作品になってくると、
いわゆる典故をどれだけ頭にインプットできてるか
勝負のようなところがありますね。
割と「典故めんどくせー」になっちゃうんですが、
ここはきっちり向き合っていかないと。
儒典もまだまだ全然ですし。容れておくべきものは多い。
通俗続三国志、まだまだ虫食い状態になってしまっております。
オチも把握できましたw し、
改めての通読をしておきたいところです。
キンドルみたいにハイライトできればいいなと思うぐらいに、メモリたいところいっぱいです。
作者からの返信
ありがとうございます!
教養人のデフォルトみたいな書物で遊んでいるわけですし、それなら少しでも教養人どもの常識を庶民に引きずり下ろしたく思います!