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鍾会4  人事査定    」への応援コメント


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    鍾士季は王安豐を目して「阿戎は了了として人意を解す」とし、裴公の談を謂いて「日を經るも竭きず」とせり。
    吏部郎の闕くるに、文帝は其の人を鍾會に問う。
    會は曰わく、「裴楷は清通、王戎は簡要、皆な其の選なり」と。
    是において裴を用う。

    鍾士季は王安豐を目してAとし、裴公之談を謂いてBとす。というナゾ構文。四六駢儷的に裴頠は裴逸民にすべきだと思う。
    うーん、なんかヘンな対句ですね。読めない。
    了了
    明らかなさま。解がついて、忖度スキル高、の意。

    つきる、尽に同じ。


    ※※※


    裴楷だから裴叔則ですね。ボーっとして見間違えてました。
    四六駢儷文は魏晋に案出されてはやったのはもうちょっと後なので、劉宋の頃は散文の方が一般的だったのかなあ。でも文選を読む気にはならない。。。
    鍾会が225年生、王戎が234年生、裴楷が237年生、でも王戎は戎チャンで裴楷は裴公ってのも引っかかりますし。変だなあ。
    ちなみに裴頠は267年生、鍾会は264年没なので、会えません。


    ※※※


    〉1巻詩だったみたいですし。

    余談ですが、文庫の文選は全六冊刊行予定で六冊すべて詩篇です。。。

    作者からの返信

    不思議ですよねー。日本人の散文みたい。けど俺、最初はこれまったく対句云々とか気に掛けようとしてなかったですねw 確かに対比なんだし対句用いるのが普通ですものね。

    何か色々煮え切らん感が残りますね。何らかの意図がありそうなもんですが、ううむ。結局裴楷選ぶロジックもわかりませんし。謎だらけ。

    ※※

    駢儷文自体は、
    宋初期の段階だとそれ程でもなさそうな印象です。
    この辺りは、今度出る新訳文選の2巻辺りで確認が取れそうな気も。1巻詩だったみたいですし。

    文選2巻辺りだと、知りたかったあの人このひとの文章とかもあるんだろうなあ。

    ※※

    フォフゥ!?(悲鳴)

    まあ、詩でも世相に関するいろいろとかは語られてるわけですし…きっと…うぅう。

    新釈漢文体系、神保町で漁ってこようかなあ(涙)

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