第31話 後輩を殺す先輩:前編


 太一の意識は覚醒と微睡みの境界を往復する。

 逃亡中であること、疲労が溜まっていることで身体が緊張し寝付けが悪くなっていた。

 閉じられた襖が音もなくゆっくりと開かれていることに気づかぬまま、意識の往復を繰り返し続ける。

「――っ!」

 太一に往復を妨げ、覚醒へと呼び戻したのは防災ベストに仕舞ったスマートフォンだった。

 

<舞浜瑠璃>


 メール受信を知らせる通知。

 送信者に戸惑いながらメールを開こうと、ただ文章は文字一つない空白であり、一枚の写真が添付されたのみだ。

「……――えっ!」

 写真を見るなり太一の目は醒めた。

 アンティークショップ<レンカ>での未那と瑠璃のツーショット写真。

「な、なんで?」

 魔女化したことで人々の記憶と記録から消えたはずの未那の姿が写っている。

 問い質すためにメールから通話へと切り替える。

 切り替えで生じた間の一瞬、ディスプレイの反射が映す存在に未那を突き飛ばしていた。

「きゃっ!」

 和室に未那の悲鳴が響いたのと空を切る音が重なったのは同時だった。

 襲撃者の動きにより流れる空気が、太一の鼻孔に覚えのある柔らかな匂いを運んできた。

「くっそ、油断した!」

 匂いはすぐに霧散する。

 暗がりで誰か分からずとも殺しに来たと把握できぬ太一ではない。

 防災リュックに手を伸ばすなり、それを太一は掴み取る。

「未那、逃げろ!」

 自衛に使えるのはバールのようなもの。

 襲撃者は呼吸一つ乱すことなく未那へと迫る。

「ぐううっ!」

 太一は立ち塞がる形で割り込んだ。


 鍔迫り合いと聞けば時代劇の殺陣たてを連想する。

 だが、所詮、テレビの中の話。

 創作物の範囲でしかない。

 現実は残酷であり奇怪であり奇特だ。

「くっ!」

 正面から受け止めた反動で太一は仰向けに倒れこんだ。

 両手で握るバールのようなものは手離すことなく突き立てられた刃物を受け止めていた。

 バールのようなもののボディが刃物の柄にひっかかる形で鍔迫り合いを起こしている。

 襲撃者は全体重を刃物に乗せている。

 上からの衝撃がバールのようなものを介して太一の腕に恐怖心と共に伝達した。

 刃物は目測で柄を含めれば三〇センチ、刃渡りだけでも二〇センチはある。

 調理で使う包丁とは明らかに用途が異なるのは明白であり、艶消しの黒い刃が恐怖心を太一から引きずりださんとする。

 如何様な刃物か、太一はバイト先でつきあわされて見せられた洋画から把握する。

 正面から刺すも良し、背後から忍び寄って喉笛を切るも良し、弾切れの際の便利なお供で有名なコンバットナイフ。

 如何にして人を効率よく出血させ、殺せるか、そのために生み出された道具だ。

 思考よりも先に肉体が現状を寸分の狂いもなく把握していた。

「せ、先輩!」

 未那により点灯される照明により襲撃者の顔が露わとなる。

 あろうことか太一に刃物を突き立てる襲撃者は優衣だった。

 普段は落ち着いたゆるふわな服装がメインなのだが、今の服装は太一のイメージからかけ離れすぎている。

 頭から靴の先まで黒一色の服装であり、この服装に見覚えがあった。

(こ、この服装、OSGの操縦服……っ!)

 救助用OSGに乗り込む学人が着込んでいたと記憶にあった。

 ただ救助用と明らかに異なるのは腰元のホルスターに拳銃のような金属があること。

 首元に煌めくのは女の子らしいアクセサリーどころか、二枚の薄い楕円上のプレート。答えは戦争映画から導き出される。

 兵士の個人識別用に使用される認識票、ドッグタグと自嘲的な意味で呼ばれているものだ。

「太一くん、そこをどいて! 魔女を殺せない!」

 クールで優しいはずの先輩は普段と乖離した殺意ある声で太一に叫ぶ。

「ま、魔女、魔女って!」

 半ば予測できた事態のはずだ。

 もっとも親しい身内が裏返すように敵となる可能性を。

 よもや姉のように慕っていた先輩が軍用刃物を手に、軍の服装で魔女を殺しに現れるなど微塵も思わなかった。

 思考の外に弾き出していた。

「相手は魔女! 何故かばうの! 邪魔をするの!」

「何って、自分がなにをしようとしているのか、分かっているのですか!」

「魔女を殺す、ただそれだけ!」

 なんでなんて疑問を状況が太一の思考に与えない。

 未那を守れ、排除しろと優先すべき解答が既に陣取っているからだ。

「自分の後輩を殺すんですか!」

 力の限り押し返した太一は、勢いに任せて起き上がるなりバールのようなものを右から左に払う。

 払おうと、先端は空気を切るだけで優衣はナイフを逆手に右で構えたまま距離をとっていた。

 いつでも移動できるように靴裏はかかとをほんの少し浮かせ、脇を絞めている。

 その構えはまさに戦争映画で見た構図とぴったり重なった。

 逆手にナイフを握っているために刃先が腕により覆われ、部屋の薄暗さも相まって間合いを把握し辛い。

「後輩?」

「未那ですよ、未那!」

「誰?」

 狂ったのかと顔を歪めて優衣は返す。

 スマートフォンの写真から未那だけが消えていた以上、起こり得る事態だ。

(ならなんで舞浜さんのは……ええい、後だ、後!)

 状況は思考に休息を与えないどころか睡眠さえ奪ってきた。

「せ、先輩、今、なんて」

「魔女の分際で私を先輩呼ばわりするな!」

 ショックで震える未那の声を優衣の怒声が上書きする。

「太一くん、そこをどいて。どかないと刺す」

「いいや、どかない。優衣先輩こそ、どうして!」

「魔女を殺すのが私の――<M.M.>の使命だからよ!」

 兵士のような格好と状況から所属がどこか勘づけたはずだ

 当人の口から放たれる事実ほど辛く、苦しいものはない。

 だが、呑み込まれて思考停止するほど太一の精神は脆くはなかった。

「先輩がどこに所属していて、どう動こうと関係ない!」

 太一はバールのようなものを構えなおしては未那を守るように立つ。

「あなた、魔女を守るよう操られているのね。いるのよ、必ず。操られていると気づかないまま魔女の捨て駒として動く人間が!」

「これは僕の意志だ! 魔女は関係ない!」

「かわいそうに。今助けてあげる。痛いのは我慢しなさい!」

 言葉は通じるのに話は通じない。

 いや、相手は話し合いのはの字すらない。

 ただ魔女の前に立ち塞がる邪魔者しか認識していなかった。

「殺させない!」

 太一は優衣のナイフ目がけてバールのようなものを先端から振り下ろす。

 未那に迫るナイフは硬い金属音を響かせながら交差した。

 そのまま返す刀で巻き上げようとしたが優衣はナイフを自ら放棄する。

「へっ?」

 間抜けな声を太一が上げた時には天井と床が反転していた。

 違う、と別なる思考は現状を掌握している。

 反転したのは天井と床ではなく太一自身。

 優衣はナイフを放棄するなり、太一の右腕を掴み取り、自重と勢いを活かして背面から畳に叩きつけた。

「太一!」

 近くにいる未那の叫びが遠くから響く。

 床に叩きつけられた衝撃で感覚器官に一時的な麻痺が発生した。

 思考は寸断せずにいようと身体が動かない。

「少し寝ていなさい」

 太一を見下ろす優衣は目尻を厳しく釣り上げながら言う。

 誰もが知るクールで優しいイメージなど今の優衣からは微塵も感じられない。

 その身に受けたからこそ、怖気が太一の中でこみ上げてきた。

「ぐ、ぐぐううっ!」

 こみ上げたのは怖気だけではなかった。

 太一はまだ痺れが残る四肢を気合いで動かし立ち上がった。

 動かすのは覚悟だ。

 未那を失わせてはならぬという決死の覚悟だ。

「させない、絶対に、させない!」

 大好きな先輩に後輩を殺させはしない。

 大好きな後輩が先輩に殺されるなどあってはならない。

「もう少し痛い目をみないと目を覚まさないようね」

 我が身で受けたからこそ優衣が素人ではないと理解できる。

 鍛錬に鍛錬を重ねた術をその身に宿している。

 生半可に挑めば返り討ちにされ、未那は殺される。

 思考しろ。

 把握しろ。

 そして攻略しろ。

 地の利はどちらにあるのか。

 足りないなら己が持つもの全てで埋めろ。

 それでも足りないのなら相手から奪ってでも利用しろ。

(あっちはプロ、こっちは素人、その差は埋めようにも埋められない)

 身体の痺れは薄れていこうと充全ではない。

 武器になりそうなのは、バールのようなもの。

(バール、のようなものだけど――待てよ!)

 力量差は埋められずとも地の利は太一にある。

「未那、押し入れの中に隠れろ!」

 太一は力の限り叫ぶなり、バールのようなものの先端を優衣に向けて振り下ろした。

 気づくはずだ。

 未那なら分かるはずだ。

 この発言の意味が――

「そうはいかないのよ」

 太一の一撃は紙一重で避けられて空を切り、畳に先端をめり込ませる。

 押し入れに向けて片足をひきずりながら猛進する未那に向けて優衣が腰元から別のナイフを鞘から抜き取った。

 柄ではなく刀身を指で挟み込んだ持ち方に、太一は畳に突き刺さったバールのようなものを抜くのではなく、畳ごと持ち上げる。

 バールのようなものの先端が曲がっていることでテコの原理を応用したのだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 間に合えなど発言する暇などない。

 ナイフが優衣の手から放たれたのと、太一の持ち上げた畳が押し入れの前に滑り込んだのは同時だった。

 未那が押し入れの中に飛び込むなり、畳が盾として飛来したナイフを受け止める。

 押し入れの中より、収納物をかき分ける騒音が響く。

「まるで忍者」

 後輩の職業は学生なのだが、皮肉混じりにいえば間違っていないだろう。

 太一は言葉を返さず、ただバールのようなものを握りしめる。

 刃物がブーツの中に隠されていても驚かない。

 男心を惑わす谷間にも一本隠されていると読んでいいだろう。

 想定できることは想定しろ。

 ただし、想定外が起こった場合、如何にして対処するか思考に余白を残せ。

 そうでなければ虚を突かれた際、建て直しを行えず、目の前で未那が殺される。

「どうするの?」

 太一は今一度己に強く問いかける。

 堅実確実なのは、この手で命を奪うことだ。

 残るのは殺したという罪と罰、そして優衣の遺体だ。

 姉のように慕う先輩を殺したくない。

 だが、放置すれば未那を殺しに来る。

 

 誰を生かして、誰を殺すのか――

 二者択一の選択が太一の思考を圧迫する。


 なにより、顔の知らぬ誰かではなく、顔の知る誰かだからこそ、選択に揺らぎを与え、選ばせない。

 ならば――と別なる思考が太一を問う。

 素知らぬ他人ならば殺せるのか――否としか答えられない。

 このままでは中途半端となり、最悪の結末しかない。

 選んだのはもっとも困難な方法だった。

「優衣先輩を行動不能にする」

 如何にしては、行動しながら考える。

 今は動け、動け、動き続けろ。

 思考を途切れさせるな。

 限りなくゼロに近かろうと答えは必ずある、はずだ。

「どうやって?」

 優衣の声を遮断しろ。

 目の前にいるのは敵だ。

 未那の命を奪おうとする敵だ。

 深き渓谷描く胸があろうが、安らげる女の香りを出していようが、太一を貶める罠だと心せよ。

 自己暗示のように何度も何度も己に言い聞かせる。

「結果を見てのお楽しみだ!」

 太一は踏み込むなり、左手にバールのようなものの湾曲する先端を柄として握りしめた。

 懐に踏み込んだ途端、優衣の足先が動き、靴先が太一の裏足首に迫る。

 左手に握るバールのようなものを反転させ、飛び込む形で畳に先端を突き刺した。

 ガっとバールのようなものとブーツの足先は激突し、鈍い衝撃が太一の左腕に伝播する。

 ブーツは荒事用に頑丈にこしらえられたもの、素材が素材だけに太一のように衝撃に苦悶することない。

 優衣は太一の身体を跳び箱にして飛び越える。

 左手で襟首を掴み、開いた腕で真上から全体重をかけた肘を打つ。

「はっ!」

 太一の思考ではなく、反射的な行動だった。

 バールのようなものを襟首に回して構えれば、振り下ろされる肘打ちをガードする。

「ちぃ!」

 硬く、鈍い音がバールのようなものに伝わり、優衣から舌打ちが漏れる。

 間髪入れることなく太一はバールのようなものを時計回りに半分捻り、襟首から優衣の手を引き剥がした。

「それも魔女の仕業かしら?」

 金属の棒に右肘を打ち込もうと操縦服の防護性能により痛みに苦悶する様子はない。

「違うと言っても、魔女のせいにするだろう」

「魔女は殺す。殺さないといけないの!」

 優衣はブーツの靴先を蹴り込む、と見せかけて右腕を伸ばせば太一の左手首を掴み上げ、背後に回って捻り上げる。

 足払いによりバランスを崩されれば、後は勢いのまま顔面から畳の上に押さえつけていた。

「がっ!」

「そのままじっとしていなさい」

 先輩として優しく諭しながら太一の左腕を締め上げる。

 ただ押さえるのではなく、バールのようなものを軸にしているため、肌に食い込み、骨を軋ませる。

 カチャと金属がスライドするような音が室内に響いた。

 洋画で馴染み深い音を太一は聞き逃すはずがない。

「なっ」

 左手を支点に全体重で太一の動きを封じる優衣の右手には拳銃が握られていた。

 ブローバックタイプの拳銃。

 先の音は銃身をスライドさせることで初弾を薬室に送り込んだ音だ。

 その手の知識に疎い太一は何口径か、何mm弾かなど分かるはずがない。

 確かなのは人差し指さえ引けば、子供だろうと命を簡単に奪える事実。

 狙う先が押し入れに隠れる未那である現実だった。

「やめ――」

 太一の絶叫は幾重にも響く銃声に上書きされた。

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