龐統1 偉人とは
蜀
人相見に長けた
二千里の旅程を経て会いに向かった。
ちなみに日本で言えば東京から神戸、
東京から花巻くらいの距離だ。
ちなみに龐統にとって司馬徽は、
兄弟子のようなものだ。
穎川に到着すると、
司馬徽が桑畑で収穫を行っている。
龐統は車に乗りながら、呼びかける。
「偉人は身なりを整えておくもの、
と私は聞き及んでおります。
先生はその広大なお心を
抱かれておりながら、
何故、糸繰り女のような事を
なされているのですか」
司馬徽が答える。
「君も、いったん車から
降りてみるといいよ。
いまの君は、小道をいかに速く走るか、
にのみ心が囚われている。
進むべき道を見失い、迷う事に
想定が至っていない。
昔、
いわゆる栄達の道から退いた。
粗末な家に住まい、
邸宅住まいを良しとしなかった。
高貴である、という事は、
華やかな家に住まう事かね?
立派な馬に車を牽かせる事か?
それとも、多くの侍女を抱える事か?
君も
知っているだろう。
尭王から禅譲の申し出を受けた許由は
汚らわしいことを聞いた、
と川で耳を洗った。
その様子を見た巣父もまた、
川の水を汚物と見做した。
また
周の軍勢の前に立ちはだかり、
主を討たんとする軍を止めようとした。
いざ殷が滅んだのちには、
周の国が徳に悖る国である、と糾弾。
大いに嘆きつつ、餓死していった。
彼らのことを尊敬しない者は、
果たしてどれだけいるだろうか。
一方で、
大枚をはたいて
丞相、相国とまでなったが、
今の時代に、彼を尊敬する者は
どれだけいるだろうか。
また斉の景公も、四千頭もの馬を
有していたにもかかわらず、
誰も尊敬はしなかった。
君はそれでもなお、
外見を整える事を
偉人の証としたいのか?
本当に、大道と呼べると思うかね?」
マジレスにもほどがある。
とは言え龐統、居住まいを正した。
「け、見識の狭い田舎者が
差し出がましいことを申しました!
立派な鐘や太鼓の鳴る音を
ろくろく聞いたこともなかったのに、
どうしてその荘重な響きを
想像などできたことでしょう!」
南郡龐士元聞司馬德操在潁川,故二千里候之。至,遇德操採桑,士元從車中謂曰:「吾聞丈夫處世,當帶金佩紫。焉有屈洪流之量,而執絲婦之事?」德操曰:「子且下車,子適知邪徑之速,不慮失道之迷。昔伯成耦耕,不慕諸侯之榮;原憲桑樞,不易有官之宅。何有坐則華屋,行則肥馬,侍女數十,然後為奇。此乃許、父所以忼慨,夷、齊所以長嘆。雖有竊秦之爵,千駟之富,不足貴也!」士元曰:「僕生出邊垂,寡見大義。若不一叩洪鍾,伐雷鼓,則不識其音響也。」
南郡の龐士元は司馬德操の潁川に在るを聞き、故に二千里のかた之に候す。至りて德操の桑を採れるに遇い、士元は從車の中より謂うて曰く:「吾は聞く、丈夫の世に處するに、當に金を帶び紫を佩くべしと。焉んぞ洪流の量を屈して、絲婦の事に執る有らんや?」と。德操は曰く:「子は且りに車を下りるべし、子は適だ邪徑の速きをのみ知るも、道を失い迷うを慮らず。昔に伯成は耦耕し、諸侯の榮えを慕わず。原憲は桑の樞にあり、官の宅に有るを易んぜず。何ぞ坐するに則ち華屋、行くに則ち肥馬、侍女數十の有るにして、然りて後に奇と為さんか。此れ乃ち許、父の忼慨せる所以にして、夷、齊の長嘆せる所以なり。竊秦の爵、千駟の富有りと雖も、貴足らざるなり!」と。士元は曰く:「僕生は邊垂より出で、大義に見ゆる寡し。若し洪鍾を叩き、雷鼓を伐つるの一たびもあらざれば、則ち其の音響も識らざれるなり」と。
(言語9)
龐統
司馬徽
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