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2018年3月23日 11:55 編集済
郭淮は關中都督と作り、甚だ民情を得て亦た屢々戰庸あり。淮の妻は太尉の王凌の妹にして、凌の事に坐して并せて誅さるに當れり。使者の徵攝すること甚だ急にして淮は戒裝せしめ、日を克めて發するに當る。州府の文武、及び、百姓は淮に兵を舉ぐるを勸むるも、淮は許さず。期に至りて妻を遣るに、百姓の號泣して追い呼ぶ者數萬人あり。行くこと數十里、淮は乃ち左右に命じて夫人を追いて還らしむ。是において文武は奔り馳せ、身首の急に徇うが如し。既に至り,淮は宣帝に書を與えて曰わく、「五子は哀しみ戀い,其の母を思い念えり。其の母の既に亡くば,則ち五子無し。五子の若し殞せば、亦た淮無し」と。宣帝は乃ち表し、特に淮の妻を原せり。戰庸戦功の意味なんでしょうけど、用例はあまり見当たりませんね。當通常は、「まさに~べし」と訳すのですが、どうも上手くいきませんので、「あたり」と訳すことにしました。すごく気持ちワルイ。。。徵攝徵は徴兵の用法と同じく召すの意、攝はとる、捕らえると同義でいいと思います。戒裝ここでは旅装と考えればいいんでしょうね。克日日を決めての意。身首之急生命の危機、くらいの意味でしょう。徇従に同じく、したがう、の意。原許すの意。ちなみに、『三國志』郭淮傳の注に引かれた記事は以下のとおりです。淮の妻は王淩の妹なり。淩の誅さるに妹は當に坐に從うべく、御史は往きて收む。督將、及び、羌胡の渠帥數千人、叩頭して淮に表して妻を留めるを請うも、淮は從わず。妻の道に上るに、流涕せざる莫く、人人は扼腕して劫して之を留めんと欲せり。淮の五子は叩頭流血して淮に請い、淮は視るに忍びず、乃ち左右に命じて妻を追わしむ。是において追う者數千騎、數日にして還れり。淮は書を以て司馬宣王に白して曰わく、「五子は母を哀れんで其の身を惜しまず。若し其の母無くば、是れ五子無し。五子無くば、亦た淮も無きなり。今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。書の至るに宣王は亦た之を宥せり。覲展きんてん。展覲という用例もありますが意味は々。謁見するとか見えるとか、そういう意味です。けっこう細部が違いますね。※※※〉当再読文字の代表ですが、厄介です。將のような未然ではなく、「まさに〜べし」が一般的ですが、「まさに〜す」がないかと言われると、、、どうかなあ。克日當發の當は將と同じに見えますけど、決め手を欠きます。安パイに流れました。〉戒装戒装は旅装の意、戎装は軍衣の意、虞兵と虜兵みたく分かりにくいですね。〉身首之急雰囲気は分かりますが用例がない。。。身首を我が身の意で用いた例があったので、そちらによりました。〉今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。妻を送らなかったために法に抵触するなら、役人に罪されて近いうちにお目にかかるでしょう、とでもなりますかね。肚をくくった感ありです。面白いお話ではありますよね。
作者からの返信
「当」は「~せんとす」とはならないんですね。「まさに」ってなるしいいやーと思って使っちゃってたんですが、だめでしたね。そうすると確かに気持ち悪い。ただ新字源には「かなう、あたる」がありましたので、そこで飲み込んでおくのがよさそう。「戒裝」には連行の服装、みたいな印象がありました。「身首之急」については、これ、目加田説が文学的で素敵だったのでそのまま頂きました。「よく慕われる」感が出てて好きです。「原す」は晋書諸葛長民でも見た用法だったので、割とすんなりと行けました。やっぱり用例収集大切ですねー。郭淮の態度、三国志注の方がより頑なですね。ただ、「若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」……うまく意味は取れませんが、やることやってるんだし、罰でしたら何なりと、と言う感じでしょうか。この表明は素敵だと思いました。※※七歩詩の時もそうですが、目加田先生、時々イケイケな超訳お決めになりますねw キュートだ。いや、こんな逸訳キメてる人間のセリフではないですがw「当」については、もうこれ、出たら即警戒するくらいでいいですね……いや全部に警戒しろよ、がお作法ではあるんですが。ううむ。古代人怖い。
2018年2月25日 10:14
最近、郭淮とか諸葛誕とか鍾会も某有名なゲームのプレイアブルキャラになったりして、若い子でも知っていてびっくりです。本当、隔世の感です(笑)そのゲームでも、このエピソード入っていて、「おっ」と思いました。>曹氏の衰運は自爆の側面もあるように思えてならぬそうですね、まさに。追い詰めちゃいましたね。。。
諸葛誕もいるんですか!?すげえなぁ……文鴦出すならかんきゅーけんじゃねえのとかは思うんですが、この辺りにツッコんでも仕方ないですね。
編集済
郭淮は關中都督と作り、甚だ民情を得て亦た屢々戰庸あり。
淮の妻は太尉の王凌の妹にして、凌の事に坐して并せて誅さるに當れり。
使者の徵攝すること甚だ急にして淮は戒裝せしめ、日を克めて發するに當る。
州府の文武、及び、百姓は淮に兵を舉ぐるを勸むるも、淮は許さず。
期に至りて妻を遣るに、百姓の號泣して追い呼ぶ者數萬人あり。
行くこと數十里、淮は乃ち左右に命じて夫人を追いて還らしむ。
是において文武は奔り馳せ、身首の急に徇うが如し。
既に至り,淮は宣帝に書を與えて曰わく、
「五子は哀しみ戀い,其の母を思い念えり。其の母の既に亡くば,則ち五子無し。五子の若し殞せば、亦た淮無し」と。
宣帝は乃ち表し、特に淮の妻を原せり。
戰庸
戦功の意味なんでしょうけど、用例はあまり見当たりませんね。
當
通常は、「まさに~べし」と訳すのですが、どうも上手くいきませんので、「あたり」と訳すことにしました。すごく気持ちワルイ。。。
徵攝
徵は徴兵の用法と同じく召すの意、攝はとる、捕らえると同義でいいと思います。
戒裝
ここでは旅装と考えればいいんでしょうね。
克日
日を決めての意。
身首之急
生命の危機、くらいの意味でしょう。
徇
従に同じく、したがう、の意。
原
許すの意。
ちなみに、『三國志』郭淮傳の注に引かれた記事は以下のとおりです。
淮の妻は王淩の妹なり。淩の誅さるに妹は當に坐に從うべく、御史は往きて收む。
督將、及び、羌胡の渠帥數千人、叩頭して淮に表して妻を留めるを請うも、淮は從わず。
妻の道に上るに、流涕せざる莫く、人人は扼腕して劫して之を留めんと欲せり。
淮の五子は叩頭流血して淮に請い、淮は視るに忍びず、乃ち左右に命じて妻を追わしむ。
是において追う者數千騎、數日にして還れり。
淮は書を以て司馬宣王に白して曰わく、
「五子は母を哀れんで其の身を惜しまず。若し其の母無くば、是れ五子無し。五子無くば、亦た淮も無きなり。
今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。
書の至るに宣王は亦た之を宥せり。
覲展
きんてん。展覲という用例もありますが意味は々。謁見するとか見えるとか、そういう意味です。
けっこう細部が違いますね。
※※※
〉当
再読文字の代表ですが、厄介です。將のような未然ではなく、「まさに〜べし」が一般的ですが、「まさに〜す」がないかと言われると、、、どうかなあ。克日當發の當は將と同じに見えますけど、決め手を欠きます。安パイに流れました。
〉戒装
戒装は旅装の意、戎装は軍衣の意、虞兵と虜兵みたく分かりにくいですね。
〉身首之急
雰囲気は分かりますが用例がない。。。身首を我が身の意で用いた例があったので、そちらによりました。
〉今は輒ち追いて還し、若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」と。
妻を送らなかったために法に抵触するなら、役人に罪されて近いうちにお目にかかるでしょう、とでもなりますかね。肚をくくった感ありです。
面白いお話ではありますよね。
作者からの返信
「当」は「~せんとす」とはならないんですね。「まさに」ってなるしいいやーと思って使っちゃってたんですが、だめでしたね。そうすると確かに気持ち悪い。ただ新字源には「かなう、あたる」がありましたので、そこで飲み込んでおくのがよさそう。
「戒裝」には連行の服装、みたいな印象がありました。
「身首之急」については、これ、目加田説が文学的で素敵だったのでそのまま頂きました。「よく慕われる」感が出てて好きです。
「原す」は晋書諸葛長民でも見た用法だったので、割とすんなりと行けました。やっぱり用例収集大切ですねー。
郭淮の態度、三国志注の方がより頑なですね。
ただ、「若し法に未だ通じずんば、當に罪を主る者に受け、覲展は近きに在るべし」……うまく意味は取れませんが、やることやってるんだし、罰でしたら何なりと、と言う感じでしょうか。この表明は素敵だと思いました。
※※
七歩詩の時もそうですが、目加田先生、時々イケイケな超訳お決めになりますねw キュートだ。いや、こんな逸訳キメてる人間のセリフではないですがw
「当」については、もうこれ、出たら即警戒するくらいでいいですね……いや全部に警戒しろよ、がお作法ではあるんですが。ううむ。古代人怖い。