第1話 レンカ
ふむふむ、篝太一(かがりたいち)、ピッカピカの高校生ね。
地元の中学を卒業、ほう、在学中はテニス部だったのか。
え? テニス部はテニス部でも女子テニス部のマネージャー?
女の中に男ただ一人とか、何それどこのギャルゲー? うらやまけしからんね~。
マネージャーしながら堂々とラケット振る部員のアンスコ覗いていたりしたん?
むしろ望遠レンズで撮らんとする写真部の奴らを追い払っていたとな。
そいつらの性へ、ゲホンゲホン――芸術性には手を焼いていたのね。
女子だらけの中に男一人だからやっかみもされたとな。
なら高校でも部活は……入らないからアルバイトの面接受けてんだよね。
見ての通りこの店はね、骨董品、今風で言えばアンティークを扱っているの。
ゼロの多さに驚くのは最初の内、仕事していれば自然と慣れてくるよ。
それで、きみの仕事というのは商品の整理、接客、掃除がメインとなる。
うちは買い取り可だけど、もし私の留守中に持ち込みがあったら蹴飛ばしてでも断ってね。
留守中に来る輩なんてね、贋作か盗品売りつける不届き者が定番なのよ。
しつこいようなら警察呼んでいいから。
それとアンティークに明確な相場がないってのもその理由。
時勢だったり流行だったりで、お宝がガラクタになれば何の変哲もないガラクタに億の値がつくなんて珍しくないの。
逆にどっかの収集家が手放した品が大量に流れ出ると価格が下がることもね。
価格の流れは店主であるこの私が把握するからきみは言われた通りの値段で売ればいい。
あ~とは……仕事しながら覚えてもらうだけでいいか。
最後に何か質問あるかな?
え? 何で自分は椅子に縛られているかって?
そりゃ折角捕まえたアルバイトを逃がさないために決まっているじゃないの?
もうね、どうつもこいつもね、すぐ逃げ出してさ、楽したいのに楽できない人手不足で困ってたのよ。
というわけで採用! 明日、今日からとか言わずこの瞬間から働くぞ!
ようこそ<レンカ>に。
篝太一くん、きみは一三人目のアルバイトだ!
うらうらとした春の昼下がり。
穏やかで暖かな風が冬の残滓を拭い去り、重い衣服は折り畳まれる。
レンガ造りの緩やかな坂に立ち並ぶ各商店の前に、まだかまだかと開花が望まれる桜が立ち並ぶ。
その一本に、額を赤くした一〇代の少年が力なく寄りかかっていた。
(あ~生きてる、のかな……?)
痛みで朦朧とする意識の中、篝太一(かがりたいち)は自問する。
「さて、世界の最小単位とは何か、少年、知っているかい?」
元凶の女性が謝罪ではなく唐突な問いを口に出している。
追撃が来る前に太一は疼痛うめく額を抑えながら思考を強制ブーストさせて答えた。
「何が最小かは異なりますけど、物質を構成する最小の単位なら素粒子。漢字だと無量対大数が最大を示すのに対して涅槃静寂が最小の――痛った!」
「バカたれ、誰がそんな細かく答えろと言った!」
不正解の烙印として太一は額に竹刀の追撃を受けた。
「答えは人間だ。世界というは人間が集まってできている。人が変われば世界が変わるって言葉があるようにね。はい、ここ今後のために覚えておくように」
ずるいと口に出せばまた追撃が来るので太一は口を閉じた。
「ほれ、というわけで時給UPは残念だったな、少年~」
女性はケラケラ笑いながら、手に持つ竹刀を肩に乗せて家屋の中へと引っ込んでいく。
家屋にはアンティークショップ<レンカ>の看板が下げられている。
赤レンガ通りの商店街と呼ばれる地の一角にこの店はあった。
女主の名は南良夏杏(ならかあん)。
外見は二〇代後半。男っ気のない独身、正確な年齢は不明。汚れ一つないワイシャツに飾り気のないタイトなズボンと……便所サンダル。
当人の残念なセンスなのか、売買交渉で相手に足元を見させないための意思表示なのかは謎のまま。
先日、肩まである髪をばっさりカットしてショートカットにチェンジしている。
新しい髪型は顧客から好評のようで喜々として商品を薦めては、やや高めの値段で買わせるなど商才高い。
この手の店を経営するだけに鑑定師としての目は鋭く、本物そっくりの贋作を売りつけようとした輩を加減なく外へと蹴り出すなど容赦ない一面も持つ。
まるで狼だと、あの鋭い眦にて抱く印象であった。
そして三度の飯よりビール大好き。
大ジョッキなど外道。
ピッチャーこそが王道だと、ビールなしでは生きてはいけない。
「なんで僕はこんな店でアルバイトをし続けているんだ?」
起きあがった太一は窓ガラスに映る己の顔を見ながら自問する。
篝太一は来月の四月から高校二年生となる何の変哲もない一六歳の少年。
幼なじみから目の前ではなくいつも遠くを見ていると言われている目、少々散髪をさぼり気味だったことで伸びた髪、そして左こめかみにある傷跡が凡庸を絵に描いた顔立ちに箔をつけている。
服装は動きやすさに長けた学校指定のジャージに店名がプリントされたエプロン、そして履きなれたスニーカーであった。
「と自問して早一年か……」
春休みの間、少年は平日五日、朝の一〇時から夕方四時までこのアンティークショップでアルバイトをしている。
主な業務内容は清掃と接客、商品整理である。
買い付けや商談にて店主不在時の留守番。
平時ならば週四回の夕方五時からの三時間が主であり、土日祝日は休み。
加えてまかない付きで給料からの天引きはなし。
働く場がブラック云々の嘆かれるこのご時世、給料も下手なバイトより高い。
高いが閉口することがあるとすれば店主の言動である。
「おいこら少年、いつまでふて寝している! 仕事はまだ終わってないぞ!」
店内よりお叱りが飛び、頭頂部を呆れるようにかいた太一は一息のちドアを開けた。
「というか店長が仕事しないでどうするんですか?」
店舗に足を踏み入れるなり太一は一言添える。
木造民家を改修したこの建物は店舗兼自宅を兼ねている。
二階は主の部屋であり一階スペースが店舗、隣接する空き地は空き地ではなく搬送用トラックの駐車場。商品を運搬するクレーンやフォークリフトまである。
内部は二〇畳ほどの広さを備えながら商品であるアンティークが戸棚や床の上に所狭しに並べられている。
店員や来客の移動の妨げにならぬように通路は大人三人分開いているため問題ない。
肝心な店主は商品であるマホガニーの机の上にスナック菓子とジュースを広げては呑気にテレビを見ているときた。
「今日、取引予定ないし~」
悪ぶれる様子もなく店主はスナック菓子をバリバリ租借している。
テレビは洋画の地上波放送が流れ、特殊部隊が立てこもったテロリストを襲撃するシーンだった。
「あはははは、この人質、バッカだろ~! 突入シーンをSNSに上げるために頭上げていたから撃たれてやんの! バーカーバーカー。こいつら特殊部隊は座っているのが人質で立っているのがテロリストって区別する訓練受けてんのに~。まあ死んだお陰で有名になれたから本望だろう!」
店主がケラケラと笑う度に、口元から飛び散った菓子のカスが机を汚す。
一時間ほど前、その机を丹念に掃除した太一として非情にいたたまれず、未来の購入者がどのような顔をするのか想像など容易い。
「いや~働き者のアルバイトがいて私は非常に助かっているよ~」
二つ目のスナック菓子を開けながら店主はほくほく顔で言う。
太一は目線すら向けるのを諦めては商品の掃除と整理に入る。
一年あまりこのアルバイトを続けてきただけに、正確な値段はともかくある程度の価値がわかるようになってきた。
この皿は手の平サイズだろうと三〇〇万、このスプーンは五〇〇万といった感じで。
「おんや~無視かい? 神にも等しき店長のお言葉を無視するのかい? 無視するならきみへの評価と時給を阿鼻叫喚に下げてやる~」
いい歳をした大人が大人げない言葉を面白がって飛ばしてきた。
「わかりましたから、静かにテレビでも見ていてください」
「客来なくて暇なのよ」
「あんたさっき取引予定ないとかいってただろう!」
二転三転するのに苛立ちを感じないのはこの職場に毒された証拠だ。
「よし、暇だからもう一回つきあえ少年。大人の女とおつきあいする機会は早々ないぞ~」
「お断ります」
何度も竹刀をつきあう気など太一にはない。
太一は店舗掃除や商品整理、店番のアルバイトをしているのであって店長のストレス発散と暇つぶしマシーンではなかった。
「こっちはね、身体動かさないとイライラムカムカするのよ」
店主のイライラムカムカの原因はただ一つ。
アンティークショップ店主、南良夏杏、現在進行形で三度目の禁煙中。
ニコチン欠乏によるストレスをアルバイトにぶつけている。
禁煙に続いて禁酒も行えばと考えるのは浅はか。
ストレスをため込む要素となり何らかの形で太一に降りかかるのは避けられない。
「だからって時給を盾に相手される身にもなってくださいよ」
アルバイト太一の現在の時給、ジャスト一〇〇〇円。
店主のストレス発散につきあったボーナスとして竹刀で一発でも当てられたら時給一〇〇円UP。逆に断れば二〇〇円DOWNが課せられる。
一年前から散々続けられてきたことだ。
もっとも太一はこの一年、竹刀を当てたことなど一度もなく、運がよければ掠めさせる程度である。
逆に竹刀を何度も打ち込まれたことか。
防具など薄いエプロンしかないため、先のように額を打たれて倒れ伏すなど毎回の出来事である。
お陰で剣の腕はともかく受け身の上達と体力の向上が確認された。
「本当になんで僕、ここでアルバイトしているんだ?」
理由は幾度となく頭を打たれた影響で思い出せない。
きっかけは両親の海外出張。
期間は二年ほどであり、生活費も問題なく振り込まれている。
両親が共働きであることから炊事洗濯と家事スキルは高く、やり慣れていた。
加えて隣家に住まう両親の友人が不在の間、保護者を務めてくれていた。
「そりゃ少年、アルバイト募集の張り紙見て応募したんじゃないのかい?」
店主はあっけらかんに言おうと肝心な記憶は欠落して思い出す気配はない 。
気づいたらこの店でアルバイトをしていた。
学生だからこそ、テスト開始一週間前からテスト終了までは問答無用で休んで良いとのお墨付きである。
そこだけは評価したい。
「だけどね……」
生活は困っていない。生活費名目のおこづかいも人並み程度に貰っている。
スポーツはともかく、アニメ、ソーシャルゲーム、特定のアイドルにハマってお金を湯水のごとく使い込んでいる訳でもない。
扱う品の値段がけた違いの店でアルバイトをする発端が思い出せなかった。
「いいんじゃないの? あれこれ考えていると将来ハゲるぞ、少年」
「そんときはスキンヘッドにして誤魔化しますよ」
「けっ、つまんないの! ハゲたらハゲたで、このハゲ~と笑いながら頭のバーコード読み込んでやろうと思ったのにさ~」
アルバイトから袖にされた店主は不満そうに唇を尖らせる。
鷲掴みにしたスナック菓子を口へと運んでは、バリバリボリボリなる音を立てて、不機嫌さと共に租借していた。
(あ~あ~今度は脚まで乗せて……)
机には店主のすらりとした脚が交差して乗せられている。
口を開けばまたストレス解消が行われる危険がある。
よって太一は見なかったことにして店内清掃と商品整理に戻るのであった。
『では続きまして次のニュースです』
チャンネルを変えたのか、テレビのスピーカーより語気を強めたキャスターの音声が流れてきた。
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