曹操4  漢高魏武    

曹操そうそうが死んでずっと後のこと。

東晋に仕えた庾翼ゆよく、と言うひとがいた。


その庾翼が荊州けいしゅうに赴任した時、

朝の定例会議で、いきなり放言した。


「俺さー、劉邦りゅうほうや曹操みたいな

 英雄になりたいんだ。なれるかな?」


一堂ドン引きである。めっちゃ黙り込んだ。

そんな中、庾翼の補佐役の江虨こうひんが言う。


「いやほんと、せめて桓公文公みたいに

 至尊を奉じるポーズ取ってくださいよ。

 漢高魏武とか、アウトすぎますから……」




小庾在荊州,公朝大會,問諸僚佐曰:「我欲為漢高、魏武何如?」一坐莫答,長史江虨曰:「願明公為桓、文之事,不願作漢高、魏武也。」


小庾の荊州に在りて、公朝にて大會するに、諸僚佐に問うて曰く:「我れ漢高、魏武と為らんと欲すに何如?」と。一坐に答うる莫かれど、長史の江虨は曰く:「明公に桓、文の事を為さんと願い、漢高、魏武と作るを願わざるなり」と。

(規箴18)




庾翼

東晋を代表する名族の出身である重臣。東晋前期に権勢を握った宰相、庾亮ゆりょうの弟で、軍務を司った。前燕ぜんえん前涼ぜんりょうと結び北伐の意を示すがなかなか叶わず、終いには多少暴走気味に北伐の軍を動かすも失策。十全に意を全うできぬまま死んだ。


江虨

陳留ちんりゅう郡と言う、昔ながらの名族を輩出しているところ出身の人。子孫には劉裕りゅうゆうの下で活躍した文官「江夷こうい」がいます。まぁ、一言で言えば超エリートの家系の人です。


桓、文

戦国時代、せいを率いた桓公かんこうと、しんを率いた文公ぶんこうのこと。ともにしゅうの王を立てた。まぁ重んじたかどうかはともかく、立てはしてたんです。一方で「漢高魏武」、つまり劉邦と曹操は、この時代における「国を興した、不世出の英雄の代表格」です。「国を興した」英雄の、ね。

えっ庾翼さんアンタ国を興そうとしたの?

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