第17話 そして少年は少女をデートに誘う
「あれ、未那?」
唐突に夢から覚めた太一は唇から涎をたらして枕を汚していた。
ベッドはもぬけの殻であり、布団の上に昨晩投げ捨てたブラジャーもない。
間を置かずして布団脇に置いてあるスマートフォンに着信が入る。
ディスプレイに着信者は夏杏と表示する。
朝から用件とはなにか、太一は通話マークをタッチした。
『おう、おはよう、少年、いい夢は見られたかな?』
朝一で連絡する理由が何一つ思い浮かばない。
思考に纏わりつく睡魔の残滓は夏杏の第一声を聞いた時点で既に吹き飛んでいた。
『ああ、要件なんだけどね。今日さ、午後から海外行くから今日のバイト午前で終わり』
情報伝達に遅すぎることはないが電話口で伝えることではない。
通話ではなくメールで伝えれば迅速ではないか、と口に出せばイライラ発散イベントが発生するので内に留める太一であった。
「分かりましたけど、海外ってまた買い付けですか?」
『そうそう、今回は一週間の予定だからその間は毎度のごとく留守番よろしく』
毎度の理由だが、ふと太一は疑問を抱く。
「ならどうして今日は午前中だけ営業?」
『そりゃ午前中に人と会ってから午後に出国するからだよ。ほら、少年、進路で保護者ともめているとか言っていただろう?』
「ああ、そうでした、ね……ん?」
確かに進路で揉めている。
営業中の店を抜け出して図書館に現れたと未那から語られた以上、流れ的に保護者であり母親である千草を会うのは自然である。
一方で、保護者のニュアンスがどこか異なるような気がしてならない。
『午前中にその保護者と会うことになってね。まあこっちのわがままをきみの保護者にお願いしたんだよ』
午後から海外に出かける以上、開いているのは午前中だけとなる。
荷物はまとめてあるとしても空港までそれなりの距離がある。
なにより早めに出ることが吉だ。
空港は場所が場所だけに人の出入りが激しいため道路や公共交通機関がこみやすい。
何度も海外に出向く夏杏のことだから手荷物検査や出国手続きがあるとしても時間に余裕を持って行くだろう。
「それなら分かりました。気をつけて行ってきてください」
『うんうん、働き者を雇った私は本当に幸せものだよ』
幸せと感じるならばストレス発散をアルバイトに対して行うのは止めて欲しいと太一は願う。願うも無情なる現実を幾度となく味わっていた。
『少年が志望する魔女史学への進路、上手く保護者を説得してみるから吉報を待ってな』
「え、ちょっと夏杏さん! 夏杏さんっ!」
太一の進路は未だ決まっておらず、己が魔女史学に進むなど一度たりとも夏杏に打ち明けた記憶はない。
魔女史学への進路を望んでいるのは未那だ。
困惑しながら端末越しに伝えようと既に通話は切れていた。
「どういうこと?」
勘違いしていると太一は夏杏の番号にかけようと繋がらない。
メールを送ろうとした時、窓の外から千草の呼び声がした。
「太一くん、起きてるかしら?」
「あ、起きてますよ」
窓を開けた太一は身を乗り出すようにして声の主を見つけだす。
家と公道を隔てる門扉前に千草の姿がある。
今日は非番のはずだが、先の夏杏との通話を思い出した。
「お出かけですか?」
「ええ、お昼過ぎには帰る予定よ。悪いけど洗濯物を干しておいてね」
思わぬ発言に太一は思考を空転させた。
この家に下宿している身として料理以外にも掃除を行っている太一であるが例外的に洗濯物だけは未那が干していた。
理由は当然、洗濯物の中には女物の下着が混じっているからである。
着用済みの男性下着を手に取るなど造作でもない未那であるが逆に自分の下着を断りもなしに触られるのを嫌う。
事後承諾でも許さず、太一に下着を触れさせる時は自らが攻める時に女の武器として使用する時のみだ。
攻めるのは得意だが攻められるのは苦手な性格が一因だった。
「それじゃお願いね」
太一が止めるもむなしく千草は行ってしまった。
「おはよう、太一」
リビングへと降り立てば未那が朝食の支度をしている。
千草不在であろうとなかろうと料理は太一の仕事だから珍しかった。
「朝ご飯できているから顔洗ってきなさいよ」
「う、うん、珍しいね。未那が料理なんて」
「今日はそんな気分なのよ」
松葉杖だろうとその気になれば未那は調理を難なく行える。
昨晩の気まずさと憤怒を引きずるどころか発散したように胸を弾ませるほどの上機嫌ときた。
「お母さん、随分と急いで出て行ったけど太一、なにか聞いてない?」
「あ~夏杏さんからさっき電話があって……」
太一は電話の内容を伝えれば未那はどこか納得した顔であった。
「私が声かけても聞こえないほどだもん。よっぽど大事だったのね」
「急いでいた、のかな?」
窓から身を乗り出した際に見た千草にどこも急ぐ様子は見当たらない。
ただ毎朝の母娘の衝突は起こらなかったのは確かのようだがどこか腑に落ちなかった。
「ほら、太一、ぼっと突っ立っていると朝ご飯が冷めるわよ」
未那に急かされた太一は思考を打ち切っては洗面台へと向かう。
向かいかけるも足を止めては未那に振り返った。
「今日はバイト、午前までなんだ」
「それで?」
「午後からどっか出かけない?」
普段から図書館か、リハビリか、の未那を誘うなど誘った当人ですら内心で驚いていた。
繁華街は遠出となるため松葉杖突く身体の負担を考えねばならない。
「なにデートのお誘い?」
顔をほころばせる未那が意地悪に聞いてくる。
「男女で出かけるならデートだよ。デートなんだよ。それで行くの? 行かないの?」
「どうしようかな~」
未那の目は嬉しさに染まり、身体はそわそわと落ち着きがない。
決めかねているからではない。未那は今までになかった太一の行動に新鮮味を覚えてはその感覚を味わいたいがために焦らしてくるのだ。
ならば少年は一歩鋭く攻め込んだ。
「もう決定。僕は未那と今日の午後、デートに行く。未那に拒否権なし! 拒否するなら抱き抱えてでも連れて行く!」
「ほ~太一のくせして攻めてくるわね」
攻められるのを嫌う未那だが今回ばかりは怒りもせずご機嫌な笑みを浮かべていた。
「誘った以上、エスコートお願いね?」
「もちろん、男に二言はないよ」
ここに来て何故、未那をデートに誘ったのか、太一は理由を五つほど思い浮かべるも、どれもしっくり来るとは言いがたかった。
それでも未那をデートに誘い、承諾を得たのは大きな一歩だと思った。
「うふふ、デートか、太一ったら」
洗面所に向かう太一の背に未那の喜ばしい声が当たるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます