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龐統1  偉人とは    」への応援コメント

  • 南郡の龐士元は司馬德操の潁川に在るを聞き、故に二千里して之に候せり。至るに德操の桑を採るに遇う。
    士元は車中從り謂いて曰わく、「吾れの聞くに、丈夫は世に處るに當に金を帶びて紫を佩すべし、と。焉ぞ洪流の量を屈して絲婦の事を執る有らんや」と。
    德操は曰わく、「子よ、且く車を下りよ。子は適に邪しき徑の速きを知るも道を失うの迷いを慮らざるなり。昔、伯成は耦耕して諸侯の榮を慕わず。原憲は桑樞にありて官有るの宅に易えず。何ぞ坐すれば則ち華屋、行かば則ち肥馬、侍女數十有りて然る後に奇と為さんや。此れは乃ち許、父の忼慨せる所以にして、夷、齊の長嘆せる所以なり。秦に竊むの爵,千駟の富有りと雖も、貴ぶに足らざるなり!」と。
    士元は曰わく、「僕は邊垂に生まれ出で、大義を見ること寡し。若し一たび洪鍾を叩き、雷鼓を伐たずんば、則ち其の音の響けるを識らざるなり」と。

    今北産業してみると。
    龐統「オッサンが桑摘んでる(プゲラ」
    司馬徳操「地位も金も飾りやで」
    龐統「マジ?南郡ド田舎」
    その割に話が長い。よくよく考えたら老荘思想は清談の背景、彼はそういう考え方のハシリだったのですよ、ということ?

    ゆえに、ではなく。ことさらに。故意の故、忖度力を問いますね。
    滞金佩紫
    金紫光禄大夫とかそんな高官になる、の意。

    しばらく、ちょ待てよのちょに相当。

    みち、せまいヤツ。
    有官宅
    官僚が住むべき家、とかそんな感じでしょうか。
    千駟
    四頭引きの馬車千台、くらいの意。
    邊垂
    ド田舎の意。

    作者からの返信

    徳操のアニキの弟殴りガチ過ぎ問題。

    確かにこの喋り方、荘子な感じはありますね。あの人も結構ガチで言葉で殴ってくるタイプですし。あの孔子に対するツンデレぶりと来たら……おっと脱線脱線。

    このエピソードについては、どっちかっていうと「へー、こんな逸話がいろいろ残されてるんですねー」的な意味で面白かったですが、既に全部知ってる人からしたら「はいはい、いつものパターンいつものパターン」になる印象もありました。さすがの自分も伯夷叔斉ではそれを感じましたしw

    編集済